( 8½ )(32)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2021-06-23 | バーチャルリアリティ解説
 Number32 / パーク VRアトラクションの実作 〈後編 ③-3〉 
                          【( 8½ )総目次
 「桃山 / 江戸 / 日本人」そして「博士の勘違い」③ VR之極意:③

 〇 テーマパーク学から見た 『VR 飛雲閣』
   - ルードウィッヒ2世の『ビーナスの洞窟』と、ディズニーの ライド・アトラクション
   (『イッツ・ア・スモールワールド』(11)『Snow White's Scary Adventures』(19)など)を踏まえて -

 EPCOT 2032(仮称)の『VR 飛雲閣』桃山文化
   ↑
 横浜ジョイポリス 1994 の ライド・アトラクション(「VR-1」など)

   ↑                        ↑
   ↑             SEGA「AS-1」1992 
マイケル・ジャクソン版は 1993)など
   ↑                        ↑
 ディズニーランドの ライド・アトラクション 
(19)、そして 『キャプテンEO』など
   ↑
 ルードウィッヒ2世の『ビーナスの洞窟』 
(18)  『鏡の間』のレプリカ など
                            ↑
                          ルイ14世の『鏡の間』

                            ↑
                          信長の館 
(30)

 SEGA VR-1 @Yokohama, London, Darling Harbour
  Michael Jackson's Scramble Training (Sega AS-1)  1993
 キャプテンEO(マイケルジャクソン主演)1986@EPCOT


 ラファエル前派の ジョン・コリアが描く『ヴェーヌスベルクのタンホイザー』1901年。 タンホイザー役の歌手 が気の毒な理由は、3時間 歌いっぱなしなのに  一番 観客に受ける「夕星の歌」は旧友が歌うので 歌えないし、騒動の原因の「愛」の女神が 近年の新演出では 官能的でもなく 愛欲的にも見えない のです。タンホイザーが一年 いりびたった 歓楽施設 ヴィーナス山が 華麗でもエロくもない禁欲的な公演は 不買しましょう。ルードヴィッヒ2世の 演出(1878年)の的確さを見習って下さい。
 オペラ『タンホイザー』(1845年)の あらすじ:(18)   /「大行進曲」全曲 ミケル・ロア(Cond.)(19)一番下

質問者: 良く分かりました。それでは、『飛雲閣』をVRで作れば良い、ということなのですね。 それでしたら、
 ① 来年度の予算申請に『VR飛雲閣』の開発費を計上して、
 ② 再来年の3月に完成させる予定を組んで、そのためのスタッフを集めます。
 ③ 何か問題が起こったら、また相談に乗って下さいね。
貴重なご意見を、どうもありがとうございました。

回答者:(苦笑して) そうじゃないですよ。 それ、全部、間違いです。

 ①   EPCOT2032(仮称)の日本館の出し物として、本Blogを読んで 
   『VR飛雲閣』が どうやら良さそうだと思った方のうちで、
   次の方が開発に係わり、そうでない方は 係わらない方が安全です。

   ・ 『お能』を見て、心から面白いと思ったことのある方。
   ・ 『お能』を客席で観ていて、多言語字幕が 3Dで宙に浮いて見えると良い、と思った方。
   ・ セルリアンタワー能楽堂や 国立能楽堂などに行ったとき、ここでの 『敦盛』の上演などを HMDの再現CGで観てみたい、と思った方。

   【セルリアンタワー能楽堂】【国立能楽堂】【幸若舞の『敦盛』】【能の『敦盛』
   【小鳩くるみ 青葉の笛 】余談ですが、くるみさんは 1980年の吹替版で『白雪姫を鮮やかに演じました。
 それから、
   ・ 『鴛鴦(おしどり)歌合戦』
(1939年)を観て、青葉の笛のギャグで大笑いした方。
   ・ 『源氏物語』『万葉集』『古今和歌集』の どれかを、一応、通読したことのある方。
   ・ 古民家などで「お茶」を ふるまわれて、「やっぱし落ち着くわ」と感じたことのある方。
   その他の人は、係わらないように致しましょう。   


 それ以外の方は、自分の得意分野の題材を選びましょう。
   そのことが、化生論的に正しいという理由、そして
   具体的に何を、どうすれば良いのか、を 次回以降に記します。

 ②   再来年の3月に完成の予定を組み、そのためのスタッフを集める(公的補助の報告書の締切では、差し戻しの余裕を見て 1月のことが多いのですが)という計画では、失敗することも多いように思います。

   これについては、企画が通った段階で、既に
   絵コンテの第一稿ができていて、メンバー全員に
   「何を創れば Goalか」が ある程度見えている チームが有利です。

 重要なシーンから、直ちに(明日からでも)製作にかかりましょう。

 例えば、その開発が『VR 飛雲閣』でしたら 「お能」のどこが面白いか。は 今、係わっている全員に理解できているはずです。 ですから、「 能や 幸若舞の『敦盛』」を出発点にした開発というのは、例えば、IVRC参加の学生諸君に 少し荷が重いかも知れません。

   「VR お相撲」という案を、その代わりに 下に載せました。(次回以降にしました。陳謝)


 織田信長が上杉謙信に贈った豪華な『源氏物語図屏風』は行方不明なので、参考図に 宮内庁三の丸尚蔵館 『源氏物語図屏風』伝 狩野永徳筆です。安土桃山時代の金屏風には、個人的にですが(26)の『阿國歌舞伎図屏風』(阿国さん)の印象が重なり、1980年代の女性像、例えば、渡辺真知子さんの唇よ熱く君よ語れ1980年)が思い出されます。

 ※ 織田信長が『源氏物語図屏風』などに着目した美的センスは「江戸文化」の基層となりました → (35)

 この江戸文化のレベルの高さには、明治になって 日本に招かれた西欧の「お雇い外国人」たちが一様に驚き、洗練された 法隆寺とか 桂離宮の発展形を自分たちでデザインすれば 十分じゃないか(お雇い外国人に西洋の意匠を学ぶなんて まったく不要だ)と 自分たちから 言い出していました。字際に、欧米で開かれた万国博会場 に並べる品物の吟味でも 西洋の物まねは全く不人気で ジパングらしいもの を表面に出し、江戸時代に華開いた 有田焼の(超絶技巧の)六尺の大花瓶などを出展したのです。江戸の高級文化については、別術します。

 丁寧に造られた漆器の美しさなども 万国博で西欧人に十分理解されたので、地味目の漆器類なども 英国「ヴィクトリア&アルバート博物館」などが まとめ買いをして、今では 同美術館の貴重なコレクションです。高値で買い戻そう なんてしても、絶対 売ってくれません。現在では 復元するのに 数年掛かるという超絶な製造技法の漆器や もう復元できない技巧の漆器も、数多く 西洋で見つかっています。【清水三年坂美術館


 『 世紀の祭典 万国博覧会の美術(1855-1900 パリ・ウィーン・シカゴ万博に見る東西の名品)』(編集:東京国立博物館ほか、2004年)pp. 052-053

 また、本来は「化生論」である映画製作や VR作品開発では、公開日を無理に設定するのは、危険です。コッポラ監督の『ゴッドファーザー Part.3』では、カンヌに出品できる公開日だけが目的の 伴奏が全部には きちんとついても いない仮編集中の ひどい作品を初公開時に 大きな劇場で見せられて(入場料を返せ!)、Part.2 で とても高まった この監督の信頼は失墜しました。これは前にも書きましたが、完成予定日を決めて製作スケジュールを立てるのではなく、sneak preview を何回かやり、その時点で 欠けているエピソードや 不要の演出を その都度、見つける編集の方が 効果的です。
 同じ意味で、映画製作に「第二班」が必ず用意されている理由は、監督が 全部のプロセスに丁寧に係わると製作期間が 20年あっても時間が足りないからです。「第二班」を信頼して作品を組み上げ、後の sneak preview で 追加の編集が必要かどうかを全ての監督が判断しています。

 なお、公的補助金による製作で 完成を来年の1月に設定した場合には、機械論的なスケジュールで「3か月でできる筈だから着手するのは10月、それまでに急ぎの別プロジェクトをやろう」といった計画が 良く立てられます。結局、急ぎのプロジェクトが延びてしまい、補助金のプロジェクトは 1か月のやっつけになります。これは「数理モデル=機械論」という間違いや (31)に述べたウィーナー博士の勘違いも原因だと思われますが、メンバーを二つに分けて、両方に着手してみて、状況を見ながら投入する人数を調整したり、他の研究室・OBなどによる助っ人を仰ぐのが常道でしょう。
 
 また、sneak preview (「初見」で この作品を鑑賞する観客への内覧)は、完成までに できれば 4回程度 実施しましょう。毎回 20人以上の「初見で この作品をVR体験する人」に参加して貰い、細かく感想を聞いて下さい。「VRに ほとんど馴染んでいない人」と「専門家」の感想が、特に重要です。

 ③   これは 以前に、(17)などで「実作者と 発案者は 分けたほうが良い作品になる」だろうと書きました。 ただ、注意が必要で、誰か(例えば 先輩など)にアイデアを貰って IVRC作品が完成できた、というときには、登壇のための予稿(29)の「① 謝辞」に名前を書くか、もし、それが妥当であれば、論文の共同執筆者に お名前を掲載させて頂きましょう。そして、アイデアを貰った方には sneak preview の全回に 必ず参加をして頂き、狙った面白さが表現できているかどうかをチェックして貰ったほうが断然、有利です。

 ※ ですから、アイデアの発案者を「蚊帳の外」に置いての開発は、あり得ません。


 画像借用元:https://sara-sr.com/categories/f-3/

【「この作品のアイデアが もしも事業化された場合に、利益の配分で もめる可能性があるから」と親切に周囲の人がアドバイスしてくれたので、他人のアイデアを無断で盗用しようとしている人へのアドバイス。… Don’t! (やめておきなさい!)】(注)

 これは、ウォルトも体験した「オズワルド効果」を当事者として経験した 私からのアドバイスです。上にも書きましたが、もし発案者が 全体をラフに組み上げての sneak preview の全回に参加していなければ、この方向で開発を続けても大丈夫かどうか、のジャッジができません。発案者が その場にいない 内覧会は、既存の類似の作品が判断基準になりますから、つまり、既存の作品を乗り越えるという意欲を初めから放棄した 開発です。これは開発者のモチベーションを落とします。
 つまり、「二番煎じ」だからです。

 また、当初 使用を予定していたコントローラが 発売中止になった、などのアクシデントがあっても、発案者であれば その使用目的から逆算できますので、代替品が簡単に見つかります。他の専門家を雇ってきて発案者の代わりに難局を切り抜けよう としても、外部状況の変化の「すべて」に対処できるのは「発案者」( そのアイデアが天から降ってきたときそれを受け止めた人 )だけです。それで、途中から参加した専門家も アイデアについては無断借用者と同じですから、既存の類似の作品によく似た「試作品」は開発できても「バージョン2.0」の発展形を作れません。

 もし事業化されたら、利益の配分で もめる、ことよりも先に 空中分解するはずです。

 少し余談になるかも知れませんが、戦国時代や 江戸時代には、大名レベルの統率者で 「利益の配分で もめるから アイデアを盗用しよう」とか「ドイツのライプニッツとイギリスのニュートンが同時に微積分学を着想したので、他人の Blogのアイデアを自分で思いついたことにしても分からないだろう」と平気で噓をつく人は いませんでした。武家の子どもたちは 元服までに 四書五経を学び、『源氏物語』『古今和歌集』などを 必ず読んで、歌会では 未発表の自作の和歌が  TPOに応じて詠めるよう 訓練されていたからです。

 「平敦盛が熊谷直実に呼び止められて、圧倒的に自分が不利な状況でも 一騎打ちに応じた」という武将らしい振舞いが理解できたのは、個人の名誉を失うことが死ぬことよりも恥ずかしい、という気持ちに共感できたからでした。現代人より 「誇り」高かったのです。

 戦国大名たちが 大学院レベルの国文学の教養を「全員」が持っていたことについては、NHK大河ドラマの時代考証などで著名な小和田哲男氏の『戦国大名と読書(2014年)を 手に取ってみて下さい。彼らに 教養と高い品格があったから、「そちは論功行賞で、明日から 滋賀県の知事ぢゃ」と信長に言われたときでも「はっはー!」で 光秀は すぐに その地域を治められました。住民からも文句は出ていません。
 つまり、将来の利益で「アイデアを無断で盗め」と考える人は、品(品格)の無い人たちでした。

(注)Punch’s advice to those contemplating matrimony … “Don’t.” からの(元を示しての)借用です。

 〇 「博士の勘違い」を、前回、書ききれなかったので載せておきます。



 映画『モダン・タイムス(1936年)の例は、ウィーナー博士の『科学と神』(1964年)には出てきませんが、分かりやすいので ここに書いておきます。チャップリンは、知り合いの新聞記者から、こんな話を 小耳に はさみました。大都会デトロイトでは、健康な若い農夫たちが町に出て、大工場にあこがれて 勤め始めるのですけれど、ベルト・コンベア・システムを相手にすると 数年で神経衰弱にやられてしまう というのです。あの 20世紀を代表する名作の一本は、そうした雑談 から生まれました。

 ノーバート・ウィーナー博士は『人間機械論: サイバネテイックスと社会』第1版(原著1950年、”The Human Use of Human Beings”)と『サイバネティックス 第2版: 動物と機械における制御と通信』(原著1951年)を書いていた時に、間違えて理解をしていたようです。博士は「数理モデル=機械論」なので(誤りです)、数式を正しく解くことによって、適正に工場の自動制御ができ、皆んなが幸せになれる と考えていました。

   ※ 実際に、インド政府から依頼された インドの工場管理では 成果を上げました。

 しかし、『人間機械論:人間の人間的な利用』第2版(原著1954年) を書いている時には、頭の良い博士なので「何か変だぞ」と気が付きました。(29) (31)に書きましたが、自動制御は 奴隷労働に使えません。デトロイトの工場に就職した農夫は 奴隷労働で神経を病みました。その後、博士は『科学と神』(原著 1964年)でも(私の言葉ですが)「フィードバックの数理モデルは 機械論の算術なので 最適解が見つかるが、現実の工場の自動制御は『魔法使いの弟子』の暴走だ」(前提は間違っていましたが)メアリー・シェリーと同じ警告を書きました。正しくは、フィードバックが魔法使いの出来損ないの弟子、自動制御はフィードフォワードなので 最適解があります。

   【科学と神(読まなくても良いと思います。)

 ですから、残念、あと一歩でしたね。

 金融工学の入門書を持っている方は、適当に頁を開いて下さい。「無理数や多変数の関数による数式」が並んでいます。金融工学には、理論物理学から転身された方も多いそうです。
 それで、エルンスト・カッシーラーさんが、数理モデルにおける無理数は 現実とは関りを持たない、プリクラの鏡の向こうに見える「理想化された 紅茶キノコ・ダイエット後の自分の姿だ」と昔から指摘をしています。多変数の関数式なので「解の数は一つではなく」例えば、一番儲かりそうな解は、これ、環境に負担を掛けないのが、これ、という具合に解は沢山 見つかるからです。

 全く同じ理由から、自動制御における「数理モデル」も その解は、一つではありません。1947年に独立した インドや 1945年から民主主義になった 日本では、外国政府の干渉が無く、工場の現場作業者は(工場の出資者と同じ価値観に立って)PDCAのサイクルを廻し、品質の良い製品が製造されることに励みを感じました。ウィーナー博士の期待通りの「フィードバック」(実際には フィードフォワードですが)実現したのです。
 しかし、米国の資本家は、… 。週給で「貰った給料を すぐに 酒や ばくちに遣う」下層労働者を大量に雇ってフィードバックの工場を作り、ギリシャ時代の奴隷労働をモデルに「一般システム」を構築しました。それが一番、儲かったからです。

 ウィーナー博士に中世の「魔法」の知識があれば、現在の米国の文明が『魔法使いの弟子』そのものだったことに 気付かれたかも知れません。『弟子』が暴走を繰り広げる文明社会にブレーキを掛けられるのは、ほんとうの魔法使い。つまり、
   日本の VR開発者
かも知れません。東洋学の良さを再発見しよう、というのが私の提言です。

 【デュカス『魔法使いの弟子』】【レヴァイン/ベルリンフィル 全曲】【ストコフスキー/ミッキー 後半(7)より

 ※ 今回も長くなったので、以前に一度掲載した「e相撲」は(35)こちら に送りました。

VR奥儀皆伝( 8½ )(31) 「桃山 / 江戸 / 日本人」そして「博士の勘違い」②   → こちら
( 8½ )「暫定総目次
VR奥儀皆伝( 8½ )(33)に続きます。→ 
こちら        

( 8½ )(31)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2021-06-14 | バーチャルリアリティ解説
 Number31 / パーク VRアトラクションの実作 〈後編 ③-2〉 
                          【( 8½ )総目次
 「桃山 / 江戸 / 日本人」そして「博士の勘違い」② VR之極意:③

 (30)の最後に (上山春平氏作成の)「日本文化の波動」図を載せました。






 出典:梅棹忠夫、多田道太郎 編著『日本文化の構造』(講談社現代新書、1972年)所載、上山春平氏「日本文化の波動」

 600年周期説については、上の見事な分析を読んで下さい。

 たまたまですが、600年周期説は
(30)の時代に、丁度 あてはまります。

 EPCOT 2032(仮称。50年祭)の 『VR 飛雲閣』 (
330年後、信長から450年後
   ↑
 尾形光琳(天才グラフィックデザイナー)の『燕子花図屏風』 元禄時代(120年後、
1701年頃
   ↑
 信長が 贈答用に作った「金屏風」(『源氏物語図屏風』など)安土桃山時代 
(1579年頃)


 この下は、明治以降の20年周期の区分 (20年周期は上山春平氏説、 解説は です。

 1867年頃~1887年(明治20年)頃まで。 文明開化。 鹿鳴館の時代。(外→内)
                (1867年までの20年は、王政復古と 建前の尊王攘夷
                 渋沢栄一さんが見学した パリ万国博覧会
〈パリで
                 2回目は、慶応3年1867年でした。)
 1887年頃~1907年(明治40年)頃まで。 寺子屋の復活、西鶴などの 江戸文学の見直し。



 1907年頃~1927年(昭和 2年)頃まで。 大正モダニズム。 (外→内)
                映画の 大流行。初期の谷崎潤一郎や江戸川乱歩など。
                例えば、江戸川乱歩『人間椅子』の発表は 1925年。外国人の経営
                するホテルなどが舞台。
 1927年頃~1947年(昭和22年)頃まで。 戦争。 
撃ちてし止まん、本土決戦。
                野球の ストライク、ボール、アウト が、一本、一ツ、引け。

 1947年頃~1967年(昭和42年)頃まで。 東京オリンピック(1964年)の時代。首都高など。(外→内)
                1970年の大阪万博までで(外→内)の時代は終了。

 ※ 上山春平氏の
「日本文化の波動」の執筆は、1967年でした。
 ※ 
上の時代背景の説明は、氏の意を汲んでの私の文章です。
 ※ 
1967年以降も、20年周期は とても上手く あてはまります。下の 私の解説を参照。

 1967年頃~1987年(昭和62年)頃まで。 塩月弥栄子「冠婚葬祭入門」。公害。オイルショック。
                映画
バブルへGO!!で描かれた時代。
                (1990年の不動産融資総量規制が この時代の終焉?)。
 1987年頃~2007年(平成19年)頃まで。 VRの登場。大型ゲームセンター。商用PCの普及。(外→内)
 2007年頃~2027年(令和 9年)頃まで。 海外思想が咀嚼され、プラットフォーム上の 日本作品が目立つ。
                iPhoneの発売は2007年。

                ちなみに、2032年 EPCOT50周年は(外→内)の時代。

 私は、上山氏の 
600年/ 20年周期 (サイクルを考えると1200年/ 40年)説については、「パーキンソンの法則」などと同様、「バーチャルな公理」として、ここに記した世代的傾向が確かに見られるのを諸施策に反映させることが望ましいと思います。
 例えば、ですが、こういった具合です。

   〇 バーチャルな公理
   
約20年を単位として、日本文化には「ナイーヴに外来文化を受け入れる時期」と「外と遮断して内部的に消化する時期」の かなり截然とした交互発現が歴史的に見られる。(上山春平「日本文化の波動」1967年)

   以下は、フェロー武田の考えた命題。

   命題 1: ある世代の「当たり前」は、祖父母の世代、孫の世代を共感させる場合がある。
        (コンテストの応募
や 融資の申し込みは、祖父母世代の審査員がいれば有利。
   命題 2: ある作品の改良には、同世代者や、祖父母世代、孫世代に協力を求めると有利。
   命題 3: ある世代の「当たり前」は、その親の世代、子の世代に、違和感を感じさせる。

        (子供の世代に奥儀を教授しても、「本当に?」と 信じて貰えない事が多い。)

 ※ 「第二次 VR元年」2016年を推進した世代 は 90年代は小学生だったので「第一次」を全く知りません。
   第一次は デバイスの広告宣伝用デモのような コンテンツの練り込みの浅い作品が多く、失速しました。ギャラクシアン³』「AS-1」『VR-1』『ザ・クリプト』岐阜のCAVEデモ などが貴重な例外です。)第二次の元年には、ある米国証券会社のアナリストが「損したくなければ Oculus株を買え」と(2016年の)1月にあおった事で VR株価バブルが生まれました。この頃に  VRスタートアップ企業の内部で着手されていたコンテンツの開発が もしも 2018年頃まで育成され続けていれば 結果が出ていた可能性がありましたが、第二次世代は「第一次」の失速理由を知らず、そのまま FACEBOOK が原因の 2017年の Oculus 株低迷の混乱に巻き込まれて 第二次元年は失速しました。つまり、第二次は「株式アナリストの誤解で盛り上がり、誤解で盛り下がった」とも言えます。実は「第一次 元年」の教訓は 「VRが 売りものになるか どうかは、コンテンツ次第」という自明の事実でした。映画やテレビドラマの上出来、不出来と変わりません。
 ですから、2016年からの VRスタートアップ企業は、日本や台湾、中国などで資金調達して 2018年頃まで とりあえず開発を継続すれば 状況は変わったのかも知れません。しかしながら、・・・。第一次と第二次の時間差が 約20年だったことから、これを言っても 理解して貰えませんでした。

 ※ 第二次「VR元年」とは: 国内外にヒット・モバイルゲームを提供する ある企業が 2016年1月に VR起業支援のファンドを立ち上げ、このとき自社の会社案内に「VR元年」を謳いました。これが、Yahoo Newsなどに引用され、同じ頃に注目された上記の米国株式アナリストの発言(YouTube)などで増幅されたのが 二回目の「VR元年」の始まりでした。

   命題 4: ある時代の「当たり前」は、約20年で内容が変化する。(例えば、1945年に始まる
        墨塗り教科書型、西洋を表面だけなぞった多数決 民主主義の欠けている部分を
        宮本常一氏が名著『忘れられた日本人』1960年 などで批判しました。また、
        フランス現代思想などの一時的流行は、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』などの和風
        歴史認識で上書きされることを繰り返します。)
   命題 5: (外→内)時代の成功者・修学者は、20年後にも同じ方法が使えることを期待する。


 ともあれ、天正遣欧少年使節(1582-90年)以降に初めて、ジパングの文化が欧米に多数の展示物を通して紹介されたのは 万国博覧会の展示でした。1873年の ウイーン万国博と 1876年の フィラデルフィア万国博の会場イメージを紹介しておきます。


 『明治有田 超絶の美』の美術展カタログ( 2015年、佐賀県立九州陶磁文化館館長 鈴田由紀夫氏著、2400円 )の一部。この美術展会場には、大変に見事な陶磁器が並び息をのみましたが、このカタログも会場の雰囲気を良く伝えています。解説も、とても詳細です。(万国博の概説は (18)参照)
 明治20年頃までは「文明開化」なので、日本の美術品、例えば、仏像や陶磁器などが大量に安い価格で海外に流出しました。(現在は 高値で買い戻されています。)万国博は、陶磁器が定価で売れる貴重な機会でした。陶磁器、日本画、絹製品などの技術の高さは、鮮烈な印象を西欧に与えました。万国博では 金をはじめ、多くのメダルを獲得しています。

 19世紀の万国博覧会を通して、日本の「江戸時代の高い文化」は 欧米に鮮烈なデビューを果たし、西欧に ジャポニズム、アールヌーボー、日本風(だと西欧人が考えた)庭園美術などの 大流行を巻き起こしました。ただ、海外に「日本風」だと紹介された文化が、日本人には 多少 居心地の悪い「ジパング風」であったことには 注意して下さい。ところで、
 上山春平氏が指摘された その次の外と遮断して内部的に消化する時期には、こうした 万国博でのマーケティング と、それに続く シュールレアリズム、構成主義 などの世界的流行が 一旦 遮断されて(観客の目が国内に向いて)消化され「和風文化」が形成されています。例えば、1920年代に村山知義氏らの主宰する前衛芸術集団『マヴォ』に参加していた田川水泡氏は、1931年から「のらくろ」を描き始めてヒットさせました。20年代は(外→内)の時代、30年代は 和風 に外国の技法が消化された 文化です。


 ダダイスト村山知義氏の作品。「のらくろ」の作者が現実をデフォルメした作風では なかった (元「構成主義」者であった)ことから、「のらくろ」を真似して画風を確立した手塚治虫氏も「シンボルを組み合わせた漫画」を描きました。(手塚作品の『ジャンピング』などを参照。大塚英志著『アトムの命題』角川文庫を参照。)

 それで、ここまでで言いたかったことは、日本文化が外国文化と接触した際の やや落ち着きの悪い時代と、その文化を消化している時代が「波動」を繰り返していたということでした。
 上山春平氏は、この波動の理由を、1万年以上にわたって日本で「高度に発達した狩猟採集文化(縄文文化)」が中国や欧米の文化を輸入するときのフィルターになっているのだと興味深い分析を示しています。それについては、また次回以降に。

 そして、親の世代の価値観を、どうして子供が共有することが難しいか、については、ノーバート・ウィーナー博士の大きな勘違いも影響していたと 私は思います。注文しておいた ウィーナー博士の『科学と神』(原著1964年)『発明』が 通販で届いたので読んでみると、博士が 晩年に 急に寡黙になった理由も 同時に分かりました。『科学と神』では、博士の著書『サイバネティックス』で概説されて1960年代に盛んに研究されたフィードバック・システムについて、
   フィードバック(数理モデル) = 「機械論だから 算術的な解法で 正しい結果が 必ず得られる」(えっ?)
   奴隷労働がモデルの自動制御  = 「魔法だから、その『弟子』が使い方を間違えることで不都合が起きる」
と、博士は理解されていたのです。これは、真逆の誤解でした。

 ※ 「自動制御は『奴隷労働と同じモデル』だから 機械論」
   「数理モデルが 化生論」(魔法)
であることを 私たちは 良く知っています。魔法だから「使える」、機械だから「使えない」のです。

 ※ 1960年代に「自動制御」は、最先端科学として 世界の工学部で 多く研究されました。しかし、人間=機械系は、システムを操作する 現場の操作者に工場の機械の負荷や 環境への配慮が主体的に判断できて「儲かる儲からないに係わらず」出力の製品数や品質が 操作者に調整できる(現場でフィードバックできる)という前提があるときに限って、初めて 稼働が許される「一般システム」でした。多くの科学者が「機械論」を誤解していたことなども理由の一つで、アマゾンの大森林が伐採されるなどの狂気の経済活動が続き、それに歯止めをかけるために、国際社会は SDGsに着目しました。

 ということで、本Blog 「VR奥儀皆伝」の主張は、

 〇 奴隷労働を真似た「自動制御」については、SDGs の開発においては「奴隷労働を真似ている」という注釈つきで 今後 論じられる必要があること。VR作品の開発では、奴隷労働を促すシステムを 原則 禁止すること。
 〇 日本が 海外から歓迎される VR作品の開発については、安土桃山時代や ジャポニズムなどの 対外交流を参考にすること。ジャパニーズ が、ジパング人を意味するからです。しかし、柔道、合気道、座禅などの欧米での体験参加や 日本映画などで、勘の良い外国人には「ジパング」と異なる 日本の「高度に発達した狩猟採集文化」= 古都の落ち着き が理解できるので (参考資料:水津陽子著『日本人だけが知らない「ニッポン」の観光地』無料サンプル・ブラウザ試し読み ) その瞬間に「ジパング風の おみやげ」「いやげ物」になることにも 注意して下さい。
 こういった話題が、次回以降に続きます。

VR奥儀皆伝( 8½ )(30)パーク VRアトラクションの実作 桃山再現VRは「日本文化の波動」を証しする 〈後編 ③〉 → こちら
( 8½ )(9)「暫定総目次
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