昨日、袋とじの「毒殺天使」を読むために『とるこ日記』を手に取った。
そろそろ新しい乙一作品を脳内に注入しなければ危ない、といった状態だった。禁断症状である。
手元にある未読の乙一作品というと、もう「毒殺天使」以外になかったので、ボクはついにとうとう袋とじを開けてしまったわけである。
これで読んでいない乙一作品はほぼ壊滅したといってよい。
ボクは明日から何を糧(かて)にして生きていけばよいのだろう……
それはさておき。
さすがは乙一作品。
なんて奇抜な発想なのだ。
奇抜で非現実感丸出しなのに、ゼッタイふざけてるとしか思えない設定なのに、なぜこんなにも切ないのだ乙一……
もう……、強引なんだからぁ。
無謀な設定の中に、乙一先生なりの理論があって、それがまた「わかるわかる」な感情(早い話が共感)なのである。
意味不明といえば意味不明。
しかし、主人公の特異な性癖と、それ故の特殊な思考。
やるなぁ……さすがだなぁ……と、うなるしかない。
乙一という作家は、そのあまりにぶっとんだ作品世界(設定)で、実にぶっとんだ思考をする。もう本当に現実の世を離れ妄想の世界に旅立ってしまったかのような、作品世界にどっぶり漬かったような、そんな描写をする。
しかしもし本当に現実の世を離れ妄想の世界に旅立ってしまったのならただの狂人であり病人である。そんな人間が小説を書こうとしても、すでに常識の範疇から離脱してしまったその思考では、まだ現実世界にしばられている普通の人(読者)になっとくしてもらえるような説明はできないだろう(小説とはあくまでも作品世界を説明したものなのだから)。
つまり、乙一という作家は、妄想の世界に入り浸りつつも、ひょいと現実世界に足をつっこみ直しながら小説を書いているのである。
いや、小説家というのは皆そうした技術を持っているイキモノだけれど、乙一という人ほどその点に優れた作家はいない、と、ボクは思うのだ。
いったいどういう思考回路をしているのだろうかと烈(はげ)しく疑う。
そして尊敬する。すごい。ものすごい人だ。
……あぁいや、乙一先生じゃなくて『とるこ日記』について語るつもりだったのだった。
とるこ日記はすごい。
二年くらい前にも、とるこ日記(WEB版)の話を頻繁にしたが、いままたこうして書籍版を読んでいて、改めて思うのだ。
乙一、定金伸治、松原真琴。
この三人、すごくくだらない。
くだらなすぎ。
くだらなすぎて、面白い。
くだらなさが、面白い。
ダメ人間二人とプチダメ人間。
プロダメ人間の先輩二人とアマチュアダメ人間。
半ひきこもりの三人組。
痛い作家、揃い踏み。
だから好き。
そこが好き。
頭の良さをどうでもいいことにおしげもなく使ってるタモリさんを尊敬している三人だが、たぶん、三人とも、タモリさんと同じだ。
あんたたち、その明晰な頭脳を、どうでもいいことに使いすぎだろ!
しょーもないギャグに使いすぎだよ……
そこがなんかかわいそうで、同じくダメ人間まっしぐらなボクは、人事だと思えなかったりするのだった。
つか乙一先生のやる気のなさの中に垣間見えるごく一部分にそそがれるやる気が、なんかいい。
すごくいい。
普通に頑張ればぜったい人気者になれるのに、実にならないことに一生懸命になる。
自分の興味がおもくむくままに、突き進む。
そこが、いいんだわ。
かっこいいんだわ。
だから、そう……
乙一先生のやることなすこと、すべてが乙一先生らしくなる。良い。
いいよぉおお……!
…………ハッ、危ない危ない。
ボクまで現実世界にオサラバしてしまうところでした(帰ってこれる自信はない・苦笑)。
あぁ……もっと、もっと、乙一先生の作品に触れたいぃ…………
そろそろ新しい乙一作品を脳内に注入しなければ危ない、といった状態だった。禁断症状である。
手元にある未読の乙一作品というと、もう「毒殺天使」以外になかったので、ボクはついにとうとう袋とじを開けてしまったわけである。
これで読んでいない乙一作品はほぼ壊滅したといってよい。
ボクは明日から何を糧(かて)にして生きていけばよいのだろう……
それはさておき。
さすがは乙一作品。
なんて奇抜な発想なのだ。
奇抜で非現実感丸出しなのに、ゼッタイふざけてるとしか思えない設定なのに、なぜこんなにも切ないのだ乙一……
もう……、強引なんだからぁ。
無謀な設定の中に、乙一先生なりの理論があって、それがまた「わかるわかる」な感情(早い話が共感)なのである。
意味不明といえば意味不明。
しかし、主人公の特異な性癖と、それ故の特殊な思考。
やるなぁ……さすがだなぁ……と、うなるしかない。
乙一という作家は、そのあまりにぶっとんだ作品世界(設定)で、実にぶっとんだ思考をする。もう本当に現実の世を離れ妄想の世界に旅立ってしまったかのような、作品世界にどっぶり漬かったような、そんな描写をする。
しかしもし本当に現実の世を離れ妄想の世界に旅立ってしまったのならただの狂人であり病人である。そんな人間が小説を書こうとしても、すでに常識の範疇から離脱してしまったその思考では、まだ現実世界にしばられている普通の人(読者)になっとくしてもらえるような説明はできないだろう(小説とはあくまでも作品世界を説明したものなのだから)。
つまり、乙一という作家は、妄想の世界に入り浸りつつも、ひょいと現実世界に足をつっこみ直しながら小説を書いているのである。
いや、小説家というのは皆そうした技術を持っているイキモノだけれど、乙一という人ほどその点に優れた作家はいない、と、ボクは思うのだ。
いったいどういう思考回路をしているのだろうかと烈(はげ)しく疑う。
そして尊敬する。すごい。ものすごい人だ。
……あぁいや、乙一先生じゃなくて『とるこ日記』について語るつもりだったのだった。
とるこ日記はすごい。
二年くらい前にも、とるこ日記(WEB版)の話を頻繁にしたが、いままたこうして書籍版を読んでいて、改めて思うのだ。
乙一、定金伸治、松原真琴。
この三人、すごくくだらない。
くだらなすぎ。
くだらなすぎて、面白い。
くだらなさが、面白い。
ダメ人間二人とプチダメ人間。
プロダメ人間の先輩二人とアマチュアダメ人間。
半ひきこもりの三人組。
痛い作家、揃い踏み。
だから好き。
そこが好き。
頭の良さをどうでもいいことにおしげもなく使ってるタモリさんを尊敬している三人だが、たぶん、三人とも、タモリさんと同じだ。
あんたたち、その明晰な頭脳を、どうでもいいことに使いすぎだろ!
しょーもないギャグに使いすぎだよ……
そこがなんかかわいそうで、同じくダメ人間まっしぐらなボクは、人事だと思えなかったりするのだった。
つか乙一先生のやる気のなさの中に垣間見えるごく一部分にそそがれるやる気が、なんかいい。
すごくいい。
普通に頑張ればぜったい人気者になれるのに、実にならないことに一生懸命になる。
自分の興味がおもくむくままに、突き進む。
そこが、いいんだわ。
かっこいいんだわ。
だから、そう……
乙一先生のやることなすこと、すべてが乙一先生らしくなる。良い。
いいよぉおお……!
…………ハッ、危ない危ない。
ボクまで現実世界にオサラバしてしまうところでした(帰ってこれる自信はない・苦笑)。
あぁ……もっと、もっと、乙一先生の作品に触れたいぃ…………
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