Rikoの再建日記~気ままな恋文

病期3の乳がんから自家組織再建、リンパ浮腫治療、抗がん剤後の薄毛治療など、心身共に毎日が昨日からの再建って感じの日々♪

44歳の私

2011年06月29日 12時22分06秒 | 着物コレクション10年史

 さて、この「着物コレクション10年史」のカテゴリーもラストまできましたよん

 

44歳はまさに術後の私としてのスタートだった。乳がんオペから10日後に44歳の誕生日がきて、翌日退院。

前にも書いたかもしれないけど、心の表面に薄皮1枚ぶん、自分の為に麻酔うっているような感覚の中過ごしていた頃。

周りはね、とりあえずケモも終り、全摘で全て取れた!良かった!!っていうテンションなのよね。今思えば、その周りもきっとそうすることで気持ちを鼓舞させて彼なりに支えることの辛さ、私を見つめる辛さを緩和させていたのかもしれないと・・・・・切なくもなるのだけど・・・・・

でも、その頃は、そんな事も思い至らず、周囲の安堵感とは逆に私の気持ちは宙ぶらりんのまま、マヒしていたなぁ。泣くことも上手にできない感じだった。

それが、どっとわきでたのが、何と!!その退院から約1カ月後のお正月元旦。この日のきものはね、お正月らしく華やかな訪問着だったから、帯も袋帯の重たいものでね、いつも自分一人でさっさと着れるのに、帯を持ちあげられなかったの。そもそも、そこまで行きつく、仕度の段階からへとへとしていたんだけど、最後の段階、イヨっと、帯を上げることができなくてね。そこで、何かが切れたように、私は子供のように泣いた。

きっとね、癌と死、そんな怖さの他に、急激に変わっていく自分、例えば、身体の体力、胸そのもの、髪の毛がなかったり、それが「老い」を感じることでもあり、その変化を受け入れるのに戸惑っていたとい事でもあるのかな。

結局、ダンナッチが手伝ってくれて、それでも着物着て、顔を直して・・・・・・・辛い元旦にはしたくなくって、私の為にというよりは彼のためにね。 

そんな風に書くと、何だか凄い哀愁のお点前でしょ~~でもね、気持を「無」にするのに、このお点前って以外といいのよ。(あくまで軽くするレベルかなぁ)、ちゃんとしようと思うと身体には以外としんどいところもあるんだな~~。

何とか、お化粧も直し、お茶室にて新年のパチリ この頃のブログには、泣いた事なんて書かないで、元気に新年を迎えたよいに書いていたけど、その前には涙があったのだ~~。泣き年になるのが嫌だったから書かなかったの。

ついでに、細かい事書けば、健側の手が浮腫んでいたの。腫れてるのわかるかなぁ~~?

なんでも術側をかばい過ぎたのと、点滴とかのストレス?みたいな事で、レントゲンの結果と指の腫れ具合から骨萎縮とかって近所の整形の先生にいわれて熱療法に通っていたんだけど・・・・・何だったのか・・・?

今は戻ってます!でも、指は病気以降太くなった。これは、更年期なのかしらね~。いやだ、いやだ。こういう事を受け入れるのに時間がかかるのよね。そんな年頃に癌になってしまったのね。

話もどすけど、そんなこんなで、出かける頃にはすっかり夜になってしまっているんだけど・・・・元旦はいつもお外で食事が我が家。この年も例外ではないのだけど、それでも景色が違って見えていたのかしらね・・・・・・

この写真の雰囲気って、まさに戸惑いのリコちゃんって感じ、と思うわん

44歳は、ずっと胸の無い私。とても不自由で無防備で・・・・だけど不思議で貴重な年だった。失ってみて見えてくるものって、沢山ある。失った胸の向うに沢山の「初めて」をみた。

 そんな44歳もおわり、45歳になった私には再び胸が帰ってきた。前の自分そのものではないけど、私の延長にある新しいアタシ。

この身体で、これからまたどんな着物を纏っていこうかなぁ

 

PS

術後1カ月はそもそも着物着るってこと自体無茶よね。帯、普通の人でも自分で締められない人が多い中、私はたいしたもんよ!

で、今は、普通に帯も締められます。可動域という問題はないかなぁ~。ただ、帯締める時だるいってのは、やっぱ少しはしょうがないわね。

これは、リンパ浮腫との関係というよりも、普通に、右側だけはさすがにちょっとはダメージ受けてるって事の意味です。

 

この暑いさなか、冬の風景の写真をアップしてしまった~~

 


43歳の私

2011年05月30日 19時54分39秒 | 着物コレクション10年史

さて43歳の私は乳がん闘病の日々でした。術前ケモでほぼ髪の毛無し、まつ毛無し、体毛無しですごした1年。そんな状態でも、さすがリコちゃん!きもの姿、あるんですね~~なんと、ウィッグをかぶり、それにさらに付け毛を付けてシニオンのスタイルを作り、着ていたのよ~~

あの頃、悲劇の妻の気分でヨヨッ・・・とダンナッチにぶら下がり、ちょこっと外食して、夜桜はいかがかいな~って車で回ってもらって帰ってきただけ。

まだ、蕾だったわ!わかっちゃいるけど、見たいっていう病気乙女心ね。それが、この日だったのよん。

これは、第1回目のFECを終え13日め。なぜこんなにはっきり言えるかというと、この次の日からいよいよ脱毛が始まるというまさに前日に、記念!?に着たのです。脱毛はぴったり14日目からはじまったので、よく覚えているの。脱毛に備えて、小学校以来のショートカットにしました。でも、今から見れば、これでも充分長い!と思うわ~~まじめに。ケモが終わって、1年半だけど、前髪だけはこの長さの半分にもならない~~。あとは長さはおいついてるけど、とにかく少ない、薄い、軟い

 

ジャ~~ン!で、これが、ウィッグオン付け毛の髪型ロングのレイヤーのウィッグの後ろを縛ってまるめ、その上からシニオンにする付け毛を付けてるの。ちょっとサイドを垂らしているのは、乱れではなくって、もみあげの無いのをいかに自然に見せるかの苦労のたまものなの。前のブログを知ってる方には、既に見た事ある写真ですね。

 

横から見るとこんな感じ。きものは、大島紬!日光東照宮の柄が織り込まれていて、実物はとても素敵で、私の中では大島でもこれは特別に好き帯は掬いの帯で、黒猫が影絵のように対照的に織り込まれているの

しかしまぁ、抗がん剤もこの1回目~2回目くらいまではこうして体力もまだ多少あったのね~と思う、FECはきついイメージがあったけど、

振り返れば、タキソテールの方が酷かった。前も書いたけどね。また書くけど、いまだに、指先と足の痺れ・マヒはあります。

それでも、なぜか今はもう随分前の事のようにも思える。この2年、めまぐるしかった~~ 

 

 


42歳の私

2011年05月05日 22時29分35秒 | 着物コレクション10年史

パソコンの故障!なんだか直った!!ということで、

久しぶりの 着物コレクションで見る10年史ですよん

この42歳はね、何故か、探してみると夏しかきもの着てないの。この年、私は翌年に控えた自分の夢・目標のためにとても頑張っていました。何度も中断させてしまった夢の続きを追っていたの。その僅かな合間の息抜きで、少し余裕を持てる夏頃だけ、きもので出かけたりしていたのでしょうね。

その頑張りを思い出すと、同時に私の中でやるせない後悔とも自責の念・嫌悪ともとれるとても複雑な痛みを伴うような苦しい思いが過る。そんな42歳はなかなか振り返れない年でした。

それはね、既に、この頃、まさにこの夏の頃、私は脇が痛いと自覚し口にも出していたの。そして、自分の中で、何だろう?とたまに思うことが少し続き、でも翌年の夢しか眼中になく、悪いことが頭を過ることさえ無かった、あきれるほどノー天気な自分。もしかしたら、悪い事をその夢・目標の為に勝手に封印してしまっていたのかもしれない。それくらい毎日夢中で過ごしていた。

それでも、ホームドクターにちょっと訴えてみたことがあった。でも、もともと循環器の先生だから、触診・視診することもなく、肋間神経痛かなんかでしょう!と。この頃、乳がんの「にゅ」の字も頭になかった。

でも、もう既にリンパに転移していたのね。

なのに、秋になり、ずっとずっと、走り続け、年末どうにも体調の悪さにちょっとだけ不安が芽生え、それでも、自分の中でまだうち消していた。

それはもう43歳になった私で、年明けのえびすさんで、いよいよ「乳がん」で検索をかけることとなった。えびすさんが「いきなさい」と教えてくれたと思っているということは以前にも書いた事がある。

この記事は42歳の私だから、そんな「乳がん」に思いも至らなかった自分を、今改めてつくづく眺めてみたい。

大好きな亀甲100の宮古上布に科布の帯。この夏のマイブームは前髪少したらしなのかしらん

同じく大好きな夏大島。帯上げは梅絞りで「日本の紅色」をチラ見せするのがお気に入り。少し落ち着きをみせたいときは、梅絞りの色を紺や藤色にしたりしてもそれはそれかな~

これは金魚の長襦袢が透け透けの絹芭蕉、以外とお手頃に着れるもので、この日は天神祭で、帰りに当時よく行っていたバカラバーの階段で写したものかな。足元は足袋をはかず下駄ね。ゆかたのゴージャスバージョンって感じ

これは斎藤さんで染めた生紬を一重に仕立てたもの。冷めた色は顔色が綺麗に見えて好き。

どの顔をみても、不安の不の字も無い。無邪気に楽しんでる様。そして、とても満たされた顔をしてる。それこそ、いつも脳内からアドレナリンを出して、自分酔いするくらい夢中でがんがん頑張っていて、そんな毎日が私のきもの姿にオーラをくれていた。と、自分で書くのもなんだけど、皆にいわれてたのぉ~~~

この時、乳がんを疑って検査にいっていれば、8か月も早い発見になる。それで私の乳がんの顔つきが変わっていたことはないとは思うけど、治療内容が変わっていたとも思わないけど・・・・・でも、例えば温存ができたかも、とか、予定通りの同時再建ができたかもしれねいし・・・・・・何より全身転移に怯える恐怖がもう少し軽減されていたかも、とか。具体的にあらわされた病期はⅡですんでいたかもしれない。

いろいろ思ってずっと、後悔を引きずりつづけていた。今でも、やはり「あの時」との思いはある。

でも、こんな素敵で充実な時間を人生でもてたのも、病気を知らなかった故の最後の顔、姿。(特に、この髪型・・・・もう出来ないかもしれない←まぁ、そういう問題でもないけど、そういう事も含めてって事で・・・・・

この年の頑張った日々は、すくなくとも私に新たに多くの自信と世代を越えた仲間をもたらした。病気を知ったと共にそれは大きな挫折ともなったけど、治療を終え、再建も叶えた今、この時のことを全面否定する自分はどこかへ少しだけ影をひそめた感じがする。

後悔という言葉は、自分の中ではもう使わないでおこうか・・・・とおもう。

その時の私を責めて生きても仕方ないし、ただその教訓をこれから生かせばいいじゃないかと、今の私は思っている。私の道に遠回りはあっても後悔という道は無いと・・・・・・・そう信じて最後まで生きて確信したいなぁ~~。

42歳の私は今の45歳の私にそんな言葉をかけてくれてると、今思う。

 

ただね、「教訓」ってのはしっかと、この身に植え付けましたよ!だから、おせっかいでも知ってる子達に検診と保険を勧める私でっす


41歳の私

2011年02月25日 15時39分57秒 | 着物コレクション10年史

石の上にも3年、じゃないけど・・・
3年って物事がなにかの形となって落ち着いたり、
動きだしたりするにはちょうどいい年数、
ちょうどかかってしまう最低限の年数なのかもしれないな~

パパりんの脳梗塞から3年。
私の心の病からも3年。

ジャ~~ン 
私は復活しましたよん

どう!!
なんとまぁ~、ドクドクしくもぎらぎらでキラキラの良いお顔してるでしょ

これが燃えるわたし、生肉でもばくばくいきそうなオーラでしょ~~
生レバ食べまくり~、すっぽんコラーゲン取りまくり~~

しっかり痩せて、お肌もピ~~ンとハリがあり、イケイケのお顔

41歳で、再び、もう一度色んな事、一度はあきらめてしまった事、
そんな事に取り組みたいな~って燃えていた時。
気持ちの充実が外見にもよく現れていて好き!

きものも超お気に入りの藤色の糸が織り込まれた亀甲総柄の結城。帯は琉球の紅型ね



季節はうつり、41歳も後半戦の夏。

相変わらず、気分はイケイケで~

これ、いよいよデジカメ時代に突入ですよん

絽のきものはしっとりと・・・これ無難な組み合わせだけど、以外と好き

この頃から口紅は薄めに艶をタップリに変えてきたのかな~

この時、約4カ月かけて、しっかりと5キロダイエットしました!!
そりゃ~もう頑張ったのよん
昔20代くらいまでは、2キロくらいなら、ちょと食べないだけでもすぐ落ちていたけど、
この時は、もう代謝も悪く、なかなか大変でした。
それでも、時間をかけて、丁寧に脂肪を落とすダイエットをしたので、
その後、リバウンドもなく過ごしていました。
(抗がん剤以降は、またちょっと違うモード)

食事、運動、この2本柱でしっかり!!ある意味自信ついたかな!!

それに、勉強にも熱中し、凄いパワフルなくらい自分への投資を外見にも頭にも
した頃かな。
若い人に混ざって、色んな刺激を受けて、本当に頑張っていた。

そんな充実の41歳、年をとることが怖くない、いや、楽しいとさえ思えたのは、
私自身の努力のたまものです!!

きゃはは~~今回は、最後まで攻めの発言ね




今日は気持ちのいい昼間だった。
風は強かったけど、髪が風にちょっとだけなびく?感じの中、
ランチにでかけ、JUJUの曲を聴きながら、ドラマの世界で街の中を
歩き、一人の時間をすごした。
ちょっと曇ってきて、グッドタイミングで帰宅し、パソコンいじって、あ~~
ささやかな幸せ
41歳の私とは無関係な45歳の私の今日のことです。






40歳の私

2011年02月23日 09時46分58秒 | 着物コレクション10年史
さて、いよいよ40歳!!

のんびり生きましょ~なんて夫婦でいっていたら、人生最大の体重になりました
なんと!普段の平均体重(これ、私の中の理想よりは少し多い)より5キロ増

これ、抗がん剤で浮腫んだ時を除いて、人生で一番体重が増えてた時!

40歳になって、太ると、なんか、身体のラインに中年が入っているようで、
この写真を見てから、真剣に「復活」への誓いをしましたよん

まだまだ、ここでずるずるコロコロになるわけにはいかない!!と、
のんびりしすぎた生活から、ギアチェンジの時ですね。
そう、そんな風に思えることが、何より、私の心の病とのお別れでもあり、
この頃には、もう安定剤も飲まなくなっていたような・・・

お着物は宮古上布に帯は科布。これをさら~と着こなすには、
細くなくっちゃ!!
科布は凄いハリがあって、ばんばん膨らむの。
でも、とても涼しいし軽いのよん。夏のきものには、日本の自然がつくる魅力と英知(?)がいっぱい。


太っていた年なので、ラインを隠すため!?ってわけでもないけど、
きもののコート姿をアップしちゃおう!

私は、男の角袖のコートみたいに、襟を立てて、首にピッタリ巻きつける感じで
毛ものを巻くような着方が好き

きものの特徴の一つの襟元が見えないから、本当にただのコロンとした人に見えてたりして~

だけどね・・・

この後、私は見事変わりますよん

こうご期待



39歳の私

2011年02月13日 11時08分30秒 | 着物コレクション10年史
さて、30代も最後の年となって、その頃私は何を思っていたかというと、
ダンナッチの脳梗塞で大きく生活が変わってしまった・・・・・
と思っていた「転換」の思考から再びの復活の兆しを伺いつつも、
焦らないという事の大切さも覚え、
ただただその日を生きるというような
ゆっくり、日めくりカレンダーをめくるように過ごしていたなぁ。
水面に写る光を海中からながめながらも、一気に浮かびあがるのをためらうような、
とても慎重な、それでいて穏やかな時間でもあったかなぁ。

40代を目前に、妙にのんびり落ち着いていたような気がするな~

春~春~ハル!!

次に再梗塞がおきたら良くて植物状態か・・・まぁ即死、
という状態からは、信じられないほど、ダンナッチは見事にめきめき回復した。
後遺症のリハビリも順調で、そんな彼の生命力に、私も、ヤツを選んだ強運みたいなものを感じ、心の病からも回復し始めた、そんな春の1日かな~

この写真は祇園の歌舞練場でのひとコマかな。古い建物の窓枠がレトロ。
チラっと写っているのが、お庭の桜 

久しぶりに着る着物にちょっと照れているのかしらん

きものは、大島だよん目線は誰かを見てるのかしらん 
ライバル視
ちゃうちゃうこの頃は穏やか~~ 

おぉ!!柔らかものの小紋の一重ですね

気持ち、のんびりしすぎて、太りだしていたかも・・・・


とは言え・・・・まだこんな軽やかに階段を昇っていましたよん

きゃ~、我ながら、なんか可憐でいいのぅ~
(ん?今度は逆に見られてる?視線が・・・)

これを写したのは、姑!!
「リコちゃん、食べな~あかんで~」と私達の後をつけまわす
姑もこの頃元気だったわぁ~

そんなこんなで、姑のせいにする訳じゃないけど、

この後、本当に太ってしまうのです・・・

つづく 



38歳の私

2011年02月02日 01時00分08秒 | 着物コレクション10年史
シリーズものはパパッと繋げなくちゃね

38歳は、私にとってはとても試練の年だった。
辛い事があった。
梅雨の蒸し暑い日にダンナッチが脳梗塞で倒れた。
脳幹部分で危ないところを彷徨い、一夜で全ての景色が変わった年。

前の年に買ってもらった夏結城の着物で気合を入れて、泣く泣く出かけた日。



お茶の集まりで、仕方なく、思い腰を上げたけど、あきらかに横顔が疲労してるなぁ~
頬から首筋にかけて、心労と悲しみが出てるきがする。
ダンナッチが元気になった今だから思うけど、この時はああ、私は疲れてるって
感じた写真だわ

哀愁のリコちゃんって感じ~、自分の中ではね。


同じ日の正面から写したもの。
元気に行ってきたよん と伝えるために撮ったのかなぁ・・・・



これは更に盛夏を向かえたくらいかな~
少しづつ元気になっていく彼を見守りながら、私は自分の中で不安を膨らませていった頃。
お盆の頃か・・・・。

宇宙人のお嫁さんと言われたリコちゃんもこの時ばかりは大変だったさ~~

改めて、今の幸せと健康に感謝


私はこの年、過換気の発作を何度か繰り返すうちに、またなったら・・・という
不安、そういう状態の時の他者の目を気にして、人前に出歩くことも出来ない、
医学用語でいう
「広場恐怖症」
というのになった。

精神科への通院をとおして、自分がとても弱く、他者を思っている以上に気にする心があることも知った。
心が、人の身体を動かさなくしてしまう事も知った。

今はこのとおり~~、お陰様できちんと通院して、それらの症状は治したけど、
この時の経験、この1年は、今回の乳がんと向き合う上でとても貴重な時間だったと思う。

私が、再建を考えるとき、ただ欲しいという生の感情を、もっと、少しだけ冷静に
見ると他者の視線を気にする私が確かにいる。
その目を通して、私自身の別の一面に気付いたり・・・

そんな事を思う冬の夜長・・・・・
これ以上は、睡眠不足でお肌に悪いですからねん
またゆっくり考えよ~~





37歳の私

2011年02月01日 22時57分41秒 | 着物コレクション10年史
さて、いつの間にか気がつけば2月。
我が街大阪は行事好きなようで、さっそく恵方巻きの看板がちらほら。

今では、この恵方巻きの食べ方も意味もすっかり分かって2月の始めといえばこれ!と、
インプットされてるけど、大阪に来た頃は、姑が買ってきたこれをショボイ太巻きと思って
輪切りの一口サイズに切ってだし、
「りこちゃんは、宇宙人やなぁ~~」と言わしめた、伝説が懐かしい。
そんな30代からの私の10年史の続き。

37歳はまだ、恵方巻きはショボイと思っていたかなぁ~ 



この頃は、すっかり京都にはまっていた感じね。
桜の季節は必ず京都には行っていたな~
この桜色の羅織のショールは大好きで、洋服でもいつでも、今でも愛用
している大切な1点だぁ~~



こちらの着物は、鉄色の結城で亀甲100の飛び柄。
地味~~な感じだけど、裏地に銀杏色をもってきて、ちょっと遊んで着てたよん


おお 前髪下ろしてますね~
この頃から、きっとちょっとお顔の衰えを気にし始めていたかもぉ~
前髪はその兆し・・・・

これは、夏結城。亀甲のトンボ柄。この年に購入したもの。夏結城は綿菓子みたいにふんわりした風合いが大好き。帯は絽の染めもの。デンとした黄色って、
これまた大好き けっこう、私の着物のコーデにはよく登場!
この組み合わせはおニューで、その記念にお家でパチリって感じかしらね。



30代はこうして見てると、着物の時はけっこう赤の口紅を躊躇なく付けていたなぁ。
それも、まだ、かろうじての、お顔の若さのたまものだと思う。

今は、どちらかというと、引き算のお化粧ね。

艶は足すけど色は控えめかなぁ~~

赤は、もはや抵抗ある!

恵方巻きを食べる時も、赤の紅はちょっとね~←取ってつけたように恵方巻きはもういいけどね~

しかし!私って、実はね、メイクは時代に流されない、流されてない自信があるの
雑誌のメイク講座とか、美容部員の意見には流されないんだぁ~~
自分の顔は一番よく分かっているのよん


写真の大きさはブレブレだなぁ・・・・・




36歳の私

2011年01月28日 22時44分22秒 | 着物コレクション10年史
引き続き、はまってます!じゃんじゃんアップで、今度は36歳の私です。


こちらは、夏の京都、南禅寺かな。この頃、まず、夏に着物で
京都を歩くってだけで凄い体力だったわ。
きものは、能登上布。上布の中では以外と厚手・・・ってか、しっかりしている。
私的には、やっぱ上布の宝石っていうくらいの宮古上布が好きだぁ~




う~~ん、横顔のラインがちゃうわ~
うつ向いていても上がってるええのぅ~
きものは、白の生紬、なんと!!長襦袢に大胆に日本の赤を合わせて
チラ見せ 
こんな着方、30代ならではのギリギリの見せ方ねと今では、もう
無理~~と思いつつ、この頃のバランス感覚はなかなか。
こういうの、まだ若さが残るお顔でするのがやっぱ正解かなぁ~~



雨の日のよそおい。
ホント、雨にも負けず、風にも負けず、夏の暑さにも・・・ってのが、
36歳の私。元気でした!

45歳の今は体力ここまでで、続きはまた今度・・・・

これ以上パソコンの前にいると、目がチカチカするさ~
老眼だからね。

35歳の私

2011年01月28日 20時51分21秒 | 着物コレクション10年史
「着物コレクション10年史」
なんてカテゴリーを作ってしまった

先日、乳がんフレンド、パルミさんとお茶してる時、もっぱら話題になったのが、
乳がん治療以来、老けた・・・・

ってこと。

私は43歳から、現在45歳までの2年間、乳がん治療に費やしている。
この2年間は、普通でも頑張りどころの大きな転換期だと思うのよね~
普通に健康でも、「老い」を感じる頃。
なのに、そこで抗がん剤という猛攻撃を受けた私達って・・・・

やっぱ、違うわ・・・・

それまでの10年はよく頑張っていたわ~~ってのが共に交わした、ため息交じりの
小自慢 

しかし!!ここでそんなことを理由にどんどん老けてはいけない!!と思いも新たに、
頑張ろうっていうのが私達の誓い!ってか、パルミさんをむりやり引きずりこんだぁ~

まぁ、若く見られたいとか、そういうことよりは、年齢は相応でいいのだけど、
やはり、こ綺麗でいたいな~~

って、ことで、せっかくブログをまた記念に残すのだから、
がんばった10年の変遷(変遷を食い止めていた!?)を大好きな着物コレクションとともに残しておこうかなぁ~~なんて考えちゃった

再建までの間にポツポツアップしようかなぁ~~

では、先ずは10年前。35歳の私。


う~ん、まだ、目や顔が上がってハリがあったのぅ~
着物は、濃紺に亀甲で柄を配した結城に大好きな掬いの帯。柄は無病を願い六瓢箪


夏の日傘はいいのぅ~


無双の着物。多分お茶に行く時かな。


秋の京都高台寺のライトアップを見にいった時かな?
着物はこちらは明るめの黄緑の結城。帯は自然布のもの。
なんで笑わないんだろ・・・・


これは、華やかな訪問着なので、パーティーでしょうね。
この黒地の訪問着は20代で作ったのに、40歳過ぎても良くきるなぁ~
元とってます!って感じ。

この頃、デジカメってのが無かったから、プリントされた写真を改めてデジカメで
撮ってみましたよん

これ、いろいろ振り返りながら、冬の夜長にはけっこう楽しい作業だわ~~