Number32 / パーク VRアトラクションの実作 〈後編 ③-3〉
〇 テーマパーク学から見た 『VR 飛雲閣』
- ルードウィッヒ2世の『ビーナスの洞窟』と、ディズニーの ライド・アトラクション
EPCOT 2032(仮称)の『VR 飛雲閣』桃山文化
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横浜ジョイポリス 1994 の ライド・アトラクション(「VR-1」など)
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↑ SEGA「AS-1」1992 (マイケル・ジャクソン版は 1993)など
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ディズニーランドの ライド・アトラクション (19)、そして 『キャプテンEO』など
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ルードウィッヒ2世の『ビーナスの洞窟』 (18) 『鏡の間』のレプリカ など
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ルイ14世の『鏡の間』
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信長の館 (30)
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横浜ジョイポリス 1994 の ライド・アトラクション(「VR-1」など)
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↑ SEGA「AS-1」1992 (マイケル・ジャクソン版は 1993)など
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ディズニーランドの ライド・アトラクション (19)、そして 『キャプテンEO』など
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ルードウィッヒ2世の『ビーナスの洞窟』 (18) 『鏡の間』のレプリカ など
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ルイ14世の『鏡の間』
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信長の館 (30)
ラファエル前派の ジョン・コリアが描く『ヴェーヌスベルクのタンホイザー』1901年。 タンホイザー役の歌手 が気の毒な理由は、3時間 歌いっぱなしなのに 一番 観客に受ける「夕星の歌」は旧友が歌うので 歌えないし、騒動の原因の「愛」の女神が 近年の新演出では 官能的でもなく 愛欲的にも見えない のです。タンホイザーが一年 いりびたった 歓楽施設 ヴィーナス山が 華麗でもエロくもない禁欲的な公演は 不買しましょう。ルードヴィッヒ2世の 演出(1878年)の的確さを見習って下さい。
質問者: 良く分かりました。それでは、『飛雲閣』をVRで作れば良い、ということなのですね。 それでしたら、
① 来年度の予算申請に『VR飛雲閣』の開発費を計上して、
② 再来年の3月に完成させる予定を組んで、そのためのスタッフを集めます。
③ 何か問題が起こったら、また相談に乗って下さいね。
貴重なご意見を、どうもありがとうございました。
回答者:(苦笑して) そうじゃないですよ。 それ、全部、間違いです。
① EPCOT2032(仮称)の日本館の出し物として、本Blogを読んで
『VR飛雲閣』が どうやら良さそうだと思った方のうちで、
次の方が開発に係わり、そうでない方は 係わらない方が安全です。
・ 『お能』を見て、心から面白いと思ったことのある方。
・ 『お能』を客席で観ていて、多言語字幕が 3Dで宙に浮いて見えると良い、と思った方。
・ セルリアンタワー能楽堂や 国立能楽堂などに行ったとき、ここでの 『敦盛』の上演などを HMDの再現CGで観てみたい、と思った方。
【セルリアンタワー能楽堂】【国立能楽堂】【幸若舞の『敦盛』】【能の『敦盛』】
・ 『お能』を客席で観ていて、多言語字幕が 3Dで宙に浮いて見えると良い、と思った方。
・ セルリアンタワー能楽堂や 国立能楽堂などに行ったとき、ここでの 『敦盛』の上演などを HMDの再現CGで観てみたい、と思った方。
【セルリアンタワー能楽堂】【国立能楽堂】【幸若舞の『敦盛』】【能の『敦盛』】
それから、
・ 『鴛鴦(おしどり)歌合戦』(1939年)を観て、青葉の笛のギャグで大笑いした方。
・ 『源氏物語』『万葉集』『古今和歌集』の どれかを、一応、通読したことのある方。
・ 『鴛鴦(おしどり)歌合戦』(1939年)を観て、青葉の笛のギャグで大笑いした方。
・ 『源氏物語』『万葉集』『古今和歌集』の どれかを、一応、通読したことのある方。
・ 古民家などで「お茶」を ふるまわれて、「やっぱし落ち着くわ」と感じたことのある方。
その他の人は、係わらないように致しましょう。
それ以外の方は、自分の得意分野の題材を選びましょう。
その他の人は、係わらないように致しましょう。
それ以外の方は、自分の得意分野の題材を選びましょう。
そのことが、化生論的に正しいという理由、そして
具体的に何を、どうすれば良いのか、を 次回以降に記します。
② 再来年の3月に完成の予定を組み、そのためのスタッフを集める(公的補助の報告書の締切では、差し戻しの余裕を見て 1月のことが多いのですが)という計画では、失敗することも多いように思います。
これについては、企画が通った段階で、既に
絵コンテの第一稿ができていて、メンバー全員に
「何を創れば Goalか」が ある程度見えている チームが有利です。
重要なシーンから、直ちに(明日からでも)製作にかかりましょう。
例えば、その開発が『VR 飛雲閣』でしたら 「お能」のどこが面白いか。は 今、係わっている全員に理解できているはずです。 ですから、「 能や 幸若舞の『敦盛』」を出発点にした開発というのは、例えば、IVRC参加の学生諸君に 少し荷が重いかも知れません。
「VR お相撲」という案を、その代わりに 下に載せました。(次回以降にしました。陳謝)
織田信長が上杉謙信に贈った豪華な『源氏物語図屏風』は行方不明なので、参考図に 宮内庁三の丸尚蔵館 『源氏物語図屏風』伝 狩野永徳筆です。安土桃山時代の金屏風には、個人的にですが(26)の『阿國歌舞伎図屏風』(阿国さん)の印象が重なり、1980年代の女性像、例えば、渡辺真知子さんの『唇よ熱く君よ語れ』(1980年)が思い出されます。
※ 織田信長が『源氏物語図屏風』などに着目した美的センスは「江戸文化」の基層となりました → (35)
この江戸文化のレベルの高さには、明治になって 日本に招かれた西欧の「お雇い外国人」たちが一様に驚き、洗練された 法隆寺とか 桂離宮の発展形を自分たちでデザインすれば 十分じゃないか(お雇い外国人に西洋の意匠を学ぶなんて まったく不要だ)と 自分たちから 言い出していました。字際に、欧米で開かれた万国博会場 に並べる品物の吟味でも 西洋の物まねは全く不人気で ジパングらしいもの を表面に出し、江戸時代に華開いた 有田焼の(超絶技巧の)六尺の大花瓶などを出展したのです。江戸の高級文化については、別術します。
丁寧に造られた漆器の美しさなども 万国博で西欧人に十分理解されたので、地味目の漆器類なども 英国「ヴィクトリア&アルバート博物館」などが まとめ買いをして、今では 同美術館の貴重なコレクションです。高値で買い戻そう なんてしても、絶対 売ってくれません。現在では 復元するのに 数年掛かるという超絶な製造技法の漆器や もう復元できない技巧の漆器も、数多く 西洋で見つかっています。【清水三年坂美術館】
また、本来は「化生論」である映画製作や VR作品開発では、公開日を無理に設定するのは、危険です。コッポラ監督の『ゴッドファーザー Part.3』では、カンヌに出品できる公開日だけが目的の 伴奏が全部には きちんとついても いない仮編集中の ひどい作品を初公開時に 大きな劇場で見せられて(入場料を返せ!)、Part.2 で とても高まった この監督の信頼は失墜しました。これは前にも書きましたが、完成予定日を決めて製作スケジュールを立てるのではなく、sneak preview を何回かやり、その時点で 欠けているエピソードや 不要の演出を その都度、見つける編集の方が 効果的です。
同じ意味で、映画製作に「第二班」が必ず用意されている理由は、監督が 全部のプロセスに丁寧に係わると製作期間が 20年あっても時間が足りないからです。「第二班」を信頼して作品を組み上げ、後の sneak preview で 追加の編集が必要かどうかを全ての監督が判断しています。
なお、公的補助金による製作で 完成を来年の1月に設定した場合には、機械論的なスケジュールで「3か月でできる筈だから着手するのは10月、それまでに急ぎの別プロジェクトをやろう」といった計画が 良く立てられます。結局、急ぎのプロジェクトが延びてしまい、補助金のプロジェクトは 1か月のやっつけになります。これは「数理モデル=機械論」という間違いや (31)に述べたウィーナー博士の勘違いも原因だと思われますが、メンバーを二つに分けて、両方に着手してみて、状況を見ながら投入する人数を調整したり、他の研究室・OBなどによる助っ人を仰ぐのが常道でしょう。
また、sneak preview (「初見」で この作品を鑑賞する観客への内覧)は、完成までに できれば 4回程度 実施しましょう。毎回 20人以上の「初見で この作品をVR体験する人」に参加して貰い、細かく感想を聞いて下さい。「VRに ほとんど馴染んでいない人」と「専門家」の感想が、特に重要です。
③ これは 以前に、(17)などで「実作者と 発案者は 分けたほうが良い作品になる」だろうと書きました。 ただ、注意が必要で、誰か(例えば 先輩など)にアイデアを貰って IVRC作品が完成できた、というときには、登壇のための予稿(29)の「① 謝辞」に名前を書くか、もし、それが妥当であれば、論文の共同執筆者に お名前を掲載させて頂きましょう。そして、アイデアを貰った方には sneak preview の全回に 必ず参加をして頂き、狙った面白さが表現できているかどうかをチェックして貰ったほうが断然、有利です。
※ ですから、アイデアの発案者を「蚊帳の外」に置いての開発は、あり得ません。
画像借用元:https://sara-sr.com/categories/f-3/
【「この作品のアイデアが もしも事業化された場合に、利益の配分で もめる可能性があるから」と親切に周囲の人がアドバイスしてくれたので、他人のアイデアを無断で盗用しようとしている人へのアドバイス。… Don’t! (やめておきなさい!)】(注)
これは、ウォルトも体験した「オズワルド効果」を当事者として経験した 私からのアドバイスです。上にも書きましたが、もし発案者が 全体をラフに組み上げての sneak preview の全回に参加していなければ、この方向で開発を続けても大丈夫かどうか、のジャッジができません。発案者が その場にいない 内覧会は、既存の類似の作品が判断基準になりますから、つまり、既存の作品を乗り越えるという意欲を初めから放棄した 開発です。これは開発者のモチベーションを落とします。
つまり、「二番煎じ」だからです。
また、当初 使用を予定していたコントローラが 発売中止になった、などのアクシデントがあっても、発案者であれば その使用目的から逆算できますので、代替品が簡単に見つかります。他の専門家を雇ってきて発案者の代わりに難局を切り抜けよう としても、外部状況の変化の「すべて」に対処できるのは「発案者」( そのアイデアが天から降ってきたとき、それを受け止めた人 )だけです。それで、途中から参加した専門家も アイデアについては無断借用者と同じですから、既存の類似の作品によく似た「試作品」は開発できても「バージョン2.0」の発展形を作れません。
もし事業化されたら、利益の配分で もめる、ことよりも先に 空中分解するはずです。
少し余談になるかも知れませんが、戦国時代や 江戸時代には、大名レベルの統率者で 「利益の配分で もめるから アイデアを盗用しよう」とか「ドイツのライプニッツとイギリスのニュートンが同時に微積分学を着想したので、他人の Blogのアイデアを自分で思いついたことにしても分からないだろう」と平気で噓をつく人は いませんでした。武家の子どもたちは 元服までに 四書五経を学び、『源氏物語』『古今和歌集』などを 必ず読んで、歌会では 未発表の自作の和歌が TPOに応じて詠めるよう 訓練されていたからです。
「平敦盛が熊谷直実に呼び止められて、圧倒的に自分が不利な状況でも 一騎打ちに応じた」という武将らしい振舞いが理解できたのは、個人の名誉を失うことが死ぬことよりも恥ずかしい、という気持ちに共感できたからでした。現代人より 「誇り」高かったのです。
戦国大名たちが 大学院レベルの国文学の教養を「全員」が持っていたことについては、NHK大河ドラマの時代考証などで著名な小和田哲男氏の『戦国大名と読書』(2014年)を 手に取ってみて下さい。彼らに 教養と高い品格があったから、「そちは論功行賞で、明日から 滋賀県の知事ぢゃ」と信長に言われたときでも「はっはー!」で 光秀は すぐに その地域を治められました。住民からも文句は出ていません。
つまり、将来の利益で「アイデアを無断で盗め」と考える人は、品(品格)の無い人たちでした。
(注)Punch’s advice to those contemplating matrimony … “Don’t.” からの(元を示しての)借用です。
〇 「博士の勘違い」を、前回、書ききれなかったので載せておきます。
映画『モダン・タイムス』(1936年)の例は、ウィーナー博士の『科学と神』(1964年)には出てきませんが、分かりやすいので ここに書いておきます。チャップリンは、知り合いの新聞記者から、こんな話を 小耳に はさみました。大都会デトロイトでは、健康な若い農夫たちが町に出て、大工場にあこがれて 勤め始めるのですけれど、ベルト・コンベア・システムを相手にすると 数年で神経衰弱にやられてしまう というのです。あの 20世紀を代表する名作の一本は、そうした雑談 から生まれました。
ノーバート・ウィーナー博士は『人間機械論: サイバネテイックスと社会』第1版(原著1950年、”The Human Use of Human Beings”)と『サイバネティックス 第2版: 動物と機械における制御と通信』(原著1951年)を書いていた時に、間違えて理解をしていたようです。博士は「数理モデル=機械論」なので(誤りです)、数式を正しく解くことによって、適正に工場の自動制御ができ、皆んなが幸せになれる と考えていました。
※ 実際に、インド政府から依頼された インドの工場管理では 成果を上げました。
しかし、『人間機械論:人間の人間的な利用』第2版(原著1954年) を書いている時には、頭の良い博士なので「何か変だぞ」と気が付きました。(29) (31)に書きましたが、自動制御は 奴隷労働に使えません。デトロイトの工場に就職した農夫は 奴隷労働で神経を病みました。その後、博士は『科学と神』(原著 1964年)でも(私の言葉ですが)「フィードバックの数理モデルは 機械論の算術なので 最適解が見つかるが、現実の工場の自動制御は『魔法使いの弟子』の暴走だ」と(前提は間違っていましたが)メアリー・シェリーと同じ警告を書きました。正しくは、フィードバックが魔法使いの出来損ないの弟子、自動制御はフィードフォワードなので 最適解があります。
ですから、残念、あと一歩でしたね。
金融工学の入門書を持っている方は、適当に頁を開いて下さい。「無理数や多変数の関数による数式」が並んでいます。金融工学には、理論物理学から転身された方も多いそうです。
それで、エルンスト・カッシーラーさんが、数理モデルにおける無理数は 現実とは関りを持たない、プリクラの鏡の向こうに見える「理想化された 紅茶キノコ・ダイエット後の自分の姿だ」と昔から指摘をしています。多変数の関数式なので「解の数は一つではなく」例えば、一番儲かりそうな解は、これ、環境に負担を掛けないのが、これ、という具合に解は沢山 見つかるからです。
全く同じ理由から、自動制御における「数理モデル」も その解は、一つではありません。1947年に独立した インドや 1945年から民主主義になった 日本では、外国政府の干渉が無く、工場の現場作業者は(工場の出資者と同じ価値観に立って)PDCAのサイクルを廻し、品質の良い製品が製造されることに励みを感じました。ウィーナー博士の期待通りの「フィードバック」が(実際には フィードフォワードですが)実現したのです。
しかし、米国の資本家は、… 。週給で「貰った給料を すぐに 酒や ばくちに遣う」下層労働者を大量に雇ってフィードバックの工場を作り、ギリシャ時代の奴隷労働をモデルに「一般システム」を構築しました。それが一番、儲かったからです。
ウィーナー博士に中世の「魔法」の知識があれば、現在の米国の文明が『魔法使いの弟子』そのものだったことに 気付かれたかも知れません。『弟子』が暴走を繰り広げる文明社会にブレーキを掛けられるのは、ほんとうの魔法使い。つまり、
日本の VR開発者
かも知れません。東洋学の良さを再発見しよう、というのが私の提言です。