風邪をひいたりしなかった。
寝込んで学校を休んだりしなかった。
「今日は“いい夫婦の日”だね」と誰かが言った。
「触れるな。ドンタッチミー!」と誰かが言った。
「近寄るな! バイキンマン!」と誰かが言った。
くだらないのでもうやめようと思わなかった。
厚着しすぎて苦しいよう、と思わなかった。
今日はこれからアルバイトの面接じゃない。
これからすぐ20キロ離れた面接会場に行かなければいけないなんてことはない、はずだ。
気がつくと僕はクモの糸に絡まれていた。
ぐるぐる巻きになっていて金縛りのように身動きできなかったが、まぶたと眼球のみ動かせた。
あたりにはクモの丈夫そうな糸が無数に張り巡らされており、巨大な巣を形成していた。
かなり遠くに巣の主であろうクモがいた。
黒く禍々しいその体躯は、僕を身震いさせるのに十分な演出だったが、あいにく身震いすらできない状況だった。
どうせ目を開いていても眼球が乾燥してしまうだけなので、僕は目を閉じた。
やがて何かの振動を感じたような気がして目を開いてみると、クモが近づいてきていた。
目の前にクモが来てようやく、クモの大きさを理解した。
体長3メートルといったところだろうか。
闇色の体をきしませながら、クモは動いた。目がないから体に黒でない部分はなかった。
……目がないのにどうやって僕の居場所がわかったのだろう。
普通のクモは振動で獲物の位置を見極めるという。しかし今の僕は振動を発生させることができないはずだ。
そう思った途端、
「ほう、かしこい人間だな」
誰かの声が聞こえた。
まさかこのクモの声だろうか。
「そのとおりだ」
僕は驚きの表情を作りたかったが、失敗に終わった。ただ、まぶたをすばやく開くことしかできなかった。
「私がどのようにしてお前の位置を特定したか、知りたいか」
知りたい。
「ふむ。まあ、教えてやらんこともないがな」
教えてくれ。
「それは……」
それは?
「…………」
…………
「なにやってんの、はやく起きなさい!!」
突然耳に入った母の声に、僕は驚いて飛び起きた。
「あら、やっと起きた。あんた、布団でぐるぐる巻きになっちゃってるじゃない。そんなに夢の世界がすきなのかしら?」
まさか。とんでもない。あんな馬鹿みたいにでっかいクモに食べられそうになるんだ。現実のほうがまだマシだよ。
母は「はやく学校行かないと遅れるわよ」という定型句を残して部屋を去っていった。
腕を動かそうとして、失敗する。
布団でぐるぐる巻きになった僕の体は自由を失っていた。
あまりに急に起こされて、バクバクと音を立てる心臓。
あ……なるほど。
僕はようやく、クモがどのようにして僕の位置を特定したのか、を理解した。
心音。音。空気の振動。
体は動かなくても、生きている限りは心臓は脈打ちつづけているんだ。
そう。
僕は……
「生きているんだ」
布団にぐるぐる巻きにされて身動きできない状態の僕は、そう、つぶやいた。
寝込んで学校を休んだりしなかった。
「今日は“いい夫婦の日”だね」と誰かが言った。
「触れるな。ドンタッチミー!」と誰かが言った。
「近寄るな! バイキンマン!」と誰かが言った。
くだらないのでもうやめようと思わなかった。
厚着しすぎて苦しいよう、と思わなかった。
今日はこれからアルバイトの面接じゃない。
これからすぐ20キロ離れた面接会場に行かなければいけないなんてことはない、はずだ。
気がつくと僕はクモの糸に絡まれていた。
ぐるぐる巻きになっていて金縛りのように身動きできなかったが、まぶたと眼球のみ動かせた。
あたりにはクモの丈夫そうな糸が無数に張り巡らされており、巨大な巣を形成していた。
かなり遠くに巣の主であろうクモがいた。
黒く禍々しいその体躯は、僕を身震いさせるのに十分な演出だったが、あいにく身震いすらできない状況だった。
どうせ目を開いていても眼球が乾燥してしまうだけなので、僕は目を閉じた。
やがて何かの振動を感じたような気がして目を開いてみると、クモが近づいてきていた。
目の前にクモが来てようやく、クモの大きさを理解した。
体長3メートルといったところだろうか。
闇色の体をきしませながら、クモは動いた。目がないから体に黒でない部分はなかった。
……目がないのにどうやって僕の居場所がわかったのだろう。
普通のクモは振動で獲物の位置を見極めるという。しかし今の僕は振動を発生させることができないはずだ。
そう思った途端、
「ほう、かしこい人間だな」
誰かの声が聞こえた。
まさかこのクモの声だろうか。
「そのとおりだ」
僕は驚きの表情を作りたかったが、失敗に終わった。ただ、まぶたをすばやく開くことしかできなかった。
「私がどのようにしてお前の位置を特定したか、知りたいか」
知りたい。
「ふむ。まあ、教えてやらんこともないがな」
教えてくれ。
「それは……」
それは?
「…………」
…………
「なにやってんの、はやく起きなさい!!」
突然耳に入った母の声に、僕は驚いて飛び起きた。
「あら、やっと起きた。あんた、布団でぐるぐる巻きになっちゃってるじゃない。そんなに夢の世界がすきなのかしら?」
まさか。とんでもない。あんな馬鹿みたいにでっかいクモに食べられそうになるんだ。現実のほうがまだマシだよ。
母は「はやく学校行かないと遅れるわよ」という定型句を残して部屋を去っていった。
腕を動かそうとして、失敗する。
布団でぐるぐる巻きになった僕の体は自由を失っていた。
あまりに急に起こされて、バクバクと音を立てる心臓。
あ……なるほど。
僕はようやく、クモがどのようにして僕の位置を特定したのか、を理解した。
心音。音。空気の振動。
体は動かなくても、生きている限りは心臓は脈打ちつづけているんだ。
そう。
僕は……
「生きているんだ」
布団にぐるぐる巻きにされて身動きできない状態の僕は、そう、つぶやいた。
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