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旅好きサン・サーンスの芸術論

2025-03-08 21:00:00 | 近代
枚方市役所にバスボート申請に行ってきました。
昨年の8月で切れていました。
しばらく使わないから良いかと思っていましたが
榎田先生が4月21日に神戸市と大邱市の友好イベントで韓国大邱市のフルートオーケストラを指揮される。
と言うことで「エスカル」のメンバーからも助っ人を募られました。

私も手を上げた何人かと一緒に行くことになりました。

久しぶりのバスボートで戸籍謄本を取るところからでした。
近所のダイソーで証明写真を撮り、行ってみると、駅前の駐車場は満車。

周りに並んでいましたが、そこにも入れないので「帰ろうか?」と思いましたが、駅前周辺をぐるっとひと回りして、「やっぱりもうワンちゃんあるかも。」と行ってみると最後尾に並ぶことができました。
値上げしたので結構回転が速いです。
30分ほどで入ることができました。
戸籍謄本も並んでいましたが、またマシ。
「これからバスボートセンターに行きますが駐車料金は?」
みなまで言う前に「複数の課に行かれると言うことなので90分お付けしておきましたので、それ以上は割引きありませんのでお気をつけて下さい。」

枚方市岡東公園のカリヨンの向かい側の、

サンプラザ1号館2階にバスボートセンターがあります。
前回は駅ビルの中でしたが少し移動されました。
こちらは全く待ち無し。
マンツーマンで申請書を書くところから教えていただきました。
それでも出来てくるのは3/21以降だそうです。
そんなものかな?
とりあえず申請出来てほっとしました。
本当にこういうこと苦手…。
こんなことで航空券取ったりホテル取ったり大丈夫?

シャルル・カミーユ・サン=サーンス(Charles Camille Saint-Saëns,1835 - 1921年)
フランス王国パリ生まれ、フランス領アルジェリア アルジェ没

サン=サーンス。ピエール・プティ撮影。1900年。

彼は無類の旅行好きでした。
生涯で27か国に計179回の旅に出ています。

サン=サーンスがピアニストとして聴衆の前に初めて登場したのは11歳。

少年時代のサン=サーンス。
それから50年目にあたる1896年に、長い音楽活動を祝うための記念コンサートがパリのサル・プレイエルで開かれました。
この年の3月から4月にかけて作曲された第5番の協奏曲はその際に初演され、当時61歳だったサン=サーンスがピアノ独奏を受け持ちました。

楽譜は同年に出版されています。
2台ピアノ版は献呈先のルイ・ディエメによって編曲されました。

この曲は避寒先のカイロで書かれました。

第5番には、この国での見聞や、東方的でエキゾティックな雰囲気が反映されています。そのため、サン=サーンスとしては珍しく、表題的な雰囲気を持った「絵画的な」協奏曲が生まれました。

1891年サン・サーンスはエジプトに旅に出ます。
ムハンマド・アリー朝、サン=サーンスは第6代君主タウフィーク・パシャ(1852-1892)の次男で第7代の弟、ムハンマド・アリー(1875-1955)王子(皇太子)

と親しくなり、エジプト滞在する際、彼のためにカイロのローダ島に建てられたマニアル宮殿

に何度も立ち寄っています。
そして王子のために《物憂げなワルツ op.120》(1903)を作曲しています。

1月末にアレクサンドリアに到着し、2月にはルクソール、3月中旬から4月中旬までカイロと、長期滞在になりました。
テノールとバリトンのための二重唱曲《ヴィーナス(ウェヌス)》を作曲し、デュラン出版社に宛てています。

エジプト考古学者のジョルジュ・ルグラン(1865-1917)
ともあっていたようです。
カルナック神殿にある大スカラベ像を見学するサン=サーンスと像の発見者のジョルジュ・ルグラン(1908年以降)
ナイル川の上流、エジプト南部アスワンからスーダンにかけてのヌビア(元々はエジプトと同一の祖先をもっていたものの、その後ギリシャ・ローマ人との混血が進んだエジプトとは異なる文化圏を形成した地域。)を旅行し、ナイル川をダハビア(屋形船)に乗って移動しましたが、そこで船頭が歌うヌビアの恋唄を聴き取ります。

ナイル川のダハビア
この小旅行の後、ルクソールのホテルに缶詰めになって《ピアノ協奏曲 第5番》を作曲します。
後の手紙でルクソールの環境について「ここより仕事するのにふさわしい所はありません、私は水を得た魚のようです。」と述べています。

Camille SAINT-SAËNS, « Égypte », L'Écho de Paris, 29e année, N° 10046, 4 février 1912, p. 1.には、下記のような文章を寄稿しています。

「ところで、我々の近代西洋文明は反芸術の方向へ歩みを進めている。

その証拠が、「芸術」に専念しようとする意図そのものなのだ。

本当に芸術が浸透しているところでは、呼吸をするようにもはや芸術を意識しないものなのである。

ローマの都市であったポンペイにおける芸術を見るように、ギリシア文明においても芸術はそのように存在したし、ギリシアのその本質においては、単なる調理器具といった全くの日用品ですら、常にスタイルを備えていた。

ヨーロッパ文明に侵される前の日本においても、かの国伝来のちょっとしたものであっても、芸術家の称賛に値するものであったのに。

今でも日本人は驚嘆に値するものを作っているが、同時にヨーロッパの商人にそそのかされて、ぞっとするものも作っている。

我々西洋人と同じように、日本人も芸術品と並んで商業品を作っていて、その結果、芸術の感覚が失われてしまった。」

ピアノ協奏曲第5番
第1楽章 アレグロ・アニマート
ヘ長調、4分の3拍子、 

第2楽章 アンダンテ - アレグレット・トランクイッロ・クアジ・アンダンティーノ

4分の2拍子に転じ、サン=サーンスがナイル川で聴いたヌビアの愛の歌によるメロディが切々と歌われ、「コオロギやカエルの鳴き声」(サン=サーンスによる)が聞かれる。後半にはガムランを思わせる響きも現れます。

第3楽章 モルト・アレグロ
ヘ長調、4分の2拍子
サン=サーンスは「航海の楽しみ」と表現。船のプロペラの動きが模されているといいます。
後に、この楽章のみ『練習曲 ヘ長調 作品111-6』としてピアノ独奏のために編曲されました。









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エジプト (takan32)
2025-03-08 09:10:58
久米さんへ、私のブログにいいね!をありがとうございます。
エジプトは今も発掘調査が行われていて、新発見がありますね。数年に一度、XXXエジプト展があって、見にいっています。
返信する
Unknown (m-fluteangel16)
2025-03-09 00:24:17
@takan32 さん、いつもありがとうございます😊
エジプトはエキゾチックで今も世界中の考古学ファンを沸かせていますね。毎年エジプト展に行かれているなんて、素晴らしいですね。
返信する

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