考えることは辛い。
特に被害妄想と自虐的思考が大半を占める僕の頭だとほんとに酷いことになる。
被害妄想といっても、昔ほどはファンタジーな思考はしなくなった気がする。少し現実的な範疇に近づいたと思う。
たとえば小学生のとき、僕は自分の思い考えていることが全て他人に漏れているのだと思っていた。俗に言うサトラレというやつである。
みんな僕の心の醜い部分や過去のあやまちを知っていて、内心では僕を殺したいと思いながら生活しているのだと思っていた。だからみんなは僕にイジメのようなことをしたりするのだと考えていた。
自分の思いや考えが全て筒抜けだったので怖かった。僕は心の中でさえ自由を奪われていたのである。
人が怖かった。
人はみな僕の心を読み僕を憎んでいるからだ。いつ怒られたり叩かれたりするのかと、僕はずっと怯えて暮らしていた。
僕は考えた。
頭の中が他人から見えて怖いのは、頭の中でやましいことを考えているせいである。なら、頭の中をからっぽにしてしまえば、怖くないじゃないか。
そして僕は心を閉ざした。封印したと言ってもいい。
僕は考えることをやめた。
…………。
なんであのまま封印しつづけなかったのだろう。思えば心を亡きものとしたあのころが、一番静かで心地よかった。周囲の雑音に対して、なにも感じずにすんだ。とても楽だった。
僕は社会に所属していた。だから嫌でも人間と会った。人間と接するうえで、心は欠かせないものだった。考えることをやめたまま生きられる世界ではなかった。
考えないという状態は多分に弊害を含んでいた。人間的思考というものがなく、ときに他人に大きな損害を与えた。
たとえば同級生二人がふざけて財布の奪い合いをしていたとする。その財布があろうことか僕の手に渡る。財布の持ち主は運悪くそのことに気づかない。僕はもらった財布をとりあえず見つかりやすい場所に置く。そして結局その財布はあかの他人に持っていかれ、僕は他人の財布をなくしたという罪を背負う。
実は半分実話である。心のなかった僕はその財布を持ち主に返そうとは思わなかった。だから捨てた。財布がなくて困っている同級生のことなど考えなかった。
真相はそうなのだけど、僕は事実を偽った。できるだけ自分に被害が出ないように嘘をついた。結局、僕はおとがめなしで終わった。
財布を捨てたことと嘘をついたことが僕の心に重くのしかかった。なにより、財布の持ち主は僕のことを恨んでいた。毎日僕をドロボーと呼んだ。ある意味でそれは正当なのだけど、その事実を認めたくないので、僕は彼に謝ることをせず、しらんぷりをつづけた。
考えないということは、ときにこうした弊害を生む。
僕はそのときの罪を背負いつづけるハメになった。
封印したはずの心が痛んでボロボロになった。
僕は自分が許せなくなった。
それでも僕は怖くて心を閉ざしたままだった。ただし、今度は多少考えることをするぎりぎり普通の性格を持った仮面をつけて、過ごした。人間とのわずらわしいごたごたは、全てその仮面に任せて、僕自身は全て無視した。
そういうことを長くつづけていくと、そのうちに罪悪感に押し潰される。心の本体もダメージを受け傷ついていく。そうしてダメになっていく。
そして自分がなにもかも悪いと気づいたときはもう遅い。
凝り固まってなにも変わらない悪だけの人間になっている。
悪魔の誕生である。
そんな自分には、もう死ぬこと以外残されていない気がする。
……死。
特に被害妄想と自虐的思考が大半を占める僕の頭だとほんとに酷いことになる。
被害妄想といっても、昔ほどはファンタジーな思考はしなくなった気がする。少し現実的な範疇に近づいたと思う。
たとえば小学生のとき、僕は自分の思い考えていることが全て他人に漏れているのだと思っていた。俗に言うサトラレというやつである。
みんな僕の心の醜い部分や過去のあやまちを知っていて、内心では僕を殺したいと思いながら生活しているのだと思っていた。だからみんなは僕にイジメのようなことをしたりするのだと考えていた。
自分の思いや考えが全て筒抜けだったので怖かった。僕は心の中でさえ自由を奪われていたのである。
人が怖かった。
人はみな僕の心を読み僕を憎んでいるからだ。いつ怒られたり叩かれたりするのかと、僕はずっと怯えて暮らしていた。
僕は考えた。
頭の中が他人から見えて怖いのは、頭の中でやましいことを考えているせいである。なら、頭の中をからっぽにしてしまえば、怖くないじゃないか。
そして僕は心を閉ざした。封印したと言ってもいい。
僕は考えることをやめた。
…………。
なんであのまま封印しつづけなかったのだろう。思えば心を亡きものとしたあのころが、一番静かで心地よかった。周囲の雑音に対して、なにも感じずにすんだ。とても楽だった。
僕は社会に所属していた。だから嫌でも人間と会った。人間と接するうえで、心は欠かせないものだった。考えることをやめたまま生きられる世界ではなかった。
考えないという状態は多分に弊害を含んでいた。人間的思考というものがなく、ときに他人に大きな損害を与えた。
たとえば同級生二人がふざけて財布の奪い合いをしていたとする。その財布があろうことか僕の手に渡る。財布の持ち主は運悪くそのことに気づかない。僕はもらった財布をとりあえず見つかりやすい場所に置く。そして結局その財布はあかの他人に持っていかれ、僕は他人の財布をなくしたという罪を背負う。
実は半分実話である。心のなかった僕はその財布を持ち主に返そうとは思わなかった。だから捨てた。財布がなくて困っている同級生のことなど考えなかった。
真相はそうなのだけど、僕は事実を偽った。できるだけ自分に被害が出ないように嘘をついた。結局、僕はおとがめなしで終わった。
財布を捨てたことと嘘をついたことが僕の心に重くのしかかった。なにより、財布の持ち主は僕のことを恨んでいた。毎日僕をドロボーと呼んだ。ある意味でそれは正当なのだけど、その事実を認めたくないので、僕は彼に謝ることをせず、しらんぷりをつづけた。
考えないということは、ときにこうした弊害を生む。
僕はそのときの罪を背負いつづけるハメになった。
封印したはずの心が痛んでボロボロになった。
僕は自分が許せなくなった。
それでも僕は怖くて心を閉ざしたままだった。ただし、今度は多少考えることをするぎりぎり普通の性格を持った仮面をつけて、過ごした。人間とのわずらわしいごたごたは、全てその仮面に任せて、僕自身は全て無視した。
そういうことを長くつづけていくと、そのうちに罪悪感に押し潰される。心の本体もダメージを受け傷ついていく。そうしてダメになっていく。
そして自分がなにもかも悪いと気づいたときはもう遅い。
凝り固まってなにも変わらない悪だけの人間になっている。
悪魔の誕生である。
そんな自分には、もう死ぬこと以外残されていない気がする。
……死。
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