寅さん長田に帰る
「寅さん長田に帰る」と題して阪神・淡路大震災の資料を展示してきた神戸学院大の学生らが、展示最終日の十日、「男はつらいよ」シリーズの映画監督山田洋次さんを神戸市の長田区役所に招き、「山田洋次監督を囲む会」を開いた。
山田さんは学生らの質問に答え、映画の秘話や長田への思いを語った。 昨秋から学生らが、長田区役所にある「人・街・ながた震災資料室」の資料整理を協力。震災後の長田でロケをしたシリーズ最終作「寅次郎紅の花」ゆかりの人や場所も取材した。山田監督にも手紙を送り、囲む会が実現した。
この日は、映画のモデルになった障害者の共働作業所「くららべーかりー」のメンバーたちやゼミ生など約百人が参加。同作業所を運営する石倉泰三さん(54)悦子さん(57)夫妻も山田監督とともに質問に答えた。
震災の焼け跡に立った寅さん役の故渥美清さんは「べたべたと草履で踏みつけてもいいんでしょうかね」と緊張していたという。山田監督は「渥美さんは余命が告げられており、翌年でおしまいと思っていたから、被災地で何か感じたのではないか」と語った。
「これが本当の地域の交流。残すためにどうすればいいのかを撮影しながら考えていた」と話した。
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この記事を見てうれしくなりました。日本の地震災害でも近来にない大被害をもたらし、多くの方々が死亡、怪我した人も多く、日本の大動脈はずたずたに壊され、地震にはなれていた日本人もこれにはみなショックを受けた事は記憶に鮮明に残っております。
このとこから自衛隊が本格的に救助活動に参加し、以後このような災害時には自衛隊が参加する事が恒例になりましたが・・・最初はここ兵庫県の知事は自衛隊の参加を渋り、そのため死者が増えたとも言われています。
当時の革新市町村長のなかには革新系に人は特に、その傾向が多くまだまだ自衛隊に対するアレルギーが自衛隊のもっている能力を過小評価する傾向がありました。しかしあまりに多くの被災者を目の前にし、協力を仰いだようですが・・・・
また、当時の首相は村山首相で、政府もまた対策が相当な時間がかかり、国民を不安がらせました。
この災害で被害の多かった長田地区は多くの韓国・朝鮮人が住んでいて、ある意味特別地区のように取り上げらる事も多く、このような緊急時に日本人は素晴らしい協力しあい、人種を超えて助け合い・・・皇室からも、天皇・皇后、皇太子後夫妻とお見舞いも多く私もよくテレビを見てました。
今回神戸学院大の学生が長田区役所にある「人・街・ながた震災資料室」の資料整理を協力しました。震災後の長田でロケをしたシリーズ最終作「寅次郎紅の花」ゆかりの人や場所も取材したとのことです。山田監督にも手紙を送り、囲む会が実現したと聞きうれしくなります・・・
このようなことに学生が地域社会の出来事に参加してくれていること事態、大人と学生とが協力関係の中に枠を離れた人と人との輪の中でお互いを知り、助け合う精神をこれらの事を、意識せずに活動を通してする事こそ、最も理想的なのではないかしら・・・?