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。。。まぁるい日々。。。

なんか、ええことありそぉやなぁ~♪

善峯寺♪

2011-06-12 | 京都を行く


左右に竹林を眺めやり、西山をめざす。
竹の子は受けつけないが、竹の親は別個だ。
真っ直ぐな凛々しさに胸がすく。

山門が目前に立ちはだかった。
圧倒される重厚な上半部に比べ、下部は少々ほっそり気味。
頭でっかち尻すぼみの不安定さを感じた。
私には、良さが分からないだけかもしれないが。

受付で入山料と引き換えに、赤線で参拝順路が示されたパンフレットを手にした。
それに従えば、約40分で一周できる回遊式境内になっている。

 

要所には道しるべもあり、親切なこときわまりない。
これなら、いくら方向音痴の私でも迷うことはないだろう。
パンフをしっかりと握り締め、意気揚々と歩き出す。

 

天然記念物である 『遊竜の松』 。
一点を目指し水平に伸びゆくさまは、まさに竜の姿にあてはまる。
童子がまたがれば・・・ ♪ ぼぉやぁ~よい子だ寝んねしなぁ~♪ なんて日本昔話が脳裏をかすめる。
子供じみていて、恥ずかしいばかりだが。
また、その枝の支柱を意識したばかりに、修学旅行先の長崎で見た 『龍踊り』 が頭上を舞った。
強烈な記憶は、長きを経ても ムック と蘇るものだ。

広大な紫陽花園は、まだ一面緑で花やかさのかけらもない。
それに準じて人影もない。
花の色を想像にまかせて歩くのも、それなりにいいものだ。

途中には数ヶ所の急勾配もあり、重い腰が、踏み出す足に遅れをとる。
ヨイショのかけ声に苦笑しつつも、やっと折り返し地点だ。



火照った身体に、山肌を吹きぬける風をうけながら、京都市内を一望する。
地上とは空気の層がまったく違う。
懸命に上り来た暑さあっての涼しさだ。

分かりやすい誘導で、そつなく回り終えた。
しかし、結果的には一時間半の時を要した。
それって、かなりのスローペースってこと?
いたってマイペースだったんだけどなぁ。。。

古きを訪ね、いつも思うこと、いにしえ人は健脚なりと。


京都大原♪

2011-05-19 | 京都を行く


柔らかな緑に被われ、山笑うころ。
大原の里、宝泉院に向かった。

樹齢七百年の五葉松に迎えられる。

正面の美しい形を支える根幹が、額縁に納まっていた。
長きを経た今も、巨木からは生命力がみなぎっている。
表の穏やかさからは想像もつかない力持ち。

 

  

                                                    

もう一方の額縁に目をやる。
一陣の風に綾取られ、竹の葉擦れがささめく。
どこかのせせらぎが、それに相まって長閑な里の昼下がり。
ここでお抹茶をいただけるとは、風流この上ない。
小豆餡のお餅は、にっきの香りがほんのりと上品。
拝観料にお抹茶券が付いて七百円とは、他に例を見ないかも。
気分良くして、眺め良く、居心地よく、ゆっくりと心の羽をのばした。

ここまで来たのだからと、ついでに三千院にも立ち寄った。
大方は三千院が目的で、ついでの周辺寺なのかもしれないが・・・。
東福寺はさておいて光明院、高台寺はどうでもよくて円徳院・・・の私にとっては至って普通。

来迎院へも足をのばした。
人影はなく、ひっそり閑としている。
そこから山道を二百メートルばかりゆくと、音無の滝がある。

 

閑散とした中、絹糸が絡むようなしなやかさで山肌をすべり落ちる。
清雅なこと極まりない。

大原は、どこにいても、せせらぎが片時も消えることがない。
清流を目のあたりにするからか、音まで清らかに流れゆく。             


雨の光明院♪

2011-05-13 | 京都を行く


数日前から、四六時中の雨天が続いていた。
その日の波心庭は、天水を湛え衰え知らずの雨が水面にほとばしる。

  

二年前の雨上がりの日。
水の波心庭に出くわし、新たな光景に目を丸くした。
寺の方がおっしゃるには、大雨のあとは雨水がはけきれずによどむとのこと。
まだ人気のない早朝は格別の趣きらしい。
この庭とともに過ごせるとは、なんて贅沢な日常なのか。
羨ましい限りだと、告げた記憶がある。
刻々と移ろう有り様を、つぶさに見とどけたい衝動に駆られたものだ。
それが忘れられず、今回は意図しての往訪となった。

 

悪天候にもかかわらず、三三五五の観光客に驚いた。
と言うのも、いつもが貸し切り状態だったから。

木々の葉は、受けた雨をはじいて小さく震え、雨を楽しんでいるかのよう。
植え込みのつつじは雨に打たれ、わずかに留める花を落とす。

やがて、一人離れ、二人去り、ざわめきも徐々に遠ざかる。
降りしきる雨にしっぽりと包まれ、雨音だけが鼓動と重なってゆく。


六臂窯♪

2011-03-29 | 京都を行く

「陶芸体験と手打ちそばを食べる!!」 に娘と参加させていただいた。
お気に入りの京料理店が、お客のために企画されたものだ。

山あいのくねった道沿いに、桜の木が続く。
けなげに春を待ち続けるつぼみは、まだかたい。
山道を半ば上りつめると、体験教室の六臂窯(ろっぴよう)があった。

 

六臂先生の作品が所狭しと並べられている。
自然の草木をモチーフに、ほのぼのとした息づかいが伝わる。

いよいよ、待ちに待った作陶。
遠ざかっていた土の感触に、ちょっぴり興奮気味。
土のひんやり感は、柔らかく、温かく、指先から全身を浸していく。
その一体感は、昔からそうだったかのような懐かしさにも似ている。
土と戯れること二時間。
楽しい時を練りこんだ作品ができあがった。
数ある釉薬の中から、好みの色を選ぶ。
焼成は三ヶ月後くらいになるらしいが、どんなに変身するのか楽しみ。

 
                     
作陶に、おしゃべりに、いっぱい笑いもした。
一所懸命にパワーを使い切ったから、おなかも程よくすいてきた。
わいわい遊んでいる間に、料理長自らの手打ちそばが出来上がったようだ。
初挑戦とおっしゃっていたが、とても美味しかった。
それと、工房の庭で採れた何とも珍しい食材の天ぷらが仲間入り。

 
        
菜の花、つばき、ふきのとう、ノカンゾウ。
菜の花とふきのとうは頷ける。
つばきは観賞するものとの固定観念から、驚き倍増。
ノカンゾウに至っては見聞すらない。
未知の二種は、どちらも味は淡白でモッチリとした食感だ。

「ほとんどの野草は、食べられるんだよ」
と、お話になる六臂先生は、とても楽しい方で親しみやすい。
和気あいあいの食卓で、食もどんどんすすむ。
・・・あぁ~おなかいっぱい。。。
静かな山の一軒家に、差し込む日差しが暖かい。

食後は、庭の散歩。
山蕗の小さな葉が出そろい、ブルーベリーがつぼみを付け、つくしが伸びて。
いたる所で、小さな春が弾けていた。


光明院♪

2011-03-24 | 京都を行く


その時まで、名前すら知らなかった。
かれこれ三年前の最初から、今までに幾度となく訪れた光明院。
季節の移ろいや、一日の時間帯によっても表情を変える石群。
今日もまた、違う顔で迎えてくれた。

  

植え込みのつつじや落葉樹は春待ち顔で、色を落としたままだ。
その曖昧さに囲まれて、輪郭のくっきりとした庭石は、個々が己を主張しあう。

寒空をおおっていた雲が瞬く間に裂け、暖かい日差しが降りそそぐ。
風が吹き抜ける音を聞きながらも、そこだけは春の陽だまり。
あら?光の妖精のいたずら?

   

建具のガラスにみごとな庭が!
まるで、部屋が箱庭のよう。

その日、その時の気分で腰を下ろす場所もさまざま。
そこが自分の居場所となる。
石たちは、私をまるごと受け入れ、受け止めてくれる。
安堵のときに心が和がれる。
後姿をも人目にさらす石の無防備さが、問いかける私の心を裸にしていく。

  

一時間くらい、心遊ばせただろうか。
にわかな日の陰りに、再訪を約束し腰を上げた。