( 8½ )(68 ⅚)【注釈L】 VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2024-02-11 | バーチャルリアリティ解説
Number68 ⅚ 【注釈L
                          【( 8½ )総目次 

   【注釈L】(今回)「e五節の舞」 VRデジタル復元 / (15-16世紀の)マニエリスム関連年表
   (若桑みどり氏編・完)
   【注釈K】『光る君へ』のマニエラ注釈J】The Tale of Genji【注釈 I】時代 - 中島みゆき

      NHK『光る君へ』第一回で 岸谷五朗さんが読みあげた『蒙求』は 寺子屋で 子供が暗唱しました。第二回冒頭の 藤原兼輔の歌は「ひとの親のこころは闇にあらねども」。第三回で、高級官僚の卵たちが 暗唱したのは『孟子』。ここまでを【J・K】に解説。NHK『光る君へ』HP概要→用語集は研究室の学生に推薦しましょう。『論語』『荀子』『墨子』は 用語集で。また、第四回の 佐多芳彦氏、友吉鶴心氏の「五節の舞」撮影裏話は必見です。

   【注釈H米ドル「Xデー」対策室 構成案 チームA B C
   注釈A】【注釈B】rev.  【注釈C】【注釈D】【注釈E注釈F】【注釈G
   68⅚)3分de維摩経に 19世紀「マニエリスム」を追記 → 【注釈 I、J】に。

   必見!【維摩経「大乗仏典 付録22」対談68½ rev.)(68 ⅔ rev.)(68 ¾)(68 ⅘

 《 本Blogの 今回の頁は引用できます。本頁は近く鋳型化されます。2024.2.xx 鋳型化ここから 》

   □ 「Xデー」対策室 構成案 チームA B C

   チームA:米ドル 0円化対策室 (今回略)
   チームB:海のシルクロード構築室
(今回略)
   チームC:世界から歓迎される日本製品の仕様、立案室
(製品の特徴開発室)

   「e五節の舞」 

   ここでは、VRの技法による「五節の舞」の デジタル+アナログ復元を解説します。五節舞の人形展示は、下京区の「風俗博物館」で見られるそうです。JR京都駅から1.4㎞。国宝「飛雲閣」の ある 西本願寺(お西さん)の お向かい、5階。入館料 800円。コトバンク 五節の舞(ごせちのまい)。


 風俗博物館「豊明節会・五節」の場面(茲愉有人氏ブログ

   「五節の舞」 VRデジタル復元を思い付きました。(「e相撲」と同じように)国際展示会場などでの公開を想定した「アイデアフラッシュ」に まとめてみます。具体的な計画は、ありません。観客 五百人規模の 8Kシアターに「e五節の舞」を披露する 小さな舞台がある会場、を 考えてみます。

   [キューライン]

   AI カメラで「誰が見ても美人だと思う」女性を 次回の待ち行列から 5人選び、「舞を披露する 舞姫になって頂けませんか」と順にお願いしてみます。二人から「やります」と同意されたら、その お二人とお連れは「茶房」の特別室に。抹茶と 京都の お茶菓子がふるまわれます。
   肖像権の使用 に関する説明と同意書に サイン。
   スタジオに案内され、360度の顔のデータと 腕を振る仕草などが 立体カメラで撮影されます。
   時間の節約で、着付けなどは しません。

   [8Kシアター]

   舞姫 4名とカメラマン(彼もダンサー)が舞台に登場します。8Kスクリーンには、遠くからのカメラが この舞姫のいる舞台を生で撮っており、そこに背景が CGでスーパーインポーズされてリアルタイムでスクリーンに映し出されている「かのように」観客に披露されます。実際に、舞台上で撮られた映像が 時々 8Kスクリーンに 1.5秒以内の遅れで 映写される「かのような」雰囲気で、舞と撮影が 舞台上で行なわれます。(ダンサーの着崩れなどの 現場のアクシデントは、フィルムで つなぎます。)
   ここで、観客が 8Kスクリーンに見ている舞台では、先ほど会場で選ばれた二人の美女がカメラで顔をアップに撮られるとスクリーンに大写しにされる、かのような演出で(アナログ VRを交えて)舞台が見せられます。つまり、スクリーン上の 8K映像は、USJの『ターミネーター 3D』と同様に予め仕込まれているもので、四人の舞姫が それをなぞって身体を動かしています。それは VRなのか? VRです。ダグラス・トランブル氏が 体感劇場の高精細スクリーンの映像と テーマパークの 360度演出された空間が「体感」として同じだ と実証して、特許を取得しました。舞台の舞姫と スクリーンの舞姫は、観客の意識上で等価です。また『大学』に曰く。「物に 本末(ほんまつ)有り。事に 終始有り。先後(せんご)する所を知れば、則(すなわ)ち道に近し。」このアトラクションの目的は、五百人の観客に 8Kの繊細な映像で 平安時代の「五節の舞」を味わって頂くことなのです。舞姫二人の顔がアップで映される映像も、予め 編集して 挟んで おきましょう。急に会場で選ばれた美女が 見事な舞を舞台で披露しているのは どうしてだろう、と観客に疑問を持ってもらえれば それが成功です。

   [8Kシアターでのナレーション]

   『続日本紀』天平十五年(743年)五月 癸卯条に、こうあります。聖武天皇が 五節の舞を舞わせたときに、天皇は ご観覧中の上皇に こう ご説明を なさいました。「この舞については、天武天皇が 天下を お治めになり平定なされて お考えになるには、上の者と下の者の秩序を整え なごやかにさせるために『礼と楽』を二つ並べてこそ 平穏に長く続くであろう、と 五節の舞を お始めになりました。あめつちと共に 絶えることなく受け継がれていくところのものとして、御覧にいれました。」(「東洋文庫版」直木孝次郎氏訳を参考にしました。)ここで「礼」は、ご祭神にお供えをして 豊作を祈願する儀式の所作 と 宴会のことで、「楽」は BGMです。孔子の編纂と伝えられる『春秋左氏伝』に 先王が「楽」により民衆を教化されたこと などが書かれ、特に荀子(注)では「支配者層で 祭礼での立場や役割」が定まっており 参加者が厳しくその役割を執り行う事など、が 社会・文化を貫く普遍の道徳世界である、とする 礼楽理論を確立しました。ここから下については、VR奥儀皆伝の私見ですが、、、

   西欧でも 公式晩さん会の席次 は厳格に定められていて、身分と立場で案内される席が決まります。これも、孔子と同じです。映画『グレースオブモナコ 公妃の切り札』で、夫レーニエ大公が ドゴール大統領の軍隊に国境を封鎖され「モナコのカジノの売り上げの一部をフランスに財源(税金)として渡せ」と要求された時に、公妃グレースは一計を案じました。(ヒッチ監督なら、どんなシナリオを書いたでしょう。)「レーニエ大公は すっかり弱っていて 税金を支払うつもりだ」というニセ情報で安心したドゴール大統領が招待を受けて 出かけた モナコ公妃の主催する公式晩さん会 では、そこに 控えていたのが 報道陣の 大量のカメラの列でした。晩さん会の上座 にはモナコ公妃が座り、ドゴール大統領は 下座です。そして、グレース公妃の語る「皆んな、いじわるしないで仲良くしましょう」というスピーチを、その席で聞い(て、席順に示された 社会的関係 を 彼は受け容れ)たのですから、新聞に写真が掲載された時点で「食事の席順は 社会的な立場を反映させる」というテーブルマナー(マニエラ)の常識を理解しているドゴール大統領は、モナコへの税金の要求を取り下げるほかありませんでした。孔子の考えも 同じです。祭事の席順を厳しく定めて 全員が同意して着座すれば、隣国と戦争で領土を取り合うより楽に「身分秩序での上下」を公示できます。このように、聖武天皇(聖徳太子の信奉者)は、礼と楽 の厳格に定まっていること(五節の舞の 観覧席の席、BGM、舞姫 を出す家柄に決まりのあること など)が 国家を安定させるのです、と宣言しました。

   (注)『光る君へ』第四回の 紫式部の せりふ。「学問とは何のためにあるので ございましょう。論語荀子墨子も、人の道を説いておりますのに。」ちなみに、紀元前370年の戦国時代が舞台の映画『墨攻』で、墨家は 10万の軍の敵将を ボードゲームで敗退させました。【『墨攻』予告 】 余談ですが、百人一首 僧正遍昭の「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ」は、この五節の舞の舞姫が あまりに見事なので歌われた、そうです。

   [念のために]

  念のために追記しますが、IVRC などのコンテストでは、上の(五百人のシアター向け)企画は 書類審査で落とされます。カメラの映像については、生でスクリーンに上映できる ように工夫します。8Kカメラの手持ち撮影は VR酔いを起こすので、撮影者は カメラを肩や脚立に固定するとか、画質をハイビジョンの SEモードに落として CGによる "ぶれ”補正を加える、こと(VRデジタル復元)を考えます。衣装の着脱に時間が掛るので、”簡易十二単” を工夫したり、観客(プレイヤー、VRの体感者)のポーズ撮影を 即時の CG加工で演出して まるで 舞っているかのように錯覚させ、観客にもその気になって貰えること、などが評価点です。なお、ここでは、重要な 舞踏の復元伴奏音楽を略して書いていますが、能や 宮廷舞踊の元型かもしれない「筑紫舞」雅楽について 改めて 特集します。

   [15-16世紀のマニエリスム]

   【イタリア語の Maniera マニエーラの発音】(美術史では慣例で、マニエラと表記します。マニュアル、マナーという意味。マナーが 社交の基本であるように、マニエラは その美術工房の 作風・お家芸のことです。)
   ここには、若桑みどり氏が ユリイカ 特集「マニエリスム」1979年6月号に執筆された年表 を転載させて頂きます。ここまでの Part.1、Part.2の分載も、下にまとめました。なお、VR奥儀皆伝では ⑤ 世界から歓迎される日本製品の仕様 は「織田信長 が愛したマニエラ」だった(35)と 日本固有の美意識について 以前から考察しています。だからこそ、市民権を最初に得た「15-16世紀の マニエリスム」が何だったのかを 見究めることが、非常に重要である、と考えました。
   若桑氏の若いころには、ルネサンスや バロックの画集に「ゲリラ的に」マニエリスムの絵画や彫刻を載せざるを得なかったので、大先生からお叱りがあったそうです。G・R・ホッケ氏 も ルネサンス、マニエリスム、バロックの夫々を代表するマニエラは 区別できると考えており、美術史では全集に「マニエリスム」を独立した一巻に仕立てて 編集されるようになりました。が、19世紀の新古典主義絵画は、どう見てもマニエリスムの復興だとしか 私には見えず、その成立には「光は東方から」のオリエンタリズム、ゲーテやワーグナーなどへの仏教思想、交響曲「第九」へのヘルメス主義からの影響などに 深い関係がありました。極東の島 ジパング からの ルイ14世様式への影響、19世紀末のジャポニズム についても「マニエリスム」の再流行だった、と考えるのが自然です。

   それで、ここから先は 現時点では「仮説」です。第一次大戦後 の欧州の 十二音音楽に「不安・絶望」が強く表われていることについて、批評家 遠山一行氏は「マニエリスム音楽」の 一ジャンルだと考え「中世・ルネサンス・バロック音楽」と呼ばれた時代の マニエリスティックな音楽表現と比較して論じました(別述します。但し、音楽と美術の時代区分が 重ならないことに十分に注意。)私も同じ考えです。更に、私の「暴論」ですが、交響曲「第九」の シラーの歌詞が ヘルメス主義賛歌であることを強調して、仮に、ベートーヴェンは「ロマン派」ではなかった、と ここでは考え、むしろロマン主義的な表現(「田園」など)を O Freunde, nicht diese Töne!(このメロディではない)と全否定している「中世の」マニエリスム音楽家 だった(調性音楽での その完成者だった)と 本人が聞いたらどう思うか分からない持ち上げ方 をしてみます。すると、それまでの ルネサンス・マニエリスム音楽の 出口のない迷宮 に対して「友人諸君、このメロディではない。音楽は どんな叡智や哲学よりも 高い啓示である」と宣言したベートーヴェンが、ヘルメス主義というマニエラを引っ提げて 全生命を全肯定した作品が「運命」第4楽章 や「第九」第4楽章 だった、、、という可能性が見えてきます。とにかく、第九が ヘルメス主義(化生論)であること については 間違えようがありません。そして、こう考えると、思いもよらなかった次の結論が 導けます。
   第一次大戦後 の 欧州の 十二音音楽に「不安・絶望」が強く表われたことを、先に述べました。その後の「現代音楽」例えば、ミニマリズムなども どこまで行っても不安や 絶望の迷路から抜け出せない音楽に聞こえます。褒めてるんですよ。出口の見えない ことが 特徴です。ところで、第一次大戦後の欧州には、作曲者シェーンベルグ、アルバン・ベルクなどの十二音音楽と同じころに(それに 反撥するように)イタリアに 未来派 という 大変に 威勢のいい潮流が登場して ほとんど「サイバーパンク」とも言える(科学を歓迎した)建築様式を世界に示し、その影響が世界に波及して、美術や音楽の構成主義や表現主義、アールデコを介して 米国に 摩天楼建築や モータリゼーションを生みました。手塚マンガの 近未来の科学への期待も 同じです。(高見澤路直 = 田河水泡の影響です。)フリッツ・ラング『メトロポリス』リドリー・スコット『ブレードランナー』などの映画美術も、じつは イタリアの未来派です。そして、明晰な科学的な姿勢の未来派音楽を、坂本龍一氏も非常に高く評価しました。ですから、音楽の世界の「出口」について、ウロボロスの二匹の蛇が、互いを食い合って、再び 批判的に過去を問い直す(∞)ことと 正しく同じに、20世紀の十二音音楽の 出口の見えない迷宮の その「音楽としての出口」を、同時代の未来派音楽の「勢い」と そして それを少し先回りして探求された 19世紀の 新古典派の マーラーや サンサーンス、フォーレ、ドビュッシー、ラベル、サティ、ストラビンスキー などが(「ロマン派音楽」への反省の中で)「ベートーヴェンが nicht diese Töne! と気づいて見つけた出口」に改めて気付き、そのマニエラで 彼らもまた 新古典派の 出口を試みた、と考えては どうでしょう。こう考えると、

   19世紀末のジャポニズムが「マニエリスム美術」の再流行だ、という考えに合致します。

   ※ なお「田園」が ベートーヴェンをロマン派だと誤解させましたが、別の作曲家 ユスティン・ハインリヒ・クネヒトの 田園交響曲が流行したので、私の方が上手だ と職業意識で対抗した作品です。ロマン派の作曲家は そのマニエラだけ流用して、クラシックを 映画の劇伴風に曲げました。

   ところで、世界で最初の映画音楽をサンサーンスが依頼されて書いたこともあって、新古典派の音楽は 映画音楽に よく流用されます。例えば、サンサーンス『交響曲第3番』は「007のテーマ」や 映画『ベイブ』の主題歌(レゲエ風で)などに重宝されました。


 未来派の建築家 アントニオ・サンテリア Antonio Sant'Elia(1888-1916)の残した素描は、ル・コルビジェを始め多くの建築家に影響を与えました。(左)フリッツ・ラング『メトロポリス』(1927年)(右)建築家アンソニー・ラムズデンが具体化したサンフランシスコ・マリオット・マーキス(1989年)

   ともあれ「15-16世紀の マニエリスム」が何だったのかを、ここで 見究めましょう。

   マニエリスム関連年表 若桑みどり編


   ( ユリイカ 特集「マニエリスム」pp.230-234 一五〇〇年~ 一五九九年 太字は 本Blog )

一五〇〇 べンヴェヌート・チェリーニ、生まれる(~一五七一)
  〇一 レオナルド「聖アンナと聖母子」カルトン(注:カルトン=下絵で公開され 大評判に)
     ミケランジェロ「ダヴィデ」(~〇四)
  〇三 レオナルド「モナ・リザ」(~〇六)、「アンギアリの戦い」(~〇五)
     「トンド・ドーニ」「カッシナの戦い」下絵。この(ミケランジェロの)両作が
      マニエリストに大いなる影響を及ぼす
  〇五 デューラー、イタリア滞在(~〇七)
  〇六 プラマンテ、サン・ピエトロ大聖堂の再建計画。
  〇八 ミケランジェロ、「システィーナ礼拝堂」天井画に着手(~一二)
一五一〇 ラファエㇽロ「署名の間」(~一二)
  一一 ジォルジオ・ヴァザーリ生れる。(~一五七四)
     ラファエㇽロ「エリオドーロの肉」(~一四)
     「ボルゴの火事」に古典様式の変質を示す。
  一五 この頃、ティツィアーノ「天上の愛と地上の愛」
     ミケランジェロ「モーセ」に着手。
  一七 レオナルド、フランスへ行く。
     ラファエㇽロ「キリストの変容」に着手。この作者のもっともマニエリスム的作品
  一八 ティントレット、生れる。(~一五九四)
     ポントルモ「ヴィスドミニ」の祭壇画にマニエリスムの特色を出す
  一九 レオナルド死す。(一四五二~)
一五二〇 ラファエㇽロ死す。(一四八三~)このころをもって盛期ルネサンスの終りとみなす。
  二一 口ッソ「キリストの降架」代表作となる。
  ニ三 パミルジアニーノ「凸面鏡に映る自画像」(~二四)
     ロッソ・フィオレンティーノ「エテロの娘を救うモーセ」(~二四)
     いずれもマニエリスム第一世代の代表作となる
  ニ五 ポントルモ「エマウスの食事」にデューラーの影響を示す。
  ニ六 ミケランジェロ「メディチ家の廟」
     コレッジオ、バルマ大聖堂の天井画に、イリュージョニスティックな天井を描き、
     遠くバロックを予告。(~三〇)
     ポントルモ、この頃、「キリストの降架」(~二八)
     ジゥリオ・ロマーノ、マントヴァのパラッツオ・デルテに着手。(~三四)
  ニ八 この頃、ポントルモ「マリアの訪問」
     デューラー「人体比例論」
一五三〇 フランソワ一世、フォンテヌプロー宮にロッソ、プリマティッチオを招き、
     第一次フォンテヌプロー派(フランス・マニエリスム)を形成。
  三一 ポントルモ、ロッソの師、サルト死す(一四八六~)
  三三 この頃、ロッソ、フランソワ一世ギャルリー装飾(~四〇)
  三四 ジゥリオ・ロマーノ、パラッツオ・デル・テに「巨人族の没落」を描く(三二~)
  三五 ミケランジェロ「最後の審判」に着手(~四一)
     バルミジアニーノ、この頃「長い首のマドンナ
     ベルッツィ、ファルネーゼ宮(カプラローラ)開始(ヴィニョーラにより一五五九年完成)
     ホルバイン(子)、ヘンリー八世の宮廷画家となる。
  三八 アルトドルファー死す(一四七五~)
一五四〇 プロンズィーノ、エレオノーラ・ダ・トレド礼拝堂の天井(~四一)、「ルクレチア・
     パンチァティキの像」
     チェリーニ「フランソワ一世の塩入れ」
     マニエリスト第二世代の活躍
     この頃フェデリコ・ツッカロ生れる(~一六〇九)。
     ロッソ、パリで自殺。(一四九五~)


 【参考】ロッソ(赤毛の)フィオレンティーノは「エテロの娘を救うモーセ」に ミケランジェロやダヴィンチのマニエラを活用し、1531年にフランソワ1世に招かれたフランスで フォンテーヌブロー城の改築を行なって フランス、ベルギー、ドイツ、ロンドン等にマニエリスムを波及させました。16世紀のイタリア戦争の莫大な出費で イタリア経済が傾いたことで、ロッソの頃から マニエリスムは フランスが中心となります。このことからも 芸術文化立国を目指す 世界の政治家は、軍事経済を容認するべきではありません。ここでは 余談ですが、1519年のレオナルドの客死によって『モナリザ』は「フランスの宝」になりました。遺品を相続した弟子から 国王が買い上げたからで、いわば「棚ぼた」で そうなりました。

一五四一 プリマティッチオ「エタンプ公夫人の間」(~四五)
     このころ、エル・グレコ生れる(~一六一四)
     ダニエレ・ダ・ヴォルテルラ「キリストの降架」(~四五)
  四ニ ミケランジェロ「パオリーナ礼拝堂」フレスコ(~五〇)。彼の最終絵画作品、
     きわめてマニエリスム的色彩を強める
     ティッィアーノ、晩年様式の「荊冠」(~四)  
  四三 ペッカフーミ「聖母マリアの生誕」。
     シエナのマニエリスムの誕生
  四五 ミケランジェロ「ユリウス二世廟」(〇五~)
     プロンズィーノ、この頃「愛のアレゴリー」
     ハンス・バルドゥング・グリーン、死す。(一四七五/八〇~)
一五五〇 ヴァザーリ、「芸術家列伝」初版を刊行。
     ミケランジェロ、フィレンツエ大聖堂の「ピエタ」に着手。
  五一 ハラディオ・ヴィラ・ロトンダ(~五三)
  五三 ヴェロネーゼ、パラッツオ・ドゥカーレ、「十人委員会室の天井画」(~五四)
     サルヴィアーティ、サッケッティ宮フレスコ。
     ルカス・クラナッハ、死す。(一四七二~)
  五四 チェリーニ「ベルセウス」完成(四五~)
  五六 ポントルモ死す。(一四七四~)
  五八 ミケランジェロ、サン・ビエトロ大聖堂クーボラ。
     エル・グレコ、ヴェネッィア滞在。(~一五七〇)
  五九 ブリューゲル「ネーデルランドの諺」
一五六〇 ブリューゲル「子供の遊び」
     ヴァザーリ、ウフィツイ官、着手。
  六三 アルチンポルド「四季」
     アンマナーテイ「ネプトュヌスの噴水」(~七五)
  六四 ティントレット、スクオーラ・ディ・サン・ロッコ、フレスコ着手。
     (~六七、七五~八一、八三~八七)
     ジリオ「画家の記号について」
     ミケランジェロ死す。(一四七五~)「ロンダニーニのビエタ
  六五 タッデオ・ツッカロ、カプラローラのファルネーゼ宮装飾。
  六七 ダンテイ「人体比例論」
  六八 ヴィニョーラ、イル・ジェス聖堂に着手。(~八四)
     ブリーゲル「盲人のたとえ」
     ヴァザーリ「芸術家列伝」第二版を刊行。
  六九 ブリーゲル死す

 ブリーゲル「盲人のたとえ

一五七〇 ヴァザーリ、パラッツオ・ヴェッキオに「ペルセウスとアンドロメダ」(~七三)
     マニエリスト最後の世代のスクールを、「ストュディオーロ」に残す。
     パルラーディオ「建築論」
  七三 カラヴァッジオ、生れる。(注、最近の研究では 1571年生まれ)(~一六一〇)
     ヴェロネーゼ「レヴィ家の宴会」を制作、異端審問を受ける。
  七五 バロッチ「ポポロのマドンナ」で マニエリスムとバロックの中間様式を示す。
  七六 ティツィアーノ、死す。(一四八九頃~)
  七七 ルーべンス、生れる。(~一六四〇)
     エル・グレコ、サント・ドミンゴ・エル・アンティーグオの祭壇制作。
一五八〇 ジャンポローニャ「メルクリウス」。
     グレコ「聖マウリツィウスの殉教」
     パラディオ、テアトロ・オリンビコ(~八五)
     フェデリーコ・ツッカロ「三位一体」、ジェス聖堂。
  八一 スプランヘル、プラハの皇帝に仕え、マニエリスムのスクールを形成。
  八三 ジェルマン・ピロン「ピラーグ枢機卿夫妻の墓」(~八五)
  八六 グレコ「オルガス伯の埋葬」
     ロマッツオ「絵画論」
     この頃、カラチ一族、ポローニャにアカデミアを創立。
     バロック開始
  八八 ティントレット、パラッツオ・ドウカーレ「天国」(~九二)
一五九〇 シモン・ヴーエ、生れる(~一六四九)
     シビオーネ・プルツォーネ「磔刑」、プレ・バロック・スタイルを示す。
     リべラ、生れる。(~一六五二)
  九ニ ティントレット「最後の晩餮」(サン・ジォルジオ・マッジオーレ)(~九四)
     アンマナーティ・ピッティ宮完成、メディチ大公、パラッツオ・ヴェッキオより移る。
  九三 ヨールダンス、生れる。(~一六七八)
     末期マニエリスムの大作、チェーザレ・ダルピーノ、聖プラッセーデ聖堂。
     ジョルジュ・ドウ・ラ・トウール、生れる。(~一六五二)
  九四 ティントレット、死す。(一五一八~)
     ジャンボローニャ、マニエリスムの代表作「ヘラクレスとケンタウロス」
     (ロッジア・ディ・ランツィ)(~九九)
     ニコラ・プサン、生れる。(~一六六五)
     この頃、フランスでは、フォンテヌプロー派、「ガヴリエル・デストレとその娘」が
     描かれ、マニエリスムの全盛
     この頃、アンニバレ・カルラッチ、カラヴァッジオ、ローマでの活動開始、
     プロト・バロック始まる。
  九八 エルバラン、生れる。(~一六六四)
  九九 ベラスケス、生れる。(~一六六〇)
     ファン・ダイク、生れる。(~一六四一)

   ※ この年表から「大ルネサンス」では 化生論の美術・音楽を よすがに、欧州の起源が ギリシャだ というアイデンティティの確立された事が 分かります。後期ルネサンスの画家 カラヴァッジオが登場して、出口を欠いて マンネリに堕しかけていたマニエリスムは バロックという突破口へ。その先の17世紀には、あの 恍惚のベルニーニが 輝きを放ちます。欧州で、ギリシャ・ローマの神々は 絶えることがなく 愛され、化生論は 神々の彼岸を 模写し続けました。
   「洗礼者ヨハネの斬首」(1608年)

 この、イエスに洗礼をさずけた聖ヨハネの 首を切る場面の前に、サロメは 全裸の踊りを 義父ヘロデ王に見せて ヨハネの首を求めました。出典は 聖書です。リンク先は、R・シュトラウスのオペラ『サロメ』から 一番有名な「7つのヴェールの踊り」の場面。オランダ国立歌劇場版。主役のソプラノが(できる限り)全裸で踊ります。サロメの踊り(と死、結果的に 神様への捧げもの)によって、聖ヨハネの”首” は(迫害に耐える)キリスト教徒の信仰の よすが「アイコン」になりました。これとは 逆に「源氏物語」の 五節の舞は、聖武天皇のご説明で分かるように 社会の泰平の「シンボル」でした。

   ※ 白村江で敗けた九州王朝は(唐・新羅に 武装解除され)大和に 王権を譲ります。それで、九州では奉納舞や歌会が 無くなり「泰平を招く」ことが できなくなりました。『万葉集』『古今和歌集』は(新庄智恵子氏説でも 中小路駿逸氏説でも)九州王朝時代の名歌集です。大和朝廷は(九州王朝の分家の王子が建国した王朝で 歴史は浅かったのですが)九州の文芸を継承し、聖武天皇が 武力に頼らずに「泰平を招く」国家経営を試みました。『源氏物語』では 法華経をベースに、その国家政策を描写しています。ちなみに、仏教の九州王朝への伝来は、宣化天皇3年でした。

   《 鋳型化ここまで 》
   Fellow 武田 ( VR奥儀皆伝(8½)(68 ⅚)【注釈 L】)
   Blog TP-VR Attract.のトリビア 2024.2.xx

   【おまけ】

   Warsaw Concerto - Richard Addinsel - Mariana Popova(映画製作者が ラフマニノフに
   1901年発表の ピアノ協奏曲第2番 みたいな映画音楽を依頼したのですけれど、 断られ
   ました。それで 気の毒に、別の作曲家が ホテルで缶詰にされて 作曲しました。1941年)
   のだめカンタービレ曲【ペトルーシュカ】ピアノ ストラヴィンスキー
   (のだめが マラドーナ・ピアノ・コンクール本選で演奏した曲。1911/1921年)
   バレエ『ペトルーシュカ』(1911年)
   Saint-Saëns - Symphony No 3 in C minor, Op 78 - Paavo Järvi 多忙の方は 19分あたりから
   どうぞ(1886) 十二音音楽の出口を どうすれば良かったか、が分かりました?


 サンテリアの『新しい都市』1914年。映画『ブレードランナー』の高層ビルで外部エレベータが動いていたのも、未来派建築の 一連のデッサンの アイデアから。未来派の音楽は CDも ありますが、坂本龍一氏は その 実験的な姿勢(マニエラ)を 大変にリスペクトしました。AS-1『スクランブルトレーニング』の美術も、気がついてみれば 未来派でした。

   ※ 携帯の電磁波の人体への影響は、携帯電話会社が費用を出した調査では「無害」携帯会社が出さなかった調査では「有害」が、多く報告されています。どちらが正しいのかは、明らかです。ちなみに、権威ある北欧の研究所の疫学調査では 50hz 60Hzの交流電流に 電気毛布ほどの距離で 人体が接すると、体内の がん細胞の増殖速度が 十数倍に加速されるそうです。日本の教育では「不都合な真実」が 隠ぺいされているようです。そして、武漢・ウクライナの細菌研究は、ケネディ候補によれば 関東軍731部隊が起源です。自民党は、BCPで 解党的な出直しをして、岸田首相が 日米の被爆者に 心からの謝罪をすることで(連立政権で)生き残る議員が出るかも知れません。

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