第十四回 「テーマパークとは何か」の謎を解きました ③
【( 8½ )総目次 】
「テーマパークとは何か」の謎を解く3つ目の鍵は、③ 16世紀の対抗宗教改革が生んだ 「説得するためのArt」 (プロパガンダとしてのテーマパーク)になります。本Blogでは 和訳の「歪珠」(わいじゅ)を使っていますが、「バロック美術」のことです。
小松左京氏と高階秀爾(たかしなしゅうじ)氏の対談に、次のような箇所がありました。「真理」というのは 説得ができる技術のことだ、というのです。小松左京×高階秀爾 『絵の言葉』新版、青土社 (オリジナル版の エッソスタンダード広報室 「エナジー対話 第3集 絵の言葉」 1975年、非売品 に加筆したもの)から引用します。
高階 問答と言うのは一対一の勝負で、相手もその気になっているものだけれども、レトリックというのはその気になっていない者を引きずり込む弁論で、これはギリシャ以来の西洋の伝統で、とくにそれがルネッサンス期に大きく復活してきます。… つまり、美術とは形による雄弁であるという美術論が、キケロあたりの雄弁術を下敷きにして、形を整えてくるわけです。
小松 真理というものは、「説得」されたときにそれが真理であるという考え方が西洋には強いのだけれども、われわれにはどうもその辺が飲み込めない …。
高階 その通りですね。… 裁判の形式なんかも、あれは要するにどちらの側が陪審員を説得できるかです。… バロック様式というのはまさに説得の技術で、描くほうもはっきりそれを意識している。
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「テーマパークとは何か」の謎を解く3つ目の鍵は、③ 16世紀の対抗宗教改革が生んだ 「説得するためのArt」 (プロパガンダとしてのテーマパーク)になります。本Blogでは 和訳の「歪珠」(わいじゅ)を使っていますが、「バロック美術」のことです。
小松左京氏と高階秀爾(たかしなしゅうじ)氏の対談に、次のような箇所がありました。「真理」というのは 説得ができる技術のことだ、というのです。小松左京×高階秀爾 『絵の言葉』新版、青土社 (オリジナル版の エッソスタンダード広報室 「エナジー対話 第3集 絵の言葉」 1975年、非売品 に加筆したもの)から引用します。
高階 問答と言うのは一対一の勝負で、相手もその気になっているものだけれども、レトリックというのはその気になっていない者を引きずり込む弁論で、これはギリシャ以来の西洋の伝統で、とくにそれがルネッサンス期に大きく復活してきます。… つまり、美術とは形による雄弁であるという美術論が、キケロあたりの雄弁術を下敷きにして、形を整えてくるわけです。
小松 真理というものは、「説得」されたときにそれが真理であるという考え方が西洋には強いのだけれども、われわれにはどうもその辺が飲み込めない …。
高階 その通りですね。… 裁判の形式なんかも、あれは要するにどちらの側が陪審員を説得できるかです。… バロック様式というのはまさに説得の技術で、描くほうもはっきりそれを意識している。
画像借用元: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%A7
ムリーリョ 無原罪の御宿り 1678年頃 プラド美術館
ところで、1969年から始まった英国BBCのテレビ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』は、その後のコメディ番組に圧倒的な影響を与えた(聖書に基づく寓意の引用なども しょっちゅう登場する)格調高いカルトコメディでしたが、この番組では、執拗に「スペイン宗教裁判」の不条理を攻撃しました。これは事実に基づいた告発です。実は、「スペイン宗教裁判」では、カトリック教会に対して その堕落を批判した清貧キリスト教徒などが主に処刑されていました。もとは、レコンキスタ(キリスト教国家によるイベリア半島の再征服活動)の延長として、イスラーム国家という外部の敵と戦っているときに信徒どうしが内輪もめして どうするのだ、という大義名分から、たいていは批判者の舌を抜いてしまって陪審員の前に立たせて裁判をしていたのです。ところが、印刷機が登場したことで、プロテスタントによる聖職者批判が印刷物の存在で隠しようのない政治問題になりました。聖アウグスチノ修道会に属したマルティン・ルターが 『95ヶ条の論題』を書いたのは、1517年のことです。教会としては、ルターの舌を抜いて問題を終息させられれば騒動にならなかったのですが、印刷物があったので言論の弾圧ができません。フランスでは、プロテスタントが増えたことで、イザベル・アジャーニ主演の映画『王妃マルゴ』(1994年)に非常に むごたらしく描かれたような「サン・バルテルミの虐殺」が 1572年に起きました。この事件を きっかけに、フランス全土で 3万人くらいの新教徒が虐殺されたそうです。(そんな具合に揉めている最中に、ジョン・ディー博士が 「皆んな同じクリスチャンじゃないですか。仲よくしましょう」と 対立が本来 存在しないことを示して正論を唱えたので、ディー博士は双方から「山師」扱いされてしまったのです。かわいそうに。) ともあれ、ルターを黙らせることができなかったカトリックのローマ法王庁では、「システィーナ礼拝堂天井画」(1508年-12年)を描いた直後のミケランジェロたちに命じて、文字を知らない農民たちにも、ここに来ただけで 「あな、ありがたや」「神の栄光が、目の前に実際に見えます」という IMAX 3D方式による サン・ピエトロ大聖堂の改築などを させたわけでした。VR技術の活用です。ですから、1994年の小倉の NICOGRAPH北九州'94でのパネルディスカッション 「テーマパークにおけるエンタティメントの世界」で 私は 「テーマパークにおけるCGの役割は、教会建築のステンドグラスと正確に同じです」と 講演しました。ローマ・カトリックは、教会の内装を清貧にした新教徒の逆を張ったのです。そうした手法が16世紀末からのバロック美術では特に強調されました。美術史上では、ミケランジェロたちのルネッサンス美術 → マニエリスム美術 → バロック美術が区分されていますが、マニエリスム (マンネリズム)は、「迫力のあるルネッサンス美術品」の模造品、量産した みやげもの(みうらじゅん氏が定義した「いやげもの」)のコピー商品が、プロテスタントに対抗する文盲の農民説得用プロパガンダ軍事物資という位置づけで大量に製作された、ということではないでしょうか。
( というお話をパネラーとして披露しましたところ、同じ 94年の NICOGRAPHにパネラーで出席されていた北九州の格式あるテーマパークの部長さんが「今日の武田さんのお話で初めて、テーマパークが何なのか分かりました」と言って下さいました。それまで 米国から「テーマパークの専門家」を招いて講演を聞いても「観覧車や新しいジェットコースターを導入すれば集客効果がある」とばかり言ってテーマパークとは何かを説明してくれなかった、そうです。)
そして、映画が誕生(1895年)してから、劇映画のジャンルでは 聖書や使徒行伝に題材をとった作品が量産されました。文字の読めない農民でも、聖書などの物語だったら神父の説教を聞いて知っているからです。映画のテーマを印象深く表現するために、映画美術の世界にバロック美術のテクニックが取り込まれて行きました。カリフォルニアの元祖ディズニーランドの「白雪姫の恐ろしい冒険」や「オーロラ城」で見られる彫像には、バロック美術の教会の彫像に似た迫力が感じられたのではありませんでしたか。 ところで、例えば、西部開拓時代に集まってきた米国の無教養の荒くれ者なんかも、聖書の物語を知っていたのでしょうか?
よくぞ聞いて下さいました。
ニューヨークのメトロポリタン オペラ劇場がプッチーニに依頼した新作オペラ『西部の娘』(1910年)の脚本は、タランティーノ監督が自分の映画のシナリオにアイデアを借用したほどの傑作です。その曲は、アンドルー・ロイド・ウェーバー氏が『オペラ座の怪人』(1986年)の作曲の参考にしました。隠れた名作オペラです。この中に、ヒロインのミニーが、いつも通り聖書を荒くれ者たちに読み聞かせてやる場面が出てきます。「子曰(のたま)わく、学びて時に之を習う、亦説(よろこ)ばしからずや」が日本の寺子屋でしたが、西部の初等教育は聖書から始まりました。「荒くれ者」からは 保安官や成功者が生まれました。その子孫たちが DLに大挙して訪れたのです。
小松左京×高階秀爾 『絵の言葉』に戻りましょう。小松さんの指摘は まことに鋭くて、「説得」されたときに それが真理だったのだ という考え方が西洋には強いのです。テーマパークの、あんな演出も、こんな演出も、起源は 教会のバロック美術だったので説得力に富んでいたのではないでしょうか。例えば、テレビ朝日の宗教バラエティ番組『ぶっちゃけ寺』では、僧侶のお一人が「キリスト教の讃美歌(のような親しみやすい歌の存在)が、信徒の心を一つにさせるので、非常に うらやましい」と語って、宗派を超えて僧侶の皆さんが うなづいておられました。『イッツ・ア・スモールワールド』で、ビジターの皆さんの心は歌で一つになりました。
以上に、テーマパークの特徴を列挙しました。① 「一つだけの入り口」と「地獄・天国」、② 「入場料」(アトラクションの思い出)と 「(その場所での)飲食」・「物販」(おみやげ、記憶のよすが)、そして、③ 「説得するためのArt」 (プロパガンダとしてのテーマパーク)が、その特徴でした。
ちなみに 「一つだけの入り口で周囲を囲われた場所」 というのは、Park 一般の特徴です。
パーク(Park)の起源については、面白いヒントを教えてくれる映画があります。それは、アルフレッド・ヒッチコック監督の 1964年の 『マーニー』という映画です。興行収入は、前作の『鳥』(1963年)の6割位で、公開当時の評判は余り良くありませんでしたが、良く味わって観ると面白い映画です。
『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』(2014年)という秀作映画の冒頭には、モナコ公妃になったばかりの変わらず美しいグレース・ケリーを監督が訪問して、この『マーニー』への出演交渉をする場面が描かれています。勤めた会社の金庫からお金を盗む女性の話なのですが、ヒッチ監督の発言が秀逸でした。
ヒッチ監督は、シナリオをグレースに渡して、特有の もごもごした口調で こう言ったのです。「映画の『マーニー』は、性的な強迫神経症で盗癖のある女の話なのだけれど、… 『グレース・ケリー』の代表作になるだろうよ。」 確かに、私は 『マーニー』を観ている時に、主役のティッピ・ヘドレンを頭の中でグレース・ケリーと時々置き換えるのですけれど、主演女優が変われば全く違う印象の作品になったと思います。 ヒッチ監督は 『めまい』(1958年)でもグレースを主役に使うつもりだったので、出演したキム・ノヴァクは、「お前は どうしてグレースじゃないんだ」とばかりに、ずいぶん辛く当たられたようすでした。 グレース・ケリーの出演については、モナコ公国内の敵対勢力が「大公殿下も賛成している」と わざとリークして話が潰れたように説明されましたが、真相は分かりません。さて、映画『マーニ―』には狩りのシーンが登場します。フィラデルフィアに実家がある成金の息子マーク(ショーン・コネリー)は、自身は洗練された実業家なのですが「野獣を飼い馴らす」ような興味から女泥棒のマーニーを愛してしまい自分の妻に選びます。それまで彼女が各地で泥棒したお金もマークが自分の財産から返却して、彼女の犯罪を隠ぺいしました。それで、彼女は「刑務所送りと引き換えに 彼の妻になった」ような境遇になったので性的な神経症を示すのですけれど、そこはグレース・ケリーで見てみたかった場面です。ところで女泥棒のマーニーにとって唯一の息抜きは、義父が住むフィラデルフィアの家で催される狩猟のイベントでした。
「パーク」というのは、周囲が囲われた場所で行なわれる狩りの「猟場」のことなのです。
貴族の「狩猟」(乗馬遊び) が行なわれる広大な敷地は、その中に森を一つ含むくらいの広さがありますが、「ここまで行ったら敷地の外」という目印が必要です。それで周囲が石垣などで囲われていて、その内側がパーク(囲われた猟場、遊技場)と呼ばれました。また、例えば、近所の子供が「枯れ枝を集めておいで」と言われて 間違って猟場に侵入してしまい、きつねだと思われて狩られてしまっても大変です。それを避けるためにも、周囲の囲いは必要でした。管理人も、パークの境あたりを定期的に見回っていたようすです。
ところで、現在のペルシア語では、英語の「パラダイス」(楽園)が意味する場所のことをパルディスと呼んでいて、「周囲を(日干しレンガなどで)囲われた場所」という意味の古代ペルシャ語の宮苑=パイリダエーザがその語源だったそうです。そして、この古代ペルシャ語「パイリダエーザ」の もともとの意味が、貴族が獲物の多い土地を自分たちの楽しみのために囲い込んだ狩猟の場所、つまり猟園を意味していたというのです。これで、Park=猟園が、言語学的につながったと思いませんか。そして、古代ペルシャ語の「囲われた広大な猟園」パイリダエーザは、後に西洋のキリスト教の教義に輸入されて「天国」を意味する言葉、パラダイスの語源になりました。一方で、西洋の貴族たちが狩猟(ハンティング・ゲーム)のために囲い込んだ場所のことは、やがてParkと呼ばれます。(ゲルマン語のparc囲われた場所が語源だそうです。)そして、
かつては村の中に 村人と混じって住んでいた「貴族たち」ですが、16~17世紀ごろになると広大な猟園 Parkの中に立派な館を建て、そこに住むことが流行したそうです。広いParkに館を建てたのですから、狩猟のイベントは、しょっちゅう催されました。
以前に英国のエリザベス女王は「キツネ狩りは貴族の伝統の遊びなので、動物愛護だけで禁止するのは おかしい」と発言されましたが、その気持ちも理解できるので、実際、多くの映画やテレビドラマ『ダウントン・アビー』の狩猟シーンなどを見ると、確かに 狩猟は大変楽しそうに行なわれました。ちなみに、狩猟のイベントが催されるときは、貴族たちは馬車で会場まで乗り付けて、そこで運んできた自慢の馬に乗り換えました。そのための駐車場が、
パーキング parking、でした。
ところで、上に紹介したエリザベス女王の言葉に味方する訳ではありませんが、キツネ狩りやうさぎ狩りは貴族層には大変に重要視された 格式の高いイベントです。ここからは私の想像ですが、10世紀の十字軍以降に こうした遊び方が(イスラム圏から伝わって)欧州に知られるようになったのですが、そのころ戦争は騎馬と歩兵による白兵戦が主流でした。ということは、異民族が攻めてきたとか 隣の領主が攻め込んできた、といった争いが起きたとき、味方の集合場所は 猟園だったはずで、つまり ハンティング・ゲームは平時の軍事訓練ではなかったか と思います。ですから、狩猟はゲームではあっても、馬の扱いに長けた働きをした貴族が注目されましたし、映画『マーニー』でも、主人公のマーニーが「乗馬に詳しい」と聞いてマークのお父さん(恰好が成金)は「息子の嫁に申し分ない娘だ」と大層喜んだのでした。今も貴族は名誉職だと考えて競馬の馬主になりますし、エリザベス女王も 馬主として有名で「多額の賞金を獲得できる名馬の持ち主」である事を誇りにしておられるそうです。Park(囲われた猟場)には、そんな背景がありました。
※ 映画『マイフェアレディ』(1964年)の一場面、王室所有の伝統あるアスコット競馬場の雰囲気も思い出して下さい。
「一つだけの入り口で周囲を囲われた場所」である遊戯施設は、やがて 17世紀のプレジャー・ガーデンや 19世紀の万国博覧会場のアトラクション施設といった特徴的な形態を経由してテーマパークの起源となりました。これらについては、追ってまた述べたいと考えています。
VR奥儀皆伝( 8½ ) 『謎解き・テーマパークVR』
「一つだけの入り口で周囲を囲われた場所」である遊戯施設は、やがて 17世紀のプレジャー・ガーデンや 19世紀の万国博覧会場のアトラクション施設といった特徴的な形態を経由してテーマパークの起源となりました。これらについては、追ってまた述べたいと考えています。
VR奥儀皆伝( 8½ ) 『謎解き・テーマパークVR』
第十一回「テーマパークとは何か」という謎を解きます