◎2012年10月13日(土)―高木、ヨッチャンと
屏風道二合目駐車場(7:35)……四合目(8:25~8:45)……五合目(9:10)……七合目(10:25)……避難小屋(11:25~11:40)…(昼食)…新開道分岐点(12:35)……カッパン倉(13:40)……稲荷清水(14:10~14:25)……駐車場(15:05)
当初は万太郎山に行く予定にしていた。高木との事前のやり取りでは4時出発ということで、これなら<西黒尾根~谷川岳~万太郎山~土樽駅>も何とか日帰り可能と目論んでいたが、高木との認識のズレがあり、「出発」とは家を出る時間のことであった。こちらは、直前まで前夜泊4時歩き出しと解釈していた。これでは早くて6時の歩き出しになり、吾策新道往復で終わってしまう。距離を延ばして平標新道を使うような技量はない。さりとて、高木には前夜に予定があるとのことではどうしようもない。ならば、ということで変更した先は八海山。事前情報では、6合目から上が紅葉の見頃らしい。5年前の10月下旬に八海山の紅葉は楽しんでいる。素晴らしい紅葉だった。今回は、ヨッチャンも参加者に加わっていたが、お2人ともに、八海山は未体験のようだ。当日の天気模様は、午前中はぐずついてはいるものの、昼からは晴れマークが出ている。予定を4時半に遅らせて高木宅より出発。さて、このヨッチャンなる人物、高木の近所仲間で、高校までは高木の後輩であり、自分にも高校の後輩にあたる。名山歩き志向ではあるが、なかなかの健脚と聞いている。先日、高木らが鳳凰三山に行った際、先頭を歩かせたばかりに、後続の2人が足を攣らせながら、えらく苦しんだということだ。今日一日、彼と付き合い、高木とは異なり、なかなかの紳士な人物であった。
(駐車場の周りは石碑だらけ。かなり前、深夜にここに来た時には、不気味で退散した)
(屏風道登山口)
(八海山は見えない)
越後湯沢を過ぎたあたりから、雨が降り出した。途中、コンビニに寄ったりして時間もつぶしたが、駐車場に着いた時にも雨は上がらず、太い雨が落ちていた。しばらく車の中で時間をつぶす。高木だけとなら、いつものように、山はあっさりとあきらめ、温泉めぐりに切り替えるところだが、今日はそういうわけにもいくまい。もう1台、車はあったが、中は無人で、雨の中を出発した後と思われる。ようやく7時半に雨が上がり、出発。合羽の下だけは着用。今日のコースは、5年前に自分が歩いた屏風道登りの新開道下りである。自分としては別口の阿寺山、五竜岳に行きたかったが、高木に「あとで、オメェ、一人で行ってこいや」とすげなく反対された。5年前の歩きは、紅葉ばかりに気がとられ、コースの記憶は断片的なものでしかないし、それほどきついルートでなかったような気がする程度のものだ。ヨッチャンを先頭に歩かせるとついて行くのがきついということで、高木が先頭に歩く。例によって、出だしはのんびり歩きになってしまった。
(三合目)
(屏風沢を見上げる)
(四合目)
下の方は紅葉の気配すらない。杉の植林帯を通過し、八海山の山肌が見えてくる。上はガスがかかって停滞し、真っ白。山並みは見えない。これから本当に晴れるのだろうか。部分的に青空が出ているところもあるにはあるが…。むしろ、また雨が降ってきてもおかしくはない空模様。杉林を抜けて3合目を通過。大岩の下にお稲荷さんがあった。「隆海霊祥」と刻された石碑と石祠、それとキツネの置物が4体。この屏風道はやはり修験道コースの一つなのだろう。下りの新開道も含め、今日のコースは大正の頃に置かれた石物が多かった。元々の修験は、屏風沢を遡行したのではあるまいか。4合目に達し、標識から屏風沢に下ってみると、ここにも猿田彦や多くの石碑が置かれていた。ついでに、那智青岸渡寺の御札。しばらく休憩。見上げると、なかなか急峻で危なっかしい沢だ。滝も見える。この沢を法螺貝鳴らしながら白装束の山伏が登っていったのかなぁなんて、思いを馳せていたら、「ヤツは、ここのところ、石碑だの石仏が大好きになっちまって、本当にオタクだよ」。高木がヨッチャンに話かけている声が聞こえた。そして、ヨッチャンはヨッチャンで、「ブログを見ていても、知らない山ばっかり歩いていますよね」なんて返答をしている。言い訳してもどうしようもない。まさにそうだから、黙っていた。趣向性が違うのは致し方がないだろう。
(次第に色が出てきた感じ)
(鎖場では、登る着くたびに休憩して、紅葉を確認する)
(こちらはロープ)
(唯一見かけた花。見過ごすところだった。小さ過ぎる)
(紅葉が群れてきた)
(ヤブ下に横倒しになっていた)
(七合目の石祠)
4合目からは鎖場続きになる。上の岩肌の色付きが気になるようになった。5年前に歩いた際には、この辺から紅葉真っ盛りだった。先頭の高木が徐々に軽快に歩き出す。4合目までは標準タイムだったのに、ついて行くのがきつくなる。ここは、切れ立った、岩場のヤセ尾根続きの歩きになっている。急な鎖場あたりでは、傾斜も45度以上はあるだろうか。鎖場では、前のヨッチャンが登り切るまでの待機になるから、先頭の高木からはどんどん離されるようになってしまった。5合目着。
紅葉はもうここまで下りてきている。谷川岳もぼんやりとシルエット。南魚沼市街が明るく見える。そこだけ雲の色が違っている。紅葉も、目の前の鮮やかさは感じても、青空がないために、遠望の素晴らしさを味わえない。まったくもったいない話だ。まだまだ、安心できない鎖場が延々と続く。鎖場がこんなにあった記憶はない。高木に、以前の記憶を問われるが、うろ覚えで答えていたため、そのうちに、聞かれることもなくなった。この部分、紅葉に夢中で、稜線までの記憶は飛んでいる。そして、7合目。横倒しになった金属製の像があった。烏天狗かなと思ったが、後で調べると、これは摩利支天像。後ろの小高いところに石祠があり、ここから転げ落ちたようだ。台座だけが残っている。高木が、石祠の屋根の向きが逆になっていると言うので、直そうとしたが、これは重い。腰を痛めたくもないのでそのままにしておいた。鐘があり、各自3回鳴らして出発。
(次第に濃くなる)
(危ういトラバース)
(最後の鎖場)
(ガスで何とも惜しい)
(避難小屋。そこには、大勢のハイカーが群れていた)
斜度は落ち着き、鎖場も減ったが、危ういトラバースが出てくる。紅葉も、ここまでは赤が主体ではあったが、この辺から黄色が目立つようになる。8合目到着。依然として霧の世界である。昼から晴れマークも、カウントダウンの時間ではあるが、期待はできなくなってしまった。もう、高木の姿は見えない。下から大声で声をかけたら、遠くから返事が聞こえた。もう避難小屋に着いてしまったようだ。こちらは、目の前の紅葉にうつつをぬかし、写真を撮りまくっていた。ようやく、ぼんやりと避難小屋のシルエットが見えて、避難小屋に到着。改めて、この屏風道を黙々と登ってみて、きつくて危険が伴うことを再認識した。ここを下山ルートには使いたくないと思っていたが、避難小屋には、やはり、「屏風道コース下山禁止」の看板が置かれていた。
(ちらっとロープウェイ方面。右のガスは、切れることがなかった)
(そして、屏風道の尾根方面。あと10cm、背が高かったらなぁ。避難小屋の屋根からだったら最高だったろう)
ここまで、だれにも会うことはなかったが、避難小屋周辺には、ロープウェイ利用のハイカーがわんさといた。ざっと40~50人はいるだろうか。早速、高木の姿が見えない。声が聞こえたので目を向けると、何やら、オバチャンを相手に笑わせていた。自分にはできない異質な世界。しかし、ここまでやっとこさ登って、見事な紅葉も見られずにがっかりではあったが、たまに瞬間的に雲が切れることもある。ほんの10秒くらいの間だ。その間に姿を現す紅葉は、実に見事だ。ただ、全貌とはいかず、山の斜面の片りんだけだ。何とも惜しい限り。登って来た屏風道の尾根も、素晴らしい紅葉だ。
ここで、昼食をという話になったが、外は風が強い。有料の避難小屋内部もまた混んでいる。先に行くことにする。さて、置いたザックが見あたらない。トイレに行っている間に、ビニールシートの下に隠されていた。こんなことをするのは、ヨッチャンであろうはずがない。以前、常念岳に行った際にも、前常念岳で油断をしていたら、ザックの中に3キロはありそうな石を入れられていた。大分、しんどくなったものだなと思いながらも、気づかずに常念小屋まで運んでいた。唐松岳でも同じようなことをされた。まったく、年甲斐もないが、久しぶりの、懐かしい茶目っ気ぶりには笑って済ませた。早々と孫もでき、好々爺ですっかり丸くなったと思い込んでいた高木も、本性はまだまだ危ない。油断は禁物。もっともこちらとて、じっと被害者をやっていたわけでもない。ヨッチャンがニヤニヤ眺めていた。おそらく、先の鳳凰三山でも同じようなことをやっていたのだろう。
(赤や)
(そして、しだれ調の黄色)
(あーあのため息)
(この上は岩壁)
(前に来た時にはこの岩の上を歩いたが、今日はその気なし)
(大日岳の手前鞍部)
ハイカーの姿は一気に少なくなる。ガスの歩きの中、法螺貝の音だけがやたらと聞こえる。試しに吹く人もいるのだろう。ホルン調に聞こえるのはまだいいが、中には尺八の息切れのような音も入り込む。この天気の中、滑る岩場をずっと歩くのは危険だ。だれからも、上を歩きたいとの声は出なかったので迂回路をずっと行く。この迂回路とて、右側は切れ落ちている。途中、大日岳まで岩場を歩き、迂回路を戻るハイカー何人かとすれ違う。みなさん、怖い物知らずというか、すごいなと思う。真似できない。池の先、大日岳手前の下りコースとの合流付近で昼食にする。ヨッチャンに持たせたコンロで湯を沸かし、コーヒーを飲む。高木はちゃっかりとカップラーメン。荷物を軽くしたいがために、水だけは自分が1リットル提供した。少しは軽くなった。高木のザックを持ってみると、やたらと軽い。3キロ程度。今日の軽快さはこれからきているのか。
目の前で高木がカップラーメンを食べている。せめて、汁を一口飲ませろよと言いたかったが、ヨッチャンの手前、賎しい本性を出すのは避けた。普段なら、何でもないことなのだが自重した。高校の先輩が2人ともにこんなのでは愕然とするだろう。
悶々としながらも、時たまガスが上がる。ここまで来ると、新開道の尾根が正面に見え、この紅葉もまたすごい。真上の岩壁に付いた紅葉もきれいだが、まばらで見応えがない。雨がぱらついてきた。合羽の上を着る。ついに、晴れマークが出ることはなかったか。
(これから下る新開道の尾根)
(下りにかかる)
(この鎖場は腕力が必要)
新開道の分岐で、ジイサンが2人、大日岳から下りてきた。ここから、どこに行くか相談している。聞くと、車はロープウェイ乗り場だそうだ。新開道を下りたら、車道を1時間半歩くことになりますよと教えてやったが、どうしたのか、くっついては来なかった。さて、新開道の下りもまた、上の方は以前の記憶がない。尾根に乗るまで、かなりやばいトラバースが続く。垂直に近い鎖場もあった。そして、落ち着いても粘土質の、狭い悪路が続く。雨まじりの天気だったゆえに余計にしんどく感じたのかもしれない。まだかまだかで、ようやくカッパン倉(6合目)。一服する。今日の高木は下りも早い。登りに比べ、彼の下りは本来早い。野口五郎岳からの下りで、足元を見ずに早足で追っかけ、木の根に足を滑らせ、尾てい骨にヒビを入れてしまった体験すらある。
(下りの紅葉もまたきれいだ)
(八海山は依然として雲の中)
(四合目)
新開道もまた急であるが、屏風道のような、岩場で狭隘な尾根歩きがないだけ安全かもしれない。しかし、いずれも長い。ロープウェイ利用が何といってもお気軽。往復でこんなコースを歩くのは、希有な存在だろう。5合目を過ぎたあたりで紅葉は終わり、4合目に到着。ブナの疎林の中にお稲荷さんがあった。キツネの首が一つなくなっている。ここには水場があるようだ。ヨッチャンが太いブナの木に耳を当て、自然の恵みの音を聞いている。聞こえるのは春先だけだよと高木。この辺のブナの木にも落書き彫りが目立つ。「元旦」というのもあった。目線の1mほど上だ。雪の中で削ったのだろう。
(この辺まで来れば一安心だが、駐車場まで、まだ標高差150mはある)
(駐車場に到着。陽は出ているが、八海山は見えなかった)
ここからの下りは傾斜も緩くなり、ようやく、普通の山の下りになった。ヨッチャンは立て続けに2回転倒。彼が落とした水筒を拾おうとして高木も1回転倒。まだまだ粘土質は続いている。道幅も次第に広くなって3合目。ついには平地になった。だが、ヨッチャンがまだ200m降下しなきゃならないと言う。ややうんざり。ススキを見ながら下ると、林道も近い気配がある。自然に出来た掘。深さは2mくらい。山の水がここに集まって下るのだろう。少し行くと、林道に出て、右に赤テープが下がった分岐。林道を真っ直ぐに歩いても、駐車場には着くだろう。2人と別れ、自分だけ、林道をそのまま歩いた。すぐに、ヤブ道になった。ずっと直進するので、かなり不安にもなった。かなり崩壊し、道の半分が削られている。10mほどの舗装部分もあった。その先、右に迂回してほっとする。やがて、駐車場の上に到着。やはり、赤テープの方が早かった。隣の車はすでになく、代わりに東京ナンバーの車が置かれていた。雨も途中からすでに上がってはいたが、ここから見る八海山は、出がけ同様にガスに包まれたままだ。
帰路につく。後は温泉探しだが、なかなか手頃な温泉が目に付かず、結局、一般道を越後湯沢まで来てしまい、「駒子の湯」に立ち寄る。別に川端康成とは縁もゆかりもないようだ。ここには、いつのことか、一度、寄った記憶がある。ちょっとぬるくて、なかなか身体が暖まらなかったが、やはり温泉だけあって、出る時には汗をかいた。そして、フィニッシュはラーメン。つけ麺屋しか目に付かず、そこに入った。750円とは高く感じたが、それなりにおいしいラーメンであった。車の中で、運転しない自分はうつらうつら。
今日の歩き、同コースを歩いた5年前に比べ、体力が随分と落ちたものだと自覚する。仕方あるまい。しかし、残念。明日はきっと晴れて絶品の紅葉だろう。高木家に到着。打ち上げをやろうと誘われたが、これをやってしまったら、高木家に泊まることになり、明日一日無為なことになる。ヨッチャンもすっかりとその気になっていて、こちらも飲みたいのはやまやまだが、未練がましく断った。
しかし、今回のブログ、高木やヨッチャンのおかげで楽しい歩きではあったが、写真の枚数が多いわりには、まったく冴えない写真がずらずらと並んでしまったものだ。われながら感心してしまう。冒頭の写真選択にも悩む始末であった。
屏風道二合目駐車場(7:35)……四合目(8:25~8:45)……五合目(9:10)……七合目(10:25)……避難小屋(11:25~11:40)…(昼食)…新開道分岐点(12:35)……カッパン倉(13:40)……稲荷清水(14:10~14:25)……駐車場(15:05)
当初は万太郎山に行く予定にしていた。高木との事前のやり取りでは4時出発ということで、これなら<西黒尾根~谷川岳~万太郎山~土樽駅>も何とか日帰り可能と目論んでいたが、高木との認識のズレがあり、「出発」とは家を出る時間のことであった。こちらは、直前まで前夜泊4時歩き出しと解釈していた。これでは早くて6時の歩き出しになり、吾策新道往復で終わってしまう。距離を延ばして平標新道を使うような技量はない。さりとて、高木には前夜に予定があるとのことではどうしようもない。ならば、ということで変更した先は八海山。事前情報では、6合目から上が紅葉の見頃らしい。5年前の10月下旬に八海山の紅葉は楽しんでいる。素晴らしい紅葉だった。今回は、ヨッチャンも参加者に加わっていたが、お2人ともに、八海山は未体験のようだ。当日の天気模様は、午前中はぐずついてはいるものの、昼からは晴れマークが出ている。予定を4時半に遅らせて高木宅より出発。さて、このヨッチャンなる人物、高木の近所仲間で、高校までは高木の後輩であり、自分にも高校の後輩にあたる。名山歩き志向ではあるが、なかなかの健脚と聞いている。先日、高木らが鳳凰三山に行った際、先頭を歩かせたばかりに、後続の2人が足を攣らせながら、えらく苦しんだということだ。今日一日、彼と付き合い、高木とは異なり、なかなかの紳士な人物であった。
(駐車場の周りは石碑だらけ。かなり前、深夜にここに来た時には、不気味で退散した)
(屏風道登山口)
(八海山は見えない)
越後湯沢を過ぎたあたりから、雨が降り出した。途中、コンビニに寄ったりして時間もつぶしたが、駐車場に着いた時にも雨は上がらず、太い雨が落ちていた。しばらく車の中で時間をつぶす。高木だけとなら、いつものように、山はあっさりとあきらめ、温泉めぐりに切り替えるところだが、今日はそういうわけにもいくまい。もう1台、車はあったが、中は無人で、雨の中を出発した後と思われる。ようやく7時半に雨が上がり、出発。合羽の下だけは着用。今日のコースは、5年前に自分が歩いた屏風道登りの新開道下りである。自分としては別口の阿寺山、五竜岳に行きたかったが、高木に「あとで、オメェ、一人で行ってこいや」とすげなく反対された。5年前の歩きは、紅葉ばかりに気がとられ、コースの記憶は断片的なものでしかないし、それほどきついルートでなかったような気がする程度のものだ。ヨッチャンを先頭に歩かせるとついて行くのがきついということで、高木が先頭に歩く。例によって、出だしはのんびり歩きになってしまった。
(三合目)
(屏風沢を見上げる)
(四合目)
下の方は紅葉の気配すらない。杉の植林帯を通過し、八海山の山肌が見えてくる。上はガスがかかって停滞し、真っ白。山並みは見えない。これから本当に晴れるのだろうか。部分的に青空が出ているところもあるにはあるが…。むしろ、また雨が降ってきてもおかしくはない空模様。杉林を抜けて3合目を通過。大岩の下にお稲荷さんがあった。「隆海霊祥」と刻された石碑と石祠、それとキツネの置物が4体。この屏風道はやはり修験道コースの一つなのだろう。下りの新開道も含め、今日のコースは大正の頃に置かれた石物が多かった。元々の修験は、屏風沢を遡行したのではあるまいか。4合目に達し、標識から屏風沢に下ってみると、ここにも猿田彦や多くの石碑が置かれていた。ついでに、那智青岸渡寺の御札。しばらく休憩。見上げると、なかなか急峻で危なっかしい沢だ。滝も見える。この沢を法螺貝鳴らしながら白装束の山伏が登っていったのかなぁなんて、思いを馳せていたら、「ヤツは、ここのところ、石碑だの石仏が大好きになっちまって、本当にオタクだよ」。高木がヨッチャンに話かけている声が聞こえた。そして、ヨッチャンはヨッチャンで、「ブログを見ていても、知らない山ばっかり歩いていますよね」なんて返答をしている。言い訳してもどうしようもない。まさにそうだから、黙っていた。趣向性が違うのは致し方がないだろう。
(次第に色が出てきた感じ)
(鎖場では、登る着くたびに休憩して、紅葉を確認する)
(こちらはロープ)
(唯一見かけた花。見過ごすところだった。小さ過ぎる)
(紅葉が群れてきた)
(ヤブ下に横倒しになっていた)
(七合目の石祠)
4合目からは鎖場続きになる。上の岩肌の色付きが気になるようになった。5年前に歩いた際には、この辺から紅葉真っ盛りだった。先頭の高木が徐々に軽快に歩き出す。4合目までは標準タイムだったのに、ついて行くのがきつくなる。ここは、切れ立った、岩場のヤセ尾根続きの歩きになっている。急な鎖場あたりでは、傾斜も45度以上はあるだろうか。鎖場では、前のヨッチャンが登り切るまでの待機になるから、先頭の高木からはどんどん離されるようになってしまった。5合目着。
紅葉はもうここまで下りてきている。谷川岳もぼんやりとシルエット。南魚沼市街が明るく見える。そこだけ雲の色が違っている。紅葉も、目の前の鮮やかさは感じても、青空がないために、遠望の素晴らしさを味わえない。まったくもったいない話だ。まだまだ、安心できない鎖場が延々と続く。鎖場がこんなにあった記憶はない。高木に、以前の記憶を問われるが、うろ覚えで答えていたため、そのうちに、聞かれることもなくなった。この部分、紅葉に夢中で、稜線までの記憶は飛んでいる。そして、7合目。横倒しになった金属製の像があった。烏天狗かなと思ったが、後で調べると、これは摩利支天像。後ろの小高いところに石祠があり、ここから転げ落ちたようだ。台座だけが残っている。高木が、石祠の屋根の向きが逆になっていると言うので、直そうとしたが、これは重い。腰を痛めたくもないのでそのままにしておいた。鐘があり、各自3回鳴らして出発。
(次第に濃くなる)
(危ういトラバース)
(最後の鎖場)
(ガスで何とも惜しい)
(避難小屋。そこには、大勢のハイカーが群れていた)
斜度は落ち着き、鎖場も減ったが、危ういトラバースが出てくる。紅葉も、ここまでは赤が主体ではあったが、この辺から黄色が目立つようになる。8合目到着。依然として霧の世界である。昼から晴れマークも、カウントダウンの時間ではあるが、期待はできなくなってしまった。もう、高木の姿は見えない。下から大声で声をかけたら、遠くから返事が聞こえた。もう避難小屋に着いてしまったようだ。こちらは、目の前の紅葉にうつつをぬかし、写真を撮りまくっていた。ようやく、ぼんやりと避難小屋のシルエットが見えて、避難小屋に到着。改めて、この屏風道を黙々と登ってみて、きつくて危険が伴うことを再認識した。ここを下山ルートには使いたくないと思っていたが、避難小屋には、やはり、「屏風道コース下山禁止」の看板が置かれていた。
(ちらっとロープウェイ方面。右のガスは、切れることがなかった)
(そして、屏風道の尾根方面。あと10cm、背が高かったらなぁ。避難小屋の屋根からだったら最高だったろう)
ここまで、だれにも会うことはなかったが、避難小屋周辺には、ロープウェイ利用のハイカーがわんさといた。ざっと40~50人はいるだろうか。早速、高木の姿が見えない。声が聞こえたので目を向けると、何やら、オバチャンを相手に笑わせていた。自分にはできない異質な世界。しかし、ここまでやっとこさ登って、見事な紅葉も見られずにがっかりではあったが、たまに瞬間的に雲が切れることもある。ほんの10秒くらいの間だ。その間に姿を現す紅葉は、実に見事だ。ただ、全貌とはいかず、山の斜面の片りんだけだ。何とも惜しい限り。登って来た屏風道の尾根も、素晴らしい紅葉だ。
ここで、昼食をという話になったが、外は風が強い。有料の避難小屋内部もまた混んでいる。先に行くことにする。さて、置いたザックが見あたらない。トイレに行っている間に、ビニールシートの下に隠されていた。こんなことをするのは、ヨッチャンであろうはずがない。以前、常念岳に行った際にも、前常念岳で油断をしていたら、ザックの中に3キロはありそうな石を入れられていた。大分、しんどくなったものだなと思いながらも、気づかずに常念小屋まで運んでいた。唐松岳でも同じようなことをされた。まったく、年甲斐もないが、久しぶりの、懐かしい茶目っ気ぶりには笑って済ませた。早々と孫もでき、好々爺ですっかり丸くなったと思い込んでいた高木も、本性はまだまだ危ない。油断は禁物。もっともこちらとて、じっと被害者をやっていたわけでもない。ヨッチャンがニヤニヤ眺めていた。おそらく、先の鳳凰三山でも同じようなことをやっていたのだろう。
(赤や)
(そして、しだれ調の黄色)
(あーあのため息)
(この上は岩壁)
(前に来た時にはこの岩の上を歩いたが、今日はその気なし)
(大日岳の手前鞍部)
ハイカーの姿は一気に少なくなる。ガスの歩きの中、法螺貝の音だけがやたらと聞こえる。試しに吹く人もいるのだろう。ホルン調に聞こえるのはまだいいが、中には尺八の息切れのような音も入り込む。この天気の中、滑る岩場をずっと歩くのは危険だ。だれからも、上を歩きたいとの声は出なかったので迂回路をずっと行く。この迂回路とて、右側は切れ落ちている。途中、大日岳まで岩場を歩き、迂回路を戻るハイカー何人かとすれ違う。みなさん、怖い物知らずというか、すごいなと思う。真似できない。池の先、大日岳手前の下りコースとの合流付近で昼食にする。ヨッチャンに持たせたコンロで湯を沸かし、コーヒーを飲む。高木はちゃっかりとカップラーメン。荷物を軽くしたいがために、水だけは自分が1リットル提供した。少しは軽くなった。高木のザックを持ってみると、やたらと軽い。3キロ程度。今日の軽快さはこれからきているのか。
目の前で高木がカップラーメンを食べている。せめて、汁を一口飲ませろよと言いたかったが、ヨッチャンの手前、賎しい本性を出すのは避けた。普段なら、何でもないことなのだが自重した。高校の先輩が2人ともにこんなのでは愕然とするだろう。
悶々としながらも、時たまガスが上がる。ここまで来ると、新開道の尾根が正面に見え、この紅葉もまたすごい。真上の岩壁に付いた紅葉もきれいだが、まばらで見応えがない。雨がぱらついてきた。合羽の上を着る。ついに、晴れマークが出ることはなかったか。
(これから下る新開道の尾根)
(下りにかかる)
(この鎖場は腕力が必要)
新開道の分岐で、ジイサンが2人、大日岳から下りてきた。ここから、どこに行くか相談している。聞くと、車はロープウェイ乗り場だそうだ。新開道を下りたら、車道を1時間半歩くことになりますよと教えてやったが、どうしたのか、くっついては来なかった。さて、新開道の下りもまた、上の方は以前の記憶がない。尾根に乗るまで、かなりやばいトラバースが続く。垂直に近い鎖場もあった。そして、落ち着いても粘土質の、狭い悪路が続く。雨まじりの天気だったゆえに余計にしんどく感じたのかもしれない。まだかまだかで、ようやくカッパン倉(6合目)。一服する。今日の高木は下りも早い。登りに比べ、彼の下りは本来早い。野口五郎岳からの下りで、足元を見ずに早足で追っかけ、木の根に足を滑らせ、尾てい骨にヒビを入れてしまった体験すらある。
(下りの紅葉もまたきれいだ)
(八海山は依然として雲の中)
(四合目)
新開道もまた急であるが、屏風道のような、岩場で狭隘な尾根歩きがないだけ安全かもしれない。しかし、いずれも長い。ロープウェイ利用が何といってもお気軽。往復でこんなコースを歩くのは、希有な存在だろう。5合目を過ぎたあたりで紅葉は終わり、4合目に到着。ブナの疎林の中にお稲荷さんがあった。キツネの首が一つなくなっている。ここには水場があるようだ。ヨッチャンが太いブナの木に耳を当て、自然の恵みの音を聞いている。聞こえるのは春先だけだよと高木。この辺のブナの木にも落書き彫りが目立つ。「元旦」というのもあった。目線の1mほど上だ。雪の中で削ったのだろう。
(この辺まで来れば一安心だが、駐車場まで、まだ標高差150mはある)
(駐車場に到着。陽は出ているが、八海山は見えなかった)
ここからの下りは傾斜も緩くなり、ようやく、普通の山の下りになった。ヨッチャンは立て続けに2回転倒。彼が落とした水筒を拾おうとして高木も1回転倒。まだまだ粘土質は続いている。道幅も次第に広くなって3合目。ついには平地になった。だが、ヨッチャンがまだ200m降下しなきゃならないと言う。ややうんざり。ススキを見ながら下ると、林道も近い気配がある。自然に出来た掘。深さは2mくらい。山の水がここに集まって下るのだろう。少し行くと、林道に出て、右に赤テープが下がった分岐。林道を真っ直ぐに歩いても、駐車場には着くだろう。2人と別れ、自分だけ、林道をそのまま歩いた。すぐに、ヤブ道になった。ずっと直進するので、かなり不安にもなった。かなり崩壊し、道の半分が削られている。10mほどの舗装部分もあった。その先、右に迂回してほっとする。やがて、駐車場の上に到着。やはり、赤テープの方が早かった。隣の車はすでになく、代わりに東京ナンバーの車が置かれていた。雨も途中からすでに上がってはいたが、ここから見る八海山は、出がけ同様にガスに包まれたままだ。
帰路につく。後は温泉探しだが、なかなか手頃な温泉が目に付かず、結局、一般道を越後湯沢まで来てしまい、「駒子の湯」に立ち寄る。別に川端康成とは縁もゆかりもないようだ。ここには、いつのことか、一度、寄った記憶がある。ちょっとぬるくて、なかなか身体が暖まらなかったが、やはり温泉だけあって、出る時には汗をかいた。そして、フィニッシュはラーメン。つけ麺屋しか目に付かず、そこに入った。750円とは高く感じたが、それなりにおいしいラーメンであった。車の中で、運転しない自分はうつらうつら。
今日の歩き、同コースを歩いた5年前に比べ、体力が随分と落ちたものだと自覚する。仕方あるまい。しかし、残念。明日はきっと晴れて絶品の紅葉だろう。高木家に到着。打ち上げをやろうと誘われたが、これをやってしまったら、高木家に泊まることになり、明日一日無為なことになる。ヨッチャンもすっかりとその気になっていて、こちらも飲みたいのはやまやまだが、未練がましく断った。
しかし、今回のブログ、高木やヨッチャンのおかげで楽しい歩きではあったが、写真の枚数が多いわりには、まったく冴えない写真がずらずらと並んでしまったものだ。われながら感心してしまう。冒頭の写真選択にも悩む始末であった。
今回は、同じ山とは思えないほど、肝心な場所が隠れてしまっていますね。残念
いつもの高木さんらしく、山でのコミニュケーションはさすがです。
私も八甲田山と奥入瀬に行っていました、紅葉はこれから一晩で葉の色が変わるのが分かるくらい、自然は面白いと感じた旅でした。
八海山に登りたいと思っていたけど、あの鎖場やトラバースでは、また怪我をしそうなので、ロープウェイになるでしょうね。見ているだけでも、恐そう。
修行が足りないんじゃないの。もう一度、修験道してきたらどうだい。法螺吹きながら。
1200mの標高差もあったのか。それじゃ、きついわな。
奥入瀬と八甲田ね。いいですね。ご覧の通り、こちらは霧雨の八海山でした。
そうなんですよ。肝心なところが見えずにどうでもいいところがチラチラとしただけで。
でも、それなりに満足な歩きは楽しめました。これが一人だったら、残念どころか、無念の思いでしたでしょう。
紅葉見物には、いずれまた行きますよ。
趣向が一部似ている自分は半オタクくらいかな。(笑)
さてさて八海山とは又おっとろしい山に行ったのですね。
朝方新潟方面は雨ですか・・・那須も雨だとの事でしたが幸い足尾は快晴に近かったですが。
那須とは違い時間がたってもガスはそのままで残念でした。
紅葉が綺麗なのでもったいないですがしょうが無いですね。
偵察に行ってきた袈裟丸は全くまだまだでして、来週辺りかもしれません。
ご覧のように残念な紅葉でした。休日は出張も入り込んだり、平日に休んで行くしかないような状況です。
中禅寺湖の八丁出島あたりは、今週末が見頃のようですよ。
八海山なんて、上の岩場を歩き通せば、確かに恐ろしい思いもしますが、岩も濡れているしと、今回は巻き道を歩きました。以前、ハイトスさんの記事も記憶にありますので、しがないオヤジ達は冒険もしませんでした。それどころか、屏風道の登りで疲労困憊でしたよ。
昨日は袈裟丸に行かれたのですか。よほど、井戸沢右岸尾根も歩き足りなかったようですね。ただ、感心しております。
新潟方面は、天気良くないと思って土曜日は、かわしたつもりだったのですが、那須では新潟からの天候に左右されてしまったようです。いやいや巻き道でも十分怖そうに見えます。本当にお疲れ様でした。取り戻しリベンジは平日狙いということですね。ところでオタクの件ですが、私はセーフかあるいは微オタクくらいでよいでしょうか(笑)
雨待ちの中で、雨雲の動きをチェックしていたら、ここだけではなく、谷川岳周辺にもかかっていましたね。雨雲が抜けたところで、そのまま晴れるという保証はなく、雲は停滞したままでした。それでも、那須は、晴れに向かっただけでもいいですよ。
オタクの件ですけど、メジャー系の山を歩く方にとっては、やはり、イエス、ノーの感覚であって、ちょっとでも知らない、地図に出てないような道を歩いていれば、十分にオタクなのではないでしょうかね。
あの山、お気に入りになりました?いい山ですよ。ロープウェイはダメですからね。
今度行く時は、もうちょっと長めのコースを試してみてください。
懲りずにまた行きましょう。オタク系には誘いませんからご心配なく。