- 『先代旧事本紀』だったと思う。
そのなかで、神武天皇の姿が身の丈3m?ほど
角が生えてる・・うろこがある
と・・・異形の様子に書かれています。
第2回 海の民、倭人の龍神信仰:かもめアカデミー:かもめの本棚 online (tokaiedu.co.jp)
かつては日本の古典の中でも『古事記』『日本書紀』『旧事本紀』とで三大古典と言われていました。『古事記』『日本書紀』はいまだに同じ扱いですが、『旧事本紀』はもうほとんど禁書、偽書扱いで、まともに取り扱われることは少なくなりました。ましてや『旧事本紀大成経』となるとトンデモ本扱いになっています。
そこに書かれてあるのは、初代の神武天皇から15代の応神天皇まで、それぞれ身体に鱗があったり、尻尾があったり、角があったりというように、まるで爬虫類とか両生類とか海に住んでいる生物の姿です。
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背の高さを8尺・約3m 10尺約4mというのは、
尺ではなく(肘から手首までの長さ)ではなく
尺 (字の形・象形文字)手を握って親指とひとさし指を突き出して広げる
(たまに、こういう測り方しませんか?)
その広げた親指と人差し指の間隔、長さ 約18cm・・・
これで、計算すると、
8尺 144cm 10尺 180cm
ま~普通に見かける身長です。
角も冠 (王冠のような、中国っぽいもの)をつけて、
御簾に入っているのを見たら、角にみえるかも、
鱗は・・魚鱗癬だったかもしれない。
体内が水分不足であることのほかに、栄養不足や周辺環境の乾燥なども原因の一つと考えられます。 冬場の乾燥した空気で一時的に肌が乾燥することはよくありますが、乾燥が長期間続いたり炎症がひどい場合は、乾皮症や乾燥性皮膚炎などの皮膚病になっている場合があるので、治療を受ける必要があります。
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が、しっぽがあったなど と、なると・・(蛇の尾)説明がつきません。
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第2回 海の民、倭人の龍神信仰:かもめアカデミー:かもめの本棚 online (tokaiedu.co.jp)
応神天皇が宮殿の方へと部屋を出て行こうとするときに、お使いの女性、内侍(ないし)と言いますが、ちょっと早く障子を閉めてしまって尻尾が挟まった、という話なんですけれども、その時、応神天皇が「尾籠なり」と言ってその女性を怒るわけです。「尻尾がはさまっちゃったじゃないか、無礼者」という意味です。この話は室町時代では誰もが知っていた話でした。この「尾籠なり」という語は一語でそのすべてを表わしているわけですが、こちらとしては、それよりも応神天皇には尻尾があったということにびっくりするわけです。
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しかし、エジプトのファラオの中に長頭の王などがいて・・
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ツタンカーメンの話: BlueBloomBlog (webry.info)
そして日本の熊本にトンカラリンという遺跡があります。
この遺跡は伝承も無く、作られた目的もいつ頃作られたのかも判らない不思議な遺跡で、地下に向かうトンネル型の遺跡なのです。
昭和50年代に作家の松本清張がトンカラリンを訪れ、魏志倭人伝の一節から邪馬台国の卑弥呼の祭祀施設であるとの説を唱えたので有名になったそうだ。
エジプト考古学者の吉村作治先生もこのトンカラリンに訪れ、ピラミッドとの奇妙な一致を解説していますけどね。
そのトンカラリン周辺からも、後頭部が伸びた長頭の変形頭蓋骨が発見されている。
これら頭蓋骨は発掘した考古学者によると、ペルーと同じく人工的に変形された頭蓋骨だという。
なぜ人工的に頭蓋骨を変形させたかというと、頭蓋骨が長い人は神と交信できると信じられていて、おそらく巫女の頭蓋骨であろうと言われている。すなわち、トンカラリンの地下祭祀で変形頭蓋骨の巫女が神と交信してたと考えられる訳です。
さて、ここで確認しましょう。
重要なことは、世界各国で発見される変形頭蓋骨とツタンカーメンの変形頭蓋骨の決定的な違いです。
その違いとは、世界各国で発見される変形頭蓋骨は人工的に頭を変形させて故意に作られた頭蓋骨であるが、ツタンカーメンの頭蓋骨は人工的に作られた頭蓋骨でなく、天然の頭の形であるという点である。
ここで考えねばならないのは、変形頭蓋骨を持った人間がなぜ崇拝されるようになったのかということであります。
この答えは、じつは非常に簡単である。
それは間違いなく、変形頭蓋骨の人間が実際に存在し、彼らの一族が特別な力を持っていたからであります。
そして、その特別な力を持った人間を、そうでない一般の人間達は神のように崇めたと考えられる。
そして崇められる人間は王になったのであります。
ファラオもなにか神のような力があったので、歴史の中でも特別に不可侵な王となったと私は思う。
つまり、変形頭蓋骨を持った人間は神のような力があった。→神の力は変形頭蓋骨にあるのではないか?→人工的に頭を変形させてみた。という図式を私は想像する。
しかも、特別な力は変形頭蓋骨と一緒に子孫に遺伝したのであり、そして、王達は自分達の神性を長く維持するために近親結婚を奨励したのである。
実際にエジプトのファラオの近親結婚は病的である。よほど血の廃れを怖れていたのでありましょう。
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どうも、いろいろ、見つけてしまい‥話がずれそうなので
みつけたことについては、また、別の機会に・・・して
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どこかで、思うのが、この神武~応神の姿は
王任三郎がいう
ー国常立ーの本当の姿・・・
どうだったか、調べてきた。
国常立(大国常立尊)の元の誠の姿は、八本角の生えた鬼神姿の龍体(蛇形)金色の龍体、種々の色彩を持つ大小無数の龍体からなっている。
(自分の記事に書いてありましたwwww)
ちなみに ご神体といわれる日本の姿(だいぶ、海が低かったころの物)も
龍神・・というか龍・ドラゴンのような姿。
歴史のなかの「経緯」・・・65 寄り道話(再掲載)
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で、
また、とんでも論になってしまうのですが・・・
国常立の神界での形が鬼龍体ならば
人間界・・の霊界(霊能力者には、見えるということで霊界)での姿が大物主?
で、たまに人間に化ける???
その調子なので・・・
人間側が(奥様が?)神にちかい域に達していたら
霊界より、神界にちかい姿で生まれてしまうかも・・・。
で、あとは、長頭ファラオ同様・・・特別な力は変形頭蓋骨と一緒に子孫に遺伝した
遺伝していったとして、不思議はない。
で、これから、大物主の系譜かどうか、確認してくるwww
(なにせ、すごいスピードで忘れる。書き留めているうちに、
あ、このことも書こう。と、思ってたことが
どこかにいく。
この話も、だいぶ前の記事の時に掘り起こそうと思っていたのに、今頃・・)
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『古事記』では神武天皇の岳父、綏靖天皇の外祖父にあたる。また、三輪氏の祖神でもある。
『日本書紀』では三穂津姫を妻としているが、その事績は事代主神のものとなっている。
ただし、妻や子孫、神武天皇前代という世代数が事代主神と一致することから、実際は事代主神の別名が大物主神であったと考えられる
古事記によると、三嶋湟咋(みしまのみぞくい)の娘の勢夜陀多良比売という美人を気に入った美和の大物主神は、赤い丹塗り矢に姿を変え、勢夜陀多良比売が用を足しに来る頃を見計らって川の上流から流れて行き、彼女の下を流れていくときに、ほと(陰所)を突いた。彼女は驚き走り回ったあと、すぐにその矢を自分の部屋の床に置くと麗しい男の姿に戻った。こうして二人は結ばれて、生まれた子が富登多多良伊須須岐比売命(ほとたたらいすすきひめ-)であり、後に「ほと」を嫌い比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)と名を変え、神武天皇の后となった。
第7代孝霊天皇皇女で、大物主神(三輪山の神)との神婚譚や箸墓古墳(奈良県桜井市)伝承で知られる、巫女的な女性である。
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『日本書紀』崇神天皇7年8月7日条に見える倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかんあさじはらまくわしひめ)は諸説で百襲姫と同一視される。また本居宣長は『古事記伝』において、『日本書紀』に第8代孝元天皇の皇女として見える倭迹迹姫命(やまとととひめのみこと)を百襲姫と同一視する説を挙げる。
『古事記』では母母曽毘売(百襲姫)の事績に関する記載はない。
『日本書紀』では、百襲姫は大物主神(三輪山の神、大神神社祭神)の妻となったという。
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また、ややこしいこと・・・www
この作業をおこなうと、日本書紀と古事記の違いを確認することになる。
ここで、美穂津姫(奴奈宣破姫)ー事代主が出てくるとは、思わなかった。
美穂神社は、美穂津姫ー大国主命って、なってる。
大国主命=事代主=大物主=大国主命の幸魂・奇魂=大物主
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で、話戻して・・・
ま、取りあえず、神武天皇以降に大物主の血はついでるという事になるが・・・
おかしいね。
百歩譲って、神武には、(国常立)の血がはいっているとしたって、
最初に神武が、
天地開闢の時の神の血をつぐのは、ずいぶん古い話になる。
それは、ずいぶん前の話になってくるのでは?
いや、古事記には大物主との接点がない。
あるとすれば、
大物主と思われる饒速日(ににぎの兄?)
そして、
元に戻る。
ウガヤフキアエズ
ニニギノミコトー彦火火出見尊(山幸彦)
が、海神の娘 豊玉姫命との間にうまれたのが ウガヤフキアエズ
事績は『日本書紀』『古事記』ともになく、系譜上のみの存在である。
が、海神の娘(龍宮城・・鰐の姿に戻ってお産しているのを夫に目撃され海に帰った。)
ウガヤフキアエズは海神の娘 豊玉姫命の姉?と結婚し
のちの、神武天皇をもうける。
なので、神武が、鰐・龍の姿に近くなってもおかしくない。
と、考えたのだろう。
まるで、大物主とは、なにも関係ありません。とのごとく
ウガヤフキアエズ(海神-龍蛇体の元を作る)を配置している。
もしかすると、
古事記、もしくは周知の話の中に
神武が龍蛇の姿になる「原因」が、書かれていたのかもしれない。
籠神社は彦火火出見命(饒速日)が祀られていて・・・
(ほすすみ(火進)とも呼ばれ、御ほすすみ=美穂須々美・・あたりと
美穂のいざさの浜・・いざさ・・は饒速日)=彦火火出見命
別名を天照国照彦火明命ともいい天孫邇邇藝命の兄弟神。天祖から息津鏡・邊津鏡を賜り、海の奥宮である冠島に降臨され、丹後・丹波地方に養蚕や稲作を広め開拓された神様。
別名を彦火火出見命とも云われた彦火明命が、竹で編んだ籠船に乗って、海神の宮(これを龍宮とか、常世とも呼びます)に行かれたとの故事により、社名を籠宮と云うと伝えられています。
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饒速日=大物主 と考えたのは、前に書いた、崇神・・応神天皇と気比神宮の名をかえよう・・のことから。
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むしろ、饒速日(大物主)がウガヤフキアエズ系統に関わっていれば
神武にうろこもおっぽもあっても、納得できる。
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- 『先代旧事本紀』もまた、
饒速日(大物主)が、本当の天照大御神だよ・・と
伝えたくて、怪しい話を書いたのかもしれない。
(事実かもしれないが・・)
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