( 8½ )(60)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2022-10-01 | バーチャルリアリティ解説
Number60 / パーク VRアトラクションの 品格
                          【( 8½ )総目次 】
《 本Blogの 今回の頁は引用できます。本頁は近く鋳型化されます。2022.10.xx 鋳型化ここから 》 

 〇 「VR 立体曼荼羅」「日本の国宝と その時代 ④」

 大日如来グループ のセンターに位置する「大日如来」は「如来」の中でも特別の存在で、宇宙の成り立ちの根本を体現する、とされる如来です。
 曼荼羅を(宇宙の中心の)宇宙船操縦ユニットに見立てると指令室に位置し、そこにおられることで 経済 活性し(智慧)生命 が溢れる(慈悲)功徳を お持ちです


 東寺に招来された 両界曼荼羅には 智慧と慈悲の 2種類 ありますが、どちらもセンターは 大日如来です。



 京都 東寺 講堂の立体曼荼羅が、凸版印刷の VR技術で デジタル復元されています。
   ↓
 東京国立博物館 ミュージアムシアター
 空海 祈りの形 2019年3月27日~ 6月30日
 VR作品『空海 祈りの形』https://www.youtube.com/watch?v=DjCPjtDwvNE (凸版印刷)

 上の 立体曼荼羅の デジタル復元 CG は、秀逸。一時停止して 観て下さい、

 大日如来の 説明は、宮澤やすみ著『グループ別で すんなりわかる はじめての仏像』 が 分かり易いと思います。宝冠瓔珞(ようらく、ネックレス)、臂釧 (ひせん、ブレスレット) で 飾られます。バーミヤンの 55mの 大日如来(59)について、玄奘三蔵が  630年頃に「金色に輝き、宝飾がキラキラしている」と形容したのは 極めて正確でした。東寺の 立体曼荼羅は、大日如来 (宇宙の根本)をセンターに、東・鏡のごとく ゆがめずに 物事を映す、南・自己と他者を平等に見る、北・衆生教化の所作を智る、西・ものごとが空であると見極める。の 如来ユニットによって 構成されています。

 大日如来の周囲の如来たちは、世界の実相を見抜く眼力(智慧)と 他者への 慈悲 という(命を育む)「善意」を 大日如来の 功徳として 世に送ります。その功徳(呪力、白魔術)に対し、利権の保守に腐心して 嘘をつく「悪意」の人たちは、如来の功徳を、ものすごく迷惑に感じます。

 ( プラトン ← ゾロアスター教? → 弘法大師の説く 大日如来)・・・ 薔薇十字団物語 外伝です。



 ところで、立体曼荼羅で グループの一番外にいて センターの仏を守る「ガードマン」(戦隊ユニット)の「天部」の 仏たちは、東大寺大仏開眼供養」(752年)のときに 大仏殿におられた 四天王と 全く同じ仏様たちでした。ちなみに、東大寺の 大仏様は 毘盧遮那如来 です(59)
 天部のユニットのポジションは、 持国天・東 増長天・南
                 多聞天・北 広目天・西、です。
 四天王は「邪鬼」を踏みつけにして その強さを誇示しています。

 ここで面白いのは、東大寺 大仏殿 四天王像の お顔 の着色の決まり です。



 例えば、東大寺大仏殿で 東方を守る「持国天」は、お顔が「青」 デジタル復元されます。(次号以降に写真掲載を予定。)この配色は、起源は インドの仏教が 中国で「五行」の思想と ブレンドされたことに基づいており、例えば「高松塚古墳壁画の四神の配色 と同じです。東は「青龍」でした


 公開されたキトラ古墳の四神図「青竜」の推定復元図(奈良文化財研究所飛鳥資料館提供)
 四国新聞社 2009/04/16
 小林美術科学、小林氏は、キトラ古墳と同じ絵師が 高松塚壁画の四神も描いた、と推測されています。

 ここで、前から ずっと言っていますが、CGデジタル復元に際しては「小林美術科学さんの編み出された手法」を拡張して 学生実習などで参考にさせて貰うことを勧めます。例えば、青龍 の場合は、奈良県立橿原考古学研究所の発表した壁画写真などをスキャンして、PCの画面上に(デジタルに)トレース用紙を貼ります。その上から、龍の輪郭線 などの 絵師の描いた線を なぞります。慣れると、絵師の筆の勢い なども推測できるそうです。着色は、古墳の専門家から お話を直接お聞きするなどして 迫力を決めます。

 さて、五行思想に話を戻します。

 五行思想で、火土金水 は それぞれ
   「青、緑」「赤、朱」「黒、紫」「金、黄」「白、肌」
に 彩色されます。それで、キトラ古墳と 高松塚古墳の 壁画には 五行思想で、同じ
   「東面:青龍 南面:朱雀 面:玄武 西面:白虎
が 描かれました。 それでは、その 中央は?
 中央(天井)に描かれたのは 宿星図です。四神が お守りしている 古墳の センターは
   「北極五星と四鋪四星(しほしせい)からなる 紫微垣と、その周囲の 二十八宿」
の「宿星図」でした。丸い星が 金色に彩色されていました。

 では。宿星図に描かれた紫微垣とは? この「紫」は「紫宸殿」の紫です。

   宇宙の最高神、天命を司る「天帝」の お住まいが、紫微垣です。
   天帝 をお祀りするのが、地上の「天皇」の役割です。天皇の内裏の正殿が紫宸殿
   でした。 ということは、

 キトラ古墳、高松塚古墳に埋葬された「貴人」は、九州王朝の大君と同格、あるいは、大君より上の お家柄と推測されます。九州でお亡くなりになっていたら お葬式も盛大に、国をあげて 喪に服していたでしょう。新庄智恵子氏は、葛城王 だと 確言されています。(『謡曲のなかの九州王朝』)

 一般民衆だったら 死体が起き上がって、紫微垣だけは描くな、と 絵師に文句を言ったでしょう。



 しかしながら、高松塚古墳の星宿図は見にくいので、ここには専門家による「キトラ天文図」と『格子月進図』(初唐に印刷された 4世紀中国における星の観測図)の比較図を(見やすいので)掲載。中央は 天の北極
 『キトラ天文図』&『格子月進図の同定図』 Copyright(C) 2018 Shinobu Takesako / オレンジの星等:下層の図は奈良文化財研究所『キトラ古墳天文図 星座写真資料』(2016)PL.3より。/ 黄色の星:『格子月進図』で同定した実際の星を円形図で描いた図。緑色の星は距星。星の位置及び緑の黄道は AD650で計算。/ 角宿の距星で位置合わせを行った。

   ですから、小林美術科学さんの デジタル復元手法を 学習・習得して、

   工学部の学生さんが、率直に、国宝を VR デジタル復元 し、
   壁画を描いた画工の気持ちや 発注者の気持ちが実体験できる システムに作れば、
   古代史学を修復する 必要 が 見えてきます。

 一方、東大寺 大仏殿で「四天王」は ガードマンとして 毘盧遮那如来 をお守りしました。
   持国天・東(青) 増長天・南(赤) 多聞天・北(黒) 広目天・西(白)
 752年の大仏開眼から、国家鎮護の役割が 公式に「僧侶」たちに移ったことが 分かります。

 行事では「僧侶」が お経を唱え、天皇の御息災と 国家(平和主義)の安泰を 祈願しました。

   この毘盧遮那如来 は、後の 弘法大師 空海の時代に 大日如来に バージョンアップします。
   上宮法皇の頃、そして、東大寺の大仏開眼のときは まだ、五行思想(天帝)と習合した
        宇宙の根本、という理解に留まっていたようなのですが、
   弘法大師(774 - 835年)が 大日如来の功徳(知恵と慈悲)の 即戦の威力を、日本に
   力強く伝えました。ついでに言えば、

   バーミヤンの仏教は、その威力を 既に 7世紀初頭に「55mの石仏」で表わしていました。


 NHK大阪ドラマ『大仏開眼』(初回放送2010年)で時代考証された752年の奈良の装束。奈良新聞 撮影風景紹介記事 https://www.nara-np.co.jp/news/20091125111312.html 【参考動画】【大仏の開眼式】(NHK) 東大寺大仏開眼1250年慶讃大法要(2002年)https://www.sachio-yoshioka.com/blog/2002/10/d20/ (25)

 ※ 小林美術科学さんの編み出された 復元手法 は、次号以降に多数 紹介します。例えば、キトラ古墳、高松塚は 北枕ですから、死体が気持ちよく横たわっている感覚を 観客が体感するには、上図の黒が頭、赤が足の位置に 自分も寝てみる、という VRとしては当たり前のシステムを組みます。

 ※ この五行思想に基づく配色は、倭国(九州)に伝わり、古墳(お墓)の装飾に用いられました。なお、キトラ古墳も 高松塚も、壁面は 漆喰 しっくい で塗られていました から、絵師は「白地」のキャンバス に高価な顔料を用いて 絵を描きました。

 ※ 小林美術科学さんの編み出された 復元手法 は、国宝 VRデジタル復元 において とても役に立ちます。それで、「小林美術科学+」(こばやしびじゅつかがく ぷらす、仮称)ですとか「フェローの 国宝 VRデジタル復元」といった名前で VR工芸技法 として体系化できると思います。次回以降に。

 時間軸にそって並べると、こうなります。



 密教の 大日如来は「太陽の化身」ではありません。日没後にも 宇宙を伝わって地球に届いている 波動エネルギーの化身と考えられています。密教の僧侶は 7世紀から、宇宙(のエネルギー)の根本は 智慧と慈悲を司る大日如来だ、と説きました。お経は 檀徒には、経営指南、人間関係論の実用書です。

 ともあれ、九州 大宰府にあった観世音寺は 弘法大師よりも前なので、密教こそ伝えられていませんでしたが、倭国で初めての「国家論」「官僚組織論」として上宮法皇が「ざっくり納得、法華経・維摩経・勝鬘経」を おまとめになり、初めての本格的な仏教伽藍を完成(618年頃)させました。住民は、仏教国 倭国初の快挙に興奮 していたと思われます。(大宰府に パラマウント映画テーマパークでなく、仏教ヒーロー・テーマパークができたのです。)

 余談ですが、我が国で 当時(「舎利」をおさめた)一番高い 五重塔 は、観世音寺 の五重塔だったと考えられます。しかし、大和の兵が 観世音寺周辺で 太宰府政庁などを壊しました。危険を感じて、僧侶が 仏舎利を壊されないよう隠したことから、それが行方不明になったということは十分に想像できます。その後に、何が起きたでしょう。国際的に貴重な仏舎利(釈迦の遺骨)を紛失したなんて ばれたら、周囲の仏教国から 倭国、そして日本国(大和朝廷)が信用を失います。飛鳥への 観世音寺の移築の理由は、仏舎利の紛失を隠すため、だったかも知れません。移築された 法隆寺の五重塔に、仏舎利の かわりに収められていたのは 金剛石でした。
 752年の東大寺の大仏開眼セレモニーのために はるばる インドから高僧を招き、そして、七重の「超高層」の東塔と西塔を 目立つよう 東大寺に建立した(764年頃)そもそもの理由は、観世音寺 五重塔の仏舎利が紛失したこと、だったかも知れません。

 仏舎利は 途中の盗難を恐れ 2つ 別ルートで準備されて、両方 届いたと私は思います。

   観世音寺(現在の法隆寺と推定されます)の五重塔は、約32.6mでした。
   東大寺の七重塔は、単純に 32.6 わる5かける 7 すると、約50mと想像できます。
   京都 東寺の五重塔が 54.8mですから、東大寺は その位の高さだったでしょう。

   いずれも、日本で有名な仏塔でした。仏舎利の タワマンです。

 上宮法皇は、仏教国となった倭国を守護するために、難波津(博多湾)から見えるところに 四天王寺を建て、四天王のご加護で この国を守ろう(仏教を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう)と決意を新たに されました。 

 次回にも「太宰府の上宮法皇」という VRデジタル復元のシナリオを載せられるかも知れません。大君の没後の政変で、九州王朝は主戦論国家になり、白村江の敗戦で九州王朝が なかったことにされ、上宮法皇の お建てになった観世音寺に代えて 奈良に「東大寺」が造られました。東大寺に 大仏開眼直後に建てられた仏塔は、東西の 2塔です。インドの高僧が スペアを含め 2つ、8世紀に 奈良まで 仏舎利を お運び下さったようです。

 〇 「法隆の VR デジタル復元、VR 観世音寺」



        (上図:米田良三著『法隆寺は移築された』1998年 p.57より)

 法隆寺を 90度回転させて 往時の「大宰府の観世音寺」の お姿に戻す「学生実習」を実施される VR研究室には、まさか 次のような学生さんは いない だろうと思います。提出期限の前日に、友達から法隆寺の 3Dデータを貰います。

 それを 90度、回転させます。翌日、提出します(笑)。。。それは、
 VR シアター(仮称)での 観客(お客様)の操作
でした。

 そんな VR技法は、学生実習の デジタル復元 の意味を成しません。

   VR 奥儀皆伝 が 繰り返して述べているのは、
   「国宝」や「歌物語の絵巻」などが「新しく」世の中に登場した時点の
   製作者の誇りや 関係者の 品格 を VRは 追体験できる ということです。

 さて、図-21 は、大宰府の 条坊に建った(最初の)「観世音寺」です。創建(棟上げ)は 607年、伽藍の完成は 618年頃(米田良三氏説)でした。住民は 誇らしかったことでしょう。しかし、九州王朝の大君「上宮法皇」は、622年に 民衆に 大変に惜しまれつつ 博多で 逝去されました(58)

 そして、白村江の敗戦 663年により、九州王朝は なかったことにされました。(55½ )    


 法隆寺金堂 釈迦三尊像(上宮法皇の 似姿)/ (右)聖徳太子建立七大寺の一つ「橘寺

 橘寺の付近に、伝 聖徳太子 生誕の地も あります。 が、それは 大和朝廷に忖度した ニセの 伝承です。

 【聖徳太子建立七大寺Wikiより
 法隆寺(斑鳩寺)・ 広隆寺(蜂丘寺)・ 法起寺(池後寺、尼寺)・ 四天王寺・ 中宮寺(尼寺)・ 橘寺(聖徳太子生誕地)・ 葛木寺(尼寺)

  『日本書記』では、聖徳太子は 大和に生まれ、大和で お亡くなりになったことにされています。聖徳太子が建立された 七大寺の「縁起」は、架空の「太子の物語」です。九州の 上宮法皇ゆかりのお寺で 関西以東に移築されたものも ありました。また 例えば、観世音寺で 大君に お世話になり 修行した大勢の僧侶は、奈良に移り 大和朝廷の国家鎮護に 再雇用されたでしょう。そういえば 徴税のための官僚たちも、九州から大和に 大挙して連れてこられた とする 仮説があります。それらが、七大寺の一部になっているかも知れません。そうして、大宰府については 一時期、まったく荒廃してしまいました。

 VRで 観世音寺を デジタル復しよと思いついただけで、これだけのことが 分かりました。

 上宮法皇の ご業績については、これから数年、研究が 大きく進むでしょう。

   ところで、大宰府で 607年に 観世音寺を建てた 宮大工さんの気持ちで、
   棟上げに感じた「立派な寺院建設ができる」という 棟梁の誇り
   を VRで復元する方法は ないでしょうか。とても上手い やり方が、あるのです。

 西岡常一、宮上茂隆(著)穂積和夫(イラスト)「法隆寺 - 日本人はどのように建造物をつくってきたか -」1980年、新装版 2010年 は、調布図書館のような大きな図書館に必ず あります。移築説で書かれた本ではありませんが、質の高いイラストが 子供にも分かるように描かれ、創建当時の、文章だけでは理解ができない(例えば)「木組み」の精緻さなども、理解し易いように工夫して描かれています。とても良い教科書に なりそうです。 次回以降に、いくつかの事例を ご紹介します。

 西岡棟梁 の仰りたかったこと は、要するに、木組みの木造建築であれば あなたの ご自宅の新築であっても、樹齢1000年の樹木を使うことで 1000年以上持つ家が建ちます、ということでした。鉄骨による補強は、邪道です。この本には書いてありませんでしたが、法隆寺以降の古建築の解体修理でも、補強のために 後世に 鉄くぎを使った箇所が 木材に与えた 過度の負担で、必ず 腐食していることが確認されているからです。西岡氏が 飛鳥時代の工法による修理にこだわった理由は、そこでした。

 大工の棟梁には、使用した木材が 100年後 200年後に どういう状態で その建築を支えているかが 分かります。タグチメソッドと同じです。「現実の目の前にある材木」が数百年後にどうなるか が、戦国時代の古建築の実績などで 想像できているからです。

 時間経過で右にねじれる材木は、左にねじれる性質の木と組み合わせるそうです。

 イラストのいくつかを、今回 ここに 転載しようと考えたのですが、次回以降に。
 西岡氏は「移築説」についてのコメントを公開しておられませんが、将来、移築説は認められるでしょう、と『法隆寺は移築された』の米田良三氏に 私信を寄せられたそうです。



 国宝 VRデジタル復元につながる考察を(53)以降に続けているのですが、ここまでの 九州王朝の実相回復は 比較的 簡単でした。古田武彦氏、中小路駿逸氏、新庄智恵子氏、米田良三氏、中村通敏氏や 多元的古代研究会 などの先人たちのお陰です。

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 本音を言えば、今回の(60)では、もう少し先まで VRデジタル復元 技術を解説する予定でした。下は、小林泰三著『誤解だらけの日本美術 デジタル復元が解き明かす「わびさび」』 (光文社新書) pp.50-51の転載です。
 例えば、VR研究室を主宰されている先生でしたら、この頁を見ただけで、この先 数回の VR奥儀皆伝の展開を予想できるでしょう。



 小林氏は 俵屋宗達『風神雷神図屏風』を デジタル復元で 修復・印刷し、実際に屏風に仕立てて、その前に座りました。これは 風神・雷神を「釈迦三尊図」に見立てている、と小林氏は見抜きました。極めて、同感です。屏風に向かえば、東(青)の風神が 西(白)の雷神に視線を送り、西の雷神は自分(観客、屏風の所有者を見ていた そうです。つまり、ここでは「屏風の購入者」が お釈迦様 でした。脇侍が センターの仏様をお守りして、ガードマン付きの VIPを演出していたように、二人の神様(仏様の化身)は 観客を お釈迦様に見立てて、ヨイショをしていたのです。

   《 鋳型化ここまで 》
   フェロー武
田 「日本の国宝と その時代 ④」VR 立体曼荼羅(VR奥儀皆伝(8½)(60))
   Blog TP-VR Attract.のトリビア 2022.10.xx

 日本の品格「四書五経」が作りました (Ⅶ)VR之極意:③
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 【おまけ】『北極便』テレサ・テン 歌詞

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