2015-08-04
随分前のTVだったが、八神純子(この字だったろうか?)自身のドキュメント番組が放映されていた。
透き通るような声で、いくつかのヒット曲をもつ彼女であるが、
そこで、語られていた事は、華々しさの裏側の葛藤そのものだったと思う。
「ポプコンで、1位になりたかった。それを阻んだのは、中島みゆきと彼女の歌「時代」だった」
歌唱力とか声の綺麗さでいえば、八神純子が1位をとってもおかしくなかったかもしれない。
ところが、八神純子は、完璧なトラウマをかかえてしまった。
20年以上たっていても、中島の「時代」をきくと、
家に帰ってベッドにころがりこむと、我知れず、涙がこぼれ、大声をこらえながら、泣き続けていた。と・・
どうして、1位じゃないんだ。八神の口惜しさと悲しさ・・・
それは、自分の歌への自負以上に、中島の「時代」を認めようとしなかったせいだろう。
そんな八神純子が東北地震のとき、歌うことしかない。歌で被災地の人々の心をいやしたり、励ましたりしたいと考える様になった。
そして、八神純子が被災地にむかうと・・・・・
あろうことか、被災地の方々の口から出てきた言葉は
「中島みゆきの「時代」をうたってくれないか」だった。
今、出来る事は、被災地の方々が欲しいという歌を歌う事、一番必要とされることを渡せないなど歌手じゃない。
もっと、たいへんなのは被災地の人々なのだと
八神は自分のトラウマをおさえこんで、憎き「時代」を歌い始めた。
すると、聴いている人が
涙をぽろぽろながし、拭おうともせず、八神の歌う「時代」に耳を傾け心を預けているのが八神に判った。
後に八神は言う。
「あんな若いころから、こんな歌をつくれた中島みゆきだったんだ」と。
八神はその時にはじめて、トラウマから解放され
中島みゆきの「時代」のもつ「力」に衝撃をうけた。
そして、八神はむしろ積極的に「時代」をうたうようになった。
そんな風に、大きな地震が一人の人間の心をも崩し去り
八神が打ち立てた復興は
「メッセージをつたえていく・エールをおくる」ということだったろう。
その方法に、中島だから、八神だからというものは介在しないと知ったとき
「時代」が自分の心に響いてきたことだろう。
その当の中島のインタビューが有った。
ー 無で歌えない。
なにかしら、こう受け止めてほしいとか
此処をうけとってほしいとか
作為的な思いがはいってしまう。
いつか、きっと、無でうたえるようになりたい ー
この世の中の歌は、
その時々には、右から左に流されていくものもあろう。
ちょっと、光ってるね。と、そうしかおもわなかったものが
30年近くの時をへて、多くの人の心をささえるとは
中島とて思いはしなかっただろう。
その「歌を作りたい」という、最初の一歩はもうすでに無我の境地だったろう。
歌を楽しむ。と、いうのは そういうところかも知れない。
ただただ、音をききたい。
そんな思いをシェアしていった、ある男性の事を次回あたりにかいていきたいと思っている。
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