( 8½ )(24)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2021-02-27 | バーチャルリアリティ解説
 Number24 / パーク VRアトラクションを実作します 〈中編〉
                          【( 8½ )総目次 
 京都の西本願寺にある国宝の楼閣『飛雲閣』 VR之極意:③


 画像借用元:https://www.hongwanji.kyoto/see/hiunkaku.html

 さて、前回( 8½ )(23)『BODY WARS』の微修正は、割合 簡単でした。

 ※ 『BODY WARS』は、テーマパーク体感劇場の公開作品の一例として紹介しました。VR作品の開発者は、TSUTAYAなどで『ミクロの決死圏(1966年)のDVDを借りて「32インチ以上」の 大きな画面で観ておくと理解が深まります。スマホや15インチの小画面でネットを観て「映画を観た」と思っているのは 錯覚です。
 調布駅のTSUTAYAなど(検索できます)に必ずあります。

 〇 私が直した方が良いと思っている『BODY WARS』の修正箇所を、再度 挙げておきます。

 1)プレショー廊下の窓(裸眼立体映像)から、大きな動物や潜航艇が実験室で 小型化されている様子が観客には何度も見える。
 2)座席についてから 潜航艇が小さくなる場面では、観客が「自分も小さくなった」と思えるような演出を短く追加する。
   巨大な作業員が外から覗き込むなどして、自分が小さくなったと感じて貰う。
 3)揺動を、揺動デザインの専門家に付けなおして貰う。一部の動きに めりはりをつけるとか、
   大規模でない 「揺動に合わせたCG映像の作り直し」などの画像編集を改めて行なう。
 4)エリザベス・シュー嬢の肖像権の許諾を取って、1989年の彼女のCGキャラが大写しになる場面を追加する。

   (ちなみに2017年の『ブレードランナー2049』のショーン・ヤングさんは、CGです。)
 5)小型化された潜航艇が 元の大きさに戻る過程を、スクリーンの映像の最後に少し付け加える。


 『BODY WARS』(1989 - 2007年、EPCOTでの公開)は、手直しすれば 再公開できると思います。1966年の映画『ミクロの決死圏』が良くできていましたので、映画の予告編の一場面を テレビで新作CMの背景に使うなどして、最近の人にも良く知られた映画作品にしておくと良いでしょう。(リメイクの話も進んでいるようです.。)
 【予告編】https://www.youtube.com/watch?v=-hjiVViMuS4&feature=emb_logo
 新作CMの タイアップの新曲が流行すれば 更に効果的です。

 ※ なお、1966年の映画は、シナリオの最後に少しだけ筋の ほころびがありますが、「ノベライゼーションのアイザック・アシモフの小説では、一応解決しています」と広報の人が付け加えるように心がけましょう。

 ところで、そもそも『BODY WARS』は、何のために造られたのでしょう。


 画像借用元:https://www.themeparksandentertainment.com/2020/01/the-lost-peoplemover-epcot-centers.html

 テーマパークが、「機械論」的に運営されている施設でしたら、アトラクションを増設することは「観客を増やして、お金を儲けるため」でした。(それは 違いますね。)また改めて、詳しく経緯を解説しますが、1992年に長崎県にオープンした広大なテーマパーク「ハウステンボス」は、開園して4年目に380万人というとてつもない入場者数を記録しました。これが全国の自治体関係者の注目を集めたことから、90年代の国内には次々とテーマパークがオープンして、そして大半が 廃墟になって行きました。
 次々にテーマパークがオープンした理由は、ハウステンボスの用地というのが「札付き」の問題含みの案件で、当初 長崎県では工業団地としての造成を行ったものの工業用水供給の問題などから企業誘致がまったく進まず、手つかずの頭痛の種として残っていた土地の活用だったからでした。似たような懸案を抱えていた自治体は全国に多かったことから、彼らは 先を争って 90年代にテーマパークを造りました。しかし、テーマパークの運営・維持に詳しい専門家(稲元章博さんのような秀抜なアドバイザー)が少なかったので、テーマパークは次々に倒産して行きました。つまり、日本では、

   1990年代に 見事に「機械論的」なテーマパークの造成が行なわれた

ことになります。
 従業員も大勢いましたから、その雇用を機械的に維持したい気持ちも分かります。そのこともあって、市場プッシュ型、つまり、大資本が自分たちの得意な製品を市場に押し付けて (旅行代理店などの)中間卸に生産物を引き取って貰う方法 = 利権的な トップダウンの「機械論」が、テーマパークの造成方法になっていたのです。

 しかし、『BODY WARS』の製作については、それは機械論だったでしょうか。例えば、派遣スタッフの手を借りて、納期に合わせて何が何でも作品を仕上げ、納期が来たら納品して、あとは 旅行代理店や 切符の販売代理店にオープン日に合わせた割引切符を さばいて貰う、というのが「機械論」の開発・販売方法です。しかし、この作品は そうやって作られた訳ではありません。『BODY WARS』の観客は、EPCOTなので 未来のアトラクションに乗りたいと思って(入場料を払って)ここに来て下さいました。彼らは、自分が来たいので ここに来たのです。

 ですから、『BODY WARS』が 開発された理由は、
   EPCOTに来た観客、そして アトラクションの開発者と、ディズニー映画の登場人物が、
   全員がディズニーに共感して、その魔法の王国で「一緒に暮らしている」という想いを共有し、
   アトラクションの上演を通して、その一体感
(仲間意識)感じられるようになること、
それが このアトラクションの開発目的でした。
 私は、それを化生論的な(ディズニー・マジックの)開発方法と呼んでいます。

 ヒッチコック監督の 1958年の 映画めまいでは、映画館の観客と ジェームズ・スチュアートの「視線」が一致するように、つまり、観客が 彼との視覚的な一体感を感じるように「絵コンテ」が用意されました。「アメリカの良心」と呼ばれた スチュアートが目で追った対象に、観客が安心して視線を委ねるとき、その眼前には「驚くほどの美女の姿」「サンフランシスコの有名観光地」が 豪華に、次々と披露されました。観客は、ヒッチ監督の魔術に かかり、おそらくポップコーンを食べる手も止めて 「美しい観光地を背景にした綺麗な衣装の美女」を目で追うスチュアートに一体感を感じていたことでしょう。
 『めまい』に出てくる美しい観光地は、ゴールデンゲートブリッジ、Legion of Honor美術館、ミューア・ウッズ国定公園、二人がキスを交わす Cypress Point(ペブルビーチ海岸)などでした、

 映画の観客は、スクリーン上の「代理人」(つまり 自己同一視できるアバター)に一体感を感じて、視線を誘導されていました。「化生論」による誘導です。VR作品の観客(プレイヤー)の場合は、開発者が(スムーズな)操作のためのヒント、手掛かりとして置いた「鍵」を入口に(それをプレイヤーが操作することで)画面のキャラクターとの一体感を感じました。それは、いつか夢の中かどこかで「自分が’夢想したバーチャルな世界で、そうなったら良いなと思った体験」に とても近いものなので、神話の世界に似ています。その感覚は、自分が 神話のキャラクターと共感した時と同じ感覚(自分が価値観を同じくする共同体との一体感)でした。そして、その時に、観客は同時に監督や 製作者とも、一体感、共感、仲間意識を感じるのです。
 余談になりますが、中世では、「自分が気に入る世界を、気にくわない世界の中に バーチャルに構築する力を持った存在」のことをメイカー、と呼んでいました。神様のことです。乙女は、あの方と結婚できますように、と 真剣に神様に祈りをささげ、そのとき神様との一体感を強く感じました。

 ですから、現代において VR作品を開発している IVRCの学生たちは、中世だったら「神様が専売していた」開発能力を発揮して、観客がキャラクターとの同一感を感じたり、同時に観客が開発者に対して「神様!」と 感謝したくなる世界を作っているのです。びっくりしますね。 中世ではこうした心理操作を魔法と呼んで、教会の人たちは「神様以外の誰か」が 観客(信徒たち)に魔法を使うことを本気で恐れました。しかし、ルネッサンス期になると「天使を呼んで私の運勢を占って貰おう。大願成就があさってなら、彼氏への愛は、あさって告白しよう」という実利的ヘルメス科学が珍重されました。

 ウォルトは、1939年のNY万国博という「親切な妖精のおばさん」がアメリカに与えた「魔法のスティック」の一振りで、50年代の郊外のアメリカ人 (但し白人) の生活が 広告などに説得されて まるで雑誌広告のイラストから抜き出てきたような姿に変わるのを見ていました。『シンデレラ』(1950年)は、「魔法のスティック」の一振りで何が起きたか、を描いたディズニー・アニメです。それで、ウォルトが EPCOTを作ろうと思いついたときには、
   「ここに一緒に住んでくれる」というゲストやキャストの人が 必ず 大勢いること
をウォルトは予感しました。

 システムの運用の不具合も、住民が率先して 自ら直してくれるでしょう。

 ところで、東京大学人文社会系研究科 唐沢かおり教授は、新造のエコシティに新しい住民が集まってきたとき「共同体の構成員」としての一体感(例えば、ある神社の氏子であるといった仲間意識)が、まだ その場所に作られていないことが原因で、エコシティの住人がネガティブステレオタイプの不信 に陥る危険を ある 横幹連合での講演で指摘されました。
 それは、ある意味では やむを得ずに「現在、起こり得ること」なのかも知れません。


 その原因は、現在 計画されている Society5.0などの エコシティが「データ駆動型の社会」であるためで、そのエコシティでは(トップダウンではなく)ボトムアップによる 帰納的なデータサイエンスの活用が計画されているからです。
 【参考参考】:「横幹」 Vol.12、No.2、2018 掲載 北川源四郎 前会長の巻頭言「データサイエンス時代の横幹連合」
 そのため、エコシティの「地域住民」は、(プライバシーに触れない範囲で)

   各家庭の消費電力や 通勤時間、買い物などの行動特性、そして、家族の病歴、家族の要介護度

などの 普通は「身内しか知らない情報」を「自発的に」システム構築者に提供することが「要請」されています。(皆さんは ご存じでしたか?)「データ駆動型の社会」では、地域住民の利便性を高めるための そうした情報の 自発的な 提供が
(行政からの、エコシティ居住の要件として)要請されているからです。

 【以下の不信の事例は、唐沢先生の講演をもとに武田が作文してみた内容です。文責は、本Blogにあります。原因はどれも、開発者と住民の一体感が 作れなかったことにあるようです。】

 (1)仮に(地域住民への)「報酬」とか罰が 社会実装時のインセンティブに含まれていた場合、つまり、データ提供者には 5000円差し上げます、とかが決まっていた場合には、内発的な望ましい態度形成(住民が「好きだから」やる、「良いと思った」からやるという協労意識)を低下させることがあります。
 (2)また、同様に、電力会社や研究者から、お宅の電力消費は、今月はどうして少ないのでしょう?といった形の質問を 度々受けると、「なぜ このように個人の生活に『介入』され続けるのか」という疑問が生じて、質問された住民は システムの操作者側の「ネガティブな意図」を推論してしまうそうです。例えば、「安い電力プランの契約」で「但し 2年間は解約できません」といった電力会社に有利な内容を この話の後に勧められるんじゃないか、といった警戒心を先に持つことがあるようです。

 (3)また、「お宅の電気代は、必ず お安くなります」などと繰り返して聞かされた場合は、他者や過去と比較したときの「差」に敏感に反応して「比べて良くなること」を住民が過剰に求めるようになるそうです。それで、住民には現行のサービスが(既に十分に高度なサービスでも)当たり前のものに思えて来る場合も あるそうです。
 しかも、
 (4)もし「調査に正しく回答頂けなかった場合は、災害時の停電時間が 174%(例えばです)に増加するかもしれません」などのように「将来予想される未知・不確実なリスクについての確率的な記述」を目に留めると、その事象に過剰な不安を喚起する傾向があるそうです。


 【以上のネガティブな住民の不信についての解説は、文責 武田です。発表者の意図と異なる場合があります。】


 これらは、いずれも、開発する側の関係者が全員、持っている 数理モデルに基づく近未来のイメージ が、(ディズニーランドの開発者と観客の関係のようには)一般の住民と 共有されていない ことが原因です。それで、こうした潜在的なリスクが(Society5.0 などの)データ駆動型社会には生じやすいのだそうです。日本の場合を考えてみると、もう少々地域のお寺や神社を通して近隣のコミュニティ意識(というか、ご近所感覚)があれば、均質なビッグデータの収集なども、スムーズに行なえるのかも知れません。

 しかし、ひるがえって EPCOTでの エコタウン計画の実施に限って考えれば、テーマパークの開発者や キャストが自ら理解して、そこでの生活を始めるのですから、質の良いビッグデータが、EPCOTでは、住民の反発なしに取得できるだろう と思います。例えばですが、EPCOT 2032(仮称)のプロジェクトとして EPCOTに居住区を作り、その街で、バックミンスター・フラーの提唱した「多面体を折りたたんだ持続可能な都市の居住実証実験」などを 2082年を目標に行なってみる、というような計画が(仮にですよ)決まったという場合は、実験で成果の出た都市モデルを「EPCOT」ブランドで、世界に輸出できるのではないでしょうか。

 「TWI 2050」の場合にも、開発者と、その一般システムの現場での操作解説者や 運営責任者、そして 近未来社会の住人の各々が、一体感(同じチーム)の意識で結ばれることによって、何かの問題が生じても 住民自身の手で問題が修復される ようにになると思われます。



 画像借用元:https://iiasa.ac.at/web/home/research/twi/TWI2050.html

 ところで、上述したように『BODY WARDS』の手直しが上手く行なえましたから、皆さんは EPCOTから もしかすると 次のお仕事を依頼されるかも知れません。では、ここから(2032年の EPCOT 50周年の目玉として) EPCOTの日本館に(例えば)『飛雲閣』のレプリカを VRアトラクションとして造るところを 一緒に想像してみませんか。

 ※ ウォルトが自ら EPCOT構想を 1966年に説明しているビデオを観て、私は、もし ウォルトが構想していた当初のアイデアの通りに(例えば)100周年の EPCOT 2082が実現させられれば、現在、スペインの「サンタンデール市」などで進められている エコシティの構築上の「課題」が 大部分 解決するだろうということに気が付きました。(横幹ニュースレター60号を参照して下さい。)しかし、開発姿勢が 今のままの EPCOTであれば「DLの その他大勢のテーマパークの一つ」に過ぎません。( 元来が NY万国博のミニチュア・パークでした。) それで、EPCOTを(例えばですが) VR展示の今後の可能性を世界に示すショーケースだと仮定して、当初のウォルトの構想通りの開発を進めることを関係者に検討して頂くため、その試行事例として、日本館での 国宝『飛雲閣』の VR展示を案として以下に提案してみます。今回の内容は、そのための「絵コンテ」の準備段階です。

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 浄土真宗本願寺派の本山・西本願寺では、2014年に法統継承式が営まれて大谷光淳新門(36歳)が 第25代門主に就任されました。み教えを伝える「伝灯奉告法要」(2016年10月-17年5月)のサイドメニューとして、多くの「一般公開」が挙行されました。私の家は 高野山真言宗なのですが、弘法大師が「他宗の良いところは良く見て参考にさせて頂きなさい」と仰っておられます。真言宗の立場からは 興味津々で、一般公開された西本願(お西さん)の法要に参加させて頂きました。
 その中でも、国宝『飛雲閣』で抹茶とお菓子が頂けるという 夢のような企画がありました。私は喜び勇んで早起きし、京都まで出かけて「慶讃茶席」懇志2000円で 申し込みました。1日8回、一回30分。各回50人限定でした。ここは国宝で、普段は「原則 内部非公開」の楼閣です。

 室町時代の京都には、喫茶店の源流「一服一銭」の茶屋(路端商)が東寺の門前にあって、参詣客に薄茶を一文(50-100円くらい)で売っていたそうです。しかし、京都で喫茶店文化が栄えるのは ずっと後の 大正以降でした。明治以前の京都にタイムスリップしても、喫茶店でちょっとお茶でも、という訳には いきません。では、明治以前に『飛雲閣』「お茶」をすることには、どのくらいの意義があったのでしょう。
 『飛雲閣』の建物は、秀吉の聚楽第の一部を移築したものではないか と言われています。伝16世紀、桃山時代ということです。古文書から、この場所に(どこからか)移築されたことが はっきり分かるのは 江戸時代のことですが、江戸時代の お茶しましょう」であれば、「明日、飛雲閣に粗茶をご用意しておりますので」と お西さんから呼ばれたとしたら、その 都合を聞かれた お相手は お公家や 藩主クラスの 政府要人だったかも知れません。彼らは、最高級の帝国ホテルの喫茶室に呼び出された気分で、出かけて行ったと思われます。

 ついでに言うと、京の三名閣は「金閣・銀閣・飛雲閣」です。こう聞くと、私も その茶席に行きたかったという京阪神の方も多いと思いますが、門主様のお代替わりは次は50年位先のことです。教えて下さった矢野和代さんに感謝しています。はい、とにかく「慶讃茶席」が始まりました。

 飛雲閣は、境内南東隅の「滴翠園」(てきすいえん)の、滄浪池(そうろうち)と名付けられた池に面して建てられています。「滴翠園」は名庭園で、18世紀に整備されました。お客様は、必ず舟で来られて地下一階の石段のところに到着します。ここが正面入口で、薄暗い 狭い階段を上って地下から せり上がってくると「あっ!」と視界が開けました。舟入の間という1階の一区画です。
 もしも、そのとき、ふすまが全部あけ放たれていれば、招賢殿・八景の間 あわせて50畳以上の畳敷きフロアが目の前に掃き清められて広がっています。開放された空間は間延びしておらず、外光の取入れも十分でした。



 「慶讃茶席」では、一組50人が、車座に用意されたお膳と座布団に詰めて座りました。すると、BGMのお琴が流れ「伝灯奉告法要」の趣旨を MCのお坊様が簡単に紹介されました。お菓子はプリセットです。そこに お薄(抹茶)を 大切に捧げ持った「大勢の」お坊様が、ささささささ、と(お姿が黒装束なので、ちょっと忍者の集団のように)奥から出てこられて、さめないようにお薄を急いで皆さんにお出ししました。奥では同数のお坊様が、次のお茶を点てておられたようです。4回くらいの、ささささささ、でお茶が行きわたりました。

 いや、おいしかった。そりゃ、そうですね。お茶屋さんも心を込めたと思います。


 ふすまや 壁貼付には、狩野永徳・探幽が描いたと伝承される金雲が たなびいています。私の後ろの壁貼付は、すすきでした。ただ、壁やふすまが けっこう真っ黒で、私は自分の頭で CG復元したすすきを、金雲に貼り付けて 想像で壁を眺めていました。この直ぐあとに『飛雲閣』の修復工事が始まります。ですから、そそっかしい参詣客が お茶を畳にこぼしても、今なら全然平気です。ただ、しかし、それだけ ぼろぼろだというのに、豪華絢爛だったことは良く分かりました。「桂離宮に比べてキンキラなのが趣味として劣る」という評価もあるようですが、それは千利休の茶室とヴェルサイユ宮殿のどっちが優れているかを尋ねるようなものではないでしょうか。バロックの装飾に比較すると ずっと控えめで、私は『飛雲閣』は上品な豪華さだと感じました。

 ※ 『飛雲閣』の修復工事は、2020年4月に終了したそうです。ということで再び、「原則 内部非公開」ですね。「伝灯奉告法要」では、廊下からのウオークスルーでしたが、重要文化財の 南能舞台も拝見できました。考えてみると、こんなラッキーな拝観は、流星群の飛来程に まれなチャンスでした。


 谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』で厠の植え込みを褒めて、厠を日本の建築で一番の風流であると断じました(本気か ?)『飛雲閣』は、陰翳とは対照的です。ルードヴィヒ2世も、ルイ14世のヴェルサイユ宮殿の鏡の間を そっくりコピーした部屋をつくって、ロミー・シュナイダーに「ははは」と笑われていました。あれで良いんです。フランスはメートル原器と美の基準を作って、誇りとともに世界にレプリカを輸出したのです。そして、日本の安土桃山時代の豪華絢爛趣味は、ルイ14世の重商主義より100年も早い、信長の楽市楽座による好景気が もたらした意匠でした。
 信長の安土城が1992年にCGとレプリカで復元されています。それを観ると、『陰翳礼讃』とは全く異なる日本人の もうひとつの美意識が感じられました。『飛雲閣』で進められていた大規模な修復工事は、ジョブズが得度した禅の美意識と異なる華やかなCool Japan に改めて気付かせてくれたのかも知れません。次回に続きます。

 【下の写真は、信長の 安土城 復元CGです】

 ※ 安土城(信長)、飛雲閣(伝 秀吉)、日光東照宮(家光 1834年)には、共通する美意識がありました。


 画像借用元: https://www.shiga-create.jp/moa/archives/id/3143/cate/culture/

 ということで、

 次回には、50周年の EPCOT 2032を(勝手に)記念して、EPCOT日本館の内装がCGで綺麗になったという状態を想像して、EPCOT日本館に国宝『飛雲閣』のレプリカを設置してみたいと思います。

VR奥儀皆伝( 8½ )(23)パーク・アトラクションを造ってみます 『BODY WARS』『BTFR』(①-3)〈前編〉 → こちら

( 8½ )(9)「暫定総目次

VR奥儀皆伝( 8½ )(25)に続きます。→ こちら

( 8½ )(23)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2021-02-08 | バーチャルリアリティ解説
 Number23 / パーク VRアトラクションを実作します 〈前編(基礎編)
                          【( 8½ )総目次
 『BODY WARS』の失敗 は 学びの宝庫   VR之極意:①-3

 〇『ボディ・ウォーズ』 "BODY WARS"

 今回は、ディズニーワールド(WDW)の エプコット・センター に 以前あった『ボディ・ウォーズ』BODY WARS)というライドを「アトラクションを開発する」という視点で 見学するところから話を始めます。(このアトラクションは 1989年に公開され、2007年に公開を終了しました。)これは 1966年の リチャード・フライシャー監督の名作SF映画『ミクロの決死圏』を原作にした体感劇場です。機材と建屋としては『スターツアーズ』と同じものが転用されました。

 最初に、1966年の名作 SF映画を ふり返っておきます。

 『ミクロの決死圏』(1966年公開)あらすじ

 「物質を 極小にミクロ化して、例えば、大量の軍隊をポケットに入れて移送し、敵国で元のサイズに戻せるような軍事技術が(冷戦下に)研究されていた。しかし、ミクロ化は 1時間が限界で、それを越えると元に戻ってしまう。アメリカは この限界を克服する技術を開発した東側の科学者を亡命させたのだが、敵側の襲撃を受けて、科学者は脳内出血を起こし意識不明となった。科学者の命を救うには、医療チームを乗せた潜航艇をミクロ化して体内に注入し、脳の内部から治療するしかない。はたしてタイムリミット内で、チームは任務を遂行して 体内から脱出できるのか。」(Wikiより)


 画像借用元:https://ameblo.jp/ayumu1964/entry-12316226191.html
 
https://www.youtube.com/watch?v=efdSjALggDs (映画の名場面集) ※ 必ず < 大画面 > で鑑賞して下さい。

 VR作品には その構成要素に「必ず」映画と同じ要素が含まれています。元の 映画 → 体感劇場に変更した際に「シナリオのどこが生かされた」などが、この作品では 分かりやすいので、例に挙げました。
 ここから、EPCOTの体感劇場作品(『BODY WARS』1989年公開) について 解説します。


 画像借用元:https://www.mouseplanet.com/10906/The_Story_of_Body_Wars 2007年に閉館。

 EPCOT版の体感劇場の)内容です。2063年に設立された「小型化探査技術 株式会社」(MET、Miniaturized Exploration Tech-nologies Corporation)という施設を見学にやって来た観客たちは(キューラインで)、ボランティア(施設の事業の協力者)として、あるミッションへの協力を要請されました。ボランティアの観客たちは、彼らが乗り込んだ 軍事用車両 Bravo229と一緒にミニチュア化されるのですが、その世界で、患者を治療中の 美人のシンシア・レア博士を手助けして、再び 無事に「実寸大」の世界まで戻って来て欲しい、と依頼されるのです。「嫌だ」という観客のためには、退出口が用意されています。
 ちなみに、レア博士は ラクエル・ウェルチさん そっくりのお化粧で、着席してからの体感劇場の映像では(映画版の 抗体に襲われる美女 という設定を真似て)「毛細血管に吸い込まれてパニックになった美女を救出する」というお約束の場面もありました。(映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のPart.2と3に出た エリザベス・シュー嬢が、困ったことに、まったく お色気を出さずに 演じました。)

 それでは、
 「Body Wars at The Wonders of Life Pavilion, Epcot Retired Ride Attraction POV」という動画が見つかりましたので、ここで アトラクションの内部の様子を 皆さんと ご一緒に、観てみようと思います。
 動画(14分半あります。)
https://www.youtube.com/watch?v=F5dfNEy-hMI(エプコットで上演されていた「生命の不思議」パビリオンのボディ・ウォーズというアトラクションの POV)
 ※ この動画を観れば、プロの開発者が、どの程度の 体感劇場のクオリティがあれば「テーマパークのアトラクションとして公開できる」と考えているのか、参考になると思います。
 ※ 建屋と 体感劇場の機構は、『スターツアーズ』を思い出して下さい。

 ※ 必ず32インチ以上の大画面で見て下さい。サブ画面が見えません。

 ところで、お金をたくさん掛けて造られたアトラクションなのに、なぜ 『BODY WARS』は、体感劇場開発の「業界」の人の評判が とても悪かったのでしょう。
 この作品の失敗は、先ず第一に 画面の中で「登場人物が感じているはずの揺動」を観客が共有できなかったこと。そして また、観客が 登場人物に「アバター自分の代理としての一体感」を持てないことが原因でした。この失敗は、典型的です。
 元の映画のフライシャー監督は、観客が 自分も縮小された乗組員の一人であると意識できる(錯覚する)ように視線を誘導しました。それで 映画館の観客は、自分も小さくなっているので、乱流や 抗体の攻撃からの危険を感じたのです。ところが、体感劇場版の 絵コンテでは、観客の視点が定まらず、そのために観客の視線と揺動は 大きくずれて 観客は没入( immersion )できませんでした。 その原因は、

 ☆ 体感劇場版を開発した人たちは、開発する前に 元の映画『ミクロの決死圏』を大きなスクリーンで観ていたので、映画中の人物に共感して、自分の身体が「小さくなった。周囲が大きくなった」という錯覚を 脳に予習(予感)させていました。
 ☆ しかし観客は 映画版を観ていないか、小スクリーンでした。
 ☆ 体感劇場版の開発者は、完成した作品に満足しました。しかし、

 映画『ミクロの決死圏』の世界に没入していない観客が、乗り物酔いになったのです。

 ですから、本来は プレショーで「丁寧に」ここが 小型化探査技術 の会社なのですから、「観客の あなたは ここで小さくされますよ」と何度も強調されるべきだったのです。しかし、『BODY WARS』のプレショーでは、劇場に着席するまでに、観客自身の身体のサイズが「小さくされる」ことを予感できる映像が、ほとんどありませんでした。それで、原寸大のままの観客は、縮小された人物のための揺動 を感じ、酔いました。


 画像借用元:https://www.tcm.com/video/1275531/fantastic-voyage-1966-an-ocean-of-life/

 機械論の科学では、事前に良く知られた「ひな形」 (例えば、15世紀の「教会の時計」など) が、装置の「サンプル」として あらかじめ存在しています。そのサンプル =「試作品」を「図面化・量産・改善・修理」するための技術が、F・ベーコンやデカルトの推奨した「機械論」の科学でした。つまり、『BODY WARS』の開発者は(「STAR TOURS」の建屋を使ったこともあって) 観客が 機械論的に「小人になった感覚」を共有しているはずだ、という前提で  体感劇場を作ってしまいました。

 IVRCなどの作品開発に例えると、昨年の学生チームが使ったメカニズムを転用した場合に、昨年の作品を観客が全員 体験している筈だと思い込んで、初見の体験者に説明不足の作品を作ってしまう間違いと同じだという事になります。
 ですから、もしそのVR作品が「触覚提示」を効果的に感じさせる作品であれば、初見の観客の視線を デモの最中に どこに誘導するか、あるいは、何を見せないようにすれば、「観客が その作品の世界観に没入できて」その結果、観客の意識が自然に触覚に誘導されるか を考える必要がありそうです。もしそれが「産業用VR展」であれば 部品だけ並べて、何に使えるかは「お客様」が考えて下さいという展示方法も許されますが、

 それは VR作品では、ありません

 それから、EPCOTはディズニーランドですので「過剰な」お色気は不要ですが、エリザベス・シュー嬢が、まったく色気無く 演出されていたことは、私は問題だと思います。アニメや SF映画は、1960年代は子供のための娯楽でした。ティム・バートン監督やクリストファー・ノーラン監督が 子供向けのバットマン映画に 1990年代から「大人でも びびる」社会批評を盛り込み始めましたが、『2001年 宇宙の旅』(1968年)以前のSF映画には、子供を連れて映画館で入場料を払ってくれた父親への「サービス場面」が 必ず 用意されました。大アマゾンの半魚人は、必ず 水着姿の美人を襲いました。『禁断の惑星』(1956年)のアン・フランシス嬢は、男性の前に超ミニの姿で登場しました。
 このことを フロイト博士は、「男性リビドー」(が 対象を探しているの)だと説明しました。実際に『禁断の惑星』(大画面で観て下さい)では、ご存じの通り 父親のリビドーが大変重要な働きをしています。それで、映画『ミクロの決死圏』では「男性のリビドー」に代わって 美女を襲ったのが「抗体」でしたので、ラクエル・ウェルチさんは、この映画が きっかけで 映画のエロチックな場面に歓迎されるようになったのですが、それも含めた全てが「映画作品」である筈でした。
 ですから、体感劇場のエリザベス・シュー嬢
は、殺人力を持つ「抗体」や毛細血管の吸引力に もっともっと必死になって抵抗する姿を(シナリオからの必然で)画面で大きくアピールして観客に見せるべきでした。
 それが、彼女の お芝居のリアリティ、だったのでは ないでしょうか。

 ※ 以前に、VR奥儀皆伝( 8½ )(7)で、「照明」「絵コンテ」「プレショー」の重要さを指摘しました。『BODY WARS』のプレショーでは「観客に自分が小さくなったと自覚してもらう」必要があった、と上に述べました。体感劇場の開発者は、エリザベス・シュー嬢が画面に大写しになって、照明が後ろから当てられ 緊迫感が感じられる」という風に、「メイデイ」(助けて!)の場面を絵コンテで、描いてみて下さい。

 なお、フェロー武田の「VRの構成要素図」では、体感劇場は上図のように表わされます。

 〇『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド』(BTFR)


 画像借用元:https://www.reddit.com/r/universalstudios/comments/ctv37j/2007_back_to_the_future_the_ride_weeks_before_its/

 それでは ここから、失敗例ではなく、成功例を見てみましょう。
 ユニバーサル・スタジオから 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のライド版
(BTFR)の開発を依頼されたのが、ダグラス・トランブル氏でした。トランブル氏は 初めて「体感劇場」のコンセプトを着想して、その特許(大画面化による没入感など)も取得している「映像の魔術師」です。『2001年宇宙の旅』(1968年)『未知との遭遇』(1977年)『ブレードランナー』(1981年)で 彼の創った特撮場面については、皆さん全員が良くご存じのことでしょう。
 ※ 「体感劇場」が初披露されたのは、IAAPA'76 というパーク・アトラクションの国際展示会でした。

 ちなみに 彼の「映像の魔術師」という尊称は、彼が「自分たちのやっていることは、中世の魔術師 Wizard が やったことと同じだった気がする」と語ったのが理由です。私も 本Blog(2020年8月8日以降)で 中世の魔術師 Wiseman(賢者)は( 現在の CG製作と全く同様に)数理モデルによるシンボル操作を主に行なっていたことを 繰り返し論証していますので、トランブル氏の発言には 大いに勇気づけられました。
 なお、中世の魔法使いで、エリザベス・ハーレイ嬢を本当に呼び出そうとした人は おりません

 BTFR の撮影に際しては、映画版の主役 マイケル・J・フォックスさん が出演しないことに決まりました。それで、ライド版の主人公は「観客」です。観客たちがエメット・ブラウン博士(ドク)の研究室を見学している最中に、悪漢のビフがデロリアンを盗んで逃げたので、ドクが慌てて 観客たちを呼びに来ました。大変だ。デロリアンが盗まれた。君たちも一緒にデロリアンの試作機に乗り込んで悪漢を追ってくれたまえ。それで 観客たちが一斉に 8人乗り12台のライドに乗り込んで、冒険が始まりました。

 観客が主人公ですから、BTFRのスクリーン上の物語で 追いかけているデロリアンは 一台です。ドクの研究室から外に飛び出したデロリアンは、1989年公開の Part.2 の 華やかな「未来」世界
(設定では 2019年が舞台でした)を通り抜けて、「過去」に戻って恐竜に食べられそうになり、最後には「現在」の出発地だった USJのドクの研究室まで無事に戻って来たのです。
 このライドには、スピルバーグ監督が「世界最高のライドだ!」とお墨付きを与えています。数多くある テーマパークの Simulation Ride(Movie Ride)の中でも、間違いなく第一級の作品でした。

 ※ VRでなく、体感劇場ですから、観客はコンテンツの中身への関与はできません。

 大阪のユニバーサル・スタジオでは、2001年のパーク開館時から  BTFRが稼働しており、2016年に終了しました。(ニュースリリース) ところで、今回 珍しい「BACK TO THE FUTURE THE RIDE (Full Version) Universal Studios Japan」という ファンによる上手に編修された映像が見つかりましたので、紹介させて頂きます。必見です。6分半のビデオになります。


 画像借用元:Ridefilm社宣伝資料

 さて、EPCOTの『ボディウォーズ』で、乗り物酔いをする人が続出したこと を先に書きました。視線を引き付ける ふにゃふにゃした体液の動きは、モーションとは別の動きを見せています。揺動による「酔い」を避けるために BTFR の開発チーは、ある工夫をしてモーション・デザインを作成していました。 米国の文献では読んだことのない内容なので、多分 米国のテーマパークの専門家たちも知らない話だと思います。

 BTFRのチームは、本番の未来世界などを撮影する前に、先に 積み木のようなミニチュア模型を用意して その撮影プランを考えました。モーションコントロール・カメラを使って 模型の未来世界での 数パターンの動きを撮影し、直ぐに その(撮影していた)室内の暗室でフィルムを現像して 試作機に投影したそうです。試作機は 30フィート径のスクリーンでした。この 模型による確認作業で決められた動きが再現されて、実寸大のセットでの 撮影が行なわれました。
 撮り上がった本編の映像には、長い時間をかけて揺動が 合わせられました。床を揺らす「揺動装置」には製品ごとに特性があり、連続して何十センチ以上には動けないですから、一旦、横揺れに襲われて センター・ポジションに さっと戻す とか、静止しているふりをして そーっと後ろにずらせるなどの動きが工夫され、最適な揺動とハリウッド・クオリティの精細な映像が 少しづつ組み合わされました。こうして本番の 80フィート径の大スクリーンのための揺動と 映像が完成したのです。(この開発技法については、1995年の雑誌「AM Business No.12」月刊レジャー産業資料別冊 の巻頭に 来日時のトランブル氏による特別インタビューとして掲載されています。)完成までに、18ヵ月が掛かったそうです。
 そして、この BTFRチームの開発したモーション・デザイン技法は、セガ・エンタープライゼス AM5研の二人が 直々に教えを受けました。高野信幸さんと土居秀顕さんです。世界的にも貴重なノウハウでした。そもそも、揺動の知覚については 大脳言語野との関連が少ないために、その奥儀を伝承するには「こうするんだ」という実際の揺らし方が 職人技で示されます。揺動は、触覚などより もっと言語化しづらい VRの技法なのですが、

 直ぐ横で詳しく説明を聞いていた私が、私の言葉で「言語化」してみました。

 1)数理モデルを精密に現象と1㎜も違わない数値でコピーした揺動は、当たり前で つまらない
 2)現実の現象と 大きくずれている揺動は、車の助手席と同じで 必ず 酔う
 3)現実の数値を「書初めの下書き」のように裏側に敷き、そこに「らしい」揺動を思い切って乗せれば 観客は気持ちの良い揺れを感じる。
 つまり、機械論で付けた揺動は、凡庸か または 酔う。化生論は 気持ちが良い、という 本Blogの「いつもの結論」です。この揺動論を転用すると、

 「ロボットの動作」を サイバネティックスで 設計するときには、
 1)人間の動作をキャプチャーして正確に再現すると、当たり前すぎて感動が無い。あるいは、
 2)人の筋肉の動きを、骨格の素材だけ(正確に言えば で 無理に再現しようとすると、コロッケさんの珍芸「五木ひろしさんロボット」みたいに筋肉 の動きが消失して)変になる。それで、
 3)「それらしく見える 動作」を演出して動かすと、素人の観客が見ても 人間の動作に見える。という「ロボットの ふるまい」に応用できます。1)と 2)は機械論。3)は 化生論です。

 若手の 歌舞伎役者が、六代目 中村歌右衛門の舞台をビデオの映像で観て、1㎜も間違えずに踊りの所作を真似ようとすると、機械論なので 1)か 2)になります。しかし、「私は 歌右衛門さんのように上手くない」と開き直って、3)化生論 的に演じることで、「六代目歌右衛門の型を生かして、自分の芸にしている」と、評論家たちから褒められます。(動かせるのは、自分の 骨と筋肉だけですから、当然です。)
 ここで、歌舞伎役者の演じた 3)を、ギリシャ時代以来の(プラトンの著作や アリストテレスの『詩論』で、西欧人には 馴染みを感じる )「ミメーシス」という美学用語で表わすことができます。(本質を 模倣すること、という意味です。)これは、サイバネティックスにも応用できる芸術技法でした。『百科全書』のディドロも高く評価している「ミメーシス」についての、とても良く分かる参考書は、青山昌文著 1992年放送大学教材『美と芸術の理論』などです。

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 『ヘルメス文書』の古書価格が高騰しているので、皆さんに買って下さいとも言えず、その内容の紹介を どうしようかと考えていたら、専門家の 非常に良質の訳が読める無料の Web頁が見つかりました。ただし、多くの人が 2万円を出して 書籍の『ヘルメス文書』を買っている理由は、注釈なしに読むと、ちょうど「老子」を注釈なしで読むように自分勝手な感性のイメージに引きずられるからです。しかし、荒井氏・柴田氏の注釈を付けて読むと、他の場所での その言葉の使用例が書かれていますから、少なくともこれを書いた人は、思い付きではなく、一貫した論理で「ヌース」(叡智、理性)などについて説明しようとしていることが分かります。
 ちなみに、ヌースは、神の内面と人の内面の両方に 同じものが存在するので「コレスポンド」できる叡智です。おそらく「ミメーシス」も、神の属性として備わった本質を模倣すること、なので、ヌースという OSによって模倣が可能になるのでしょう。

 とにかく、以下は無料の頁です。私は ルネサンス科学と 同じ時代の文学の翻訳を、今 集中して読んでいますが、21世紀の化生論科学のヒントの 豊饒な宝庫のように感じています。 文学には「エロ」が多くて 学生には教えづらいのですが。(筑摩文学体系の『ルネサンス文学集』など。)
 ヘルメス文書とは? 
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/hermetica/ch_index.html
 魔法と科学の間   
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/cicada/trismegistes.html
 しかし、腹痛が「百草丸」で治るのと同じようには、『ヘルメス文書』を読んでも 卒業制作のための VR作品は できません。ジョン・ディー博士と サイバネティックスの良く似ているところを調べる、という細い道を、私は紹介して行くつもりです。

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 それで、「どうして 1939年の映画 なのだ」という(21)に書いた話の続きですが、39年に公開された映画のタイトルを眺めていると、米国人の自負や ものの考え方に影響を与えた映画ばかりのような気がするからです。
 例えば、ゲーリー・クーパーの『ボー・ジェスト』は、(登場人物=シンボル=アバター に どんな運命を与えれば、話にリアリティが生じるのか、という意味で)手塚マンガに大きな影響を与えた作品の一つでした。最近の あるハリウッドの映画でも、撮影の前に監督が「この映画の調子のアクションを撮るんだ」と言って 関係者全員に観ておくよう指示を出したので『ボー・ジェスト』の内輪の上映会が開かれました。フランスのヌーベルヴァーグの監督たちが この時代のハリウッド映画を非常に高く評価したのは慧眼で、ここに挙げた 1939年の映画の創出した世界は、全く古びておりません。

 念のために補足すると、ハワード・ホークス監督作品は、トリュフォー監督たちが騒ぐまでは「プログラム・ピクチャー」だと馬鹿にされてきたのですが、むしろ新しい映画技法で、現代の監督はその模倣品すら作れないことを自覚しました。ヒッチコック映画も同じです。
 しかも、1939年のNY万国博から 1982年の EPCOT開園までの期間は、(正確には 60年代までですが)米国の景気の絶頂期でした。ウォルトは1966年に亡くなりましたが、ディズニーランドのアメリカは、ベトナム反戦による国内世論の分裂も知らず、ブラック・ライブズ・マターの運動も知らないアメリカです。だからこそ、1966年にウォルトが構想していた EPCOTの 2032年(50周年)の姿を実現させられれば、そこでは『オズの魔法使い』のドロシーが成長して「やしゃご」に囲まれるような 古き良き EPCOT、レトロ・フューチャーが見られるのではないか、と私は考えました。

 例えば、1939年の映画の主人公たちが、50年代のアメリカ郊外の生活を経験し、バックミンスター・フラーが描いた 未来の SF社会で暮らしている世界を VRで表現したら、どんな未来だろう。と、私は考えて、米国文化の 40 - 50 - 60年代の精神の変化を 映画や流行歌とディズニーアニメで分析し、それを EPCOT 2032の VRアトラクションに反映させられるのではないか、と、人とは違ったアプローチを進もうとしている次第です。もう少しだけおつきあい下さい。(2021.3.4 追記。)
 2020年代の新しいディズニー映画の企画にも、それらを反映できる かも知れません。

 VR奥儀皆伝( 8½ )(22)物販の促す再訪   VR之極意:①-2-1 → こちら
 ( 8½ )「暫定総目次
 VR奥儀皆伝( 8½ )(24)に続きます。→ 
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