マドンナのナイショ話

あなたに話したいあれこれ

フォトコンテスト・空の写真

2007年01月31日 | 写真
mixi(ミクシィ)の
「そらのある風景フォトコンテスト」に応募しました。

いずれも「関西国際空港」です。

これは宝石を散りばめたような
空港の美しさを重視した写真だったけれど
今回は空の変化に着眼して応募してみました。


左から
1枚目  夕暮れの関西国際空港
2枚目  夜の関西国際空港
3枚目  雨の日の関西国際空港


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青空のような人

2007年01月30日 | 日記
Umeda0701301

Webの友人が少し前から来阪されていました。
それで今日はお会いする約束をしていました。

梅田のビックマンで待ち合わせ。
果たして無事にお会いすることができるかどうか心配でした。
けれど携帯電話って便利ですね。
すぐに友人と私を繋いでくれました。

Umeda0701302

ランチをしながらおしゃべり三昧。
ネットでお話しているから
初対面に感じないのが不思議です。
Webの繋がりで
あの人のこと、この人のこと、話題は尽きません。

あの人のあのコメント、この人のこのコメント。
あの人のあの日記、この人のこの日記。
素敵なWebの繋がり。 共通点はいっぱいです。

サイトではどんな日記を書きたいか。
コメントやレスに対しての気配りやルールなど話して
ネットをする上での色々な注意を話しました。
まだまだ私は心遣いや優しさが足らないなぁ・・・と思いました。

Umeda0701303

友人はご自分の名刺の裏に一言言葉を書いて
可愛いお花のバスケットと共に私に渡してくれました。

「勝つことより 負けない人生を」

素晴らしい言葉です。

友人は、今日の夕刻には帰路につきました。
春を思わせるような暖かな一日。
友人は今日の青空のように爽やかな笑顔の人でした。



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猫目ボタンと機関車ボタン

2007年01月29日 | 私の想い
Botan0701291

猫目ボタンと機関車ボタンって知っていますか?
この写真は息子が学生時代に購入した
古着のヴィンテージものです。

大人からすれば
誰が着たかわからない古着を着るのは抵抗ありますね。
でも古着のヴィンテージものに拘る若者は多い。

Botan0701292

この写真のロングTシャツのボタンが「猫目ボタン」
これは1940年代~1960年代に流行ったもので
ボタンが取れにくいように
ボタンの中心を削って処理されています。

昔の職人の製作に対する工夫がうかがえます。
今ではあまり見かけない「猫目ボタン」です。

3枚目の写真は「機関車ボタン」です。
機関車ボタンは猫目ボタンより古く1920年代~1930年代のもので
第二次世界大戦(1939年~1945年)前のボタンです。

機関車ボタンはカバーオールについているボタンで
可愛らしい機関車の絵柄が描かれていて
これは当時の鉄道員のユニホームだったと言われています。

Botan0701293

この写真のボタンの下のボタンホールは
当時懐中時計のチェーンを留めて
胸ポケットに懐中時計を入れていたようです。
懐中時計から腕時計に時代が代わると
このボタンホールはなくなります。
これもヴィンテージを決める、大切な要素のひとつです。

カバーオールのステッチはこの当時トリプルステッチでした。
今ではトリプルステッチのカバーオールはほとんど見かけません。

たて落ち(縦に色落ち)、ヒゲ(シワに沿った色落ち)
ステッチ(トリプル)、ボタン(機関車・月桂樹)、ボタンホールなどは
ヴィンテージを決める大切な要素になっています。

1枚目の写真の右のカバーオールはもうボロボロでしょう?
息子は学生時代、バイトをしてやっとこのカバーオールを
手に入れましたが、一度も着たことがありません。
状態はボロボロで袖を通すと破れてしまいます。

これは彼の「青春の証明」なのでしょう。
今もインテリアとして部屋の壁にかけています。
これも雑誌で調べると、第二次世界大戦前のものです。

猫目ボタンと機関車ボタン。
昔はこんな小粋なボタンがあったのです。
可愛いでしょう?
猫好きの人にはたまらない「猫目ボタン」です。




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哀しい予感

2007年01月28日 | 観劇・ライブ
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27日、舞台「哀しい予感」を観て来ました。

原作は「よしもとばなな」
まだ、「吉本ばなな」だった(初期の)頃のベストテラー作品です。

演出  塚本晋也
出演  市川美日子 加瀬亮 藤井かほり

幸せな家庭に育つ弥生には小さい頃の記憶がなかった。
けれど父と母と弟の4人で幸せに暮らしていました。
そして大好きな叔母の存在。

Yokan0701281

ふとした時にある映像が頭の中にフラッシュバックして
小さい頃の記憶をだんだんと思い出していく。
自分と叔母との関係。自分と弟との関係。

そんなある日、ゆきのが失踪。
弥生は弟の哲生とともに
ゆきのと本当の自分の過去を探す旅をするというお話。


孤独や喪失感をとても上手に表現し
その中であったかさや優しさを表現する「ばななワールド」

Yokan0701282

「キッチン」 「うたかた/サンクチュアリ」 「TUGUMI」
「アムリタ」 「不倫と南米」など数々の賞を受賞しています。

老若男女問わず、よしもとばななのファンは多い。

舞台「哀しい予感」は小説の原文を忠実に生かし
せりふのやり取りをじっくりと楽しませてくれました。
もう一度、原作が読みたくなりました。





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フラワーデザイン展に想う

2007年01月27日 | お出かけ
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昨日、友人が主催する
「フラワーデザイン展」に行って来ました。
ギャラリーでは昔の仲間たちが
素晴らしい作品でそれぞれの「春」を表現していました。

今から18年前に息子の同級生のお母さまたちと
「おかあさん チョット・・・・」というタウン誌を発行していました。

子育て真っ最中、PTA真っ最中の傍ら
私たちのグループは地域活動に取り組んで、熱く燃えていました。
18年前、牛乳パックの回収、ビンのリサイクルは
行政(大阪市)でさえまだ取り組んでいなかったことでした。
そんな環境問題も先駆けての活動でした。

Hana0701272

子供たちを連れて
関西テレビの朝のワイドショーに生出演。
子供たちにも思い出を作ってやれたテレビ出演でした。

また私たちの地域の出身であるテレビアナウンサー
故逸見政孝さんを地元の区民ホールにお招きして講演。
「私の歩んできた道」という、彼の生前に至る人生を語ってくれました。

この時逸見さんは第1回目の胃癌の手術を受けています。
区民ホールでの講演の時は経口抗がん剤を毎日服用中。

そして1993年9月6日に記者会見を行い
「今私が侵されている病名は、癌です」と公表し
癌との闘いを宣言しました。

そして3度目の手術の甲斐も虚しく
逸見政孝さんはその年の12月25日に亡くなられました。

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テレビ出演と同じ頃 、私たちのタウン誌
「おかあさん チョット・・・」や地域活動が認められ
「レタスクラブ」という雑誌に写真入りで掲載されました。
1991年6月10日号のレタスクラブです。

愉快で活気のある仲間たちと、まるで青春を謳歌するように
子育てをしてPTA活動をして地域活動をしてきました。

あの頃始めた「アレンジメントフラワー教室」
教えてくれた先生も息子の同級生のお母さまでした。
私は7~8年でやめてしまったけれど、この教室も18年続きました。

招待状を頂いて訪れた作品展は、彼女たちの「卒業展」でした。
ひとつの区切りとして、この作品展を最後に解散するとのこと。

Hana0701273

ギャラリーには昔の仲間たちが勢ぞろいしていました。
久しぶりに古巣に戻って来たようでした。

あの時、あんなにがんばれたのは
素晴らしい友達にめぐり合えたから。
あの時、熱い気持ちで、地域に「革命」を起こそうなんて
本気で思ったのも素晴らしい友達にめぐり合えたから。

フラワーデザイン展を訪れて、次々思い出しました。
かけがえのない時間を過ごしてきたあの頃が懐かしい。




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