京表具師だった父は仕事一途で、食事と睡眠時いがいは仕事場に入りびたりだった。
父の内的暦には、土日祝日の記載が欠落していたようだ。
脳裏にうかぶのは、常に職人としての姿。
家族で遊びにでかけた記憶は、片手ほどしかない。
子供のころに住んだ町内では、年中行事のレクレーションが行われた。
数台の観光バスをチャーターしての、大掛かりな親子遠足だ。
一度だけ、よんどころない用事で断念した母にかわり、父が私をつれて参加したことがあった。
その年は、今はなき伏見桃山城キャッスルランド。
生涯で一度きりの、父と私だけの思い出は今も色あせることはない。
病魔との力比べに余生を費やした父。
あとに残される母の心配をし、気遣いつつ天上への階段をのぼっていった。
入退院をくり返すようになり、仕事量を調節しつつ、やがて現役を退いた。
そのご母のたっての頼みで、一念発起した父。
細切れの元気な時をつなぎつなぎ、自宅のふすま張替え作業にとり組んだ。
それが、終の仕事になろうとは。。。
家族が寄ったときに、何冊もの見本帳から紙選びをしたのが懐かしい。
その当時の見本帳が、ひょっこりと出てきたそうだ。
父を偲び、繰るうち・・・・・・素晴らしいひらめきが。
物を無駄にしない、手先の器用な母が考えそうなこと。
つい先日の帰省時。
見本紙は、思いがけぬ姿に生まれ変わっていた。
父との日々を丹念に折り込んだ、母の力作。
皆の思いが、こんな形で開くとは嬉しいではないか。
最後までキリッと生きた父の証し。
座敷のふすまは、今も父の息吹を発している。
1人住まいの母を、がっしりと守るように。
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