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原爆と日本~超経験者しか知らない真実ーねずさんのブログ記事から 続☆90 2021-08-14

2023年11月26日 | 続☆歴史の中の「経緯」

アパグループの懸賞論文優秀賞(社会人部門)
題名【日本は負けていない】
  ~超経験者しか知らない真実~
著者 中松義郎博士
http://www.apa.co.jp/book_ronbun/vol4/yushu2011japan.html

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最近、8月15日を「終戦」と呼ばず、「敗戦」という語句を使う人が増えています。
とんでもないことです。
あくまでも日本が主体的に「戦闘を終わらせた」のです。
だから「終戦」です。言葉は大事です。

本土空襲を繰り返した米軍のB-29は、高度1万メートルという、日本の戦闘機では届かない高高度を飛ぶ爆撃機で、当時にあっては、まさに世界最強の「空の要塞」でしたが、その高度的に届かない筈の高さを飛ぶB-29を、陸軍の上坊良太郎大尉は、(高度が届かない筈の)戦闘機で12機も撃墜してしまっています。

さらに高高度を飛ぶことのできる飛行機を日本が完成させていたら・・・?
戦況がまるで逆転したことでしょう。

なぜなら現実に、あれほどの脅威を誇ったB-29を、米軍は、あっという間に廃棄処分しています。
役に立たなくなったからです。
なぜかといえば、ジェット戦闘機が開発されたからです。

ジェット戦闘機は、B-29よりも高高度を、B-29よりもはるかに早い速度で飛翔します。
これによってB-29は、ただの「空に浮かぶ間抜けな的」でしかなくなったのです。
そしてそのジェット戦闘機を、日本は戦時中、すでに開発していた・・・。

一番大切なことは、原爆を落とされた日本が、実は原爆を持っていた、ということです。
その日本が、報復のため米国にもし原爆を投下したら。
当時日本は戦争をしていたのです。
軍は、「勝つため」に戦争しているのです。

新型爆弾と呼ばれた日本の原爆が完成したときは、ちょうど沖縄戦が始まろうとしていた頃でした。
沖縄攻略のために、米軍は艦隊を大量に海上に集結させることは事前にわかっていることでした。
グアムやサイパン、硫黄島がそうであったからです。
海上に密集し集結した米艦隊の頭上で原爆を爆発させていたら、米太平洋艦隊は、一瞬にして蒸発することでしょう。
そして米国は、日本への攻略の手段のすべてを失ったでしょう。

そのためには、事前に沖縄本島南部の人たちの本土への疎開を推進しておかなければなりません。
投下した原爆が、沖縄県民の犠牲を伴うものであってはならないからです。
けれどその沖縄では、泉守紀という沖縄県知事が、個人の都合で沖縄県民の疎開を拒否していました。
結果、沖縄県民の疎開が遅れ、結果、原爆が開発できても、その投下ができないという状況に至りました。
このため、次善の策として採られたのが、特攻攻撃です。

陸軍は、海上にある米艦隊を処理するという重要な作戦の実施がないまま、沖縄での陸戦に備えることになりました。
それは、まだ民間人の沖縄県民が残っているという状況下での、たいへんに苦しい戦いです。

本来は、戦いは軍と兵士が行うもの、ということが戦争に定められた国際法です。
ですからペリリューでもアンガウルでも、日本軍は戦いが始まる前に、島民たちの疎開を優先させています。
しかし米軍は、民間人への殺戮を容赦なく行うことも、すでにわかっていることでした。

戦争で、軍にもっとも大きな負担を強いるのは、戦傷者です。
とりわけ民間人の戦傷者は、軍人と異なり、上からの命令に迅速に反応することができませんから、戦いにあたって、それはとても大きな負担となり、事実上の戦力の低下を招くのです。

こうした状況下で、日本は陛下の御聖断によって、原爆の製造と使用を取りやめました。
なぜなら日本が原爆を開発しているということは、当然、当時の米国も原爆を開発していると予期できたからです。
日本が先に原爆を用いれば、それは原爆の打ち合いになることを意味します。
それは、以後何世紀にわたって、人類に禍根を残すことになるでしょう。
昭和天皇の御聖断は、実に立派なものであったと思います。
そしてこのことこそ、世界史における真実として、世界中が本来知らなければならないことです。

日本は、こうして唯一の被爆国となりました。
そして戦闘を自主的に終らせました。
それが昭和20年8月15日の終戦です。
陛下の終戦の詔勅に、次の言葉があります。
現代語訳してみます。

「敵国は新たに残虐なる新型爆弾を使用し、
 いくども罪なき民を殺傷し、
 その惨害の及ぶ範囲は、
 まことにはかりしれない。

 この上なお交戦を続けるであろうか。
 ついには、わが日本民族の
 滅亡をも招きかねず、さらには
 人類文明そのものを破滅させる

 にちがいない。

 そのようになったならば、
 朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、
 皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。」

この一文に込められたメッセージは、たいへん重要です。
「この上、なお交戦を続けるであろうか」
という一文には、原爆に対する報復措置としての米国への日本の原爆投下をする、というメッセージも込められているからです。

それをすれば戦いには勝つかもしれない。
しかし、そうなったらなったで、
「朕は何をもって
 億兆の国民と
 子孫を保てばよいか、
 皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊に
 あやまればよいか」
と陛下は述べられているのです。

世界的名著である、クラウヴィッツは、著書の『戦争論』で、
「戦争とは国家の目的を達成
 するための究極の手段である」
と述べています。

日本が大東亜戦争で目的としたものは、「一部の強国による植民地支配からの脱却と、それによる世界の平和と繁栄」です。
日本は、良心のために戦ったのです。
だからこそハーグ陸戦条約を堅持し、日本は、一般市民に対する虐殺行為を一切やらずに戦い抜きました。

その日本が、戦いに勝つためにと、一般市民を巻き込む原爆投下を行ったらどうなるか。
なるほど日本は戦いには勝つかもしれない。
それは国家権力にとっては、権力行使の目的を達成することにつながるかもしれない。

しかし、国家権力よりも上位にある国家最高権威からみたら、それは国家権力による他国の民衆への虐殺行為であって、見過ごすことのできないものです。
だから陛下は、そのようなことをしたら、
「皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊に、
 如何にして謝れば良いのか」
と述べられています。

そして事実日本は、虐殺行為をすることなく、戦争を終わらせ、世界から植民地支配を駆逐しました。
いまから60年前の1960年(昭和35年)は、「アフリカの年」という名前が付いています。
この年、アフリカで多くの民族が植民地支配からの脱却をして、独立を誕生させたからです。
そして21世紀となった今日では、アジア諸国は、まさに白人と対等にビジネスを行う国へと変化しています。

原爆を用いずに、なんと日本は、大東亜の戦いの戦争目的を達成してしまったのです。
これがすごいことでないのなら、世の中のすごいことって、他に何があるのでしょうか。

※この記事は2011年11月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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はるか、二十年前以上、

終戦の時

昭和天皇が、

「私はどうなっても良い。国民を助けてほしい」

と・・・マッカーサーに話された。

と、いうことは聞き及んでいた。

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マッカーサーを感動させた、昭和天皇のお覚悟と天真の流露 | WEB歴史街道 (php.co.jp)

マッカーサーは回顧録に次のように記します。

「天皇の話はこうだった。『私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました』 ――大きな感動が私をゆさぶった。死をともなう責任、それも私の知る限り、明らかに天皇に帰すべきでない責任を、進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても日本で最高の紳士であると思った」(『マッカーサー回顧録』1963年)

また、この時、同行していた通訳がまとめた天皇の発言のメモを、翌日、藤田侍従長が目を通しています。藤田は回想録にこう記します。

「…陛下は、次の意味のことをマッカーサー元帥に伝えられている。 『敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追求されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼らには責任がない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい』

一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を披瀝になると、この天真の流露は、マッカーサー元帥を強く感動させたようだ。

『かつて、戦い破れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく終わったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これすべて陛下のお力添えである。 これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わなければならぬことは多い。どうか、よろしくお願い致したい』」とマッカーサーは言った(藤田尚徳『侍従長の回想』昭和36年)。

会見は当初、15分の予定でしたが、35分にも及び、会見終了後、マッカーサーの天皇に対する態度は一変していました。感動した彼は予定を変えて、昭和天皇を玄関にまで出て見送るのです。マッカーサーの最大の好意の表われでした。

人を動かすものとは何か、昭和天皇のお姿が、すべてを語っておられます。日本がまな板の上に乗せられたあの時に、昭和天皇がいらっしゃったことは、日本人にとってどれほど大きな意味があったか、そんな気持ちになります

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天皇という存在が

どういうものであるか、

それを少しでもわかってみると、

どこから、こういう「存在」「精神」があらわれたのかという原点をしりたくなり

古代史にのめりこむようになった。

実際、調べてみると

天皇の取り合い

皇室・天皇になりかわろうとするかの動き。

まるで、日本人の行動とは思えない事々。

そして、ネットをみれば

天皇の在り方・雛形としての生き方などまったく顧みず

戦犯だの、中国人・朝鮮人天皇だとか・・・

実際にそうだろうか?

戦犯などは、論議する以前の問題でしかないが

古代から、みていくと、

ウガヤフキアエズ王朝が、抹消されていたり

確かに、中国・朝鮮がはいったかのような「動き」も見える。

特に応神天皇あたりから、

神功皇后と武内宿禰の子供か?と思えるような人物があらわれ

その先の継体天皇につながっている。

古代の福井あたりをみると、帰化人も多く

確かに、継体天皇は中国・朝鮮系か?と思えてしまう。

だが、

逆に、それゆえに争っていたかと思う。

正統な日本人天皇というものにこだわるうしろには、

天皇を錦の御旗にして、日本をわがものにするかのような「考え」が見え隠れしていて

いっそう、正統な日本人天皇にこだわらせてしまうのだとも思う。

だが、どこかにも書いたが

九歳までに日本語を聞き育った人間は

左脳が主幹になる。

左脳が主幹になるということは、

例えば、虫の音を「音ー言葉」としてとらえられたり

そのうしろにあるもの(わびーさび とか・・)への

同意心を産む。

簡単に言えば

ー人を思う心ー

相手の思いをしのぶからこそ

ー人のためにーという思いに立つようになる。

そこに「天皇」としての「在り方」を自覚する。

あるいは、誰でも、権力者になることはできるだろうが

天皇以外、誰一人として天皇になることはできない。

この違いが判らないのは、

もしかすると、日本人(左脳が主幹)でないのかもしれない。

もっか、調べていることは、

どこのどいつが、古代から今までの天皇を

(時に)ゆがめてしまったのだろうか?

と、いう事。

「どこのどいつ」に、ヘブライ系が入っていることは間違いないと思うが

このヘブライ人と

秦の帰化人の接点が多すぎて

区分けできていない。

ヘブライ人が

ヤハウェとイスラエル建国を一番にあげていれば

天皇を利用?して

エルサレムやヤハウェ神殿をつくる・・という

いわば、天皇を裏切る?ことも、意に介さない。

と、見て取れるところもあるし

秦の帰化人も、

同じヘブライ人にも見える。

かと、思えば

中国・朝鮮が、日本を属国にしたがる(下に見る)ことを思うのと

現状、他国に入ってきて

平気で「天皇」を排斥する行動など

まったく、「天皇」を理解してないし

挙句、その「論」にたぶらかされる日本人もいるように見える。

ーーーーーー

いったい、どこから、天皇という「存在」が生じてきたのだろう?

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中山みき(天理教宗主)はおふでさきで

うえつひとは、みな、からびと じゃ

と、かいたそうだが

この「から」は、平仮名。

もしかすると

「空」じゃないかと思えてくる。

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内木綿(うつゆふ)の真迮(まさ)き国と雖(いへど)も、なほ、蜻蛉(あきつ)の臀呫(となめ)の如くあるかな」

素直に読むと

宇宙(創造神)が真心を込めて作られた国だというのに

蜻蛉(あきつ)の臀呫(となめ)の如くあるかな。

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ただ、いえるのは、

日本の国がいよいよになったときに

最後は

「傀儡」のごときだった(と、思われている)天皇が日本をまとめていく。

大政奉還もそうだろうし

終戦もそうだろう。

まだ、ほかにもあるだろうけど

政権と呼ばれる存在では、

国体は維持できないと思い知らされる時に

必ず、悪く言えば、天皇にケツを拭かせる。

それさえも、自分の責任として、かぶっていく天皇をして

国民と国をおもわばこその天皇をして

「石を投げる」外国人を黙ってみてる、似非日本人がいる。

そいつらとそいつらのもつ、考え方が

日本を危うくしてきたのだとなぜ判らないのだろうか?

そのためにも、

どういう古代日本であったか

と、いうことを見極めたいと思ってはいる。

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