私の夫は、映画がとても好きでした。
学生時代は授業をエスケープして、映画館に入り浸っていたそうです。
そのせいで課題が間に合わず、留年をする羽目になったと、まるで武勇伝を語るように、楽しげに話していたことがありました。
私から見れば武勇伝どころか、ただただ呆れるだけの話なのですが、それはともかく、映画が好きだったのは確かで(特に洋画)当時のものは殆ど観尽くしていたのではないかと思います。
それに引き換え、私は本を読むのは好きでしたが、映画にはそれほど興味も無く、映画好きの夫のことを理解しようともしませんでした。
そんな私のことを、きっと、夫はガッカリとしていた事でしょう。
今更ですが、夫には悪いことをしたなあ・・・と反省をしています。
そんな私ですが、最近はよく映画を観るようになりました。
と言っても、映画館に出向く訳ではなく、もっぱらテレビでNETFLIXなどを観ているだけなのですが。
夫とはジャンルは違いますが、やはり、私も洋画が好きです。
昨夜は『The Father』というイギリス映画を観ました。
老いと共に、だんだんに記憶が混迷し、やがて現実と幻想の境界が崩れていく・・・という、いわゆる認知症を患っている父親の話でした。
ラストシーンは、すっかり幼子に戻ってしまった父親が「ママァ~! ママァ~! ママはどこにいるの・・・?」と自分の母親の姿を探し「ママ、早くぼくをお迎えに来て!」と泣きじゃくっている姿。。。。
主人公の涙にもらい泣きをしながら、「老いるって、なんと寂しい事だろう・・・」と思わずにいられませんでした。
認知症になるかどうかは別にして、誰にでも平等に『老い』はやってきます。
社会的地位や名誉があろうと無かろうと、あるいは富める者と貧しき者の違いが有ろうと無かろうと、老いは誰にでも平等に訪れるのです。
かく言う私も最近は体力の衰えが目に見えますし、以前、出来ていた事でも、今はもう出来なくなってしまった事がたくさん有ります。
車の駐車も、一回でピタッと決めていたものが、この頃は何回も切り返さないと入らず、そろそろ免許返納も考えているほどですから。
でも、『老い』が誰にでも来るものだとしたら、受けて立つしか有りませんよね。
寂しい・・・などと愚痴ってみても、何の解決にもならないのですから。
それにしても、人間は最期には幼子に戻り、自分を産み育ててくれた母親を思い出すものなのですね・・・?
そう言えば、昔読んだ沢木耕太郎のノンフェクションの中に、孤独死をした老人を扱った『おばあさんは死んだ』というのがありましたが、そのおばあさんが最期に書き残したメモが『おかあさん、おかあさん、おかあさん・・・』だったことを思い出しました。。。。