古畳から65年前の新聞発見
函館市内の畳店で、処分のために引き取った古い畳の中から、六十五年も前の一九四一年(昭和十六年)の新聞が出てきて、近所の話題になっている。同年十二月の日米開戦を前に緊迫する内外情勢や市民生活の様子を伝えており、店先でぼろぼろの新聞に見入る人の姿も目立つ。
見つけたのは、市内万代町六、有限会社・田中畳製販の田中健太郎さん(53)。九月十八日、谷地頭町の古い民家の改築に伴い、処分する畳を引き取った。表面のござをはがすと、褐色に変色して一部が破れた新聞が十数部出てきた。日付の欄に昭和十六年とあった。
「びっくりしました。昭和二十、三十年代の新聞が出てきたことはあったが、戦前のものは初めて」と田中さん。
「昔は新聞のインクが虫よけになるといわれていた。当時の畳職人がござの内側に入れたのではないか」と推測する。
函館新聞、函館タイムス、函館日日新聞、小樽新聞、北海タイムスで、日付は五月初旬から下旬にかけて、・・・・ 五月一日の函館新聞は「天長節観兵式 天皇陛下機甲部隊を御親閲遊ばさる」の見出しと馬に乗る姿の写真を掲載。 (北海道新聞より) この隣組など当時は国内がこのような細かく組織されそれぞれに役割があったようです。
このほか「独軍、フィンランド上陸」(函館タイムス)など軍事情勢に関する記事が多くいかにも軍事色が強い当時の日本や同盟国の戦況などもきっと多く載っていたんだろうと思われました。
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このニュースなかなか面白いと思いました。図書館には保存してあるそうですが、
昭和16年12月のもにも在ったそうで,当時の新聞紙が14~5枚出てきたそうでも
う変色し、ボロボロにはなってますが・・・そこには日米開戦を前に緊迫する
内外情勢や市民生活の様子を伝えており 、また当時は天皇陛下に対する国民
の尊崇の念がとても強かったようです。
「天長節観兵式 天皇陛下機甲部隊を御親閲遊ばさる』とかまた、「独軍、フィンランド上陸』など、当時の同盟国ドイツの動きなども興味があります・・・・
この頃新聞誌のインクが、虫除けのため畳の下に敷くことが多かった為だと、田中畳製販の田中健太郎さんが言ってました・・・・また、生活様式も無駄無く活用する人々の生き方も、参考になる部分もあるようです。
また「北洋鮭鱒缶詰二百八十万函 本年度製造割当決定す」(函館日日新聞)など経済ニュースや隣組など市民生活を伝える記事も掲載されているそうで、なんか読んでみたい気がします。
当時の日本自身が貧しく、その上に大国を相手に戦争を始めたのですから、無駄な物など本当に少なかっただろうなぁ・・と思います。
現在は、経済的には当時と比較にならない程日本は豊かになったけど・・・・なんか人間の幸せってなんだろう・・・とつい思いました。