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和加布都努志命‐出雲大社 心御柱・・・3(かなり、混乱中)続々☆歴史の中の「経緯」★11

2024年03月29日 | 続々☆歴史の中の「経緯」

 和加布都努志命をネットの中で探してみたら

阿太加夜奴志多岐喜比賣 と ともに祀られていることが分かった。

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御鎮座:当社は風土記に所謂、女嵩野山の山腹にありて、天下造らしし大国主神の御子、和加布都努志命のこの山にて御狩したまへりし、御由緒に拠りて鎮座したまへり。

又、同じ大神の御子高姫命(亦名下照比売亦名雅国玉神亦名阿太加夜奴志多岐喜比賣亦名大倉比売)は素よりこの山に座し、神なるが故に、同じく当社に祀れるなり。

********

この阿太加夜奴志多岐喜比賣のほうが 気になってしまった。

と、いうのも、

阿陀萱神社の様相・・・

美保神社も天千木・地千木が1棟に並んでいるのであるが

阿陀萱神社は 縦並び 美保神社は 横並び

単純に 横並びは 夫婦とか横のつながり

縦並びは 親子とか 縦のつながり

と、考えたのだが

阿陀萱神社の祭神は 姉?弟 (兄 妹 かもしれない)ということのようなので

兄弟間においての 上下関係?として縦並びの千木でもあり、かと考えている。

が、

ここで、では、どちらが 天千木(天津神・あるいは天意を受けたもの)で 

どちらが 地千木(国津神・あるいは 天意を受けたものを守護するもの)なのだろうと

考えた。

阿太加夜奴志多岐喜比賣 阿陀萱神社

この名前に どうしても 引っかかる。

大田田根子の装飾語を外してしまうと

田田だけが残る。このことから

田は「祀る」という意味ではなかろうかということで

調べてきたところ、やはり 当てはまっていた。

そして、飛騨王朝の史跡?に

阿田由太神社というのがある。

ここにもご多分に漏れず崇神天皇が合祀されているのだが・・・

阿田由太神社 阿(私)田(祀る)由太(ユダ王)

崇神天皇が (失われた)12士族を集めようとしていたのではないかという仮定の上の話だが・・・

天皇家に失われた12士族の一部が入ってきている・・というかんがえがある。

(ここまで書いていることは、以前に書いた記事の中にあるので

詳しい説明や根拠 推理については省いている)

その阿田由太神社・・・

阿太加夜奴志多岐喜比賣

阿陀萱神社

阿田に通じてくる気がしてしまう。

われは祀る・・・

誰を?と、なってきたときに

もう半分 思い込みシンドロームでしかないのだが・・・

饒速日 あるいは、美穂須々美となってくる。

と、いうのも 饒速日=ヨシュア(籠神社吉佐宮)=キリスト

と、いう考えに至る。

むろん、饒速日=キリストではない。

12支族が待ち望んでいたメシュアを

饒速日にあてたのではないかと思う。

そして、もう一つが ヤハウェ

ユダヤ教の神。 ヤーヴェ(Yahweh)・エホバ(Jehovah)ともいう初めは「シナイ山の神」「軍神」であったらしいが,モーセ以後はしだいに倫理と律法の神となり,全能の創造主,超越神となり,ヘブライ人の信仰する唯一神となったものとみられる。

 

出エジプトから東の島国を目指し いずれ 現れるメシュアを待ち

エルサレム(平安京?)を作ろうとした。

田田の中の十字がそれぞれ 旧キリスト教(ユダヤ教?‐ヤハウェ) と キリストを意味するのではないかと思う。

そう考えると ヤハウェ 八坂(いやさか??)神社とか

八がひとつに ヤハウェを表してくるのではないかと・・・

そこで、

阿陀萱神社 由緒によると
阿太加夜奴志多岐喜比賣 は・・・八上姫・・と大国主の子供。
 
八上姫 これも ーや(八)は、うえー やはうえ と読めてしまう。
おまけをいえば、
因幡の白兎 これが白人あるいはアルビノのことではなかろうかと。
そして 大国主命の兄弟 八十神(いっぱいいるという意味の八十であろうが)
耶蘇に通じる。
 
そのままに信じれば
大国主は キリスト教徒であり
八上姫は ユダヤ教徒だったということになる。
 
さらに 
出雲郡美談郷では、「この世をお造りになった大神の御子、和加布都努志の命が、天と地が初めて分かれた後、高天原の御領地の田を管理する長として、ご奉仕になった。その神が郷の中に鎮座しておられる。だからミタ(御田)をミル(見る)意で三太三という」
 
三太三??? 三田三 ではなかろうか、と 考えてみると
美保神社の社紋が 二重亀甲に三の字なのです。
美保神社の由緒のまま 
美穂津姫 事代主
横並びの天千木 地千木 同様
 
三田三 美保神社の二人の祭神を 田(祀る)す。
と、いう暗喩にも見えます。
 
**********
阿陀萱神社同様に
美保神社の天千木 地千木
どちらが 天千木で 地千木であるのか。
 
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美穂津姫がだれであるのか?
何故事代主と一緒に祀られるのか?
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島根県松江市美保関町に美保神社が鎮座です。
右殿に大国主の子・事代主、左殿に大国主の后・三穂津姫を祀ります。
本殿が左右の二棟から成り、それを横一棟でつなぎ、その下を装束の間といっている。
古くは三穂津姫(元・田心姫)を主祭神とし、併せて事代主を祀った。
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事代主の娘・五十鈴姫は崇神帝(中臣烏賊津臣・藤原の祖)の后となり、その子・国片姫は開化天皇の后となり、坂本命の母となり、事代主ご一統は近畿王朝に食い込んでいくことになります。事代主の子孫は大山咋・崇神天皇系、藤原一族と深く係わっていくことになります。
*****
大山咋は市杵嶋姫の連れ子として、事代主は田心姫(豊玉姫)の連れ子として、大国主のもとに再婚されます。大山咋神と事代主は大国主の義理の息子達といえます。
*****
事代主がなぜ 天皇家に入り込んでいけたのか?
と、いうところも なぞ なのです。
例えばですが、事代主が饒速日であったなら

(12支族が待ち望んでいたメシュアを饒速日にあてたのではないかと思う。)

そして、また 天照(大和朝廷)側もまた

12支族の1支族であったとしたら

天皇家に入り込んでいける・・・。

と、考えます。

そのように、なにかしら「大きな根拠」があるはずなのに

よくわからないのです。

そして、

事代主は田心姫(豊玉姫)の連れ子として、大国主のもとに再婚されます。
 
アマテラスとスサノオの誓約の段で、天照大御神が須佐之男命の持つ剣を譲り受けて宗像三女神を生み、須佐之男命の物実から生まれたのでその子であると宣言された。この三女神は宗像の民が信仰している神であると記されている。化生した順番や、宗像大社の三宮のうち、どの宮に祀られるかは、『記紀』で異同がある。
**

天照大御神と須佐之男命の誓約により誕生した「宗像三女神」の一柱で、『古事記』では多紀理毘売命、『日本書紀』では田心姫(たごりひめ)・田霧姫(たきりひめ)と表記される。『古事記』では別名を奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)とされているが、『日本書紀』第三の一書では市杵嶋姫(市寸島比売・いちきしまひめ)の別名としている。

『古事記』の大国主神の系譜では、大国主神との間に阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこね・味耜高彦根神)と下照比売(したてるひめ)を生んだと記されている。

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同じ大神の御子高姫命(亦名下照比売亦名雅国玉神亦名阿太加夜奴志多岐喜比賣亦名大倉比売)

つまり?

多紀理毘売命(田心姫)と大国主との子供が阿太加夜奴志多岐喜比賣(下照比売)

阿陀萱神社

大国主命と八上姫(ヤガミヒメ)との間に生まれた多岐喜比売(タジキヒメ)が御祭神

**

神屋楯比売命

『古事記』に登場する女神で、大国主神の妻の一柱。名前だけの記述で、親神や神格などは一切不明。ただし『先代旧事本紀』では高津姫という名で宗像の辺津宮に坐す神としているので、この伝承によれば多岐都比売命と同一神ということになる。また『日本書紀』には登場しない。

『海部氏勘注系図』では神屋多底姫命と表記されている。

「屋楯」を「矢と盾」と解する説があるが必然性はなく、「神屋」を神の籠る屋で「神殿」、「楯」を「立てられたもの」で神殿を守るために立てられた「垣」と解し、名義は「神の籠る家屋の防壁の女性」と考えられる。また系譜の関係から、神殿(神屋楯比売命)に託宣の神(事代主神)が籠ると考えられる。

タギツヒメ(タキツヒメとも)は、日本神話に登場する女神で、宗像三女神の一柱である。『古事記』では多岐都比売命、『日本書紀』では湍津姫命と表記される
***********
阿太加夜奴志多岐喜比賣(下照比売)の父親は 大国主であるとして
母親が
多紀理毘売命(田心姫)
八上姫
2説あるということになるが・・・
 
ここは、八上姫と同様に考える。
田心(たごり姫)姫
田は祀る 心はそのままで
祀心の姫ということにすると
田の中の十は ヤハウェであろう。
 
もしかすると、
八上姫は田心姫?
 
一方で事代主
『古事記』では大国主神と神屋楯比売命の子とされ、『日本書紀』、
『先代旧事本紀』では大国主神と高津姫神との子とする。
多岐都比売命(神屋楯比売命・高津姫神)
 
古くは三穂津姫(元・田心姫/多紀理毘売命)を主祭神とし、併せて事代主を祀った。
事代主は田心姫(豊玉姫)の連れ子として、大国主のもとに再婚されます。
 
つまり?(異説として)
多岐都比売命(神屋楯比売命・高津姫神)の子供である事代主を
田心姫/多紀理毘売命が 連れ子として大国主のもとに嫁いだ?
再婚なので・・・田心姫/多紀理毘売命は、前夫の間に設けた事代主を連れて行った
前夫は誰じゃ???
 
************
しっかり、混乱しているところに、
追い打ちがかかってきます。
 
************
 
 
**覚書**
 
 
 
社名 ご祭神
1 沖之御前 事代主命
活玉依媛命
2 地之御前 事代主命
活玉依媛命
3 客人社 大國主命
合祀幸魂社 大物主命
4 天王社 三穂津姫命
5 地主社 事代主命
或いは御穂須須美命と伝わる
6 久具谷社 國津荒魂神
多邇具久命
  社名 ご祭神
7 客社 建御名方神
合祀切木社 久久能智神
合祀幸神社 猨田彦神
8 糺社 久延毘古命
9 筑紫社 市杵嶋姫命
田心姫命
湍津姫命
10 和田津見社 大綿津見神
豊玉彦命
豊玉姫命
11 天神社 少彦名命
12 市恵美須社 事代主命
13 浜恵美須社 事代主命
 
 

 

 

 

 

 


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