森見登美彦著『夜行』
“世界はつねに夜なのよ”
六人は京都での学生時代に通っていた英会話スクールの仲間だった。
仲間の一人、長谷川さんが鞍馬の火祭の夜、突然姿を消したのは十年前のことだった。それ以降、残された仲間たちは疎遠になったが、彼らは皆長谷川さんのことを忘れてはいなかった。もう一度、彼女に会いたい。十年ぶりに鞍馬に集まった彼らは、それぞれが旅先での不思議な体験を語りだす。まったく別の土地で彼らは、岸田道生という銅版画家の連作「夜行」と出会っていた。「第一夜 尾道」から始まる不可解な旅と銅版画の物語は、「第二夜 奥飛騨」「第三夜 津軽」「第四夜 天竜峡」と続き、「最終夜 鞍馬」を迎える。その時、世界は別の顔を見せるのだ――。
森見登美彦氏の小説は結構読んでいるが、ここまで中身と表紙が合っていない作品は初めてだ。ライトノベルか漫画のヒロインみたいなフワフワした女子がド真ん中に立っている。これが登美彦氏の作品でなかったら絶対に手に取らないくらい受け入れがたい画風だ。
漫画っぽいのがいけないのではない。
登美彦氏の作品は、これまでも古屋兎丸氏や中村佑介氏など漫画家が表紙を手掛けることは度々あったが、どれも洒落ていて作品の内容にマッチした良作ばかりだった。
ところが、今作の表紙は装画を手掛けた方が作品の内容を把握しているとは思えないくらい違和感がある。〈黒髪の女性が夜行列車を背景に立っている〉という説明だけ受けて描いたんじゃないかと訝しんでしまうくらいだ。
本作はある銅版画家が遺した連作をめぐる怪異譚なのだが、その銅版画はすべて顔の無い女性がこちらに向かって右手を挙げているというものなのだ。ところが、この表紙の女性は後ろに手を組んでいて顔がある。そのはにかんだ様に逸らされた目線が実に陳腐で、本作の女性たちが持つ、人間なのか異形なのか分からない不気味さをまったく表現出来ていない。出来ればプロの銅版画家に作品の内容に忠実な装画を手掛けて欲しかった。
仕切り直して中身に触れる。
『夜行』は、これまで私が読んだ登美彦氏の作品と比べると、かなり淡泊な作品だった。その分読みやすく、夜の入浴後から布団に入るまでの二時間弱で読み終わった。
登美彦氏の作品は、『太陽の塔』に代表される童貞阿呆学生の妄想がぎゅうぎゅう詰まった青春小説と、『きつねのはなし』に代表される冷たく怪しい底無しの闇を描いた怪異譚とに大別されるが(どちらにも属さない作品もある)、『夜行』は後者に属する作品である。が、『きつねのはなし』ほど引きずり込まれるような怖さはない。『きつねのはなし』が漆黒の闇だとすれば、『夜行』は薄ぼんやりとした闇なのだ。『きつねのはなし』が京都一極なのに対して、『夜行』は舞台が五ヵ所に分かれている分、土地の持つ魔力が薄まっているのかもしれない。
「第一夜 尾道」は、グループの中で最も面倒見の良い中井さんの話。主人公の大橋君とは唯一、東京に移ってからも親交のあった人物だ。
彼が尾道に出かけたのは、五年前のことだ。『変身』し、家出した妻を連れ戻すのが目的だった。妻には、尾道行は今回が初めてだと嘘をついた。本当は、学生時代に長谷川さんと尾道で待ち合わせをしたことがあったのだ。
中井さんは、妻が住み込みで働いているという雑貨屋「海風商店」で、妻にそっくりな奇怪な女主と出会う。その後、宿泊を決めていたホテルのロビーで「夜行――尾道」というタイトルの銅版画を目にする。作者の名は、岸田道生。
“天鵞絨のような黒の背景に白の濃淡だけで描き出されているのは、暗い家々のかたわらをのぼっていく坂道だった。坂の途中に一本の外灯があって、その明かりの中にひとりの顔のない女性が立ち、こちらへ呼びかけるように右手を挙げている。”
中井さんは、不気味さと懐かしさの両方を感じた。手招きしているのは、「海風商店」の女主か?中井さんの妻か?
「第二夜 奥飛騨」は、大橋君より一つ年下の武田君の話。彼は大学を卒業後、東京の科学技術系の出版社に勤務している。
武田君は、四年前に勤め先の先輩の増田さんと、増田さんの恋人の美弥さん、美弥さんの妹の瑠璃さんの四人で奥飛騨を旅行した。
道中、美弥さんと増田さんが諍いを起こしたために、車内の空気は重たくなった。険悪な状態の中、彼らは「未来」が見えるという中年女性ミシマさんを同乗させることになる。飛騨高山で車から降りる時に、ミシマさんは「お二人の方にシソウが出ている。今すぐ東京にお帰りなさい」と言って小走りで去っていった。シソウとは死相のことらしい。
武田君たちが城下町で入った喫茶店に、「夜行――奥飛騨」という銅版画が掛かっていた。
“黒々とした山の谷間を抜けていくドライブウエイが描かれて、その行く手は暗い穴のように消えています。そのトンネルの手前に髪の長い女性が立っていて、こちらを招くように右手を挙げています。その女性には目も口もなく、まるでマネキンのような顔なのですが、どこかで見たことがあるような気がします。”
武田君は、その女性が美弥さんにすこし似ていると思った。背中がぞくりとした。自分たちに続いて、もう一人何者かが喫茶店に滑り込んできたように感じられた。
こんな感じで第三夜、第四夜と、英会話スクールの仲間による体験談が続く。
彼らの旅先はバラバラだが、旅の中で必ずその土地の名を冠した岸田道生の「夜行」に出会う。そして、誰かが消えるのだ。偶然とは思えない。
岸田道生は東京の芸大を中退後、英国の銅版画家に弟子入りし、帰国後は郷里の京都市内にアトリエを構えた。七年前の春に死去した後、遺された作品は、生前から付き合いのあった柳画廊に託されたという。
「夜行」と呼ばれる連作は、四十八作ある。
何れの作品にも、天鵞絨のような黒い背景に白い濃淡だけで描き出された風景と、一人の女性が描かれている。目も口もなく、滑らかな白いマネキンのような顔を向けている彼女は、誘うように右手を挙げている。
「尾道」「伊勢」「野辺山」「奈良」「会津」……四十八作の銅版画には四十八ヵ所の地名が冠せられているが、実は岸田道生はその何れにも足を運んだことが無いという。
一つの夜がどこまでも広がっているように見える不思議な銅版画たち。「夜行」とは夜行列車のことなのか、或いは百鬼夜行のことなのか。
画廊主の柳さんによると、岸田道生には謎の遺作があるらしい。
それは「夜行」と対をなす一連の銅版画で、総題は「暁光」という。「夜行」が永遠の夜を描いた作品だとすれば、「暁光」はただ一度きりの朝を描いたものだ。だが、それを見たものは一人もいない。
「尾道」の中井さん、「奥飛騨」の武田君、「津軽」の藤村さん、「天竜峡」の田辺さん。
全員旅の途中で、誰かの消失を経験している。本人たちもよく帰京出来たなと思えるほど、旅の結末は奇怪だった。本当は帰って来ていないのかもしれない。
最後の「鞍馬」では、主人公の大橋君が行方不明になる。
消えた大橋君が迷い込んだ世界、それは「夜行」と対をなす世界だった。その世界で、大橋君は思いがけない形で長谷川さんと再会を果たす。そこでは、十年前に行方不明になったのは、長谷川さんではなく大橋君だった。十年ぶりにひょっこりと戻ってきた行方不明者として、大橋君は中井さんたちから驚きをもって迎え入れられる。
さらに驚くことに、その世界では、岸田道生は長谷川さんの夫として生存していた。彼の手掛けた連作のタイトルは「暁光」――。
長谷川さんが消えた「夜行」の世界と、大橋君が消えた「暁光」の世界。
二つの世界は表裏一体をなしている。
かつて大橋君のいた世界では「夜行」に見えるものが、こちらの世界では「暁光」に見える。そのどちらにも四十八の地名が冠せられた銅版画の連作が存在している。きっと、それぞれの土地の中で誰かがいなくなっているのだろう。そして、片方の世界で消えた人が、もう片方の世界の同じ土地では平穏に暮らしているのだろう。
自分の存在する世界と対をなすもう一つの世界では、自分は消失しているかもしれない。或いはこの世界で失われた誰かが、元気に暮らしているもう一つの世界があるのかもしれない。それぞれの世界には、それぞれの歳月が流れている。それは、とても尊い事と思われる。
作品全体を覆っていた薄気味悪さが消え、懐かしさと有難さのような気持ちが残るラストだった。
“世界はつねに夜なのよ”
六人は京都での学生時代に通っていた英会話スクールの仲間だった。
仲間の一人、長谷川さんが鞍馬の火祭の夜、突然姿を消したのは十年前のことだった。それ以降、残された仲間たちは疎遠になったが、彼らは皆長谷川さんのことを忘れてはいなかった。もう一度、彼女に会いたい。十年ぶりに鞍馬に集まった彼らは、それぞれが旅先での不思議な体験を語りだす。まったく別の土地で彼らは、岸田道生という銅版画家の連作「夜行」と出会っていた。「第一夜 尾道」から始まる不可解な旅と銅版画の物語は、「第二夜 奥飛騨」「第三夜 津軽」「第四夜 天竜峡」と続き、「最終夜 鞍馬」を迎える。その時、世界は別の顔を見せるのだ――。
森見登美彦氏の小説は結構読んでいるが、ここまで中身と表紙が合っていない作品は初めてだ。ライトノベルか漫画のヒロインみたいなフワフワした女子がド真ん中に立っている。これが登美彦氏の作品でなかったら絶対に手に取らないくらい受け入れがたい画風だ。
漫画っぽいのがいけないのではない。
登美彦氏の作品は、これまでも古屋兎丸氏や中村佑介氏など漫画家が表紙を手掛けることは度々あったが、どれも洒落ていて作品の内容にマッチした良作ばかりだった。
ところが、今作の表紙は装画を手掛けた方が作品の内容を把握しているとは思えないくらい違和感がある。〈黒髪の女性が夜行列車を背景に立っている〉という説明だけ受けて描いたんじゃないかと訝しんでしまうくらいだ。
本作はある銅版画家が遺した連作をめぐる怪異譚なのだが、その銅版画はすべて顔の無い女性がこちらに向かって右手を挙げているというものなのだ。ところが、この表紙の女性は後ろに手を組んでいて顔がある。そのはにかんだ様に逸らされた目線が実に陳腐で、本作の女性たちが持つ、人間なのか異形なのか分からない不気味さをまったく表現出来ていない。出来ればプロの銅版画家に作品の内容に忠実な装画を手掛けて欲しかった。
仕切り直して中身に触れる。
『夜行』は、これまで私が読んだ登美彦氏の作品と比べると、かなり淡泊な作品だった。その分読みやすく、夜の入浴後から布団に入るまでの二時間弱で読み終わった。
登美彦氏の作品は、『太陽の塔』に代表される童貞阿呆学生の妄想がぎゅうぎゅう詰まった青春小説と、『きつねのはなし』に代表される冷たく怪しい底無しの闇を描いた怪異譚とに大別されるが(どちらにも属さない作品もある)、『夜行』は後者に属する作品である。が、『きつねのはなし』ほど引きずり込まれるような怖さはない。『きつねのはなし』が漆黒の闇だとすれば、『夜行』は薄ぼんやりとした闇なのだ。『きつねのはなし』が京都一極なのに対して、『夜行』は舞台が五ヵ所に分かれている分、土地の持つ魔力が薄まっているのかもしれない。
「第一夜 尾道」は、グループの中で最も面倒見の良い中井さんの話。主人公の大橋君とは唯一、東京に移ってからも親交のあった人物だ。
彼が尾道に出かけたのは、五年前のことだ。『変身』し、家出した妻を連れ戻すのが目的だった。妻には、尾道行は今回が初めてだと嘘をついた。本当は、学生時代に長谷川さんと尾道で待ち合わせをしたことがあったのだ。
中井さんは、妻が住み込みで働いているという雑貨屋「海風商店」で、妻にそっくりな奇怪な女主と出会う。その後、宿泊を決めていたホテルのロビーで「夜行――尾道」というタイトルの銅版画を目にする。作者の名は、岸田道生。
“天鵞絨のような黒の背景に白の濃淡だけで描き出されているのは、暗い家々のかたわらをのぼっていく坂道だった。坂の途中に一本の外灯があって、その明かりの中にひとりの顔のない女性が立ち、こちらへ呼びかけるように右手を挙げている。”
中井さんは、不気味さと懐かしさの両方を感じた。手招きしているのは、「海風商店」の女主か?中井さんの妻か?
「第二夜 奥飛騨」は、大橋君より一つ年下の武田君の話。彼は大学を卒業後、東京の科学技術系の出版社に勤務している。
武田君は、四年前に勤め先の先輩の増田さんと、増田さんの恋人の美弥さん、美弥さんの妹の瑠璃さんの四人で奥飛騨を旅行した。
道中、美弥さんと増田さんが諍いを起こしたために、車内の空気は重たくなった。険悪な状態の中、彼らは「未来」が見えるという中年女性ミシマさんを同乗させることになる。飛騨高山で車から降りる時に、ミシマさんは「お二人の方にシソウが出ている。今すぐ東京にお帰りなさい」と言って小走りで去っていった。シソウとは死相のことらしい。
武田君たちが城下町で入った喫茶店に、「夜行――奥飛騨」という銅版画が掛かっていた。
“黒々とした山の谷間を抜けていくドライブウエイが描かれて、その行く手は暗い穴のように消えています。そのトンネルの手前に髪の長い女性が立っていて、こちらを招くように右手を挙げています。その女性には目も口もなく、まるでマネキンのような顔なのですが、どこかで見たことがあるような気がします。”
武田君は、その女性が美弥さんにすこし似ていると思った。背中がぞくりとした。自分たちに続いて、もう一人何者かが喫茶店に滑り込んできたように感じられた。
こんな感じで第三夜、第四夜と、英会話スクールの仲間による体験談が続く。
彼らの旅先はバラバラだが、旅の中で必ずその土地の名を冠した岸田道生の「夜行」に出会う。そして、誰かが消えるのだ。偶然とは思えない。
岸田道生は東京の芸大を中退後、英国の銅版画家に弟子入りし、帰国後は郷里の京都市内にアトリエを構えた。七年前の春に死去した後、遺された作品は、生前から付き合いのあった柳画廊に託されたという。
「夜行」と呼ばれる連作は、四十八作ある。
何れの作品にも、天鵞絨のような黒い背景に白い濃淡だけで描き出された風景と、一人の女性が描かれている。目も口もなく、滑らかな白いマネキンのような顔を向けている彼女は、誘うように右手を挙げている。
「尾道」「伊勢」「野辺山」「奈良」「会津」……四十八作の銅版画には四十八ヵ所の地名が冠せられているが、実は岸田道生はその何れにも足を運んだことが無いという。
一つの夜がどこまでも広がっているように見える不思議な銅版画たち。「夜行」とは夜行列車のことなのか、或いは百鬼夜行のことなのか。
画廊主の柳さんによると、岸田道生には謎の遺作があるらしい。
それは「夜行」と対をなす一連の銅版画で、総題は「暁光」という。「夜行」が永遠の夜を描いた作品だとすれば、「暁光」はただ一度きりの朝を描いたものだ。だが、それを見たものは一人もいない。
「尾道」の中井さん、「奥飛騨」の武田君、「津軽」の藤村さん、「天竜峡」の田辺さん。
全員旅の途中で、誰かの消失を経験している。本人たちもよく帰京出来たなと思えるほど、旅の結末は奇怪だった。本当は帰って来ていないのかもしれない。
最後の「鞍馬」では、主人公の大橋君が行方不明になる。
消えた大橋君が迷い込んだ世界、それは「夜行」と対をなす世界だった。その世界で、大橋君は思いがけない形で長谷川さんと再会を果たす。そこでは、十年前に行方不明になったのは、長谷川さんではなく大橋君だった。十年ぶりにひょっこりと戻ってきた行方不明者として、大橋君は中井さんたちから驚きをもって迎え入れられる。
さらに驚くことに、その世界では、岸田道生は長谷川さんの夫として生存していた。彼の手掛けた連作のタイトルは「暁光」――。
長谷川さんが消えた「夜行」の世界と、大橋君が消えた「暁光」の世界。
二つの世界は表裏一体をなしている。
かつて大橋君のいた世界では「夜行」に見えるものが、こちらの世界では「暁光」に見える。そのどちらにも四十八の地名が冠せられた銅版画の連作が存在している。きっと、それぞれの土地の中で誰かがいなくなっているのだろう。そして、片方の世界で消えた人が、もう片方の世界の同じ土地では平穏に暮らしているのだろう。
自分の存在する世界と対をなすもう一つの世界では、自分は消失しているかもしれない。或いはこの世界で失われた誰かが、元気に暮らしているもう一つの世界があるのかもしれない。それぞれの世界には、それぞれの歳月が流れている。それは、とても尊い事と思われる。
作品全体を覆っていた薄気味悪さが消え、懐かしさと有難さのような気持ちが残るラストだった。