◎2008年2月20日(水)-1人
小野子山以来、1か月の空白ができてしまった。身内の結婚式やら出張、そして体調不良。20日は好天で暖かいという。これを逃す手はないと代休をとる。丹沢はあまり興味が向かない山域だった。一度も行ったことはない。暮れに木から越年山行の話題が出て、丹沢にでも行ってみようかということになり、いやいやながらも了解し、少しはネットで調べた。結局は寒波の到来で行くことにはならなかったが、その気だけは残ったままだった。先日の3連休の際、仲間と箱根に行くことになり、ちょうどいいチャンスとばかり、自分だけ別行動をとり、丹沢経由で箱根入りの絵を描いた。ところが、土曜日は雪。せっかく行っても富士山が見えないのではつまらない。当日になってから丹沢は断念し、揃って箱根入りということになってしまった。その日の雪のせいか、積雪もそこそこありそうで、毎日、ネットでブログ情報を見ていて、ますます行きたい気は募るばかりといった次第。
神奈川とはいえ、太田からのアクセスは山梨よりも悪い。あの環八を経由せざるを得ない。5時半に家を出る。ナビをセットすると、館林ICからのルートになり、首都高から東名にぬける形になる。これでは高速代も余計にかかるし、平日では時間もかかりすぎ。しばらく無視して東松山に向かうが、なかなかナビもあきらめず、執拗に戻るルートをとる。こちらも嫌気がさして、熊谷警察署までナビを停止。ようやくあきらめてくれた。いくら7時前とはいえ、環八はやはりノロノロの渋滞。東名の入口まで練馬ICから1時間かかってしまった。秦野中井で下り、登山口の大倉に着いたのは8時15分。ざっと3時間。秦野戸川公園の駐車場は8時30分から使用可。料金はこの時期の平日は無料。ダメモトと覗いてみたら、もう開いていた。ラッキーだった。民間の24時間に駐めたら、いくらかは知らないが、700円くらいとられるだろう。
8時半に歩き出し。しばらくは舗装道を歩くからだるい。気温は今のところ0度。日差しがあるから暖かく感じる。手袋を一旦出したが、不要だろうと、腰にくくりつけるが、ふと気づいた時には、片手分をなくしていた。帰りに拾えばいいや、どうせ予備があるから。だれも歩いていないし、拾う人もいないだろう。しばらく行くと、ようやく登山道みたいな形になるが、すごい整備のされ方。幅も広い。かなりのハイカーが入っているのだろう。そして、随所に、秦野市で建てた、緊急時連絡先の表示板。これは山頂まで続く。完全看護の山歩き。雪は無いが、表面下は凍っている。気温が上がれば確実にぬかるみになる。杉林の中を進む。丹沢は、花粉症の方には世紀末の様相を呈するので有名なようだ。今のところだれにも会わない。この大倉尾根は、丹沢のバカ尾根とも呼ばれているらしいが、まだ緩やかな上りが続いている。視界は悪い。
丹沢ベースから始まって、観音茶屋、高原山の家と、いくつかの小屋を過ぎるが無人。丹沢ベースで連想するのがかつての京浜安保共闘。連合赤軍の話とは縁もゆかりもない小屋だろうが。観音茶屋の先で道が分岐する。高原山の家に向かうルートを選んだ。特別な意味はない。こっちが展望がいいだろうと思っただけのことだが、富士山の頭がちらっと見えただけの、さしたる眺望には恵まれない。ちなみに帰路は別ルートを選択したが、林の中を歩くだけのコースだった。
山の家を過ぎて道は合流。道は今までの薄暗さから解放されて、幾分明るくなる。日光の杉並木街道を歩いているような気分。見晴小屋を過ぎて次第に傾斜がきつくなってきた。暖かくなったためか、道もぬかるみはじめ、靴がかなり泥で汚れる。なまった身体にはかなり応える。背中は汗だく。フリースを脱ぎ、シャツ一枚になる。しかし、上も下も防寒用の下着を着用しているためか、汗はひかない。上から駆け足で下ってくるジイサンがいる。半そで姿。ネットで見ていると、このルートには、多種多様なスタイルで歩く人が出てくるようだが、このジイサンもその一人だろうか。今日、出会った初めての方。
木の階段の登りがしんどくなってきた。振り向けば後続に単独。地図を広げるフリをして、先行してもらった。後ろにつかれるのはいやなもの。雪がようやく出てきたが、路面はまだグシャグシャ。気温は確実に上がっている。駒止小屋通過。東西の展望が開けたが、さらに急登。上から数人が下りて来る。立ち止まっては呼吸を整える状態が頻発するようになった。身体がやけに重い。
堀山の家でスパッツを付ける。泥んこの道は耐え難い。ズボンの裾には泥。雪で一応払ってから付ける。やがて天神尾根と合流。結構、人が下りて来る。これまで10人くらいと出会った。随分、入っているものだなぁ。さっきぬかれた単独とは同距離を保ったまま。向こうも疲れている様子。後ろに付かれるよりも、後ろに付いていた方が気分は楽。
花立山荘からは、路面の土も隠れ、雪になった。アイゼンを装着している人が何人かいる。ここで困った。下りて来る人も、装着している人も、ほとんどが4本爪のアイゼン。今日は用心して12本を持ってきていたが、これじゃ大袈裟すぎて目立つ。ちょっと失敗。まだ、アイゼンをつけないでも歩けるようだし、無しで行くことにした。ただストックだけは出した。ところが慎重に歩きすぎて、10歩も歩かぬうちに滑ってこけてしまった。だれにも見られず、恥をかくことはなかったが。
金冷しのポイントに出る。左は鍋割山方面。トレースはあるが、雪は深そう。しかし、どこが金冷しなのだろう。別に危険な個所には感じない。富士山も次第に大きくなってくる。前を歩く3人。オッサンと中年女2人。オッサンが得意げに立ち止まって講釈をたれている。しばらく待たされた。咳払いをしたらようやく気付いたらしく、道を開けてくれた。前と女ばかりに気をとられずに、後ろも見ろよ。追い越し際に、女の話が聞こえた。「人生、楽しまなきゃね」だって。何の話をしているか知らないが、あんたら平和だよ。
塔ノ岳のピークが見えてきた。最後の上り。滑らないように慎重に。ぱっと広がった視界。真正面に富士山。積雪は40センチ程。気温は0度。5人位休んでいた。若干の霞はあるものの、文句なしの富士山だろう。三ツ峠からの富士山よりはやや小さいか。しばし休憩。ここまで3時間近くかかってしまった。標準タイムよりは20分ばかり早いものの、どうも今日は体力が続かなかった。頻繁に歩かないとだめだなぁ。汗ばんだ身体が冷えてきた。脱いだフリ―スをザックから出して着る。どんどん、人が上がって来る。スープを飲み、パンを食べて下山。珍しく山頂に30分もいてしまった。
登って来た時に比べ、雪がどんどん溶けて、さらに道はぬかるんでいた。今日は40人くらいと出会ったろうか。この分では、土日はすごいだろう。随分と下で登ってくる人にも出会ったが、小屋にでも泊まるのだろうか。落とした手袋が気になって、左右見ながら下ったが、見つけることは出来なかった。車に着いたら気温は14度にもなっていた。
小野子山以来、1か月の空白ができてしまった。身内の結婚式やら出張、そして体調不良。20日は好天で暖かいという。これを逃す手はないと代休をとる。丹沢はあまり興味が向かない山域だった。一度も行ったことはない。暮れに木から越年山行の話題が出て、丹沢にでも行ってみようかということになり、いやいやながらも了解し、少しはネットで調べた。結局は寒波の到来で行くことにはならなかったが、その気だけは残ったままだった。先日の3連休の際、仲間と箱根に行くことになり、ちょうどいいチャンスとばかり、自分だけ別行動をとり、丹沢経由で箱根入りの絵を描いた。ところが、土曜日は雪。せっかく行っても富士山が見えないのではつまらない。当日になってから丹沢は断念し、揃って箱根入りということになってしまった。その日の雪のせいか、積雪もそこそこありそうで、毎日、ネットでブログ情報を見ていて、ますます行きたい気は募るばかりといった次第。
神奈川とはいえ、太田からのアクセスは山梨よりも悪い。あの環八を経由せざるを得ない。5時半に家を出る。ナビをセットすると、館林ICからのルートになり、首都高から東名にぬける形になる。これでは高速代も余計にかかるし、平日では時間もかかりすぎ。しばらく無視して東松山に向かうが、なかなかナビもあきらめず、執拗に戻るルートをとる。こちらも嫌気がさして、熊谷警察署までナビを停止。ようやくあきらめてくれた。いくら7時前とはいえ、環八はやはりノロノロの渋滞。東名の入口まで練馬ICから1時間かかってしまった。秦野中井で下り、登山口の大倉に着いたのは8時15分。ざっと3時間。秦野戸川公園の駐車場は8時30分から使用可。料金はこの時期の平日は無料。ダメモトと覗いてみたら、もう開いていた。ラッキーだった。民間の24時間に駐めたら、いくらかは知らないが、700円くらいとられるだろう。
8時半に歩き出し。しばらくは舗装道を歩くからだるい。気温は今のところ0度。日差しがあるから暖かく感じる。手袋を一旦出したが、不要だろうと、腰にくくりつけるが、ふと気づいた時には、片手分をなくしていた。帰りに拾えばいいや、どうせ予備があるから。だれも歩いていないし、拾う人もいないだろう。しばらく行くと、ようやく登山道みたいな形になるが、すごい整備のされ方。幅も広い。かなりのハイカーが入っているのだろう。そして、随所に、秦野市で建てた、緊急時連絡先の表示板。これは山頂まで続く。完全看護の山歩き。雪は無いが、表面下は凍っている。気温が上がれば確実にぬかるみになる。杉林の中を進む。丹沢は、花粉症の方には世紀末の様相を呈するので有名なようだ。今のところだれにも会わない。この大倉尾根は、丹沢のバカ尾根とも呼ばれているらしいが、まだ緩やかな上りが続いている。視界は悪い。
丹沢ベースから始まって、観音茶屋、高原山の家と、いくつかの小屋を過ぎるが無人。丹沢ベースで連想するのがかつての京浜安保共闘。連合赤軍の話とは縁もゆかりもない小屋だろうが。観音茶屋の先で道が分岐する。高原山の家に向かうルートを選んだ。特別な意味はない。こっちが展望がいいだろうと思っただけのことだが、富士山の頭がちらっと見えただけの、さしたる眺望には恵まれない。ちなみに帰路は別ルートを選択したが、林の中を歩くだけのコースだった。
山の家を過ぎて道は合流。道は今までの薄暗さから解放されて、幾分明るくなる。日光の杉並木街道を歩いているような気分。見晴小屋を過ぎて次第に傾斜がきつくなってきた。暖かくなったためか、道もぬかるみはじめ、靴がかなり泥で汚れる。なまった身体にはかなり応える。背中は汗だく。フリースを脱ぎ、シャツ一枚になる。しかし、上も下も防寒用の下着を着用しているためか、汗はひかない。上から駆け足で下ってくるジイサンがいる。半そで姿。ネットで見ていると、このルートには、多種多様なスタイルで歩く人が出てくるようだが、このジイサンもその一人だろうか。今日、出会った初めての方。
木の階段の登りがしんどくなってきた。振り向けば後続に単独。地図を広げるフリをして、先行してもらった。後ろにつかれるのはいやなもの。雪がようやく出てきたが、路面はまだグシャグシャ。気温は確実に上がっている。駒止小屋通過。東西の展望が開けたが、さらに急登。上から数人が下りて来る。立ち止まっては呼吸を整える状態が頻発するようになった。身体がやけに重い。
堀山の家でスパッツを付ける。泥んこの道は耐え難い。ズボンの裾には泥。雪で一応払ってから付ける。やがて天神尾根と合流。結構、人が下りて来る。これまで10人くらいと出会った。随分、入っているものだなぁ。さっきぬかれた単独とは同距離を保ったまま。向こうも疲れている様子。後ろに付かれるよりも、後ろに付いていた方が気分は楽。
花立山荘からは、路面の土も隠れ、雪になった。アイゼンを装着している人が何人かいる。ここで困った。下りて来る人も、装着している人も、ほとんどが4本爪のアイゼン。今日は用心して12本を持ってきていたが、これじゃ大袈裟すぎて目立つ。ちょっと失敗。まだ、アイゼンをつけないでも歩けるようだし、無しで行くことにした。ただストックだけは出した。ところが慎重に歩きすぎて、10歩も歩かぬうちに滑ってこけてしまった。だれにも見られず、恥をかくことはなかったが。
金冷しのポイントに出る。左は鍋割山方面。トレースはあるが、雪は深そう。しかし、どこが金冷しなのだろう。別に危険な個所には感じない。富士山も次第に大きくなってくる。前を歩く3人。オッサンと中年女2人。オッサンが得意げに立ち止まって講釈をたれている。しばらく待たされた。咳払いをしたらようやく気付いたらしく、道を開けてくれた。前と女ばかりに気をとられずに、後ろも見ろよ。追い越し際に、女の話が聞こえた。「人生、楽しまなきゃね」だって。何の話をしているか知らないが、あんたら平和だよ。
塔ノ岳のピークが見えてきた。最後の上り。滑らないように慎重に。ぱっと広がった視界。真正面に富士山。積雪は40センチ程。気温は0度。5人位休んでいた。若干の霞はあるものの、文句なしの富士山だろう。三ツ峠からの富士山よりはやや小さいか。しばし休憩。ここまで3時間近くかかってしまった。標準タイムよりは20分ばかり早いものの、どうも今日は体力が続かなかった。頻繁に歩かないとだめだなぁ。汗ばんだ身体が冷えてきた。脱いだフリ―スをザックから出して着る。どんどん、人が上がって来る。スープを飲み、パンを食べて下山。珍しく山頂に30分もいてしまった。
登って来た時に比べ、雪がどんどん溶けて、さらに道はぬかるんでいた。今日は40人くらいと出会ったろうか。この分では、土日はすごいだろう。随分と下で登ってくる人にも出会ったが、小屋にでも泊まるのだろうか。落とした手袋が気になって、左右見ながら下ったが、見つけることは出来なかった。車に着いたら気温は14度にもなっていた。
今回の無くし物は手袋でしたか、山に何となく色々と残しているみたいね。
春めいて来たから、山に行ける日が増えるといいですね、報告を待っています。新芽も膨らんで来て、山の顔が変わって行くのかな。