( 8½ )(17)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2020-11-29 | バーチャルリアリティ解説
第十七回 数理モデルへの薔薇十字団の愛が「科学の未来」です。他にバックキャスト」「逆工場」「 テーマパーク運営の公式」「バーチャルは仮想にあらず」「神武天皇は九州王朝分家の建国者」
                          【( 8½ )総目次 
 今回は、VR之極意のうち 「評判の良い VR作品が化生論で設計できる。」から話を始めます。ちなみに、後の二つは、「ディズニーランドが10倍楽しくなる。」(テーマパークVR の開発手法が分かる。)と 「数理モデルの科学の起源が、化生論(ヘルメス主義)だと納得する。」です。

 現在、工学者の「研究開発」の世界では、「バックキャスト」という手法が注目されています。例えば、「TWI 2050」(The World in 2050) という研究構想が提唱されていますが、これは、2050年に SDGs の目標、つまり、国際連合の採択した持続可能な開発のための国際目標が 〈達成されて しまった〉(良かった!めでたし めでたし) となった社会 を最初にイメージして、それから、現状では そこに欠けているものは何だろう、また、例えば、必要なエネルギーと安定した気候、それに、食糧安全保障と生態系などの間に矛盾が生じないようにするために、どんな技術が今後に必要か、といったことを策定しようとする研究だそうです。
 SDGs の意味、分野については 「こちら」をご覧下さい。
 なお、TWI 2050は、IIASAという非政府ベースの国際研究所や 国連のSDSNという科学技術者による支援団体などが提唱しています。

 日本発の構想「ムーンショット 2050」も、2050年からのバックキャストが方法論です。

 ところで、「TWI 2050」は、今後 どのように研究されるのでしょう。分かっているのは、なるべく「機械論」を使わないほうが良いということです。「ひな形」が、無いからです。現在が、まだウォークマンの発明されていない世界だと想像してみて下さい。機械論者は、どこか外国で試作されたウォークマン似の人工物を探します。「ひな形」を真似ることが機械論なので、ひな形が無いところでは、機械論者は手も足も出ないのです。しかし、SONYの開発者たちは 違いました。彼らは、「好きな音楽を、歩きながら聴ける」という誰も思いつかなかった新しい生活習慣を提案しようとしたのです。ですから、持続可能な開発のための国際目標を実現する 「TWI 2050」も同じです。これまでになかった「生き方」を、工学の力で提案するのです。だから、IVRCと同じ化生論による開発手法が、ここでは大きな意味を持つことになるのです。

 世界には貧富の差があって、その格差は永久に埋まらないだろうとも思われていた 我々のこの世界が、「SDGs」を世界の持続可能な開発目標にする。ことに決めました。人類の成長の証左だと思います。非常にぶっちゃけた話としては、栄養失調の子供は成人後、重篤な病気になる可能性が極めて高いので、虫歯の治療費より虫歯予防の費用が ずっと安いのと同じ考え方で、貧乏な家の子供が わずかな経済支援で普通の生活を送ることができれば 将来の人類社会全体の医療費が削減できる、という合理的な判断でもあるのですけれど。ともあれ、人類は 先進国・開発途上国の違いを超えて、人類の全てが経済的に安定できる生活の未来に取り組むことになりました。しかし、

 SDGs を「利権」にしようと考える人たちが、必ず (もっともらしい) 機械論を掲げて協力を申し出てくるだろうと思います。

 しかし、それでは 上手く行きません。機械論者は利権を囲い、その囲いから犠牲者たちを逃がさないように注意して、支援者を装いながら 犠牲者の負担で太ることを考えるからです。機械論で開発してしまうと、公開時期が「古い製品の在庫を処分してから」になるとか、最適なリリースを遅らせる外圧がスポンサーから必ず入ってきます。 例えば、自動車各社は CAVEというVR技術を使ったCGソフトによる自動車の内装設計を90年代から始めました。CAVE型VRシステムについては 『バーチャルリアリティ学』(2011年)のp.272 をご覧下さい。ところが CAVE販社が その販売戦略を機械論的な(IBM社が1992年に断念した)方法に絞っために、自動車全社のCGデザイン技術は たこつぼ型の各社の低いレベルで安定しました。日本国内では、90年代に100台以上の CAVEシステムが販売されたにも かかわらず、VR自体の広告塔になって、もっと広く知られて良かったはずの CAVEシステムは、CAVE販社役員の販売戦略の あまりにも明白な誤りから、誰も知らない幻のVR技術になってしまっています。しかし、ゲーム理論から言えば、インタフェース情報を公開して、例えば、CAVE用ミドルウェアの国際コンテストなどを開催することで  CAVEソフトの開発技法が向上し、ソフトの性能も高くなって、もっと CAVEが様々な市場に売れていたはずでした。売れ行きが止まったこと自体が戦略の誤りだったことに機械論者は鈍感です。 繰り返しますが、近未来の夢のシステムが、特許に守られた「ひな形」から生まれる筈がありません。ウォークマンを機械論で発明しようとする事と同じだからです。それはチームを失敗に導いて、スポンサー企業の株価も低くするでしょう。「のちの世界のひな形になる作品」は、マラソンで言えばゴール地点に生まれるからです。

 私たちは 人類がまだ知らない「画期的な新製品」を開発しているのです。でも 見た瞬間に「良く知っている」「好きだ」と分かる新製品です。

  TWI 2050についての海外の先行事例を、学習するな、とは言いません。しかし、それは「学習」です。

 仮に、先行事例の研究に予算をつけるのであれば、「学習」の目的に限るべきだと思います。もしも、海外の先行事例から面白い改善方法を思いついた場合などには、(私の経験ですが) その先例について詳しく知らない別の (IVRC経験者などの) 開発者に「こんな開発アイデアが見つかった」と譲って、他の人に化生論的にデザインして貰ったほうが、すっきりした製品になるだろうと思います。 (既製品を目にした人は、オリジナルの製品に発想が引っ張られるからです。) 目的は、2050年に人類が幸せになることなのですから、他の人がチームとして開発すれば良いのでは ないでしょうか。なお、開発アイデアの着想者には、論文の共同執筆者になって貰いましょう。

 例えば、映画『ブレードランナー』の リドリー・スコット監督は原作の小説を読んでおらず、シナリオだけを読み込んで あの映画の世界を作りました。電気くらげ、じゃなかった、フィリップ・K・ディックの あの小説 は、この映画では原作とクレジットされています。それから、貰ったアイデアがあるときには オリジナルの着想者を公示して明記するべきだということに、13世紀の ロジャー・ベーコンが こだわりました。

 リュック・ベッソン監督は、SEGA AS-1 『メガロポリス』からの 映画『フィフス・エレメント』へのアイデア借用を どこかに公示するべきでした。


 それから製品の製造工程について考えるには、その製品の廃棄が簡単になるような工夫についても考慮しましょう。吉川弘之先生の『逆工場』(1999年)が 参考になると思います。協力会社のバリューチェーンの構築では、各社が相互に自社の機能を理解しあい、全体の戦略を理解して自発的に協力するシステムを目指しましょう。

 そして、こうした化生論による開発姿勢は、デカルトでなく ジョン・ディー博士が その規範でした。
 ここで、 TWI 2050を実現するためのVRシステムを一つ、デザインする場合を考えておきましょう。
 その作り方は、IVRC作品の開発姿勢と同じです。構成要素に 必ず 「映画」が含まれます。つまり、誰が操作する人で その人にとってのどんなシステムか、という開発テーマとストーリーが含まれていますから、目標統一のための 「絵コンテ」を作りましょう。的確な絵コンテがあれば、目標に「ぶれ」が生じません。そして、VR作品の「キューライン」(待ち行列)は、映画の「予告編」です。観客に訴えるテーマを 告知しましょう。作品に、サイバネティック・アバターとして登場する個性のあるキャラクターが必要だという時には、筑摩書房の「世界文學大系」に収録されている神話や小説の登場人物から名前と性格を借りてくれば、特に欧米の観客には良く知られた有名な文学作品ばかりですから、余計な説明なしに操作して貰えます。デモ映像には 「照明」を工夫して下さい。作品の印象が、がらりと変わります。(( 8½ ) 第七回の冒頭を読み返して下さい。)

 以上に、VR技術の活用分野としての「TWI 2050」と バックキャストの手法について紹介しました。

 ※ CAVEの仕様が公開され 標準化されていれば、社長室に CAVEを設置して 会社の経営分析をリアルタイムに表示する、という方法が普及していたかも知れません。私が10年ほど前に書いたハイパー社長室(「スタートレック」の操縦席のような椅子に座って、会社の在庫状況、市場のリスクなどの可視化されたグラフを眺めながら CEOが経営を判断する)というアイデアも そのうちご紹介します。社会システム工学と統計学の先生たちが協力して考案された可視化モデルで、横幹連合の技術フォーラムで発表されたアイデアを借用しました。(会誌『横幹』第4巻第1号 Apr. 2010 に掲載されています。) CAVE販社の役員たちは 市場が先細りである軍事応用に CAVEの販売先をこだわったばかりに、CAVEに化生論という豊饒な市場があることをを見誤り、機械論だけを「利権」にして販売しようとする大間違いを犯しました。


 会誌「横幹」(Vol.4, No.1, 2010 pp. 2-5)「経営高度化のための知の統合を目指して」( 松井正之, 鈴木久敏, 椿広計, 大場允晶, 伊呂原隆 )から転載。この立体図をCAVEで表示するというのは私のアイデアですが、CEOや役員が 社長室に来て中を通り抜ける、という仕様にしておけば、わざわざオフィスまで出てくる動機づけになると思いませんか。逆に、社長室に こうしたイベント装置がなければ、今後 「バーチャル・ファクトリー」に変化して行く製造業のバリューチェーンでは、在宅ひきこもりのCEOが寝る間も惜しんで各パラメータのチェックに精を出すような「疑似ビジネスゲーム」のデイトレーダー(?)状態に陥って、社長と工場長の連絡も年中 LINEだけになるように思います。それではまずいので、企業のオンライン化の進展では、社長の「現場作業の体験」(事前に 高齢者向け研修シミュレータがあります)や 工場長の定常的な「社長室経営診断 CAVE」詣でが ますます有意義になるだろうと昔、考えていました。(機関投資家が高値で売り抜けたクズ株を デイトレーダーが掴まされるのは、付加価値の現場のリアルタイムの情報が無いためです。)

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 ここでは、VR之極意のうち 「数理モデルの科学の起源が、化生論(ヘルメス主義)だと納得する。」の話を続けます。

 さて、前回16回の巻末には (薔薇十字団の指南書でもある)小説 『化学の結婚』(1616年)と ジョン・ディー博士の化生論との接点を書いておきました。その後に、ディー博士の幾何学や数理モデルが、今日のシミュレーション科学や VRの開発にまで どのようにモーフィングされて変化して行ったかは、おいおい記します。ともあれ、以下は 『化学の結婚』からの引用なのですが、もう一度記しておきましょう。

  ・ 神と自然を崇敬する。
  ・ 悪事に関わらない。
  ・ 化生論の科学者・技術者への援助を惜しまない。
  ・ 金儲けや違法献金には関わらない。
  ・ 神に召される以上の長命を望まない。 
(文章の要約は筆者による)

 これらは、薔薇十字団の団員規約でした。

 ※ 薔薇十字団の宣言文自体や 小説『化学の結婚』については、また詳しく紹介します。

 残念ですが、薔薇十字団は、悪魔との契約とかには関係がありません。 エリザベス・ハーレー嬢も出てきません。

 VR技術の科学的源流は、ジョン・ディー博士の化生論 数理モデルです。そして、17世紀当時に「(ディー博士の提唱していた)数理モデルに共感した人たち」が 「私たちは、薔薇十字団員です」と名乗ってパンフレットや小説を書きました。それが、謎の秘密結社 薔薇十字団の実体です。2070年頃には、これは 教科書程度の常識になっているでしょう。
 繰り返しますが、「秘密結社」の薔薇十字団の実体は、(おそらく)パンフレットと小説(ばかりの存在)でした。きちんとした秘密の「アジト」があったとは思えません。(プファルツ選帝侯フリードリヒ五世の庇護を受けて、プファルツを拠点にしようと考えた人たちがいた可能性はあります。しかし、1620年のフリードリヒ五世の敗戦で立ち消えました。)多分、ディー博士が「魔導士」だという根も葉もない噂だとか、アンチ化生論者からの酷評を受けていたことで、「草薙素子フィギュア愛好会」のメンバーたちは自分たちのフィギュア愛をパンフレットで宣言し、しかし、「え、あなたは (科学者だというのに) 草薙素子フィギュア愛好家だったのですか!」と非難(?)されたくなかったことから、会員名簿を作らなかった、ということではないかと思います。数理モデルによるシミュレーション科学、例えば、サイボーグ製造の目論見書などは、当時は カトリックから 火あぶりにされるかも知れない「魔術」だったからです。

 ちなみに、ジョルダーノ・ブルーノの火刑は、1600年2月17日の出来事でした。


 画像借用元: https://www.goodsmile.info/ja/product/4507/figma+%E8%8D%89%E8%96%99%E7%B4%A0%E5%AD%90+S+A+C+ver.html

 1963年に I・サザランド氏が Skechpadを発明しました。そのあとで D・エンゲルバート氏は、Skechpad上で使える Windowsや Mouseなどを着想して 68年に講演で発表して大歓迎を受けました。 (今現在、私たちが使っている Windowsや Mouse、それから メールソフトも、エンゲルバート氏の 68年の着想がそのまま使われています。Mouse のしっぽは使ってみると邪魔だったので、後でネズミの頭の側に移動させました。) ともあれ、63年以前には、コンピュータ関係者の多くはCGなんて思いつきもしていません。実は、エンゲルバート氏は、コンピュータのディスプレイに平面図形が描けるはずだと1950年に思いついたそうです。そこで、そのアイデアを、ある会社の面接のとき 面接相手に話したところ、相手は真顔になって「そんな考えを口にすると、相手はあなたのことを変人だと思うから、人には言わないほうが良いと思いますよ」と親切にアドバイスされたそうです (笑)。今なら笑い話ですが、機械論でコンピュータ・プログラムを書いていた時代には、PCでCGが描ける事は奇跡に近かったのです。そもそも、学院生のサザランド氏がMITで Skechpadをデモして見せた時も、集まった人たちは、そんなことができるはずが無いと半信半疑でした。でも、彼は (世界で数人にしか理解できないとされた情報理論の)クロード・シャノンの研究室の院生だったので、何か面白いものを見せてくれるだろうと集まった物見高い人たちが Skechpadを見て腰を抜かしたのでした。化生論による工学製品の開発というのは、つまり そういうことなのです。私たちは、今、PCを通して、毎日「奇跡に触れている」のです。

 IVRCの作品群が、2070年頃に本来の意味が理解される奇跡だ、と言っているのも、そういう意味からです。

 「薔薇十字団物語 ‐ ディー博士の天使対話が 私たちのプリクラを用意した ‐ 」(仮題) については、これからも不定期で掲載するつもりです。「薔薇十字団」のパンフレット(宣言)や 小説が、VR研究の起源となって途切れなく今日まで伝承されたのではないか、と私は考えているからです。

 科研費の振り分け表について、一言 追記しておきます。エリザベス1世は、航海術と演劇に国家の助成を重点投資しました。どちらも、17世紀の英国に必要であった 「化生論で新世界秩序をつくり、それを国民に告知して彼らの共感を得て政治に反映させる」という技術分野だったからです。この時代の英国は、海外貿易 (と海賊) で大きく国力を伸ばしました。また、シェークスピアによって西欧の演劇は、この時代に「再生」を果たしたのです。ところが、その次の国王ジェームズ1世は、国家運営そのこと自体を機械論に変えました。大法官の F・ベーコンは、その政治状況の変化を機敏にかぎ分けて、機械論的・唯物論的な「学問のすすめ」を(1620年頃に)書きました。しかし、同じころ(1614年)に 「数理科学大好き・シミュレーション大好き・フィギュア大好き」という火あぶり寸前の人たちが、薔薇十字団に集まっていたようです。
 1614年に ドイツで刊行された著者不明の怪文書「全世界の普遍的かつ総体的改革」の付録 『友愛団の名声』(ファーマ・フラテルニタティス)、そして、1615年の 『友愛団の信条(友愛団の告白)』(コンフェッシオ・フラテルニタティス)が、二つの薔薇十字団の「宣言」と通称されているものです。1616年の小説『化学の結婚』と併せて読まれて、ヨーロッパ中が、カトリック教会の強圧的な権威(1992年以前の IBM)が 薔薇十字団(1984年の Macintoshに倒されるだろうと想像したことで騒然としたのでした。
 機械論の F・ベーコンは 多分 ディー博士の友人で、実験を重視しようというベーコンの提案はディー博士からの影響だった (ディー博士が多分 参考にした蔵書を調査中です) という可能性を否定できません。ところで、18世紀の 『百科全書』をまとめるときに ダランベールは F・ベーコンの機械論を踏襲しました (から科研費の振り分け表が序論の付表として付いています) が、共同編集者の ディドロは化生論を主にした編集方針を選びました。ダランベールだけで 『百科全書』がまとめられていたら、もしかすると「教科書の合冊」みたいなのができていたので、 ポンパドール夫人(ルイ15世の愛妾)もパトロンには ならなかったかも知れません。ルイ14世や15世の(化生論者を含む)科学者優遇政策を通して、化生論は フランスの工学教育に どどどっと流れ込み、化生論による工学が今日の例えば、液晶テレビを生んだ工学技術のような流れの主流になりました。例えば、テレビを製造するための「補色」概念の普及は、化生論者のゲーテが書いた『色彩論』(1810年)による功績です。化生論が 液晶テレビを生みました。そして、ルイ14世や15世の科学者優遇政策は、ルイ13世のトマソ・カンパネッラへの歓待から始まっています。化生論者カンパネッラの「パリ亡命」の一席は、神田伯山の講談くらいに手に汗握るスリリングな出来事でした。そして、ディドロが 化生論の流れを尊重したことから、彼が共同編集した 『百科全書』は今日でも読み継がれる古典になりました。ヌーヴォー・ロマンのロブ=グリエ(1961年の映画『去年マリエンバートで』の脚本家です)が、ディドロを とても高く評価しているのも当然です。ですから、「TWI 2050」が その後も長く人類が使い続けるような持続可能な工業製品を2050年には生み出そうと考えているのであれば、人類の未来の希望としての IVRCを参考にするべきだ、ということになるのです。


 画像借用元:https://note.com/lamomeenrose/n/n830b1d3c15fc

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 今回は、2070年の近未来から眺めると 50年後には 現在の多くの「通念」が書き換えられているだろう、ということを少し まとめて書いておきます。ディー博士の「序説」が 「プリクラ」の起源だったらしい、という話も その一つです。しかし、ディー博士のように「天使」に教えて貰ったのではありません。常識の範囲の「予兆」が教えてくれていることです。

 【稲元章博さんの近著からの テーマパーク運営の公式 VR之極意 ①

 これは、テーマパークで最も重要な「リピーター獲得の収益の改善策」です。元は、流通業の売上高の公式ですが、そのまま レジャー産業に当てはまります。つまり、「お客様の払って下さるお金が多くなる」よう工夫したり 「数を増やす」ことが、そのまま、売上の増加につながるのです。簡単な公式ですが、テーマパーク以外にも広く使えます。

   売上高 = 客単価 × 客数

 このうち「客単価」は、次の3つが主な収入の柱になります。
   「入場料収入」「飲食収入」「物販収入」
 テーマパークの収入の基本は、この3つです。この稲元さんの公式を しっかり、心に留めて下さい。

 アトラクションのリニューアルを怠ると、テーマパークは自然減によって かなりの客数を失います。二度目に遊びに来たときに前と全く同じ園内だったら、前回に見逃したアトラクションに乗れば、それで もうおしまいです。また来ようという気になりません。(これは私の推測ですが、ウォルトがディズニーランドを「永遠に完成することのないもの」と言った理由は、ずっとおもちゃにして楽しむためもありましたが、変化が無くなれば客足が落ちることを直感で感じていたのではないでしょうか。)そして、客数が減ったテーマパークでは (一般に) レストランの味が落ちますから、そのことでも顧客の足は 遠のきます。アトラクションで興奮した顧客の目の前に、嫌でも欲しくなるような「おみやげ」が用意されていれば「物販」の収入が当然 増えるのですけれど、例えば、セガ・エンタープライゼスの「横浜ジョイポリス」の場合には、アトラクションや アテンダントの評判は すごく良かったのに、物販のノウハウ不足、アトラクションのリニューアル不足、飲食店との連携の欠如などが理由で閉館してしまうことになりました。更地に戻す費用をアトラクションのリニューアルに掛けていれば、地下鉄「元町・中華街」駅がオープンしたので多くのお客様に来場して楽しんで頂けた筈でしたので、閉館したのは非常に残念でした。SEGAには 1999年の『フィッシュ”オン”チップス』まで、レストラン運営に関わった経験も無かったのです。結果から言えば、都市型テーマパークは いずれも、飲食・物販をアトラクションに有機的に結びつけることに失敗したことで、リピータの獲得に失敗して、地上から滅びる運命にあったのかも知れません。 逆に言えば、

 アトラクションの定期的に追加することと 飲食・物販のイベント化で、リピーターは持続可能なレベルで獲得できた可能性がありました。


 ※ 稲元さんの 収益改善の公式については、今後も何度も触れる予定です。これも、2070年のテーマパーク業界では 常識になっているでしょう。

 【バーチャル は 仮想では、ありません VR之極意 ③

 今更ですが、2070年頃には、これも常識になっているでしょう。これまでの「紙の」辞書には、「virtual reality 仮想現実、virtual image 虚像」という形容詞と「virtually 事実上」という副詞の 「互いに矛盾する」定義が同時に載っていました。しかし、東京大学名誉教授の舘暲氏が NHK人間講座 『ロボットから人間を読み解く』(1999年)で、次のような図を示されたことで、状況は一変しました。実は、舘先生の指摘によって Web上の英語辞書から 「virtual 仮想の、虚の」という意味が 今 どんどん消えていっているのです。



 「NHK人間講座」の教科書は入手難ですので、舘暲著『バーチャルリアリティ入門』(ちくま新書、2002年)のp.15の挿図として 上を紹介しておきましょう。先ず Virtual reality は、「馬から落馬する」に似た重言でした。ただ、NASAにDataglobeを納入して「HMDと Dataglobe」の奇跡の出会いの一翼を担ったジャロン・ラニアー氏(本人の名刺ではレニアー氏)は、どうしてもこの奇跡の出会いに新しい名前を付けたかったのだろうと思います。また、1989年当時、HMDと Dataglobeと PC用ソフトの 3点セットを販売している販社は、ラニアー氏の会社しかありませんでした。(奥儀皆伝( 8½ ) (1)を参照して下さい。)
 ともあれ、ラニアー氏が それまで使われていた「人工現実 Artificial Reality」という言葉を避けて、Virtual realityだと言ったものですから、日本では別の問題が生まれました。virtual の訳語が日本語には存在しなかったのです。「見かけや形は原物そのままではないが、事実上は原物」という原意から virtual imageを、明治時代の物理学者は「虚像」と とりあえず訳しました。 しかし、虚や仮想は、舘先生のご指摘では逆の意味です。 virtual moneyで購入すれば宅配業者が実際に商品を自宅まで届けてくれます。仮想の購入では、ありません。また、仮想敵国を virtual enemyと誤訳してしまうと、普段は味方のふりをしているが実際には敵だった、となってしまいます。 (どちらの例も、舘先生のご指摘です。)
 ですから、virtual はバーチャルと書こう。でも、別の言い回しも必ず見つかります、と舘先生は言っておられます。それもあって、Web辞書が virtual の意味から 「仮想の、虚の」を消し始めているのですが、逆に「虚像」が論拠を失うことになりました。舘先生は、りっしんべん(立心偏)に「實 じつ」という漢字 (和字) を提案しておられますが(虚像 → じつ像)、この漢字が定着するまでは、virtual imageを「バーチャル・イメージ」(慣用で「虚像」)などと2070年の教科書では書くことになるかも知れません。

 【神武天皇は、分家を建てた太子でしたVR之極意

 この他にも、(ごく簡単に紹介しますが) 日本の古代史に関わる通説の間違いが あるようです。『日本書紀』(720年)には、「大和朝廷の初代の神武天皇」は 筑紫の日向で生まれた太子(九州の王朝の天子の子)だった。その彼が大和平野に攻め込み、大和の為政者を戦いで負かして、大和に新しく王朝をひらいた、と書いてあります。歴史の一次資料にそう書いてあるのですから、資料を文字通りに読むことから始めましょう、という歴史観も 2070年頃には、学生たちの常識になっているかも知れません。その証拠としては、「白村江の戦い」(663年)の歴史記述が不自然だったというヒントがあったのだそうです。この戦いは教科書にも載っている有名なものですが、倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争でした。
 この時、通説が間違っていて、倭国 九州王朝の当時の天子が捕虜にされたのだ、という仮説があるそうです。(筑紫君 薩夜麻という人物です。)この戦いの後に、唐からの進駐軍が長きに亙って太宰府のあたりに「横田基地」に似たベースキャンプを設営して政府の監視のための駐在をしていたそうです。大宰府のあたりに駐在したのですから、当時の国際政治の中心地、倭国 = 九州の王朝はその近くにあって政務を行なっていたのでしょう。ですから、「白村江の戦い」で負けて捕虜にされたのは、九州王朝の天子だったのだと推測されているそうです。
 そのことを裏付けるように、『日本書紀』(天智2年)『旧唐書』『三国志記』などに、倭国Aと 倭国Bの船があわせて千艘あった。唐の船は170艘。戦闘は2回、ないし4回行なわれて、倭国Aの中核の約400艘が燃えてしまった。と書かれています。ここでは、中小路駿逸先生の「白江戦と日本文学史」(追手門学院大学紀要、1991年)から抜粋して ご紹介しているのですけれど、このとき、倭国Bの船600艘は、戦の大勢が決するのを すこし後ろに下がって眺めていたので被害がなかったというのが、後で唐からの倭国への処分が ものすごく甘く済んだ理由だったと推測されているそうです。
 これは、どういうことでしょう。日本古代史の「通念」では、近畿の大和朝廷が、九州から近畿まで全部を昔から支配していました、となっているそうです。私たちも そう教わりました。しかし、中小路先生によれば、大和朝廷が 7世紀以前に「九州から近畿までの全土を支配していました」と書かれた歴史書は 一冊もないそうです。大和朝廷の支配地は、西は須磨までだったようです。 逆に、大和に朝廷をたてた神武天皇ご自身が、私は「別の王朝の天子の子供だったので、(おそらく皇位継承権が低くて) 一旗揚げるために大和に建国したのだということを誇らしげに自慢しておられるのです。どの歴史書に !? 『日本書紀』が そう告げています。江戸時代に一部に知られて研究されていた歴史では、九州王朝は白村江の戦いのあとも 7世紀末までは存続していて、白鳳天平時代の白鳳というのは九州王朝の年号だそうです。ということは、倭国Bの600艘は、(中小路先生が指摘されたように)「分家である大和朝廷の船だったのでしょうか。この話は、また続けます。

 はい、この話は VRと何の関係があるの ? というところを書いておきます。

 イタリア人は、自分たちのアイデンティティ、その出自が「トロイア戦争」の亡命政府の人たちで、彼らが途中でカルタゴの美人支配者との結婚を断って「長靴」の半島に漂着したことが 今のイタリア人の起源だ、ということをルネッサンスという文化運動の中で改めて確認しました。大量のギリシャ・ローマの古典文学が文芸復興期に翻訳されています。F・ベーコンやデカルトを調べていて気が付いたことは、彼らがしょっちゅう古典や神話の登場人物をひきあいに出していることで、その理由は、西欧の古典が とにかく読んで「面白い」から 広く読まれていたためでした。オペラの人気作品には、特にギリシャの古典が目白押しです。
 そして誰でもが、ギリシャ演劇の登場人物を子供のころから知っていて、神話と同じくらいに なじんでいます。
 誰でも、登場人物の性格を良く知っているのですから(例えば、ゼウスは無類の女好きだとか)、シェークスピア、ラシーヌ、コルネイユなどの人気作品にもギリシャ古典の翻案物は数多く、しかも元のギリシャ演劇の完成度がとにかく高いので、翻案していても楽に面白く書けたのだろうと思います。説得力も、大いに ありました。
 だから? ・・・ だから、VRなんです。

 イタリア人留学生に、「日本版のパリスの審判」をVRで開発中だと言って下さい。日本のVRは知らなくても、薄い下着姿のヘーラー・アテーナー・アプロディーテーの 3人のことは誰でも良く知っています。日本についての多少の知識があれば、「伊達杏子・江口愛実・初音ミクの3人と握手できるの ?」と聞いてくるかも知れません。

 だから、日本人には 『日本書紀』が良いと思うのです。

 水木しげる先生の妖怪は 私も大好きです。「悪魔くん」の乗ったライドに観客が同乗して、イヴ・タンギーなどのシュールレアリスムの抽象画で描かれた地獄の世界を一緒に巡るという 「悪魔くん・ザ・ライド」の企画がありましたので、私は水木先生を東京ジョイポリスにご案内したことがあります。『ザ・クリプト3 - エロイムエッサイム - 』 の企画なども考えていましたが、実現しませんでした。水木先生の妖怪は「観客全員が知っているキャラクター」ではなかったからです。(大変に残念でした。)NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」の放送は 2010年でした。 でも、ヤマタノオロチだったら、誰でも知っていると思いませんか。
 そして、イタリア人なら誰でも知っているギリシャ・ローマ神話の神々は、文芸復興期のサブカルチャーを通して西欧中に知れ渡りました。しかし、改めて日本人に文芸復興をしなくても知れ渡っているのが、ヤマトタケルであり、出雲の神話です。だから、私たちの VRには日本の神々にもっと活躍して頂くという選択肢があるのです。例えば、「スサノオ・ザ・ライド」です。ボスキャラが オロチです。

 ただ、日本史の学問の世界では、従来の「大和王朝一元説」の先生方が、今は元気がありません。「吉野ケ里遺跡」とか「荒神谷遺跡の 358本もの大量の銅剣」(島根県出雲市、弥生時代)の発見などによって、近畿一元説が大変 不利になっている状況だからです。
 中小路駿逸先生が、『日本書紀』の複数の個所を論拠に、大和王朝と並行して別の王朝があったこと。大和王朝は、その王朝の分家だったこと。白村江の敗戦を機会に、大和王朝が九州王朝から対唐外交の窓口を引き継いだこと。唐の立場で見ると、九州王朝は歯向かったけれど、大和朝廷の 600艘は中立を決め込んで戦わなかったので、唐からの進駐軍は大和に派遣されなかったこと。などを論証されたので、いわば、テニスのボールが「近畿一元説」のコートに打ち込まれているような状態です。中小路先生は 「近畿一元説」を証明できる一次資料の提示を求めておられるので、こういう論拠がありました、とボールは打ち返されるべき順番でした。それができないからといって、黙っているのはおかしいと思いませんか。

 2020年は、ディー博士の「序論」1570年から450年目の節目の年でした。同様に、今年は『日本書紀』720年の成立から1300年の節目の年でした。(『日本書紀』が多元的古代史という論敵の証拠文献になってしまっているので) ボールを打ち返せないで多くの古代史家の方が困っていたとしても、記紀の古代神話は日本人共通の財産です。お願いですから、『日本書紀』を もっともっと宣伝して下さい。古代史の歴史家の責務ではありませんか。

 そこには、テーマパークのVRアトラクションに最適な素材が揃っているからです。

 ※ 映画『日本誕生』1959年、東宝1000本記念作品 の予告を見れば、日本神話の豊饒さが分かります。アマテラスオオミカミは原節子が演じ、天岩戸は三代目朝潮がこじあけました。他に、司葉子、水野久美、上原美佐、香川京子、田中絹代、乙羽信子、杉村春子 ・・・ 東宝スター総出演。主演は 三船敏郎です。
 ※ 以前、吉川英治氏の『新・平家物語』『三国志』の歴史記述の見事さに触れましたが、『日本書紀』『古事記』は話の展開が面白い。三代目市川猿之助さんの『ヤマトタケル』(1986年)は波乱万丈のお話が凝縮されて、スーパー歌舞伎の中で一番の上出来でした。


 画像借用元:http://kaichosha-f.co.jp/books/history-and-folk/4546.html

 ※ 中小路駿逸氏のことばを、ここで引用しておきます。 
 “従来の通念(近畿ヤマトの天皇家の王権は、七世紀よりも前から、日本列島唯一の中心的権力であったとする)”なるものを“前提”とされる人々なら、必ずその“通念の本来の根拠”なるものを提示されたい。これが、有効な唯一の手段である。それなしに、ただ「定説」だの「通念」だのを“前提”とし、それに合うように史料を解釈したりいじくったりして、あれこれと部分的な反論のみを試みたり、あるいはまったく古田や中小路らの提示するところを無視なさるなら、それは学問の何たるかにお気づきでないのだ、と言わざるをえまい。(新泉社「市民の古代」第2巻冒頭 合本「市民の古代」の解説にかえて より)

VR奥儀皆伝( 8½ ) 『謎解き・テーマパークVR』(16)ウォルトは なぜ 「テーマパーク」の構築方法 を秘密にしたのでしょう。 併せて VR之極意こちら

( 8½ )(9)「暫定総目次

VR奥儀皆伝( 8½ )(18)に続きます。 → こちら

( 8½ )(16)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2020-11-19 | バーチャルリアリティ解説
第十六回 ウォルトは なぜ 「テーマパーク」の構築方法 を秘密にしたのでしょう。 併せて VR之極意
                          【( 8½ )総目次
 VR奥儀皆伝で取り上げる話題が、かなり広がりました。それで、私たちが 本稿を読んで「奥儀が 奥伝された」暁には、どんな場面に その知識が役立つのか (話の着地点、VRの極意)を先に書いておきます。先ずは、
 ① 「ディズニーランドが10倍楽しくなる のですから、上級のリピーターとして 家族や友人、恋人との絆が深まります。 また、
 ② 「数理モデルの科学の起源が 化生論 = ヘルメス主義だ」と 納得できますから、
   おそらく2070年頃の学生さんたちが常識として考えている化生論を、「私は 2020年から知っている」と、将来 自慢できます。テレビで良く観る「天気予報で 西から流れて来た雨雲が雨を降らすCG動画」「数理モデルが可視化されたグラフ」ですから、デカルトらの機械論とは異なる科学思想の源流に属しています。
 ※ 「AI」や「スーパーコンピュータ」の運用は、1992年までの IBMオフィスコンピュータと同じ「トップダウン」のプログラミングで 計算間違いが生じないように工夫されていますが、空気層の流れという数理モデルから 複雑なシンボル操作による天気予報ができる、という発想は化生論でした。

 ③ そして、観客(プレイヤー)に 評判の良いVR作品 は、化生論でしか 設計できません。

   これまでの IVRC作品にも、テーマパークのアトラクションにすると人気の出そうなアイデアが いくつかありました。MMCAマルチメディア グランプリの審査員を務めていた私の判断です。もしも パラマウント映画テーマパーク(仮称)ができていたら、実現していたのかも知れません。

 それで、これは 「もしもの話」ですが、このVR奥儀皆伝に書いてあることを IVRCなどでの経験を通して 「身体で理解できた」という方が おられたら、その方に、(もしも ですよ)米国のディズニーランド (正確には ウォルト・ディズニー・イマジニアリング社) から 「次のアトラクションを造るので、何かアイデアがあったら提案して下さい」という依頼が来たとしましょう。自信を持って応募して下さい。ただし、(VR作品であれば)2人から 750人くらいまでの規模で 座席やスペースが必要です。概念図があがった後に、テーマパーク運営の経験者や 設備の安全確認の専門家の指導を受けて下さい。

 ここで「もしも、米国のディズニーランドからの募集だったら自信を持って応募して下さい」と書いたことには、理由があります。テーマパークの定義について、(11)から(15)に書いた以上の指摘は 現時点で類書には ないからです。

 私の考えで「狭義のテーマパーク」と呼べるのは カリフォルニアの ディズニーランド(DL)ですが、ここでは オーロラ城を中心に、テーマ化された四つの国(Themed Lands)である、Adventureland、 Frontierland、 Fantasyland、そして Tomorrowland が四方に広がり、そのテーマのどれもが「ディズニー映画」と同じテーマでした。ここは、「一つの入り口・地獄・天国」で構成された世界で最初のテーマパークです。そして、ウォルトが その次に手掛けた WDWのマジックキングダムを「東京ディズニーランド」(TDL)が忠実に日本語化して日本の舞浜に開設しましたが、ここでリピーター対策として注力されているのが、「アトラクションの完成度」(入場料収入に反映)「飲食」「物販」です。また、後の方で、これらについて分析します。
 ディズニー映画以外の「テーマ」で構成されているのが、「広義のテーマパーク」です。これについては、また述べますが、「一つの入り口・地獄・天国」が宗教施設と共通していますので、日本のテーマパークの アトラクション施設については「仏教説話」や「春日大社で奉納されているお能」に無意識に影響を受けている作品が多いように、私は感じています。ともあれ、どの映画にも、テーマは必ずありますから、マルクス兄弟の喜劇映画のような「ディズニー映画」とは印象の ずいぶん違う映画でも、しようと思えば「テーマパークのアトラクション」になります。ちなみに、歌舞伎では、このテーマのことを「世界観」と呼んでいます。世界観は、映画の あらすじを 100文字程度に要約したときの、映画の中心になっている話の内容です。一例を挙げてみます。

 例えば、マルクス兄弟の『
我輩はカモである』という映画では、
   「独裁者と隣の侵略国が 間抜けな戦争を おっ始めた。外交の舞台に、戦争を回避できる まともな政治家は 一人も おりませんでした。歴史に残る有名なギャグも、いくつか披露します」
という世界観(テーマ)が 絶妙な舞台芸で展開されています。 『我輩は …』は、ナチスが政権を取った1933年に ヒトラーを意識しながら製作されました。これと対照的に、
   映画『バンビ』(1942年)の場合は、
   「小鹿の王子のバンビが 友人の動物たちに守られて、恋をして成長し、災いから家族を守り、美しい四季が移りゆく森の中で、森の王を継ぎました」
(65文字)がテーマでした。

 こうした映画のような印象的なテーマが、強烈な印象でアトラクションのテーマに展開されています。そして、観客は まるで映画の主人公や エキストラになった気分で見学できます。それが 「テーマパーク」の特徴です。一か所だけの入口から入った観客は、通過儀礼としての恐怖感、そして幸福感に包まれます。この観客たちを、アトラクション・飲食・物販を通して 「リピーター」に変えてしまう驚きのテクニックが ディズニー・マジックでした。そして、ディズニーランドは、ウォルトが溺愛する娘と一緒の時間を楽しく過ごすための施設でもありました。

 ※ もし本当に DLからの注文が来た時には、DLが ディズニーの頭の中で どう生まれ、どういう経緯で今の場所に造成されたかを、例えば 『ウォルト・ディズニー』(ボブ・トマス著、講談社、邦訳1983年・2010年)などを読んで確認しておきましょう。
 ※ なお、稲元章博さんが勧める 「入場券販売・飲食・物販」の販促の方法論を、今後本稿では (著書の予告を かねて) 紹介して行きます。→ (21) (22)

 ※ マルクス兄弟を「初めて」観る幸せな人には『オペラは踊る(1935年、MGM)を勧めます。

 そして、 数理科学を 化生論の方法論として活用できる入り口を、ジョン・ディー博士が「数学への序説」に列挙しました。心から楽しいテーマパーク・アトラクションを「機械装置」として製作するためには「機械論」ではなくて「化生論」が必要です。ここでは、序説の巻末に表形式で書かれた「The Groundplat」から、「絵画術」を取り上げて紹介してみます。
 ディー博士は、ここに、
 「与えられた平面で視覚のピラミッドを切断した面を、線と適当な色で表現する技術を論証し教える」
(坂口勝彦氏訳) と書いています。この「絵画術」というのは、つまり プリント倶楽部です。正確に書くと、カメラ・オブスクラ  による視覚のピラミッドが、(はい、下の絵を観て下さい) 下の絵には 「デューラーの目を頂点とする四角錐(しかくすい)」で表現されています。
 その四角錐のピラミッドに任意の平面でガラス板を差し込めば、カメラ・オブスクラが出来ます。(この原理を反対方向の四角錐に転用したものが 「写ルンです」の 「レンズとフィルム」です。) 
 そして、そのガラス板の上の絵を 「線と適当な色」でなぞれば 「絵画」 ( 「写ルンです」では写真) が完成します。はい、チーズ!という説明です。(カメラの場合は、撮影者と被写体が別なので、撮影者から被写体への「キミ、可愛いね。もう少しセクシーに」というコミュニケーションが必要ですが、プリクラは「自分で自分の かわいいしぐさ」が確認できます。梅棹忠夫先生は、このように「写真術などの芸能について、集合写真を写真師が撮ること → 個人が自分一人で かわいさを演じてプリクラを自分だけで楽しむ、といった独りで楽しむ形態に移行することを、芸能の一般的な傾向として捉えました。ですから、自分で映画を撮影して観客に見て貰う(視聴者数の多さを競う)という YouTube(の芸能)も、自分が気に入ったCGキャラクターに変身する → 自分が YouTuberとして投稿するのだが、しかし 視聴者数が増えることより、自分を納得させる作品の投稿できるほうを良しとする。という傾向になることに、もし今も生きておられたら梅棹先生は注目されたと私は思います。梅棹先生とは、プリクラや科学の未来についてのお話を機会を作ってさせて頂きたかったと悔やんでいます。) ですから、友達や彼氏から 確実に Kawaiiと言って貰えるプリクラ画像を撮影できることの発端は ディー博士の「序説」から始まっていたのです。
 ディー博士は、そんな驚嘆するべき未来を 1570年に予見していました。


 画像借用元:https://www.centeroftheearth.org/entry/2018/07/01/072000
 アルブレヒト・デューラーによる絵画の技法


 ディー博士が、その序説の巻末に表形式で書いた内容(The Groundplat)を列挙しておくと、「光学・天文学・音楽・宇宙誌・占星術・静力学・人類形態学・回転運動学・螺旋運動学・気力学・力の増幅学・地下道学・水理学・時刻学・絵画術・建築学・航海術・驚異の術・アルケマストリー」(ディー博士の造語を含みます、訳語は坂口氏)といった多くの分野を含んでいました。数理科学(数理モデル)は こうした分野で 今後、大きく進展するだろう、という大予測です。
 450年経って、ディー博士の大予測は 現実に なりました。そういえば、2020年は その450周年でした。2020年8月8日に、坂本賢三先生と F・イエイツ女史の研究について ご紹介できたのは 本当に運が良かったと思います。
 2070年にはディー博士の業績は、高校生にも良く知られていることでしょう。

 繰り返しますが、F・ベーコンや デカルトが体系化を試みた「機械論」という科学思想は 補修・交換用の科学哲学です。ディズニーランドのアトラクションの 「メンテナンス時の交換部品の製造」などにだったら使えますが、アトラクション自体の開発や 先端的な世界を驚かす科学研究には 使えない方法論なので、ここではディー博士の先見性が光ります。

 もちろん科研費は 「有機体論」「機械論」「化生論」 夫々の科学振興に投入されるのですが、3つの研究目的は それぞれ異なります。ということで、ここに書いた「プリクラ」の解説から「数理モデルの科学の起源が 化生論 = ヘルメス主義だ」ということには 納得して頂けたのではないでしょうか。

 さて、科学には 3つの源流がありました。
 ◇ The Organic tradition(有機体論)、The Mechanistic tradition(機械論)、The Magical tradition(化生論)
 そして、これから VRの研究者に 特に注目されることになるのが「化生論」(ヘルメス主義)の流れです。コペルニクス、ディー博士、ブルーノ、ギルバート、パラケルスス、ファン・ヘルモント、ケプラー (そして、ニュートンも隠れ 新プラトン主義者でした) という学燈で、機械論者たちの怪文書で「悪魔を召喚した」と攻撃された人たちです。

 ここで、悪魔の召喚についてだけ、簡単に説明しておきます。

 悪魔は「堕」天使です。つまり、悪魔を呼び出せる方法があったら、その同じ方法で 「天使」を呼び出して、その教示を受ける、という白魔術にも使える筈でした。実際には「悪魔」を呼び出す魔術は「世の中に存在して」いません(だから、ディー博士を批判する似非科学者も、具体的な呪文などの証拠を挙げることができませんでした。)実際にディー博士やコナン・ドイルが行なっていた天使召喚の方法ですが、古代の日本でやっていたのと同じで「先祖などの霊」が 専業の 霊媒 メディア に乗り移って、来年のコメの出来不出来を教えてくれる。という お馴染みの方法です。この方法は キリスト教会でも公認されていたので、天使の受胎告知の絵が大量に描かれました。

 ※ 世紀末に流行した「黒魔術」の幾何学モデルの図式は、全部、白魔術の図式です。

 ディー博士は、私の考えですが、難問の数学の解法を「天使」に教えて貰うということを本気で考えていたのではないでしょうか。韓国の入試では、携帯で会場の外にいる人に答えを調べて貰うカンニングが 時々 捕まっています。ディー博士の天使召喚は、これではなかったかと私は考えています。ただ、ディー博士の場合、霊媒になった人は「天使(?)の喋っている言葉を聞く」受信機の機能だけだったので、あのコナン・ドイルのような「殺人犯人を霊に教えて貰う」という双方向の探偵術の実験の試みにはなりませんでした。気の毒でした。世紀末のロンドンで 特に流行した交霊術も 主に受信機機能ばかりが多かったようで、頻繁に 偽物のトリックが 写真機で暴かれました。

 ※ ただし、ロンドンでの交霊術の流行には別の要因もあったようです。カトリックでは 公認されている「幽霊」の存在が プロテスタントで認められておらず、英国王が離婚するために英国の国教を急にプロテスタントに改宗したために、英国では幽霊が 公的に出現できなくなったことから(戯曲『ハムレット』でも幽霊がいたのか、ハムレットの妄想だったのか、が あいまいです)英国王に怒った幽霊が特に 国王の常在するロンドンに多く出るようになった、という側面があったようです。
 ヘンリー・ジェイムズが書いた小説『ねじの回転』は異常状況下を描く心理小説のお手本で、映画『回転(1961年)ゴシックホラー映画の傑作。デボラ・カーの代表作です。これが英国の(想像上の)幽霊の姿です。日本の怪談とは ずいぶん違い、恨んで死んだ人の子孫以外にも祟ります。

 ※ 西欧世紀末の悪霊の蛮行は、自分が悪霊に操作されたと考えた 普通の人間の異常心理行動です。

 ともあれ、F・イエイツ女史の『薔薇十字の覚醒』などを参考に 異世界との交信について まとめてみると、① 聖書にもある「天使のお告げ」 ② 聖人による奇跡 ③ 悪魔の召喚 = 血で契約書にサインすると願い事を7つかなえてくれるが魂は地獄に落ちる、という Faust博士のアレ ④ 数理科学の4種類、になるそうです。
 幾何学や数理モデルがどうして「魔法」になるかと言うと、例えば、作曲者がメロディを思い付く時に「天から降りてきた」と言うように、補助線とか解法が「降って」くる問題解決を ルネサンス時代に 魔法と呼んだためでした。
 このうち 3番目だけがヤバいやつです。しかし、反ディー博士、アンチ化生論者は、① と ④ のことも ③なのだ と吠えたてました。ディー博士がやっていたのは、① と ④ だけでした。
   ディー博士の The Groundplatは、表形式で表わした ④ のことです。
   これが、現在のVR作品の起源だと、私は考えています。

 余談ですが、①の「天使のお告げ」の例としては、パゾリーニ監督の映画 『奇跡の丘』(1964年)を観て下さい。恋人マリアのお腹が膨らんで来たので、いったい誰の子だ ? と ヨセフが悩んでいると、天使が「心配するな」と お告げを言いに来ました。ヨセフの喜ぶ様子が 可愛いです。

  ③の悪魔との契約のアレについては、映画 『悪いことしましョ!』(2000年)を参照。秀作です。


 画像借用元: https://movies.yahoo.co.jp/movie/162114/   
 視聴には、DVD以上の 高画質をお勧めします。
 ネットで視聴するときは、必ず視野の3分の2以上の高画質の画面で観ないと面白さが半減します。

 ※ ついでに言うと、外科医は「自分の星回りが良い日」を選んで患者の手術をしていました。
 これも「化生論科学」です。

 私たちが現在の「普通の」科学を「機械論だ」と考えているのは、勘違いです。50年もすれば「化生論」の、先輩が指導してくれる CG研究会、ロボ技研に近い「薔薇十字の団員向けのような授業」が学校の普通のカリキュラムになっているでしょう。15世紀の鐘撞男から機械論が発達してきたように、アイバン・サザランド氏が1963年に発明した Sketchpadという装置によって化生論への科学パラダイムの大革新が起こりました。
 アラン・ケイ氏は Sketchpadを見て 「パーソナル・コンピュータ」という概念を思い付き、GUIという操作インタフェースが Macintoshで有名になり、Apple Ⅱの内部仕様の公開、IBM-PCの内部仕様の公開などを経て、気付かれないうちに、私たちの周りの科学技術は「化生論」に変化していたのです。そうした科学思想の大転換、旧時代の崩壊を告げる象徴ともいえる出来事が、1992年のIBMメインフレーム技術者(機械論技術者)の大量解雇でした。

 ※ 学士過程の学生のVR作品が、IVRCを経由することで 常時 国際学会の技術展示に採択されていることも 「時代の変化」の象徴です。

 ちなみに、アイバン・サザランド氏は、Sketchpadの発明後に重要な役職に就いています。1957年、ソ連による人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げ成功を受けて、米国はパニックになりました。スプートニク・ショックです。ソ連の人工衛星から原爆ミサイルが米国本土に打ち込まれる幻影に、米国民は震え上がりました。
 このとき、どうして米国は、人工衛星の打ち上げに失敗するのだ。そもそも科学研究の米国での予算配分が適切ではないのではないか、という深刻な議論が起こりました。このことに悩んでいた一人が、リックライダー氏でした、アメリカ国防総省国防高等研究計画局(DARPA)の、研究者への科学予算配分の総責任者です。国防機密ですから、その予算配分も どこに問題があったかについては明らかにされていません。しかし、リックライダー氏は、思い切った手を打ちました。まだ26歳のアイバン・サザランド氏という若者、マサチューセッツ工科大学の 大学院生を、DARPAの巨額の科学研究費の配分役の自分の後任に据えてしまったのです。それで、自分は さっさと大学に戻ってしまいました。
 このあと、予算配分の何がどうなったのか、詳しいことは分かりません。
 ともあれ、ケネディ大統領が「人類を月に送る」と宣言した後に、1969年にそれがテレビ中継され、70年の 大阪万博に「月の石」が展示された事は事実でした。私に推測できることは、ただ Sketchpadが化生論の産物だったから宇宙開発に成果が出たのだろう、ということです。機械論のうさぎが亀の後を追いかけたら、機械論のうさぎは常に「前に模範としての亀が走っている事」が改良・改善のために必要なのですから、うさぎは亀を追い抜けません。科研費の配分を変えてでも 2050年に世界のトップを目指すのであれば、化生論のうさぎを飼っている研究者(例えば、IVRCの関係者)をアドバイザーにして最先端に飛び出すべき、では ないのでしょうか。

 ※ アイバン・サザランド氏が DARPAの予算配分の責任者に選ばれたことで、サザランド氏自身の CADマシンの開発計画が、ずいぶん遅れました。人類は「月の石」の獲得と引き換えに、長い間、使いやすい CADマシンの完成(ベンチャー企業による製品化)を 待たされることになりました。

 それでは、450年間の科学研究の流れを、3分で まとめてみます。

 バターフィールド氏の『近代科学の誕生』(講談社学術文庫、原著1949年)が出版されたことで、「17世紀に科学革命が起きたこと」は 科学者の定説になりました。しかし、この本が「機械論」を主軸に書かれていたので、例えば、数理モデルを作るといった解法の起源も機械論だろう、とする明らかな誤読が生まれました。勘違いでした。(坂本賢三先生が講演記録のp.77で 「ああ、それは化生論ですね」と仰っています。)

 しかし、いくら現在の科学の中心が「機械論」なのだ! と威勢良く言い張っても、ルネサンス科学の時代に 一番流行していたのは、ヘルメス科学です。「魔術」です。数理モデルで 人工物と自然とを なめらかに調和させようとする(世界に平和と調和をもたらす)考え方が、魔術です。A・コイレ氏、P・ロッシ氏などの科学史の研究者が「魔術」研究の立派な著作を出版したことで、この 「魔術」を正当に 科学史上に位置付けることが どうしても必要になりました。そうした折に、H・カーニイ氏が 『科学革命の時代』(原著1971年、邦訳1972年)を出版しました。カーニイ氏は、邦訳書によれば バターフィールド氏の「弟子」だそうです。科学の3つの源流 Originsについて、とても整理の行き届いた解説を書いたのです。しかし、
 化生論(ヘルメス主義)の核になる重要人物として、ジョン・ディー博士が 「魔術」(ヘルメス主義」の歴史の中では、もっと強調されても良かった人物でした。F・イエイツ女史が 『薔薇十字の覚醒』の原著に それを書いて、ディー博士の役割を示唆したのが、1972年でした。
 当然、その前年に出版されたカーニイ氏の著書に ディー博士は、ほとんど出てきません。本稿では 『科学革命の時代』に挙げられた科学者たちの歴史に、もっと強調されても良かった「ジョン・ディー博士」を、科学史上の 本来 あるべき場所に「埋め戻す」ということを試みています。

 一方、坂本賢三先生も、ヘルメス主義の科学の源流を それ以前から東方の科学思想の中に独自に探求していました。講座 現代の哲学(5)「超越の座標」に坂本先生の書いておられる 光と闇」についての起源の論文は、とてもスリリングです。西欧世界における光と闇の対決の起源を「南アジア、西アジアの思想、そして、そこから影響されたキリスト教とグノーシスの思想」に探ろうとする興味深い論考です。近く ご紹介します。

 そして、F・イエイツ女史も 坂本先生も、1995年のプリント倶楽部を目にする前に亡くなりました。また、1992年にIBM社メインフレームの機器論的なプログラム開発が大崩壊して化生論がコンピュータ科学の中心になったことも、ご存じないままに亡くなりました。
 しかし、ご存命でしたら、「ね、僕たちの言った通りだろう」と喜んで下さったと思います。
 お二人の業績の先進性に改めて光を当てて F・イエイツ女史と坂本先生の研究に注目して頂くことは、坂本先生の「押しかけ弟子」だった私の責務だと私は感じているのです。このお二人の研究が無ければ、これからも 日本の科学教育は「機械論」による とても効率の悪い研究方法(例えば、米国 IT会社の研究テーマの物真似)で VR作品を生み続けていたかも知れません。そして、F・イエイツ女史が発見した 「薔薇十字に隠されたディー博士の記号論 = 新技術の発想法」が どのように VR作品までつながるのかの学燈(1614年以降の化生論の発展)については、改めて論じます。

 念のために、私が「化生論」とは こういう研究手法です、と 自信を持ってお伝えできている理由も書いておきます。


 私は1980年から PCの業務用パッケージソフトの製作という仕事を始めました。ちなみに、JIS X 0151(JIS → ISO 9127になった珍しい例です)の外装表示部分の内容は、私が考えて日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(パソ協)の技術委員として第2回総会で発表したものが そのまま採用されて標準化されています。(東芝の「操作説明書」標準化案と併せて公示されました。)また、同時期に務めていた SOFTICの研究会委員としても、外装表示標準化の普及のための多くの記事を書きました。このように、日本の化生論の黎明期の ただなかにいた事で、私は コンピュータソフト開発手法の化生論への顕著な移行に気付けたのだと思います。80年代のNTT主導のニューメディア時代に私が企画したCSKキャプテン画像製作システムの大ヒットや、(第2世代の)AIを活用したCSK社内ネットワークの基本設計などを経て、1992年のSEGAのAS-1の製作などに従事しました。民間企業の研究委員として SOFTICの 季刊誌の啓蒙記事や コラム連載の他に、JBMIAで長く標準化の作業を行ないましたので、通産省の多くの研究会に委員として呼ばれました。
 日本規格協会(INSTAC)の委員会では、1991~95年に政府文書の標準化の検討もやりました。
 今思い出しましたが、国際問題研究所の研究会にも呼ばれました。『世界標準の形成と戦略 -デジューレ・スタンダードの分析-』(平成13年度日本規格協会標準化文献賞奨励賞 受賞)という同研究所の本に、「IT産業とデファクト・スタンダード」という一章を執筆しました。東洋大学の中北徹教授に パソコンの歴史の資料を整理して差し上げたことから 同研究所の研究会に呼んで頂いたのがきっかけで、同書では ネットブラウザのデファクト競争を「三国志」風にまとめています。
 日本VR学会での理事、評議員のお仕事や IVRCでの役割については、長くなります ので(1993年~現在 については) 別記します。

 ついでですから、VR技術の構成要素図」「VR / MULTIMEDIAの構成図」「Sketchpad 型メディアの統合モデル」・・・どれも同じ構成図になるのですが、1993年12月から 私の社外講演で使用しているダイアグラムを、改めて 載せておきます。マルチメディアと VRを統合して構成要素を図示したダイアグラムは、これしかありません。


 出典:『バーチャルリアリティ学』(コロナ社、2011年)7.2.4.「エンタテインメント」(pp.269-274)

 上の構成要素図の読み方は何度も書いていますが、「観客・表示装置・バーチャルな世界」が、「映画」または「体感劇場」を表わします。物語の世界観や目標を表現していますので、有機体論で分析できます。「入力装置」「表示装置」は、故障することがあり得る 機械論的な構成要素です。
 そして、「入力装置を操作してバーチャルな世界を観客が直接操作し、その結果をリアルタイムで観客が表示装置で確認できること」がインタラクティブ性と呼ばれるもので、マルチメディアや VRの核心の技術です。これが化生論の得意分野です。例えば、ゲームプログラムの開発者は、観客(プレイヤー)が何を目的に どういう達成感でゲームに取り組むのかを推測して、観客が満足するゲームを開発しています。VR作家も、観客の感覚器官の心地よさに寄り添うことで 作品世界を提示できるのです。

 群馬大学 社会情報学部での学際領域授業 「Interactive Park Attractionsの、つくりかた」(1998 - 99年、各年4回合計720分 ×2年)の中では、上の図を「マルチメディア」の歴史にからめて講義しました。下田博次先生が全講義をビデオに撮って下さいました。これとは別にデジタル経済の研究会を 増田祐司先生や下田先生、野口恒さんたちと学士会館分館で一緒にさせて頂いていたことは大変良い思い出で、1997年に(東大 社会情報研究所の増田祐司先生の司会で)「オンデマンド経済」の発表をしました。


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 ◇ ウォルトの体験した 「オズワルド効果」の話

 450年間の科学の歴史 を駆け足で書いてしまったので、皆さんの記憶には、エリザベス・ハーレー嬢の足だけしか残っていないかも知れません。それで、急いで、付言しておきます。ウォルト・ディズニーが テーマパークの構築方法(ノウハウ)や定義について殆ど資料を残さなかった事には理由がありました。それは、彼の若いころの不幸な体験が原因です。

 ウォルトの口頭での指示を受けて ディズニーランドを造成していたスタッフたちは、多くは「個別のエリア」だけに係わった開発をしていて、複数のアトラクションに係わった人物は ごく少数でした。どうやら、ウォルトは、テーマパークを作るための 統合されたノウハウを 自分一人の頭だけにしまっておこうと考えていたようです。
 それには、つらい思い出がありました。1927年にウォルトが考えて、大人気になったキャラクターにしあわせウサギのオズワルドが いました。ところが、このウサギを使用する権利が突然ウォルトから取り上げられて、何という事でしょう、優秀なアニメーターも 多くが彼のスタジオから引き抜かれてしまったのです。

 その経緯は、次のようでした。

 この短編アニメを配給していたのはユニバーサル・スタジオです。ウォルトは、「オズワルド」の賃上げを交渉しようとしたのです。ところが、ユニバーサル・スタジオは その引き上げには応じず、また、「アニメの人気キャラクターを自社で抱えたい」と以前から考えていたこともあって (まだ若い)ウォルトから オズワルドの権利を奪い、ウォルトのアニメ・スタジオから優秀なアニメーターの多くを引き抜いてしまったのです。ウォルトの失意は 相当なものでした。当時、ユニバーサル・スタジオとの交渉の窓口になっていたのはチャールズ・ミンツという興行師でした。キャラクターの権利を このミンツが持っていたことから、彼が ウォルトを裏切って従業員の引き抜き工作をやったのです。

 とにかくウォルトは、「オズワルド」のアニメを作ることが できなくなってしまいました。それで、彼のアニメ・スタジオからオズワルドに代わるキャラクターとして誕生したのが ミッキーマウスでした。一方、ユニバーサル・スタジオに移籍したオズワルドのほうは 人気が凋落します。ハッピーエンド? バッドエンド? この話には重要な教訓が含まれています。

 どんな作品を製作するときにも、その作品について誰がけん引しているので周囲が動いているのかを見極める必要があるということです。しかし、それについては また後で触れます。おそらく、ウォルトの頭の中には、この時の経験が残っていて、ディズニーランドについての開発ノウハウを公示したり、テレビでしゃべったりすると、「以前のように 従業員が引き抜かれた時に、近隣に優れたテーマパークが競争相手として出来るので困る」という気持ちが あったのでしょう。実際、ウォルトが亡くなった すぐ後に、ユニバーサル・スタジオが「うちもテーマパークだ」と言い出しています。「しあわせウサギのオズワルドの因縁が再燃された」と 私には思えました。

 ここからは、様々な教訓が得られます。ちなみに、うまい しるを吸おうと考えたミンツ氏ですが、ウォルトとロイが 「そんなことをすると、自分も同じ目に合うから やめておくように」と助言したのに、その言葉に従わずに ユニバーサルの言いなりに版権を譲ったとたん、あんたなんか要らない、と捨てられてしまいました。人の信頼を裏切ると、誰からも、事情が変わったら裏切る人だろう と信用されなくなります。(ですから、職業詐欺師の集団は必ず 内部の裏切りで崩壊します。そのことは覚えておくと良いでしょう。) 作曲家の大槻ケンヂ氏は90年代の初頭から「自分は人として軸がぶれている」と公言されているのですけれど、怪獣ブースカとかせっくすとか 絶望とか UFOに 「一貫してぶれて」いる人ですから大槻氏の基軸には ゆらぎがありません。誰かを裏切ることのできる人は、ウォルトと一緒の時にはウォルトの価値感に、ユニバーサルの会議室では そこに調子を合わせる、つまり自分の価値観に自信が無くて 多軸にぶれる人なのです。

 こうした人たちが 「オズワルド効果」の しっぺ返しを食うことになります。

 「オズワルド」に人気があったのは、ウォルトが絵は下手でも面白いことを いろいろ思いついていたからでした。それで、ウォルトとの仲を裂かれた「オズワルド」の人気が失速したのは当然でした。これと同じことを、私は CSKの社内で経験しました。他社との共同実験を持ちかけたところ相手先の課長にアイデアを盗られ、その課長が一人で実験して失敗してその市場の可能性を潰してしまい、左遷されたらしい、というのがその顛末でした。


 私が経験した、また別の貴重な体験も「オズワルド効果」として いずれ改めてお話しします。ちなみに、セガ・エンタープライゼスでは A取締役が「業務用機開発のR&D社員を(勘違いから)大量に解雇した」という出来事が、典型的なオズワルド効果でした。1992年にIBM社がメインフレーム ソフトの社員を大量に解雇した理由を、A氏は真逆に勘違いしたのです。この方は、当時CSKの社長を されていた方でしたので SEGAの社内が その言葉を信じて、会社は黄金の卵を産むガチョウたちを大量に解雇しました。これが オズワルド効果になって、会社の凋落が始まりました。その間違いに大川会長が気付かれて、2000年の中頃から180度の方向転換を図り、 「SEGAを業務用機中心の会社に戻す」と業界紙や新聞で その当時 広く発言しておられました。社内中から「お荷物だから潰してしまえ」と批判されていた東京ジョイポリスが大川会長のポケットマネーの(わずか)10億円の投資(実際は 7億円強)で復活して、2000年の大みそかには 開業時1996年の大みそかに等しい集客数で年を越したことも大川会長の「業務用機中心が正しい」という判断に裏付けを与えました。2001年3月のガンの手術の時には、大川会長は 直ぐに治って復帰できると甘く考えておられたようでしたが、手術の少し前に 「Aに騙されていた」とも仰っていたそうですから、A氏をSEGAの経営から外した事と同様にCSKの経営陣からも このときに外しておかれれば良かったのにと 私は思います。ある方のお話では、CSKの保有するSEGAの株式を一株も残さずに売り払ったのは、この A氏のご判断だったそうです。ところが CSKの1998年の中長期戦略では グループ売上1兆円が目標になっていて、その売上の大きな比重を占めるSEGAの株式を一株も残さずに売ったのでしたから、CSKの株価は暴落しました。大川会長は A氏の経営判断の間違いから、CSKと SEGAの両方の事業継承を潰されたことになります。

 長くなりましたので、ここで、前回 第十五回の宿題 の回答を書いておきます。

 もしも、森林太郎のドイツ留学時(1884年)に乗った船に、日本のロボット開発者がタイムスリップか何かで紛れ込んでいたとします。到着したマルセイユ港の税関では、所持品の中にロボットの図面が見つかりました。開発者は、その図面について こう説明しました。
   「介護施設の高齢者の入浴介助用に AIを備えたロボットを開発している。被介護者から喜ばれるはずだ」
この説明に、19世紀の税関の担当者は、どう感じたと思いますか。と、私は書きました。

 唐突に 森鴎外をここに出したのは、後のほうで バイエルン国王 ルートヴィヒ2世に話を振る伏線でした。明治十九年六月のルートヴィヒ2世の謎の死は 鴎外が留学中の出来事でした。「独逸日記」には、彼が友人と一緒に見に出かけたという記述があります。その話は またいずれ。 ともあれ、税関の官吏には、「要注意人物の入国を拒否できる」という強い権限がありました。(出入国審査は、日本では法務省の職員が担当していますが、歴史的には 税関職員の仕事でした。) そして、それまでに刊行された小説の中では、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』(1818年)に描かれたように、人造人間は 「怪物」です。生き物を造れる存在は 「神」だけでしたので、人造人間を造る人は、神に対する反逆者。今でいう、
   国際的なテロリストが入国管理の税関で見つかったような騒ぎ
になりますから、危険人物として投獄は免れません。一生、牢獄かも。結局のところ、
 デカルトが 『方法序説』に書いていたのは、キリストを(彼なりに)讃える方法としての機械論だったので デカルトは 投獄をまぬがれた訳ですから(ただ、逮捕を恐れて匿名の出版には、していましたが)
 私たちが、19世紀の税関の官吏から警戒されて 「逮捕しちゃうよ」と言われかねない「驚嘆すべき」VRの工学製品をこれから 2050年に向けて開発するのに当たっては、(税関で逮捕される危険の少ない)機械論による開発では効率が悪いということを認識して、

   VR作品では「化生論」による開発を目指すこと。そして、その際には、

 ・ 神と自然を崇敬する。
 ・ 悪事に関わらない。
 ・ 化生論の科学者・技術者への援助を惜しまない。
 ・ 金儲けや違法献金には関わらない。
 ・ 神に召される以上の長命を望まない。(文章の要約は筆者による)

ことが必要なのではないでしょうか。
 これらは1614年と15年にドイツで刊行された著者不明の 2冊の怪文書「薔薇十字団宣言」と併せて読まれている 1616年の小説『化学の結婚』から抜粋しました。小説中に登場する「黄金の石騎士団」という団体の団員規則だそうなのですが、薔薇十字団 の人たちの規則でも あったようなのです。

VR奥儀皆伝( 8½ ) 『謎解き・テーマパークVR』(15)
 DL以外の「テーマパーク」の テーマは何 ? 
 【補講】 ジョン・ディー博士は「制御工学」者でした。「薔薇十字団」は、数理科学者の同好会です。こちら
( 8½ )(9)「暫定総目次
VR奥儀皆伝( 8½ )(17)に続きます。→ 
こちら

( 8½ )(15)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2020-11-06 | バーチャルリアリティ解説
 第十五回 DL以外の「テーマパーク」の テーマは何 ?
 【補講】 ジョン・ディー博士は「制御工学」者でした。「薔薇十字団」は、数理科学者の同好会です。
                          【( 8½ )総目次
 「テーマパーク」に共通する特徴を(11)~(14)で 分析しました。

 この話に続けて、カリフォルニアのディズニーランド(DL) WDWの EPCOTなどで、
   ウォルトが工夫したアトラクションの細部や 施設の作り方の話をしよう
と思いましたが、その前に 大事なテーマを一つ忘れていました。

   DL以外の「テーマパーク」の テーマは 何だったのでしょう?

 「狭義の テーマパーク」である DLでは、オーロラ城を四方から、テーマ化された四つの国(Themed Lands)が囲んでいます。Adventureland、 Frontierland、 Fantasyland、そして Tomorrowland の 4つ(12)です。どれもが、それまでに製作された「ディズニー映画」のテーマでした。
 ディズニーランド以外の 広義のテーマパークで、その Parkのテーマが何か をホームページなどで公表している施設は、ほとんど ありません。(質問されたとき、広報担当者が何か答えている施設が多いようです。)

 それで、私は、日本の代表的なテーマパークの幾つかに「テーマ」を考えて差しあげることにしました。1994年の NICOGRAPHのパネル 「テーマパークにおけるエンタテインメントの世界」で これを発表したとき、そのテーマパークを代表して来ておられた方も壇上におられましたが 私の講演は好評でした。
 それらは、
   日光江戸村:
「日光東照宮などが造営された江戸時代を舞台にした、時代劇の世界」
   北九州のスペースワールド:
「宇宙開発と教育を通じた『人類の未来に対する確信』」
   長崎のハウステンボス:
「長崎とオランダとの、古くからの友好通商関係」
という内容ですが、いかがでしょう。 


 画像借用元:http://edowonderland.net/enjoy/gallery.html   日光江戸村

 どのテーマパークでも、その「テーマ」を連想させるものだけが 360度の視野の空間に見えます。テーマパークの 従業員の衣装・役割・振舞もテーマに沿って演出されており、その場所は、
   
「視野の 3分の2以上のスクリーンで 現実と同様のリアルな没入感が得られる」
というトランブルさんの「体験劇場」の特許を通して、 VRの構成要素と共通する特徴を持っています。

 ところで、2003年頃に福岡市の郊外での開業が準備されていた「パラマウント映画テーマパーク」(仮称)では、もしもそれが 実現していれば セガ・エンタープライゼスの OBたちにも協力して貰って開発をするつもりでした。
 計画が実現できなかったことは、本当に残念でした。
 
次の題名は、そこで使用できた パラマウント映画の豊富な題材(公開順)の、ほんの一例です。

   『我輩はカモである』『ベンガルの槍騎兵』『レディ・イヴ』『麗しのサブリナ』 『めまい』『サイコ』『ゴッドファーザー』『スタートレック』『インディ・ジョーンズ』『ミッション:インポッシブル』『プライベート・ライアン』『トゥームレイダー』『スポンジ・ボブ』『トランスフォーマー』『タンタンの冒険』などなど。

 ところで、【自習教材】としてですが、上の映画から一つを選んで場面を VR化してみましょう。
 例えば、映画『サイコ』
(1960年)を VR化する思考実験には、頭を 化生論的に働かす必要があります。これをお読みの皆さんは奥儀皆伝( 8½ )(6)の『レベッカ』の VR化をご記憶でしょう。あれと同様に、上の映画の一場面を VR化してみるという練習です。
 
(ただし『レベッカ』は、ユナイテッド・アーティスツの作品なので、ここには使えません。)
 頭を「化生論」で鍛えること
(つまり、作品のテーマを 別のメディアに脚色してみること)は、他の先人も やっています。 1935年のベンガルの槍騎兵』や 1939年の 傑作RKO映画『ガンガ・ディン』の波乱万丈のストーリーは、手塚治虫氏が自身の漫画の筋書きに取り入れて 活用しています。『ジャングル大帝』の最終章は『ガンガ・ディン』を 参考にしています。(『手塚治虫漫画全集』講談社 別巻390 手塚治虫対談集第2巻 小松左京 松本零士 大城のぼる を参照)

 
『サイコ』では、VRシステムの操作者が「油断している」と 思いがけない展開が訪れます。

 さて、「パラマウント映画テーマパーク」
(仮称)は、博多駅前から地下鉄に乗って直ぐの場所の ゴルフ場にするつもりだった計画予定地を候補に開発計画が 進められており、実現していれば 福岡の顔として 観客の来場をお待ちしているはずでした。ここを起点にして 大宰府や北九州などへの周遊ツアーも旅行会社が組んでいたことでしょう。(注)
 何より残念だったことは、実現できなかった豊富なタイトルが、20世紀の映画芸術を代表する作品揃いだったことです。オードリー・ヘップバーンを相手役にした VR作品で、例えば 男性の観客と オードリーが 恋に落ちる話などは、同伴した許婚者を はらはらさせたでしょう。かつての AS-1シリーズや『VR-1』『ザ・クリプト』などの VRアトラクションの金字塔を創作したメンバー(セガ・エンタープライゼスの OB)たちは、殆んどがセガを離れて活躍しています。でも、パラマウント映画の開発が、もしも 2003年頃にあったら、、、 彼ら OBが 再び結集した開発が、今 現在も、セガ社内で続けられていたかも知れません。

 (注)セガ・エンタープライゼスの OBたちが、会社にまだ残っていた R&Dのメンバーと共労して VR作品を開発するチャンスは、実は、何度かありました。例えば、
   ① 米国のユニバーサル・スタジオが シティウォークに1万㎡(東京ジョイポリスと ほぼ同じ広さ)の都市型テーマパークの造成を中山隼雄社長に依頼してこられた時 ですとか、
   ② 大川功会長がセガ・エンタープライゼスの経営基盤を再び「業務用ゲーム機中心」に戻すことを 2000年に宣言されて、東京ジョイポリスのリニューアルに10億円が投資された時。それから、

   ③ 2003年に パラマウント映画テーマパークの計画が具体的に持ち上がって、セガOBと 現役のセガ・エンタープライゼスR&D社員の「共労」を前提にしたアトラクション開発が、社内の役員層の強硬な反対を押し切って受注できるという可能性が強くあった時。更に、
   ④ 2004年に 韓国ジョイポリスの計画が立ち上がって、私が 韓国に出資者の依頼で視察に行って ソウル地下街の 当時 Xbox展示場だった場所など何か所かをジョイポリスに作り直す検討をしていた時も、そうでした。また、韓国ジョイポリスの計画に併せて、私は
   ⑤ CAVE型VR(B.O.X.)システム製作に使える 3Dプロジェクターを(『ザ・クリプト』の伊藤さんが着想した独創的なアイデアで)新規に開発を進めていたことから、東京工業大学の中嶋正之先生にプロジェクターの性能評価をご依頼したことがありました。同大学の橋本助教が論文を書いて下さいました。

 このように、社外に出たセガ・エンタープライゼス OBと 社内の R&Dの共労で『ザ・クリプト2』
(仮称)などの新作を開発する計画が具体的に進んでいたのです。しかし、これらの可能性は どれも(社内の 役員層からの強い抵抗があって)実現していません。考えてみると、東京ジョイポリスの 2000年のリニューアルも、若手の担当者から大川功会長への直訴が実り 会長の裁量で実現したものでした。私の計画も、社外の稲元章博さんや テーマパーク造成の専門家、そして、個人的な友人たちに親密に協力して頂いて ようやく進めていたものですが、例えば 「韓国ジョイポリス」の計画に唯一、賛同して下さったSEGAの社内の方は ある取締役 ただ お一人で、その方も やむを得ず辞められました。
 
※ ちなみに、CSKが保有する SEGAの株には 年商6000億円の価値があると 2004年まで考えられていました。

 余談ですが、私が偏愛しているパラマウント映画の傑作は、プレストン・スタージェス監督の『レディ・イヴ(1941年)というスクリューボール・コメディです。世界的にも、どうして VRコメディ・アトラクションが出てこないのか、私には大きな謎です。

 ※ 東京ジョイポリスなどの「都市型テーマパーク」のテーマについては、改めてご紹介します。

 話を、映画の一場面のVR化に戻します。 テーマパークVRアトラクションを化生論的に開発することは、次のようにすることです。どんなVR作品でも、作品のテーマ (つまり、映画版の監督が描きたかったテーマ = 観客に支持されたテーマ) に添って、それが観客の印象に強く残るような演出を(例えば バロック美術のように)「嫌味にならないよう」隠し味に添えるのです。映画をひな形にすれば、隠し味が思考実験しやすくなります。

 ※ 書いていて気付きましたが、これは書初めの半紙の下に 名人のお手本を敷くのと同じです。

 演出を添えるというのは、自分の過去の経験で好評だった表現を「コピー」して
「作品を土産物屋のマンネリズムに変える事」ではありません。観客に その作品のテーマが理解されるように 美術的・構成的な魅力を加えることです。例えば、もし作品のテーマが「意外性」を含むものだったら、VR装置を観客に装着して頂く時には 特に、観客の意識が装着する装置自体 に なるべく向かないよう自然に済ませる必要があります。
 ですから、次の方法は、IVRCなどの手作り VR作品では難しい やり方ですが、トロッコ型のライドは「装着」が
「ライドに乗り込む」こととセットになっているので演出が施しやすくなります。都市型テーマパークのVRアトラクションとしては、ナムコ社が初めて『ドルアーガの塔』(1990年)で線路を走るトロッコと VRの演出を合体させました。(1992年に二子玉川の「ワンダーエッグ」に移設されました。)トロッコに、もしも銃座が付いていれば、観客は自然に銃を構えます。

 ところで、銃座など無くても、船で河の流れに身を任せていれば
「岸辺」の光景は嫌でも観客の目に入ります。

 ですから、これまで『イッツ・ア・スモールワールド』が ルードウィヒ2世の リンダ―ホーフ城(1878年完成)にある「ヴィーナスの洞窟」と同じ機構、「船でアトラクションの内装を見学する」演出であることを指摘したテーマパークの解説者は いませんでしたが、それは自明では ないでしょうか。リンダ―ホーフ城は 城内がワグナーのオペラの世界(テーマ・アトラクション)になっています。映画『ルードウィヒ』(1972年)でも、国王自身が船で洞窟を揺蕩 たゆた って、オペラ『タンホイザー』(1845年)の描く耽美な「ヴィーナスの山」の世界に 船上で耽溺 たんでき している様子が伺えました。楽隊が演奏できる場所も、用意してあった筈です。
 この船に乗り込むこと = バーチャルな世界の体験装置の装着、でした。
ウォルト自身が、まるで種明かしするように、ルードウィヒ2世の ノイシュバンシュタイン城のコピーを DLの中央に建てました。DLは、ルードウィヒ2世の着想をリスペクトしております、ということです。

 さて、VR版『サイコ』の企画に少しだけ、補足しておきます。

 以前に、日立のデザインチームが行なった 高級寝台列車の内装設計が「乗客の想定シナリオ」に基づいていると お話ししました。60代のフルムーン旅行のカップルは、荷物棚が もしも高いところにあったら、重い荷物が腕で支えられません。ですから車両内装の設計者は、VR技術で寝台車の内装を3Dに立体化して眺めるだけでも、これまでより多くの気付きが得られます。そして、そのメンバーの誰かが、たまたま映画『サイコ』
(1960年)のシャワー室の場面の VR化作品を、IVRCですとか 何かの機会に開発して、その内容が「そこにいる観客が いきなり 殺人者に襲われる」という作品だったとしたら、そのVR作品は、
   
ウェイターが列車の強い揺れで誤って乗客にスープを掛けてしまった、
という場面に転用できるかも知れません。また、
   
混雑した欧州の食堂車で 外国人の乗客が ウェイターに なかなか注文を理解して貰えない、
という切迫した状況にも、VR版『サイコ』の開発経験は活用できるでしょう。

 ******

 私が 具体的な VR製作の開発メソッドを書いている理由ですが、料理方法のレシピに相当する内容を(必要なタイミングで)VR作品の開発者に紹介して皆伝することが「化生論システム」での最も望ましい市場の広げ方になるからです。ジョン・ディー博士が「数学への序説」を1570年に公開したことで、数理科学(当時の「魔術」です)は 社会の中での活用の機会を広げました。
 ユークリッドの『幾何学原論』は 教科書として使われたので 何度も印刷されていますが、その100年後の印刷でも、当たり前のようにディー博士の序説が 付いていました。ところで、読売新聞朝刊の
「気流」に掲載されていて知ったのですが、イタリアンの名シェフ 落合務氏のコラムによれば、イタリアの高級料理店での氏の修行中は、どの店でも従業員同士が仲良くしゃべり合い、ノウハウも隠すことなく教え、
   中には わざわざメモを書いて 
レシピや秘訣を教えてくれた人 まで いたそうです。(2020.10.27 記事)
 だからこそ、美味しいイタリア料理の 素晴らしい新作は、イタリア中の高級料理店で これからも作られ続けて行くのです。

 面白い VRアトラクションも、今後も 
持続可能に継続して 開発されることが期待されますから、
   
VR作品を創ろうという「好みを同じくする人たち」birds of feather が 自由に語りあえる集会場所 が必要です。
 私の独自説ですが、
日本科学未来館の観客」には、リトマス試験紙のような優れた嗅覚を未来技術に嗅ぎ分ける人たちが多いのではないでしょうか。IVRCも、サイエンス・アゴラも、ある意味では、「未来館の鋭い観客の感性に育てて頂いて」その展示内容を進化させてきた側面がありました。
 落合シェフの学んだ 高級レストランの厨房
(近未来の看板料理のための創作実験室)には 感覚の鋭い料理人が集まっていたように、近未来の優れた人工物を 嗅ぎ分ける感性が 未来館の観客(や そこでの出展者)に 備わっているのかも知れません。私は未来館で IVRC作品が展示される場合の観客投票「未来観客賞」を最重要視していました。その受賞作品には、国際学会に独自応募で採択される作品が目立ちました。

 米国の『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド』(BTFR)の開発スタッフたちが来日して、セガ・エンタープライゼスの AM5研の倉庫にあった AS-1の横に 2週間詰めてくれた時の雰囲気が 正にそうでした。(1992年の冒頭でした。)彼らは、AM5研の若くて優秀なスタッフたちに
   
「ほら。座席を こう揺らすのと、こう揺らすのとでは、全然違うだろ」
と揺動の基本を示しながら AS-1『マゴ―!』の揺動を最終確認していました。そのときのAM5研の倉庫の雰囲気は、落合シェフが修行された高級レストランの厨房と同じだった、と読売新聞のコラムを読みながら 私は思い出していました。

 自分たちが自信をもって開発した『MUGOO!』という AS-1のコンテンツの長所が正しく伝わるだろうか、と心配しながら来日して 本社近くの新築のセガの社員寮に泊まった BTFRのスタッフたちは、AM5研のメンバーたちと一緒に作業をして
「内容が理解されている」と安堵しました。その BTFRスタッフの安心感が、同じ開発目標に向かって努力している SEGA社員との共感を生んだのです。

   
こうして セガ・エンタープライゼス は、先端のアトラクション開発ノウハウを身につけました。

 今、思えば、
セガ・エンタープライゼス の新築の社員寮を無償で快く利用させて下さった 優秀な本社 総務部のお陰でもありました。感謝しています。それから、昼食・夕食・宿泊代を セガ・エンタープライゼス の負担にして、毎日一緒に、ファミレス・中華料理店・食堂で食事をしたことも、落合シェフの高級レストランの厨房と同じ効果を挙げました。
 本来の、VR作品の作り方も、映画製作と同じで化生論です。例えば、ヒッチ監督が経験者の開発ノウハウを腹蔵なく『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』に公開したように、VR作品の開発者は その開発のメソッドを 後進に伝授するほうが、優秀な人材が育つのです。
 これを 視点を変えて述べると、IVRC作品の展示会場で、出展者の学生が観客と話していた時に、もしも その観客が 「類似したVR作品」を作った事かある人だったら、その人が VR作品を開発をした後に反省した点が必ず あるはずです。そこを、ねほりはほり 聞くべきだということです。
 尋ねれば、必ず丁寧に教えてくれます。(失敗の伝承が 特に大切です。)
 レシピを盗まれると困る、というのは、VR製作や イタリアンの新メニューを創ろうとしている人に関しては 全く杞憂です。公開情報で各開発者の実力相応に VR作品が完成します。落合務氏のような名シェフや ロジャー・コーマン監督などは、レシピを真似されても全く気にしませんでした。つまり、

   機械論と化生論では、開発メソッドが全然違う のです。

 映画製作のロジャー・コーマン監督を例に挙げると、優秀な映画学校の学生をアルバイトに使って製作費を けちりながら、映画製作のノウハウを惜しみなく親切に教えました。ジェームズ・キャメロン、ピーター・ボグダノヴィッチ、ジョナサン・デミ、マーティン・スコセッシ、フランシス・フォード・コッポラ、ロン・ハワード、ガス・ヴァン・サント、スティーヴン・スピルバーグ。皆んな コーマン師匠のバイト生です。これと比較すると、CAVE型 VR製品で有名な某社が推奨しておられた VRの開発メソッドのように、機械論的に「社外に対して秘匿する開発」も、やろうと思えば できるのです。けれども、
   その会社のソフト開発担当者には、
技術向上できる機会 が、たまたま公開された海外のVR作品のビデオで観るもの位でしか得られません。
 ですから「軍事機密」の とても扱いにくい武器などと同じ低いレベルの作品しか CAVEに関しては 出て来ません。開発のためのソフトの取り扱いが大変な割に、利用者からの人気は今一つでした。機械論で、VR作品は 開発できません。
CAVE型 VR製品の某社は、日本の IVRCなどのコンテストにスポンサーとして参加して、例えば、秋葉原の名門 VR機器販社ドスパラ社がされているように「IVRCの参加学生に PCなどの必要機材を無償で貸し出す」などの、化生論的な開発メソッドに手を貸してみられては、いかがでしょう。それで、仮にそのVR作品が欧州最大の VR展示会(フランスで開催される)Laval Virtualに採択されれば、日本だけでなく欧州での目立った公開も実現できます。
 Laval賞は、毎年審査されています。IVRCの国際性については また、改めて。

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 【補講】 ジョン・ディー博士は「制御工学」者でした。「薔薇十字団」は、数理モデルの科学の同好会です。

 フランシス・イエイツ女史の慧眼で、
   
ジョン・ディー博士が VR作品など「数理モデルによる制御工学」の Origin(源流)だった、
ことが分かりました。その典拠は 
1986年に邦訳が出版された 『薔薇十字の覚醒』です。

 ※ 私は 東京と関西の それぞれの在所での研究用に『…覚醒』を 2冊持っています。この本と、それから、『原典 ルネサンス自然学』【下巻】池上俊一 監修 名古屋大学出版会 2017年 の冒頭に、ジョン・ディー博士の『数学への序説』が見事な翻訳 (坂口勝彦氏訳) で掲載されていますが、この 2冊が導きの糸となって、思わぬ展望が開けました。
 
ディー博士の原文は、Project Gutenbergに載っていますが、これを Google翻訳にかけたものは 意味不明でした。図書館まで出かけて、坂口氏訳をお読み下さい。この翻訳を(注釈も一緒に)読めば、ディー博士が「今日の私たちの常識 = 数理モデルで世界が理解できる」という近代工学の発想の先駆者であることが納得して頂ける と思います。



 今日の多くの工学者が「自分たちは、機械論学者だ」と考えて研究をしています。F・ベーコンや デカルトの後継者だ、と思っているのです。しかし、それは勘違いです。坂本賢三氏の講演記録にあるように、工学はこの時代には魔術でした。

 VRは、かぼちゃと ねずみを工学的な手法で、シンデレラの馬車に変える科学です。

 これに対して、コンピュータ科学は、1980年代までは「機械論的」な開発をしていました。私も COBOLのプログラムを 仕事で組みましたが、大型機「メインフレーム」のためのプログラムでは、
   
プログラムの冒頭で、変数の意味と その範囲を「定義」して、
トップダウンでコーディングをしていきます。
   プログラムの「仕様書」は、必ず 最初に与えられました。

 (完成された姿の)仕様書が最初に(発注者から)与えられるのが、機械論です。
   
つまり、機械論は、時計の修理部品を効率よく開発するための科学です。
 大型機の演算結果の「信頼性」は、機械論的な開発手法で担保されました。

 しかし、1992年に 米国IBM社が巨額の赤字を出した時に、コンピュータ科学の「機械論」は 破綻しました。PCの時代が Apple Ⅱ から始まっていたからです。
 ちなみに、IBM-PCの開発責任者が、Apple Ⅱのヘビーユーザでした。

 1992年に IBM社では、メインフレームの開発者を大量に解雇して、例えば SEGAの R&D社員のような技術を持った「化生論」のプログラム開発者を大量に雇用しました。IBM社は、このことで倒産をまぬがれました。同じ理由から 1992年に IBM社では、大量の弁護士を解雇しました。この弁護士たちが「著作権法でコンピュータソフトを60年間、自分たちの 飯のタネにしよう」と考えた人たちでした。この弁護士たちの目論見が、
1992年に 外れました。

 ※ コンピュータ・ソフトウェアの権利を日本の担当官庁が「刑法の改正」で保護しようと条文改正の準備を進めていた時に、私は 日本パソコンソフトウェア協会の技術委員をしていたので呼ばれて、民間のソフト開発会社の有識者として そのドラフトを査読しました。しかし、外国からの圧力があった、と私は聞いていますが、ソフトの権利保護は「著作権法の改正」で進められることになり、担当されていた通産官僚は怒って役所を辞めてしまわれました。その後 IBM社の大赤字で、著作権法による保護が間違いだった と分かりました。辞めた元官僚の進められた方向が、正しかったのです。

 Apple Ⅱ(1976年) IBM-PC(1981年) マッキントッシュ(1984年) iPhone(2007年)のいずれもが「化生論」による科学機材、昔の魔法の道具です。魔法という言い方が悪ければ、「シンボル」的に数理モデルを操作することで、最適解を探す道具でした。1963年に I・サザランドが(タッチペン入力の)「スケッチパッド」を発明し、1968年に ダグラス・エンゲルバートが「スケッチパッド」の上で操作できる「Windows、Mouse」などのアイデアを講演したことから、今日、私たちがスマホの Lineで、「今日は、すき焼だから 帰りに おとうふ買ってきて頂戴ね」と頼まれる生活が始まりました。これは、「化生論」による科学です。

 それでは、17世紀の「科学革命」について、どこを どのように誤解したことで「化生論」の数理モデルを「機械論だ」と取り違えることが起きたのでしょう。機械論は、時計屋さんが作った教会の自動人形の「補修部品」交換の科学です。
 iPhoneのような「新市場を開拓する新発明」とは、無縁です。
 幸い中公の「世界の名著」に、調査に必要な原典が正確な日本語訳で揃っていました。「世界の名著 22 デカルト」や「29 ディドロ、ダランベール他」などに目を通しました。それから、カッシーラーの『デカルト、コルネーユ、スウェーデン女王クリスティ ナ』も裏事情の調査に参考になりました。
 原典を読んだ人には、すぐに分かっただろうと思います。

 オッフェンバックのオペラ『ホフマン物語』8½ (6)を例に挙げると、人間離れした歌唱力の自動人形「オランピア」は、
   
「人形作者のコッペリウス」
が 創作しました。物理学者の スパランツァーニが作ったものでは ありません。その物理学者は、お金を渡して 発注しただけです。何が言いたいのかというと、F・ベーコンや ガリレオ、デカルトのような「科学者」は、
   
ロボットや サイボーグを研究者が自分で開発するための科学を体系化したのでは、なかった
ことになります。そもそも、この世界は、誰が造ったのですか? あなたの おじいさん? いいえ、「神話」によれば 神様です。
   
人間や「自然」は、神様が お作りになりました。
聖書の「創世記」には、そう はっきりと書かれています。そして、

 F・ベーコンや ガリレオ、デカルトは、神の存在を 強く信じて生きていました。
 ガリレオも 地動説を「しぶしぶ」取り下げましたが、彼らは、神様の奇跡のような手仕事を讃えていました。ですから、デカルトの提唱した『方法序説』の機械論はスパランツァーニの科学でした。
 スパランツァーニを10人集めても、1台のオランピアも できません。

   
機械論の科学者には、イノベーション科学の成果は自作できません。

 『ホフマン物語』は 良くできたシナリオで、主人公 ホフマンを案内したのは 小悪魔でした。
『ホフマン物語』は(おそらく悪魔の魔法の力で)自動人形が開発できたので、主人公が人形に恋をした という物語でした。一方、デカルトの科学は、確かに、人工透析や 人工心臓に途を拓きました。でもそれは、人間の身体を機械時計に見立てて「修理部品を作る」ための科学でした。ですから、
   工学 = 機械論は、F・ベーコンなどの原典を読まなかった科学者の思い込みです。

 それを検証するために、19世紀のフランケンシュタインを登場させておきましょう。英国のロマン派詩人パーシー・シェリーの妻であるメアリー・シェリーが 1818年に書いた小説『フランケンシュタイン』では、フランケンシュタイン博士は墓場から ひそかに掘り起こして持ってきた遺体を材料に「生命の器具類」(機械論科学)で「怪物」を作りました。
 この小説では「生身の」自動人形への世間の見方は、どうだったでしょう。

 ”Frankenstein” by Mary Shelley  Chapter 5

It was on a dreary night of November that I beheld the accomplishment of my toils. With an anxiety that almost amounted to agony, I collected the instruments of life around me, that I might infuse a spark of being into the lifeless thing that lay at my feet. It was already one in the morning; the rain pattered dismally against the panes, and my candle was nearly burnt out, when, by the glimmer of the half-extinguished light, I saw the dull yellow eye of the creature open; it breathed hard, and a convulsive motion agitated its limbs.

  この場面では、「福音書」では「キリストによる奇跡」だったので賛美された「遺体を生き返らせる」という行為を裏返して、行き過ぎた機械論科学のアンチクリスト性が批判されました。あんたたち、調子こいて遺体を生き返らせたら、子供が殺されて騒ぎになるのが関の山じゃない。北極にでも行って、クマにくわれて死んじゃいなさい。ですね。案の定、この章の後では「聖書」(創世記)の悪いパロディのように「怪物」は 自分を生んだフランケンシュタインに向かって「俺は アダムだからイブを造れ」と要求し、かなえられなければ怒って、周囲の彼の大事な人たちを次々に殺して逃走しました。機械論の「呪い」です。

 面白い比較があって、これとは逆に、ビクトル・エリセの名作映画『ミツバチの ささやき』
(1973年)では、同じ怪物への共感が子供のアナの目から描かれています。ここでは、映画『フランケンシュタイン』(1931年)が、化生論によるつくりもので 誰も死んではいないんだよ、ということを前提に、怪物だとされてしまった(スペイン内戦などの)逃亡者への同情が示されました。「映画」芸術を創造すること(化生論)に対しては、エリセ監督が暖かい共感を寄せています。

 
だから、私の言いたいことは、もしも創りたいものがあったら 化生論の「VR作品」で表現すると良いですよ。私は、支援します、と いうことです。

 ところで、もしも、森林太郎のドイツ留学時
(1884年)に乗った船に、日本のロボット開発者がタイムスリップか何かで紛れ込んでいたとしましょう。到着したマルセイユ港の税関では、所持品の中にロボットの図面が見つかりました。開発者は、その図面について、こう説明しました。
   「介護施設の高齢者の入浴介助用に AIを備えたロボットを開発している。被介護者から喜ばれるはずだ」
この説明に、19世紀の税関の担当者は、どう感じたと思いますか。


 画像借用元: http://www.hey.ne.jp/~ok/cape%20horn.htm

 次回に続きます。

VR奥儀皆伝( 8½ )(14)「テーマパークとは何か」の謎を解きました ③ → こちら
( 8½ )(9)「暫定総目次
VR奥儀皆伝( 8½ )(16)に続きます。→ 
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