第十七回 数理モデルへの薔薇十字団の愛が「科学の未来」です。他に「バックキャスト」「逆工場」「 テーマパーク運営の公式」「バーチャルは仮想にあらず」「神武天皇は九州王朝分家の建国者」
【( 8½ )総目次 】
今回は、VR之極意のうち ③ 「評判の良い VR作品が化生論で設計できる。」から話を始めます。ちなみに、後の二つは、①「ディズニーランドが10倍楽しくなる。」(テーマパークVR の開発手法が分かる。)と ②「数理モデルの科学の起源が、化生論(ヘルメス主義)だと納得する。」です。
現在、工学者の「研究開発」の世界では、「バックキャスト」という手法が注目されています。例えば、「TWI 2050」(The World in 2050) という研究構想が提唱されていますが、これは、2050年に SDGs の目標、つまり、国際連合の採択した持続可能な開発のための国際目標が 〈達成されて しまった〉(良かった!めでたし めでたし) となった社会 を最初にイメージして、それから、現状では そこに欠けているものは何だろう、また、例えば、必要なエネルギーと安定した気候、それに、食糧安全保障と生態系などの間に矛盾が生じないようにするために、どんな技術が今後に必要か、といったことを策定しようとする研究だそうです。
SDGs の意味、分野については 「こちら」をご覧下さい。
なお、TWI 2050は、IIASAという非政府ベースの国際研究所や 国連のSDSNという科学技術者による支援団体などが提唱しています。
日本発の構想「ムーンショット 2050」も、2050年からのバックキャストが方法論です。
ところで、「TWI 2050」は、今後 どのように研究されるのでしょう。分かっているのは、なるべく「機械論」を使わないほうが良いということです。「ひな形」が、無いからです。現在が、まだウォークマンの発明されていない世界だと想像してみて下さい。機械論者は、どこか外国で試作されたウォークマン似の人工物を探します。「ひな形」を真似ることが機械論なので、ひな形が無いところでは、機械論者は手も足も出ないのです。しかし、SONYの開発者たちは 違いました。彼らは、「好きな音楽を、歩きながら聴ける」という誰も思いつかなかった新しい生活習慣を提案しようとしたのです。ですから、持続可能な開発のための国際目標を実現する 「TWI 2050」も同じです。これまでになかった「生き方」を、工学の力で提案するのです。だから、IVRCと同じ化生論による開発手法が、ここでは大きな意味を持つことになるのです。
世界には貧富の差があって、その格差は永久に埋まらないだろうとも思われていた 我々のこの世界が、「SDGs」を世界の持続可能な開発目標にする。ことに決めました。人類の成長の証左だと思います。非常にぶっちゃけた話としては、栄養失調の子供は成人後、重篤な病気になる可能性が極めて高いので、虫歯の治療費より虫歯予防の費用が ずっと安いのと同じ考え方で、貧乏な家の子供が わずかな経済支援で普通の生活を送ることができれば 将来の人類社会全体の医療費が削減できる、という合理的な判断でもあるのですけれど。ともあれ、人類は 先進国・開発途上国の違いを超えて、人類の全てが経済的に安定できる生活の未来に取り組むことになりました。しかし、
SDGs を「利権」にしようと考える人たちが、必ず (もっともらしい) 機械論を掲げて協力を申し出てくるだろうと思います。
しかし、それでは 上手く行きません。機械論者は利権を囲い、その囲いから犠牲者たちを逃がさないように注意して、支援者を装いながら 犠牲者の負担で太ることを考えるからです。機械論で開発してしまうと、公開時期が「古い製品の在庫を処分してから」になるとか、最適なリリースを遅らせる外圧がスポンサーから必ず入ってきます。 例えば、自動車各社は CAVEというVR技術を使ったCGソフトによる自動車の内装設計を90年代から始めました。CAVE型VRシステムについては 『バーチャルリアリティ学』(2011年)のp.272 をご覧下さい。ところが CAVE販社が その販売戦略を機械論的な(IBM社が1992年に断念した)方法に絞っために、自動車全社のCGデザイン技術は たこつぼ型の各社の低いレベルで安定しました。日本国内では、90年代に100台以上の CAVEシステムが販売されたにも かかわらず、VR自体の広告塔になって、もっと広く知られて良かったはずの CAVEシステムは、CAVE販社役員の販売戦略の あまりにも明白な誤りから、誰も知らない幻のVR技術になってしまっています。しかし、ゲーム理論から言えば、インタフェース情報を公開して、例えば、CAVE用ミドルウェアの国際コンテストなどを開催することで CAVEソフトの開発技法が向上し、ソフトの性能も高くなって、もっと CAVEが様々な市場に売れていたはずでした。売れ行きが止まったこと自体が戦略の誤りだったことに機械論者は鈍感です。 繰り返しますが、近未来の夢のシステムが、特許に守られた「ひな形」から生まれる筈がありません。ウォークマンを機械論で発明しようとする事と同じだからです。それはチームを失敗に導いて、スポンサー企業の株価も低くするでしょう。「のちの世界のひな形になる作品」は、マラソンで言えばゴール地点に生まれるからです。
私たちは 人類がまだ知らない「画期的な新製品」を開発しているのです。でも 見た瞬間に「良く知っている」「好きだ」と分かる新製品です。
TWI 2050についての海外の先行事例を、学習するな、とは言いません。しかし、それは「学習」です。
仮に、先行事例の研究に予算をつけるのであれば、「学習」の目的に限るべきだと思います。もしも、海外の先行事例から面白い改善方法を思いついた場合などには、(私の経験ですが) その先例について詳しく知らない別の (IVRC経験者などの) 開発者に「こんな開発アイデアが見つかった」と譲って、他の人に化生論的にデザインして貰ったほうが、すっきりした製品になるだろうと思います。 (既製品を目にした人は、オリジナルの製品に発想が引っ張られるからです。) 目的は、2050年に人類が幸せになることなのですから、他の人がチームとして開発すれば良いのでは ないでしょうか。なお、開発アイデアの着想者には、論文の共同執筆者になって貰いましょう。
例えば、映画『ブレードランナー』の リドリー・スコット監督は原作の小説を読んでおらず、シナリオだけを読み込んで あの映画の世界を作りました。電気くらげ、じゃなかった、フィリップ・K・ディックの あの小説 は、この映画では原作とクレジットされています。それから、貰ったアイデアがあるときには オリジナルの着想者を公示して明記するべきだということに、13世紀の ロジャー・ベーコンが こだわりました。
リュック・ベッソン監督は、SEGA AS-1 『メガロポリス』からの 映画『フィフス・エレメント』へのアイデア借用を どこかに公示するべきでした。
SDGs の意味、分野については 「こちら」をご覧下さい。
なお、TWI 2050は、IIASAという非政府ベースの国際研究所や 国連のSDSNという科学技術者による支援団体などが提唱しています。
日本発の構想「ムーンショット 2050」も、2050年からのバックキャストが方法論です。
ところで、「TWI 2050」は、今後 どのように研究されるのでしょう。分かっているのは、なるべく「機械論」を使わないほうが良いということです。「ひな形」が、無いからです。現在が、まだウォークマンの発明されていない世界だと想像してみて下さい。機械論者は、どこか外国で試作されたウォークマン似の人工物を探します。「ひな形」を真似ることが機械論なので、ひな形が無いところでは、機械論者は手も足も出ないのです。しかし、SONYの開発者たちは 違いました。彼らは、「好きな音楽を、歩きながら聴ける」という誰も思いつかなかった新しい生活習慣を提案しようとしたのです。ですから、持続可能な開発のための国際目標を実現する 「TWI 2050」も同じです。これまでになかった「生き方」を、工学の力で提案するのです。だから、IVRCと同じ化生論による開発手法が、ここでは大きな意味を持つことになるのです。
世界には貧富の差があって、その格差は永久に埋まらないだろうとも思われていた 我々のこの世界が、「SDGs」を世界の持続可能な開発目標にする。ことに決めました。人類の成長の証左だと思います。非常にぶっちゃけた話としては、栄養失調の子供は成人後、重篤な病気になる可能性が極めて高いので、虫歯の治療費より虫歯予防の費用が ずっと安いのと同じ考え方で、貧乏な家の子供が わずかな経済支援で普通の生活を送ることができれば 将来の人類社会全体の医療費が削減できる、という合理的な判断でもあるのですけれど。ともあれ、人類は 先進国・開発途上国の違いを超えて、人類の全てが経済的に安定できる生活の未来に取り組むことになりました。しかし、
SDGs を「利権」にしようと考える人たちが、必ず (もっともらしい) 機械論を掲げて協力を申し出てくるだろうと思います。
しかし、それでは 上手く行きません。機械論者は利権を囲い、その囲いから犠牲者たちを逃がさないように注意して、支援者を装いながら 犠牲者の負担で太ることを考えるからです。機械論で開発してしまうと、公開時期が「古い製品の在庫を処分してから」になるとか、最適なリリースを遅らせる外圧がスポンサーから必ず入ってきます。 例えば、自動車各社は CAVEというVR技術を使ったCGソフトによる自動車の内装設計を90年代から始めました。CAVE型VRシステムについては 『バーチャルリアリティ学』(2011年)のp.272 をご覧下さい。ところが CAVE販社が その販売戦略を機械論的な(IBM社が1992年に断念した)方法に絞っために、自動車全社のCGデザイン技術は たこつぼ型の各社の低いレベルで安定しました。日本国内では、90年代に100台以上の CAVEシステムが販売されたにも かかわらず、VR自体の広告塔になって、もっと広く知られて良かったはずの CAVEシステムは、CAVE販社役員の販売戦略の あまりにも明白な誤りから、誰も知らない幻のVR技術になってしまっています。しかし、ゲーム理論から言えば、インタフェース情報を公開して、例えば、CAVE用ミドルウェアの国際コンテストなどを開催することで CAVEソフトの開発技法が向上し、ソフトの性能も高くなって、もっと CAVEが様々な市場に売れていたはずでした。売れ行きが止まったこと自体が戦略の誤りだったことに機械論者は鈍感です。 繰り返しますが、近未来の夢のシステムが、特許に守られた「ひな形」から生まれる筈がありません。ウォークマンを機械論で発明しようとする事と同じだからです。それはチームを失敗に導いて、スポンサー企業の株価も低くするでしょう。「のちの世界のひな形になる作品」は、マラソンで言えばゴール地点に生まれるからです。
私たちは 人類がまだ知らない「画期的な新製品」を開発しているのです。でも 見た瞬間に「良く知っている」「好きだ」と分かる新製品です。
TWI 2050についての海外の先行事例を、学習するな、とは言いません。しかし、それは「学習」です。
仮に、先行事例の研究に予算をつけるのであれば、「学習」の目的に限るべきだと思います。もしも、海外の先行事例から面白い改善方法を思いついた場合などには、(私の経験ですが) その先例について詳しく知らない別の (IVRC経験者などの) 開発者に「こんな開発アイデアが見つかった」と譲って、他の人に化生論的にデザインして貰ったほうが、すっきりした製品になるだろうと思います。 (既製品を目にした人は、オリジナルの製品に発想が引っ張られるからです。) 目的は、2050年に人類が幸せになることなのですから、他の人がチームとして開発すれば良いのでは ないでしょうか。なお、開発アイデアの着想者には、論文の共同執筆者になって貰いましょう。
例えば、映画『ブレードランナー』の リドリー・スコット監督は原作の小説を読んでおらず、シナリオだけを読み込んで あの映画の世界を作りました。電気くらげ、じゃなかった、フィリップ・K・ディックの あの小説 は、この映画では原作とクレジットされています。それから、貰ったアイデアがあるときには オリジナルの着想者を公示して明記するべきだということに、13世紀の ロジャー・ベーコンが こだわりました。
リュック・ベッソン監督は、SEGA AS-1 『メガロポリス』からの 映画『フィフス・エレメント』へのアイデア借用を どこかに公示するべきでした。
それから製品の製造工程について考えるには、その製品の廃棄が簡単になるような工夫についても考慮しましょう。吉川弘之先生の『逆工場』(1999年)が 参考になると思います。協力会社のバリューチェーンの構築では、各社が相互に自社の機能を理解しあい、全体の戦略を理解して自発的に協力するシステムを目指しましょう。
そして、こうした化生論による開発姿勢は、デカルトでなく ジョン・ディー博士が その規範でした。
ここで、 TWI 2050を実現するためのVRシステムを一つ、デザインする場合を考えておきましょう。
その作り方は、IVRC作品の開発姿勢と同じです。構成要素に 必ず 「映画」が含まれます。つまり、誰が操作する人で その人にとってのどんなシステムか、という開発テーマとストーリーが含まれていますから、目標統一のための 「絵コンテ」を作りましょう。的確な絵コンテがあれば、目標に「ぶれ」が生じません。そして、VR作品の「キューライン」(待ち行列)は、映画の「予告編」です。観客に訴えるテーマを 告知しましょう。作品に、サイバネティック・アバターとして登場する個性のあるキャラクターが必要だという時には、筑摩書房の「世界文學大系」に収録されている神話や小説の登場人物から名前と性格を借りてくれば、特に欧米の観客には良く知られた有名な文学作品ばかりですから、余計な説明なしに操作して貰えます。デモ映像には 「照明」を工夫して下さい。作品の印象が、がらりと変わります。(( 8½ ) 第七回の冒頭を読み返して下さい。)
以上に、VR技術の活用分野としての「TWI 2050」と バックキャストの手法について紹介しました。
そして、こうした化生論による開発姿勢は、デカルトでなく ジョン・ディー博士が その規範でした。
ここで、 TWI 2050を実現するためのVRシステムを一つ、デザインする場合を考えておきましょう。
その作り方は、IVRC作品の開発姿勢と同じです。構成要素に 必ず 「映画」が含まれます。つまり、誰が操作する人で その人にとってのどんなシステムか、という開発テーマとストーリーが含まれていますから、目標統一のための 「絵コンテ」を作りましょう。的確な絵コンテがあれば、目標に「ぶれ」が生じません。そして、VR作品の「キューライン」(待ち行列)は、映画の「予告編」です。観客に訴えるテーマを 告知しましょう。作品に、サイバネティック・アバターとして登場する個性のあるキャラクターが必要だという時には、筑摩書房の「世界文學大系」に収録されている神話や小説の登場人物から名前と性格を借りてくれば、特に欧米の観客には良く知られた有名な文学作品ばかりですから、余計な説明なしに操作して貰えます。デモ映像には 「照明」を工夫して下さい。作品の印象が、がらりと変わります。(( 8½ ) 第七回の冒頭を読み返して下さい。)
以上に、VR技術の活用分野としての「TWI 2050」と バックキャストの手法について紹介しました。
※ CAVEの仕様が公開され 標準化されていれば、社長室に CAVEを設置して 会社の経営分析をリアルタイムに表示する、という方法が普及していたかも知れません。私が10年ほど前に書いたハイパー社長室(「スタートレック」の操縦席のような椅子に座って、会社の在庫状況、市場のリスクなどの可視化されたグラフを眺めながら CEOが経営を判断する)というアイデアも そのうちご紹介します。社会システム工学と統計学の先生たちが協力して考案された可視化モデルで、横幹連合の技術フォーラムで発表されたアイデアを借用しました。(会誌『横幹』第4巻第1号 Apr. 2010 に掲載されています。) CAVE販社の役員たちは 市場が先細りである軍事応用に CAVEの販売先をこだわったばかりに、CAVEに化生論という豊饒な市場があることをを見誤り、機械論だけを「利権」にして販売しようとする大間違いを犯しました。
会誌「横幹」(Vol.4, No.1, 2010 pp. 2-5)「経営高度化のための知の統合を目指して」( 松井正之, 鈴木久敏, 椿広計, 大場允晶, 伊呂原隆 )から転載。この立体図をCAVEで表示するというのは私のアイデアですが、CEOや役員が 社長室に来て中を通り抜ける、という仕様にしておけば、わざわざオフィスまで出てくる動機づけになると思いませんか。逆に、社長室に こうしたイベント装置がなければ、今後 「バーチャル・ファクトリー」に変化して行く製造業のバリューチェーンでは、在宅ひきこもりのCEOが寝る間も惜しんで各パラメータのチェックに精を出すような「疑似ビジネスゲーム」のデイトレーダー(?)状態に陥って、社長と工場長の連絡も年中 LINEだけになるように思います。それではまずいので、企業のオンライン化の進展では、社長の「現場作業の体験」(事前に 高齢者向け研修シミュレータがあります)や 工場長の定常的な「社長室経営診断 CAVE」詣でが ますます有意義になるだろうと昔、考えていました。(機関投資家が高値で売り抜けたクズ株を デイトレーダーが掴まされるのは、付加価値の現場のリアルタイムの情報が無いためです。)
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ここでは、VR之極意のうち ②「数理モデルの科学の起源が、化生論(ヘルメス主義)だと納得する。」の話を続けます。
さて、前回16回の巻末には (薔薇十字団の指南書でもある)小説 『化学の結婚』(1616年)と ジョン・ディー博士の化生論との接点を書いておきました。その後に、ディー博士の幾何学や数理モデルが、今日のシミュレーション科学や VRの開発にまで どのようにモーフィングされて変化して行ったかは、おいおい記します。ともあれ、以下は 『化学の結婚』からの引用なのですが、もう一度記しておきましょう。
・ 神と自然を崇敬する。
・ 悪事に関わらない。
・ 化生論の科学者・技術者への援助を惜しまない。
・ 金儲けや違法献金には関わらない。
・ 神に召される以上の長命を望まない。 (文章の要約は筆者による)
これらは、薔薇十字団の団員規約でした。
※ 薔薇十字団の宣言文自体や 小説『化学の結婚』については、また詳しく紹介します。
残念ですが、薔薇十字団は、悪魔との契約とかには関係がありません。 エリザベス・ハーレー嬢も出てきません。
VR技術の科学的源流は、ジョン・ディー博士の化生論 数理モデルです。そして、17世紀当時に「(ディー博士の提唱していた)数理モデルに共感した人たち」が 「私たちは、薔薇十字団員です」と名乗ってパンフレットや小説を書きました。それが、謎の秘密結社 薔薇十字団の実体です。2070年頃には、これは 教科書程度の常識になっているでしょう。
繰り返しますが、「秘密結社」の薔薇十字団の実体は、(おそらく)パンフレットと小説(ばかりの存在)でした。きちんとした秘密の「アジト」があったとは思えません。(プファルツ選帝侯フリードリヒ五世の庇護を受けて、プファルツを拠点にしようと考えた人たちがいた可能性はあります。しかし、1620年のフリードリヒ五世の敗戦で立ち消えました。)多分、ディー博士が「魔導士」だという根も葉もない噂だとか、アンチ化生論者からの酷評を受けていたことで、「草薙素子フィギュア愛好会」のメンバーたちは自分たちのフィギュア愛をパンフレットで宣言し、しかし、「え、あなたは (科学者だというのに) 草薙素子フィギュア愛好家だったのですか!」と非難(?)されたくなかったことから、会員名簿を作らなかった、ということではないかと思います。数理モデルによるシミュレーション科学、例えば、サイボーグ製造の目論見書などは、当時は カトリックから 火あぶりにされるかも知れない「魔術」だったからです。
ちなみに、ジョルダーノ・ブルーノの火刑は、1600年2月17日の出来事でした。
・ 神と自然を崇敬する。
・ 悪事に関わらない。
・ 化生論の科学者・技術者への援助を惜しまない。
・ 金儲けや違法献金には関わらない。
・ 神に召される以上の長命を望まない。 (文章の要約は筆者による)
これらは、薔薇十字団の団員規約でした。
※ 薔薇十字団の宣言文自体や 小説『化学の結婚』については、また詳しく紹介します。
残念ですが、薔薇十字団は、悪魔との契約とかには関係がありません。 エリザベス・ハーレー嬢も出てきません。
VR技術の科学的源流は、ジョン・ディー博士の化生論 数理モデルです。そして、17世紀当時に「(ディー博士の提唱していた)数理モデルに共感した人たち」が 「私たちは、薔薇十字団員です」と名乗ってパンフレットや小説を書きました。それが、謎の秘密結社 薔薇十字団の実体です。2070年頃には、これは 教科書程度の常識になっているでしょう。
繰り返しますが、「秘密結社」の薔薇十字団の実体は、(おそらく)パンフレットと小説(ばかりの存在)でした。きちんとした秘密の「アジト」があったとは思えません。(プファルツ選帝侯フリードリヒ五世の庇護を受けて、プファルツを拠点にしようと考えた人たちがいた可能性はあります。しかし、1620年のフリードリヒ五世の敗戦で立ち消えました。)多分、ディー博士が「魔導士」だという根も葉もない噂だとか、アンチ化生論者からの酷評を受けていたことで、「草薙素子フィギュア愛好会」のメンバーたちは自分たちのフィギュア愛をパンフレットで宣言し、しかし、「え、あなたは (科学者だというのに) 草薙素子フィギュア愛好家だったのですか!」と非難(?)されたくなかったことから、会員名簿を作らなかった、ということではないかと思います。数理モデルによるシミュレーション科学、例えば、サイボーグ製造の目論見書などは、当時は カトリックから 火あぶりにされるかも知れない「魔術」だったからです。
ちなみに、ジョルダーノ・ブルーノの火刑は、1600年2月17日の出来事でした。
画像借用元: https://www.goodsmile.info/ja/product/4507/figma+%E8%8D%89%E8%96%99%E7%B4%A0%E5%AD%90+S+A+C+ver.html
1963年に I・サザランド氏が Skechpadを発明しました。そのあとで D・エンゲルバート氏は、Skechpad上で使える Windowsや Mouseなどを着想して 68年に講演で発表して大歓迎を受けました。 (今現在、私たちが使っている Windowsや Mouse、それから メールソフトも、エンゲルバート氏の 68年の着想がそのまま使われています。Mouse のしっぽは使ってみると邪魔だったので、後でネズミの頭の側に移動させました。) ともあれ、63年以前には、コンピュータ関係者の多くはCGなんて思いつきもしていません。実は、エンゲルバート氏は、コンピュータのディスプレイに平面図形が描けるはずだと1950年に思いついたそうです。そこで、そのアイデアを、ある会社の面接のとき 面接相手に話したところ、相手は真顔になって「そんな考えを口にすると、相手はあなたのことを変人だと思うから、人には言わないほうが良いと思いますよ」と親切にアドバイスされたそうです (笑)。今なら笑い話ですが、機械論でコンピュータ・プログラムを書いていた時代には、PCでCGが描ける事は奇跡に近かったのです。そもそも、学院生のサザランド氏がMITで Skechpadをデモして見せた時も、集まった人たちは、そんなことができるはずが無いと半信半疑でした。でも、彼は (世界で数人にしか理解できないとされた情報理論の)クロード・シャノンの研究室の院生だったので、何か面白いものを見せてくれるだろうと集まった物見高い人たちが Skechpadを見て腰を抜かしたのでした。化生論による工学製品の開発というのは、つまり そういうことなのです。私たちは、今、PCを通して、毎日「奇跡に触れている」のです。
IVRCの作品群が、2070年頃に本来の意味が理解される奇跡だ、と言っているのも、そういう意味からです。
「薔薇十字団物語 ‐ ディー博士の天使対話が 私たちのプリクラを用意した ‐ 」(仮題) については、これからも不定期で掲載するつもりです。「薔薇十字団」のパンフレット(宣言)や 小説が、VR研究の起源となって途切れなく今日まで伝承されたのではないか、と私は考えているからです。
科研費の振り分け表について、一言 追記しておきます。エリザベス1世は、航海術と演劇に国家の助成を重点投資しました。どちらも、17世紀の英国に必要であった 「化生論で新世界秩序をつくり、それを国民に告知して彼らの共感を得て政治に反映させる」という技術分野だったからです。この時代の英国は、海外貿易 (と海賊) で大きく国力を伸ばしました。また、シェークスピアによって西欧の演劇は、この時代に「再生」を果たしたのです。ところが、その次の国王ジェームズ1世は、国家運営そのこと自体を機械論に変えました。大法官の F・ベーコンは、その政治状況の変化を機敏にかぎ分けて、機械論的・唯物論的な「学問のすすめ」を(1620年頃に)書きました。しかし、同じころ(1614年)に 「数理科学大好き・シミュレーション大好き・フィギュア大好き」という火あぶり寸前の人たちが、薔薇十字団に集まっていたようです。
1614年に ドイツで刊行された著者不明の怪文書「全世界の普遍的かつ総体的改革」の付録 『友愛団の名声』(ファーマ・フラテルニタティス)、そして、1615年の 『友愛団の信条(友愛団の告白)』(コンフェッシオ・フラテルニタティス)が、二つの薔薇十字団の「宣言」と通称されているものです。1616年の小説『化学の結婚』と併せて読まれて、ヨーロッパ中が、カトリック教会の強圧的な権威(1992年以前の IBM)が 薔薇十字団(1984年の Macintosh)に倒されるだろうと想像したことで騒然としたのでした。
機械論の F・ベーコンは 多分 ディー博士の友人で、実験を重視しようというベーコンの提案はディー博士からの影響だった (ディー博士が多分 参考にした蔵書を調査中です) という可能性を否定できません。ところで、18世紀の 『百科全書』をまとめるときに ダランベールは F・ベーコンの機械論を踏襲しました (から科研費の振り分け表が序論の付表として付いています) が、共同編集者の ディドロは化生論を主にした編集方針を選びました。ダランベールだけで 『百科全書』がまとめられていたら、もしかすると「教科書の合冊」みたいなのができていたので、 ポンパドール夫人(ルイ15世の愛妾)もパトロンには ならなかったかも知れません。ルイ14世や15世の(化生論者を含む)科学者優遇政策を通して、化生論は フランスの工学教育に どどどっと流れ込み、化生論による工学が今日の例えば、液晶テレビを生んだ工学技術のような流れの主流になりました。例えば、テレビを製造するための「補色」概念の普及は、化生論者のゲーテが書いた『色彩論』(1810年)による功績です。化生論が 液晶テレビを生みました。そして、ルイ14世や15世の科学者優遇政策は、ルイ13世のトマソ・カンパネッラへの歓待から始まっています。化生論者カンパネッラの「パリ亡命」の一席は、神田伯山の講談くらいに手に汗握るスリリングな出来事でした。そして、ディドロが 化生論の流れを尊重したことから、彼が共同編集した 『百科全書』は今日でも読み継がれる古典になりました。ヌーヴォー・ロマンのロブ=グリエ(1961年の映画『去年マリエンバートで』の脚本家です)が、ディドロを とても高く評価しているのも当然です。ですから、「TWI 2050」が その後も長く人類が使い続けるような持続可能な工業製品を2050年には生み出そうと考えているのであれば、人類の未来の希望としての IVRCを参考にするべきだ、ということになるのです。
画像借用元:https://note.com/lamomeenrose/n/n830b1d3c15fc
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今回は、2070年の近未来から眺めると 50年後には 現在の多くの「通念」が書き換えられているだろう、ということを少し まとめて書いておきます。ディー博士の「序説」が 「プリクラ」の起源だったらしい、という話も その一つです。しかし、ディー博士のように「天使」に教えて貰ったのではありません。常識の範囲の「予兆」が教えてくれていることです。
【稲元章博さんの近著からの テーマパーク運営の公式】 VR之極意 ①
これは、テーマパークで最も重要な「リピーター獲得の収益の改善策」です。元は、流通業の売上高の公式ですが、そのまま レジャー産業に当てはまります。つまり、「お客様の払って下さるお金が多くなる」よう工夫したり 「数を増やす」ことが、そのまま、売上の増加につながるのです。簡単な公式ですが、テーマパーク以外にも広く使えます。
売上高 = 客単価 × 客数
このうち「客単価」は、次の3つが主な収入の柱になります。
「入場料収入」「飲食収入」「物販収入」
テーマパークの収入の基本は、この3つです。この稲元さんの公式を しっかり、心に留めて下さい。
アトラクションのリニューアルを怠ると、テーマパークは自然減によって かなりの客数を失います。二度目に遊びに来たときに前と全く同じ園内だったら、前回に見逃したアトラクションに乗れば、それで もうおしまいです。また来ようという気になりません。(これは私の推測ですが、ウォルトがディズニーランドを「永遠に完成することのないもの」と言った理由は、ずっとおもちゃにして楽しむためもありましたが、変化が無くなれば客足が落ちることを直感で感じていたのではないでしょうか。)そして、客数が減ったテーマパークでは (一般に) レストランの味が落ちますから、そのことでも顧客の足は 遠のきます。アトラクションで興奮した顧客の目の前に、嫌でも欲しくなるような「おみやげ」が用意されていれば「物販」の収入が当然 増えるのですけれど、例えば、セガ・エンタープライゼスの「横浜ジョイポリス」の場合には、アトラクションや アテンダントの評判は すごく良かったのに、物販のノウハウ不足、アトラクションのリニューアル不足、飲食店との連携の欠如などが理由で閉館してしまうことになりました。更地に戻す費用をアトラクションのリニューアルに掛けていれば、地下鉄「元町・中華街」駅がオープンしたので多くのお客様に来場して楽しんで頂けた筈でしたので、閉館したのは非常に残念でした。SEGAには 1999年の『フィッシュ”オン”チップス』まで、レストラン運営に関わった経験も無かったのです。結果から言えば、都市型テーマパークは いずれも、飲食・物販をアトラクションに有機的に結びつけることに失敗したことで、リピータの獲得に失敗して、地上から滅びる運命にあったのかも知れません。 逆に言えば、
アトラクションの定期的に追加することと 飲食・物販のイベント化で、リピーターは持続可能なレベルで獲得できた可能性がありました。
※ 稲元さんの 収益改善の公式については、今後も何度も触れる予定です。これも、2070年のテーマパーク業界では 常識になっているでしょう。
【バーチャル は 仮想では、ありません】 VR之極意 ③
今更ですが、2070年頃には、これも常識になっているでしょう。これまでの「紙の」辞書には、「virtual reality 仮想現実、virtual image 虚像」という形容詞と「virtually 事実上」という副詞の 「互いに矛盾する」定義が同時に載っていました。しかし、東京大学名誉教授の舘暲氏が NHK人間講座 『ロボットから人間を読み解く』(1999年)で、次のような図を示されたことで、状況は一変しました。実は、舘先生の指摘によって Web上の英語辞書から 「virtual 仮想の、虚の」という意味が 今 どんどん消えていっているのです。
今回は、2070年の近未来から眺めると 50年後には 現在の多くの「通念」が書き換えられているだろう、ということを少し まとめて書いておきます。ディー博士の「序説」が 「プリクラ」の起源だったらしい、という話も その一つです。しかし、ディー博士のように「天使」に教えて貰ったのではありません。常識の範囲の「予兆」が教えてくれていることです。
【稲元章博さんの近著からの テーマパーク運営の公式】 VR之極意 ①
これは、テーマパークで最も重要な「リピーター獲得の収益の改善策」です。元は、流通業の売上高の公式ですが、そのまま レジャー産業に当てはまります。つまり、「お客様の払って下さるお金が多くなる」よう工夫したり 「数を増やす」ことが、そのまま、売上の増加につながるのです。簡単な公式ですが、テーマパーク以外にも広く使えます。
売上高 = 客単価 × 客数
このうち「客単価」は、次の3つが主な収入の柱になります。
「入場料収入」「飲食収入」「物販収入」
テーマパークの収入の基本は、この3つです。この稲元さんの公式を しっかり、心に留めて下さい。
アトラクションのリニューアルを怠ると、テーマパークは自然減によって かなりの客数を失います。二度目に遊びに来たときに前と全く同じ園内だったら、前回に見逃したアトラクションに乗れば、それで もうおしまいです。また来ようという気になりません。(これは私の推測ですが、ウォルトがディズニーランドを「永遠に完成することのないもの」と言った理由は、ずっとおもちゃにして楽しむためもありましたが、変化が無くなれば客足が落ちることを直感で感じていたのではないでしょうか。)そして、客数が減ったテーマパークでは (一般に) レストランの味が落ちますから、そのことでも顧客の足は 遠のきます。アトラクションで興奮した顧客の目の前に、嫌でも欲しくなるような「おみやげ」が用意されていれば「物販」の収入が当然 増えるのですけれど、例えば、セガ・エンタープライゼスの「横浜ジョイポリス」の場合には、アトラクションや アテンダントの評判は すごく良かったのに、物販のノウハウ不足、アトラクションのリニューアル不足、飲食店との連携の欠如などが理由で閉館してしまうことになりました。更地に戻す費用をアトラクションのリニューアルに掛けていれば、地下鉄「元町・中華街」駅がオープンしたので多くのお客様に来場して楽しんで頂けた筈でしたので、閉館したのは非常に残念でした。SEGAには 1999年の『フィッシュ”オン”チップス』まで、レストラン運営に関わった経験も無かったのです。結果から言えば、都市型テーマパークは いずれも、飲食・物販をアトラクションに有機的に結びつけることに失敗したことで、リピータの獲得に失敗して、地上から滅びる運命にあったのかも知れません。 逆に言えば、
アトラクションの定期的に追加することと 飲食・物販のイベント化で、リピーターは持続可能なレベルで獲得できた可能性がありました。
※ 稲元さんの 収益改善の公式については、今後も何度も触れる予定です。これも、2070年のテーマパーク業界では 常識になっているでしょう。
【バーチャル は 仮想では、ありません】 VR之極意 ③
今更ですが、2070年頃には、これも常識になっているでしょう。これまでの「紙の」辞書には、「virtual reality 仮想現実、virtual image 虚像」という形容詞と「virtually 事実上」という副詞の 「互いに矛盾する」定義が同時に載っていました。しかし、東京大学名誉教授の舘暲氏が NHK人間講座 『ロボットから人間を読み解く』(1999年)で、次のような図を示されたことで、状況は一変しました。実は、舘先生の指摘によって Web上の英語辞書から 「virtual 仮想の、虚の」という意味が 今 どんどん消えていっているのです。
「NHK人間講座」の教科書は入手難ですので、舘暲著『バーチャルリアリティ入門』(ちくま新書、2002年)のp.15の挿図として 上を紹介しておきましょう。先ず Virtual reality は、「馬から落馬する」に似た重言でした。ただ、NASAにDataglobeを納入して「HMDと Dataglobe」の奇跡の出会いの一翼を担ったジャロン・ラニアー氏(本人の名刺ではレニアー氏)は、どうしてもこの奇跡の出会いに新しい名前を付けたかったのだろうと思います。また、1989年当時、HMDと Dataglobeと PC用ソフトの 3点セットを販売している販社は、ラニアー氏の会社しかありませんでした。(奥儀皆伝( 8½ ) (1)を参照して下さい。)
ともあれ、ラニアー氏が それまで使われていた「人工現実 Artificial Reality」という言葉を避けて、Virtual realityだと言ったものですから、日本では別の問題が生まれました。virtual の訳語が日本語には存在しなかったのです。「見かけや形は原物そのままではないが、事実上は原物」という原意から virtual imageを、明治時代の物理学者は「虚像」と とりあえず訳しました。 しかし、虚や仮想は、舘先生のご指摘では逆の意味です。 virtual moneyで購入すれば宅配業者が実際に商品を自宅まで届けてくれます。仮想の購入では、ありません。また、仮想敵国を virtual enemyと誤訳してしまうと、普段は味方のふりをしているが実際には敵だった、となってしまいます。 (どちらの例も、舘先生のご指摘です。)
ですから、virtual はバーチャルと書こう。でも、別の言い回しも必ず見つかります、と舘先生は言っておられます。それもあって、Web辞書が virtual の意味から 「仮想の、虚の」を消し始めているのですが、逆に「虚像」が論拠を失うことになりました。舘先生は、りっしんべん(立心偏)に「實 じつ」という漢字 (和字) を提案しておられますが(虚像 → じつ像)、この漢字が定着するまでは、virtual imageを「バーチャル・イメージ」(慣用で「虚像」)などと2070年の教科書では書くことになるかも知れません。
【神武天皇は、分家を建てた太子でした】 VR之極意 ③
この他にも、(ごく簡単に紹介しますが) 日本の古代史に関わる通説の間違いが あるようです。『日本書紀』(720年)には、「大和朝廷の初代の神武天皇」は 筑紫の日向で生まれた太子(九州の王朝の天子の子)だった。その彼が大和平野に攻め込み、大和の為政者を戦いで負かして、大和に新しく王朝をひらいた、と書いてあります。歴史の一次資料にそう書いてあるのですから、資料を文字通りに読むことから始めましょう、という歴史観も 2070年頃には、学生たちの常識になっているかも知れません。その証拠としては、「白村江の戦い」(663年)の歴史記述が不自然だったというヒントがあったのだそうです。この戦いは教科書にも載っている有名なものですが、倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争でした。
この時、通説が間違っていて、倭国 九州王朝の当時の天子が捕虜にされたのだ、という仮説があるそうです。(筑紫君 薩夜麻という人物です。)この戦いの後に、唐からの進駐軍が長きに亙って太宰府のあたりに「横田基地」に似たベースキャンプを設営して政府の監視のための駐在をしていたそうです。大宰府のあたりに駐在したのですから、当時の国際政治の中心地、倭国 = 九州の王朝はその近くにあって政務を行なっていたのでしょう。ですから、「白村江の戦い」で負けて捕虜にされたのは、九州王朝の天子だったのだと推測されているそうです。
そのことを裏付けるように、『日本書紀』(天智2年)『旧唐書』『三国志記』などに、倭国Aと 倭国Bの船があわせて千艘あった。唐の船は170艘。戦闘は2回、ないし4回行なわれて、倭国Aの中核の約400艘が燃えてしまった。と書かれています。ここでは、中小路駿逸先生の「白江戦と日本文学史」(追手門学院大学紀要、1991年)から抜粋して ご紹介しているのですけれど、このとき、倭国Bの船600艘は、戦の大勢が決するのを すこし後ろに下がって眺めていたので被害がなかったというのが、後で唐からの倭国への処分が ものすごく甘く済んだ理由だったと推測されているそうです。
これは、どういうことでしょう。日本古代史の「通念」では、近畿の大和朝廷が、九州から近畿まで全部を昔から支配していました、となっているそうです。私たちも そう教わりました。しかし、中小路先生によれば、大和朝廷が 7世紀以前に「九州から近畿までの全土を支配していました」と書かれた歴史書は 一冊もないそうです。大和朝廷の支配地は、西は須磨までだったようです。 逆に、大和に朝廷をたてた神武天皇ご自身が、私は「別の王朝の天子の子供」だったので、(おそらく皇位継承権が低くて) 一旗揚げるために大和に建国したのだということを誇らしげに自慢しておられるのです。どの歴史書に !? 『日本書紀』が そう告げています。江戸時代に一部に知られて研究されていた歴史では、九州王朝は白村江の戦いのあとも 7世紀末までは存続していて、白鳳天平時代の白鳳というのは九州王朝の年号だそうです。ということは、倭国Bの600艘は、(中小路先生が指摘されたように)「分家である大和朝廷の船だったのでしょうか。この話は、また続けます。
はい、この話は VRと何の関係があるの ? というところを書いておきます。
イタリア人は、自分たちのアイデンティティ、その出自が「トロイア戦争」の亡命政府の人たちで、彼らが途中でカルタゴの美人支配者との結婚を断って「長靴」の半島に漂着したことが 今のイタリア人の起源だ、ということをルネッサンスという文化運動の中で改めて確認しました。大量のギリシャ・ローマの古典文学が文芸復興期に翻訳されています。F・ベーコンやデカルトを調べていて気が付いたことは、彼らがしょっちゅう古典や神話の登場人物をひきあいに出していることで、その理由は、西欧の古典が とにかく読んで「面白い」から 広く読まれていたためでした。オペラの人気作品には、特にギリシャの古典が目白押しです。
そして誰でもが、ギリシャ演劇の登場人物を子供のころから知っていて、神話と同じくらいに なじんでいます。
誰でも、登場人物の性格を良く知っているのですから(例えば、ゼウスは無類の女好きだとか)、シェークスピア、ラシーヌ、コルネイユなどの人気作品にもギリシャ古典の翻案物は数多く、しかも元のギリシャ演劇の完成度がとにかく高いので、翻案していても楽に面白く書けたのだろうと思います。説得力も、大いに ありました。
だから? ・・・ だから、VRなんです。
イタリア人留学生に、「日本版のパリスの審判」をVRで開発中だと言って下さい。日本のVRは知らなくても、薄い下着姿のヘーラー・アテーナー・アプロディーテーの 3人のことは誰でも良く知っています。日本についての多少の知識があれば、「伊達杏子・江口愛実・初音ミクの3人と握手できるの ?」と聞いてくるかも知れません。
だから、日本人には 『日本書紀』が良いと思うのです。
水木しげる先生の妖怪は 私も大好きです。「悪魔くん」の乗ったライドに観客が同乗して、イヴ・タンギーなどのシュールレアリスムの抽象画で描かれた地獄の世界を一緒に巡るという 「悪魔くん・ザ・ライド」の企画がありましたので、私は水木先生を東京ジョイポリスにご案内したことがあります。『ザ・クリプト3 - エロイムエッサイム - 』 の企画なども考えていましたが、実現しませんでした。水木先生の妖怪は「観客全員が知っているキャラクター」ではなかったからです。(大変に残念でした。)NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」の放送は 2010年でした。 でも、ヤマタノオロチだったら、誰でも知っていると思いませんか。
そして、イタリア人なら誰でも知っているギリシャ・ローマ神話の神々は、文芸復興期のサブカルチャーを通して西欧中に知れ渡りました。しかし、改めて日本人に文芸復興をしなくても知れ渡っているのが、ヤマトタケルであり、出雲の神話です。だから、私たちの VRには日本の神々にもっと活躍して頂くという選択肢があるのです。例えば、「スサノオ・ザ・ライド」です。ボスキャラが オロチです。
ただ、日本史の学問の世界では、従来の「大和王朝一元説」の先生方が、今は元気がありません。「吉野ケ里遺跡」とか「荒神谷遺跡の 358本もの大量の銅剣」(島根県出雲市、弥生時代)の発見などによって、近畿一元説が大変 不利になっている状況だからです。
中小路駿逸先生が、『日本書紀』の複数の個所を論拠に、大和王朝と並行して別の王朝があったこと。大和王朝は、その王朝の分家だったこと。白村江の敗戦を機会に、大和王朝が九州王朝から対唐外交の窓口を引き継いだこと。唐の立場で見ると、九州王朝は歯向かったけれど、大和朝廷の 600艘は中立を決め込んで戦わなかったので、唐からの進駐軍は大和に派遣されなかったこと。などを論証されたので、いわば、テニスのボールが「近畿一元説」のコートに打ち込まれているような状態です。中小路先生は 「近畿一元説」を証明できる一次資料の提示を求めておられるので、こういう論拠がありました、とボールは打ち返されるべき順番でした。それができないからといって、黙っているのはおかしいと思いませんか。
2020年は、ディー博士の「序論」(1570年)から450年目の節目の年でした。同様に、今年は『日本書紀』(720年)の成立から1300年の節目の年でした。(『日本書紀』が多元的古代史という論敵の証拠文献になってしまっているので) ボールを打ち返せないで多くの古代史家の方が困っていたとしても、記紀の古代神話は日本人共通の財産です。お願いですから、『日本書紀』を もっともっと宣伝して下さい。古代史の歴史家の責務ではありませんか。
そこには、テーマパークのVRアトラクションに最適な素材が揃っているからです。
ともあれ、ラニアー氏が それまで使われていた「人工現実 Artificial Reality」という言葉を避けて、Virtual realityだと言ったものですから、日本では別の問題が生まれました。virtual の訳語が日本語には存在しなかったのです。「見かけや形は原物そのままではないが、事実上は原物」という原意から virtual imageを、明治時代の物理学者は「虚像」と とりあえず訳しました。 しかし、虚や仮想は、舘先生のご指摘では逆の意味です。 virtual moneyで購入すれば宅配業者が実際に商品を自宅まで届けてくれます。仮想の購入では、ありません。また、仮想敵国を virtual enemyと誤訳してしまうと、普段は味方のふりをしているが実際には敵だった、となってしまいます。 (どちらの例も、舘先生のご指摘です。)
ですから、virtual はバーチャルと書こう。でも、別の言い回しも必ず見つかります、と舘先生は言っておられます。それもあって、Web辞書が virtual の意味から 「仮想の、虚の」を消し始めているのですが、逆に「虚像」が論拠を失うことになりました。舘先生は、りっしんべん(立心偏)に「實 じつ」という漢字 (和字) を提案しておられますが(虚像 → じつ像)、この漢字が定着するまでは、virtual imageを「バーチャル・イメージ」(慣用で「虚像」)などと2070年の教科書では書くことになるかも知れません。
【神武天皇は、分家を建てた太子でした】 VR之極意 ③
この他にも、(ごく簡単に紹介しますが) 日本の古代史に関わる通説の間違いが あるようです。『日本書紀』(720年)には、「大和朝廷の初代の神武天皇」は 筑紫の日向で生まれた太子(九州の王朝の天子の子)だった。その彼が大和平野に攻め込み、大和の為政者を戦いで負かして、大和に新しく王朝をひらいた、と書いてあります。歴史の一次資料にそう書いてあるのですから、資料を文字通りに読むことから始めましょう、という歴史観も 2070年頃には、学生たちの常識になっているかも知れません。その証拠としては、「白村江の戦い」(663年)の歴史記述が不自然だったというヒントがあったのだそうです。この戦いは教科書にも載っている有名なものですが、倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争でした。
この時、通説が間違っていて、倭国 九州王朝の当時の天子が捕虜にされたのだ、という仮説があるそうです。(筑紫君 薩夜麻という人物です。)この戦いの後に、唐からの進駐軍が長きに亙って太宰府のあたりに「横田基地」に似たベースキャンプを設営して政府の監視のための駐在をしていたそうです。大宰府のあたりに駐在したのですから、当時の国際政治の中心地、倭国 = 九州の王朝はその近くにあって政務を行なっていたのでしょう。ですから、「白村江の戦い」で負けて捕虜にされたのは、九州王朝の天子だったのだと推測されているそうです。
そのことを裏付けるように、『日本書紀』(天智2年)『旧唐書』『三国志記』などに、倭国Aと 倭国Bの船があわせて千艘あった。唐の船は170艘。戦闘は2回、ないし4回行なわれて、倭国Aの中核の約400艘が燃えてしまった。と書かれています。ここでは、中小路駿逸先生の「白江戦と日本文学史」(追手門学院大学紀要、1991年)から抜粋して ご紹介しているのですけれど、このとき、倭国Bの船600艘は、戦の大勢が決するのを すこし後ろに下がって眺めていたので被害がなかったというのが、後で唐からの倭国への処分が ものすごく甘く済んだ理由だったと推測されているそうです。
これは、どういうことでしょう。日本古代史の「通念」では、近畿の大和朝廷が、九州から近畿まで全部を昔から支配していました、となっているそうです。私たちも そう教わりました。しかし、中小路先生によれば、大和朝廷が 7世紀以前に「九州から近畿までの全土を支配していました」と書かれた歴史書は 一冊もないそうです。大和朝廷の支配地は、西は須磨までだったようです。 逆に、大和に朝廷をたてた神武天皇ご自身が、私は「別の王朝の天子の子供」だったので、(おそらく皇位継承権が低くて) 一旗揚げるために大和に建国したのだということを誇らしげに自慢しておられるのです。どの歴史書に !? 『日本書紀』が そう告げています。江戸時代に一部に知られて研究されていた歴史では、九州王朝は白村江の戦いのあとも 7世紀末までは存続していて、白鳳天平時代の白鳳というのは九州王朝の年号だそうです。ということは、倭国Bの600艘は、(中小路先生が指摘されたように)「分家である大和朝廷の船だったのでしょうか。この話は、また続けます。
はい、この話は VRと何の関係があるの ? というところを書いておきます。
イタリア人は、自分たちのアイデンティティ、その出自が「トロイア戦争」の亡命政府の人たちで、彼らが途中でカルタゴの美人支配者との結婚を断って「長靴」の半島に漂着したことが 今のイタリア人の起源だ、ということをルネッサンスという文化運動の中で改めて確認しました。大量のギリシャ・ローマの古典文学が文芸復興期に翻訳されています。F・ベーコンやデカルトを調べていて気が付いたことは、彼らがしょっちゅう古典や神話の登場人物をひきあいに出していることで、その理由は、西欧の古典が とにかく読んで「面白い」から 広く読まれていたためでした。オペラの人気作品には、特にギリシャの古典が目白押しです。
そして誰でもが、ギリシャ演劇の登場人物を子供のころから知っていて、神話と同じくらいに なじんでいます。
誰でも、登場人物の性格を良く知っているのですから(例えば、ゼウスは無類の女好きだとか)、シェークスピア、ラシーヌ、コルネイユなどの人気作品にもギリシャ古典の翻案物は数多く、しかも元のギリシャ演劇の完成度がとにかく高いので、翻案していても楽に面白く書けたのだろうと思います。説得力も、大いに ありました。
だから? ・・・ だから、VRなんです。
イタリア人留学生に、「日本版のパリスの審判」をVRで開発中だと言って下さい。日本のVRは知らなくても、薄い下着姿のヘーラー・アテーナー・アプロディーテーの 3人のことは誰でも良く知っています。日本についての多少の知識があれば、「伊達杏子・江口愛実・初音ミクの3人と握手できるの ?」と聞いてくるかも知れません。
だから、日本人には 『日本書紀』が良いと思うのです。
水木しげる先生の妖怪は 私も大好きです。「悪魔くん」の乗ったライドに観客が同乗して、イヴ・タンギーなどのシュールレアリスムの抽象画で描かれた地獄の世界を一緒に巡るという 「悪魔くん・ザ・ライド」の企画がありましたので、私は水木先生を東京ジョイポリスにご案内したことがあります。『ザ・クリプト3 - エロイムエッサイム - 』 の企画なども考えていましたが、実現しませんでした。水木先生の妖怪は「観客全員が知っているキャラクター」ではなかったからです。(大変に残念でした。)NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」の放送は 2010年でした。 でも、ヤマタノオロチだったら、誰でも知っていると思いませんか。
そして、イタリア人なら誰でも知っているギリシャ・ローマ神話の神々は、文芸復興期のサブカルチャーを通して西欧中に知れ渡りました。しかし、改めて日本人に文芸復興をしなくても知れ渡っているのが、ヤマトタケルであり、出雲の神話です。だから、私たちの VRには日本の神々にもっと活躍して頂くという選択肢があるのです。例えば、「スサノオ・ザ・ライド」です。ボスキャラが オロチです。
ただ、日本史の学問の世界では、従来の「大和王朝一元説」の先生方が、今は元気がありません。「吉野ケ里遺跡」とか「荒神谷遺跡の 358本もの大量の銅剣」(島根県出雲市、弥生時代)の発見などによって、近畿一元説が大変 不利になっている状況だからです。
中小路駿逸先生が、『日本書紀』の複数の個所を論拠に、大和王朝と並行して別の王朝があったこと。大和王朝は、その王朝の分家だったこと。白村江の敗戦を機会に、大和王朝が九州王朝から対唐外交の窓口を引き継いだこと。唐の立場で見ると、九州王朝は歯向かったけれど、大和朝廷の 600艘は中立を決め込んで戦わなかったので、唐からの進駐軍は大和に派遣されなかったこと。などを論証されたので、いわば、テニスのボールが「近畿一元説」のコートに打ち込まれているような状態です。中小路先生は 「近畿一元説」を証明できる一次資料の提示を求めておられるので、こういう論拠がありました、とボールは打ち返されるべき順番でした。それができないからといって、黙っているのはおかしいと思いませんか。
2020年は、ディー博士の「序論」(1570年)から450年目の節目の年でした。同様に、今年は『日本書紀』(720年)の成立から1300年の節目の年でした。(『日本書紀』が多元的古代史という論敵の証拠文献になってしまっているので) ボールを打ち返せないで多くの古代史家の方が困っていたとしても、記紀の古代神話は日本人共通の財産です。お願いですから、『日本書紀』を もっともっと宣伝して下さい。古代史の歴史家の責務ではありませんか。
そこには、テーマパークのVRアトラクションに最適な素材が揃っているからです。
※ 映画『日本誕生』1959年、東宝1000本記念作品 の予告を見れば、日本神話の豊饒さが分かります。アマテラスオオミカミは原節子が演じ、天岩戸は三代目朝潮がこじあけました。他に、司葉子、水野久美、上原美佐、香川京子、田中絹代、乙羽信子、杉村春子 ・・・ 東宝スター総出演。主演は 三船敏郎です。
※ 以前、吉川英治氏の『新・平家物語』『三国志』の歴史記述の見事さに触れましたが、『日本書紀』『古事記』は話の展開が面白い。三代目市川猿之助さんの『ヤマトタケル』(1986年)は波乱万丈のお話が凝縮されて、スーパー歌舞伎の中で一番の上出来でした。
画像借用元:http://kaichosha-f.co.jp/books/history-and-folk/4546.html
※ 中小路駿逸氏のことばを、ここで引用しておきます。
“従来の通念(近畿ヤマトの天皇家の王権は、七世紀よりも前から、日本列島唯一の中心的権力であったとする)”なるものを“前提”とされる人々なら、必ずその“通念の本来の根拠”なるものを提示されたい。これが、有効な唯一の手段である。それなしに、ただ「定説」だの「通念」だのを“前提”とし、それに合うように史料を解釈したりいじくったりして、あれこれと部分的な反論のみを試みたり、あるいはまったく古田や中小路らの提示するところを無視なさるなら、それは学問の何たるかにお気づきでないのだ、と言わざるをえまい。(新泉社「市民の古代」第2巻冒頭 合本「市民の古代」の解説にかえて より)
“従来の通念(近畿ヤマトの天皇家の王権は、七世紀よりも前から、日本列島唯一の中心的権力であったとする)”なるものを“前提”とされる人々なら、必ずその“通念の本来の根拠”なるものを提示されたい。これが、有効な唯一の手段である。それなしに、ただ「定説」だの「通念」だのを“前提”とし、それに合うように史料を解釈したりいじくったりして、あれこれと部分的な反論のみを試みたり、あるいはまったく古田や中小路らの提示するところを無視なさるなら、それは学問の何たるかにお気づきでないのだ、と言わざるをえまい。(新泉社「市民の古代」第2巻冒頭 合本「市民の古代」の解説にかえて より)