三度、擬宝珠。満開でも、楚々とした風情。
今日は、ランチと夕方でそれぞれちがう友達グループで旧交を温めました。
その席で、ボランティアおばさんの放火殺人の話になりました。
人は自信を持たないと生きていけません。自信の持ち方には2つあって、一つは人に貢献すること。もう一つは人を支配下におくこと。だそうです。
小さな子どもはお手伝い大好き、「させて、させて。」と手を出してきます。
それがかなわないとき、怒ったり、泣き喚いて親を思い通りに動かします。人を支配下におくことによって、自信を得ようとするということです。
ボランティアをしていると、いろんなときがあります。いいときと悪いとき、自分が度を越してやってしまったり、疲れているのに人の世話を焼いていたり。
貢献している自分に満足していれば、人からの賞賛や、評価がなくても、活動は充実しているし、貢献の仕方は相手にも自分にも添ったものになっているはずです。
ところが、人を支配下におくことで自信を持っている人は、賞賛が必要だし、評価してくれないとむなしくなってくる。人々の注目と賞賛が少なくなってくると、過大な負担がかかっても、それを得るためにがんばる。がんばるとほめてくれる。自信回復、でもまた注目がなくなってくる。またがんばる。
貢献した表面の事実だけを見ていると同じことをしていても、中身はずいぶんと違います。
ボランティアおばさんの地域の人たちはこぞって、よくやっていたと彼女を褒めていました。でも、彼女の自信の中身はずっと以前から空洞だったんじゃないかな。
そう思って、自分の地域活動やボランティア活動や音楽によるボランティア活動を振り返ってみると、貢献感だけでなく、仲間からの評価や、所属感など、支配欲で動いていることも多いのでは?とぞっとします。本当に人間って弱くて愚かで、悲しい生き物です。
誰かを上に置いたり、下に置いたりしている内は、ずうっと貢献感ではなく支配欲なんだろうなぁ。
まだまだ、煩悩の多い私は、だめみたい。彼女と私の間は、薄皮一枚と言う気がします。