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音楽の喜び フルートとともに

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文化祭

2008-09-27 01:18:48 | Weblog

大雨の後は、気温が下がり秋の風。すすきが目に入ってきました。

中学の文化祭に行ってきました。
私の頃の文化祭といえば、金曜日から土、日と3日間かけ、展示、演劇、合唱と、クラスと文科系クラブの発表の場でした。ノストラダムスの大予言が流行って、世界の終末を映画にしたり、学園ものドラマの台本を書いて、自作自演をビデオにとって映画にしてみせたり。学校の花壇をつかって、庭を作成したり、とにかく自分達で何をするか立案し、企画、運営、発表までを全てやりました。

ところが、ここ数年息子の中学では、文化祭と言えば、合唱と決まっています。子ども達は、クラスごとに好きな曲を選び、発表します。それでも昨年までは、いろんな扮装をしたり、踊りをつけたり、ちょっとした漫才を合唱の前にしたりして、自分達の創造の余地を残していましたが、それが、ふざけているとして全面廃止。

課題曲が決められ、後自由曲一曲。審査員が並び、合唱コンクールになりました。服装は乱れていれば減点の対象になります。もちろん、全員がきっちりと制服を着て、練習を重ね、きっちりと整列して発表。

誤解しないで欲しいのは、合唱を真面目に一生懸命練習して発表するのが悪いと思っているのではないのです。この中でも前向きの捉えて、素晴らしい創造性を発揮する子ども達もいるかもしれまん。

しかし、もう少し子どものパワー、エネルギー、考える力。創造力を自由に発揮する場が一つ位あっても良いのではないかと思うのです。
企画、立案を任す、選択を尊重する以上に、子どもへの信頼を示すのに良い方法はないと思います。話し合い調整するのは大変です。それでも、子ども達は自分達の企画なら、がんばってやり遂げます。

もちろん文化祭だけではなく、いろんな場面でそういう選択が、赦され、体験から学ぶことは大切だと思います。しかし、これほどの大勢の自主的な力が結集され、いろんな形で発揮することを赦される場は、現段階に他にはないのではないかと思います。

学校で音楽を学びながら、これほどそれぞれにしか音楽を楽しめない時代もないのではないかと思います。それは、こうやって無理矢理、決められた枠の中に入れられ、一つの価値観のものさしで測られることへの嫌悪が合唱や、クラッシック音楽への抵抗となって現れているような気がするのは、読みすぎでしょうか?