「まえがき」
昨日、ニューヨークの話題をブログに書いたら
急に「ニューヨーク恋物語」を更新しなきゃ!って思って。(笑)
私って、本当に唐突ですよね。
8月はお盆休みで、家族が家にいて、食事の支度に追われて
それにオリンピックや高校野球をテレビ観戦して
リビングは、とっても暑苦しかったです。
それでも「家族団欒」の喜びをかみしめてみたり。
ご先祖さまをお迎えして、お送りして、ホッとした自分がいました。
旅行もお出かけもしない日々が続いたのに・・・
ブログに書きたい事がらが、毎日目白押しで
有難いな・・・ なんて思って感謝してみたり。
まだまだ、マドンナのナイショ話は、続いていきますから
どうかこの部屋をご訪問くださいね。
さて、3週間ぶりの「ニューヨーク恋物語」です。
「ニューヨーク恋物語 第9章」は、ニューヨークが舞台です。
タイトルが「ニューヨーク恋物語」なのに
ニューヨークを舞台にしているのは、たった3章だけです。
なぜ?・・・って?
理由は簡単なんです。
当時、ニューヨークの写真が、それほどなかったのです。
2001年9月11日の同時多発テロから半年後に
ニューヨークを訪れた娘が撮った、わずかな写真を使って書きました。
当時、コンパクトデジカメで、娘が撮った写真は画素数も低く
お粗末なものでしたが、私にとっては
「タイムズ・スクエア」も「自由の女神」も「5番街の標識」も
すべてが憧れの対象でした。
そんなわずかなニューヨークの写真を元に
後半のクライマックスシーンを書きあげました。
この後も、物語は佳境に入り、次第に面白くなっていきます。
どうか、最終章まで、お楽しみくださいね。
上の写真は、ニューヨーク市消防博物館で撮った写真です。
1 2001年9月11日の同時多発テロで活動した消防車
2 同時多発テロで犠牲になった消防士343人の写真
3 2001年9月11日、あの日、あの時の消防士のひとり
尚、今回の物語の、挿絵の写真は、全て私が撮ったもので
私のHP
「マドンナの夢ギャラリー」で使用したものです。
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ミューヨーク恋物語2008 BGM 愛し君へ(森山直太朗)
「ニューヨーク恋物語 第9章ニューヨーク編」
大沢がニューヨークに戻って2ヶ月が過ぎた。
日本ではまもなく梅雨が終わろうとしていた。
今日子からのメールでは、「今日もまた、雨・・・・」とあった。
梅雨が終わると、東京に暑い夏が訪れる。
夏になると、二人は毎年、七夕祭りや花火大会へと出かけた。
そんな時、今日子は浴衣を着て、少しはにかんで現れた。
浴衣には、浴衣の化粧があるのかと思うほど
きれいな化粧をして、大沢を驚かせ、そして喜ばせた。
季節がめぐる度に、今日子との思い出がいっぱいだ。
今回の帰国で、大沢は完全に里心がついてしまった。
一週間もの間、今日子の部屋で暮らしたのは
これまでの付き合いの中で、初めてのことだった。
長く一緒にいると
お互いの嫌な部分が強調されるのではないかと危惧したが
大沢はそんなことを感じたことはなく
以前にも増して、今日子への気持ちは傾いていった。
今日子のひとつひとつの仕草が、可愛らしくていじらしかった。
目を閉じると、瞼の中に今日子が浮かんで来た。
大沢は今日子への想いをかき消すように繁華街へと出た。
けれど一人で飲む酒は、少しも酔えなかった。
大沢は、ニューヨークではいつも孤独で
得たいの知れない重圧に、押し流されるような思いがした。
それでも負けまいと、この一年やってきた。
今日子の励ましのメールは、どんな時でも心強かった。
大沢は毎日多忙だった。
時には、ボストンやフィラデルフィアに出張することもあった。
ニューヨークに来て一年余りの間で
現地の人とコミュニケーションが取れ、上手く商談をまとめるようになった。
英語が苦手な大沢にとって、言葉の壁は大きなハードルだった。
今日子は帰国子女だった。
父親の仕事の関係で、ハイスクールまで海外で暮らしていた。
ニューヨークに転勤になった頃、よく今日子に英語を尋ねた。
今日子は、英語の持つニュアンスを
その時々にふさわしい英語を詳しく説明してメールをくれた。
今日子の英語のアドバイスのお陰で、まとめられた商談もあった。
ニューヨークの人は、仕事以外ではジョークが好きだ。
そしてプライベートでは、華やかでエキサイティングなことが好きだ。
そんなノウハウを今日子は教えてくれた。
プライベートを充実させると、仕事もスムーズに行った。
今日子はどんな時でも大沢の相談に乗ってくれた.
一年が過ぎ、仕事に慣れると、課題は山積みされた。
大沢は、毎日仕事に追われ、時には自分を見失いそうになる時があった。
一日の仕事が終わり、アパートに帰ると眠るだけだった。
そんな時、今日子の言葉を思い出す。
「どんなに疲れていてもシャワーは浴びて・・・」
シャワーを浴びると疲れが取れた。
今日子が言った言葉の意味がとてもよくわかる瞬間だった。
甘いものが好きな今日子は、よくケーキを買ってくれた。
それを二人で食べる時、今日子は「私は、今が一番幸せ」と言った。
ブルガリの時計をして、エルメスのバーキンを持っていた女が
大沢と二人で、ホワイトクリームのショートケーキを食べる時間を大事にした。
大沢の部屋のベットの上には
湘南の海で撮った二人の写真が飾ってあった。
フォトフレームの中の今日子は、満面の笑みで大沢を見ていた。
その横には一年前、ニューヨーク転勤が決まった時に渡せなかった
今日子への指輪が、今もそのまま置いてある。
そして大沢の机の引き出しには
みなとみらいのホテルの部屋で撮った、今日子の全裸の写真があった。
今夜は満月だ。
この瞬間、今日子は太陽の下で働いている。
時差が二人の心まで遠ざけるようで、今夜の大沢はやるせなかった。
大沢はそんなことを毎晩思うようになっていた。
ニューヨークに来てから、大沢は早くに目が覚めるようになった。
大沢のアパートはセントラルパークの外れにある。
朝のジョギングを始めてもう1年になる。
シープ・メドウまで行き、広い芝生に座って一息つく。
朝のジョギングは大沢の活力になり、気持ちを切り替えられた。
セントラルパークには、いつも季節の花が咲いていた。
今日子に恋をして以来、大沢はよく今日子を季節の花に例えた。
春の桜、夏のひまわり、秋のコスモス、冬の椿。
大沢にとって、美しいものは、全て今日子だった。
ストロベリー・フィールドには、今日も花が飾られていた。
ここから南に歩けば、すぐに大沢のアパートだ。
カフェでコーヒーを飲んで、大沢は軽い朝食を取った。
それからアパートに帰り、シャワーを浴びて出勤した。
仕事が始まると今日子への想いが薄らいでゆく。
仕事に忙殺されることが、今の自分にとって、いいことなのだと思う。
ニューヨーク支店への勤務は、初め三年ということだった。
けれど五年は帰れないだろう。
いや、もっとかもしれない。
二人の結婚はどうなるのかと思うと、大沢の気持ちは塞ぐ。
日本に残してきた一人の女に、未練がいっぱいだった。
だからこの忙しさは、返って有難いと思った。
大沢は今日も会社へと出かける。
今日子は今頃、遅い夕食を食べているだろう。
そんなことを思いながらバス停へと急いだ。
ニューヨークにも、初夏の太陽が顔を見せ始めた。
爽やかな朝である。
第10章に 続く・・・