「大剛に兵法なし」- 柳生但馬守
あるとき、旗本のある者が但馬守殿のところへ来て、弟子入りしたいと言った。但馬殿が、「あなたはお見受けするところ一流に達した方のようである。何流を学ばれたのか知ったうえで、師弟の契約をしよう」と申されると、
「私は、武芸は何一つ稽古をいたしておりません」と旗本は答えた。
「但馬をからかいにおいでになったのか。将軍家の御指南を勤める者の目がねが、はずれると思うのか」と重ねて申されたが、その者は、神明に誓って嘘は言わぬという、そこで
「それでは、日ごろ何か心に悟っておられることはなか」と尋ねた。
「幼少のころに、武士は命を惜しまぬことなりとふと思いついて、それから数年のあいだ絶えず心にかけ、いまでは死ぬことも何とも思わないようになりました。これ以外に悟ったことはございません」と答えた。
但馬殿は感心して、「私の目がねに狂いはなかった。柳生流兵法の極意は、その一事である。ただいままで数人の弟子に、まだ極意を免許した者は一人もいなかった。木刀をとるにはおよばない。あなたに極意皆伝を差し上げよう」と、即座に印可の巻物を渡されたという。
村川宋伝の話である。
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有名な話なので、ご承知の方々も多いのではないでしょうか。
本質を分かっている人に教えを請うことがいかに大切なことかということですね。
武士道は禅匠に教えを請い悟りを開いた北条時頼にその源流をたどることができるようです。
竹刀をいくら振っても武士道がわかないように、いくらお経を諳んじても、苦行をつんでも悟りは得られない。
時頼が悟りを開いたとき、師である兀庵(時頼が南宋から招いた禅匠)が弟子の時頼に詠んだ詩は、
我 無 仏 法 一 時 説
子 亦 無 心 無 所 得
無 説 無 得 無 心 中
釈 迦 親 見 燃 燈 仏
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日本人に生まれて、よかったですね。
引用
「葉隠」 奈良本辰也、駒 敏郎著、中央公論新社
「禅と日本文化」 鈴木大拙著 北川桃雄 訳 講談社インターナショナル