日本の品格 は「四書五経」が作った ⑦ VR之極意:③
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Ⅶ. 日本の品格 は「四書五経」が作りました
(47)「帝国女優養成所」「薔薇十字団物語 ⑦」「家紋つき自動車 ②」
今回から、米国の国際学会で発表する VR作品を、米国で製品化して、米国内で販売すると決まったとき「米国の労働者」から文句の出ない開発の「解決編」です。例えば、京大の
iPS細胞なども同じですが、日本オリジナルの VR製品は、
装置や 容器に「桜」「紅葉」などの意匠を ちりばめます。
添付の操作説明書を「和紙」にします。
製品の販路を「東南アジア」経由にします。(後述)
「日本人は勤勉で、安い賃金で、高品質・安全・高信頼 の製品を作る」から 米国の労働者から文句が出て困ってるんですよ、って「非難してない。褒めてる」じゃないですか。米国の反日感情や 日本製品への高関税要求には、澁澤栄一氏も晩年に心を痛められましたが、解決可能です。
詳しくは「家紋つき自動車」シリーズに。今回は ②です。
その話の前に、前回に書ききれなかった話題を載せておきます。
〇「帝国女優養成所」
貞奴さんと 音二郎氏たちは 1900年のパリ万国博で、大勢の権門貴顕の心を「アイドル」の優れた演技力で掴みました。さて、IVRCでは、海外のVR国際学会の技術展示として選ばれるスキルを育成しています。これまでに 多くの作品が海外で表彰されたり、海外のマスコミからの取材を受けました。今後も IVRC作品には、そうあって欲しいと期待しています。
ところで、貞奴さんのパリ公演について、今度 新しい資料が参照できたのですが、思いがけず「黒澤明監督や 大映の永田雅一社長が パリの貞奴さんたちを参考に 海外映画コンテストに入選する方法を工夫していた」ことが分かりました。
少し詳しい補足になりますが、前回までの話に続けます。
「元アイドル芸能人」の貞奴さんは、1900年のニューヨークの舞台『サッフォー』では芸者の色恋を、パリ万国博の舞台では 芸者の悶死する東洋趣味をと、国ごと 観客ごとに受ける出し物を選んで喝采を博しました。仏国大統領から勲章も貰っています。
ところで、貞奴さんのパリ公演の詳しい資料では (1)その出し物は『袈裟御前』(袈裟 けさと盛藤 もりとう の悲劇)そして『芸者と武士』(売れっ子の花魁 葛城 かつらぎ 太夫 と 金のない美男子 名古屋山三 なごや さんぞう クンの恋愛と修羅場)でした。
1900年のパリで観客を魅了したのは『平家物語』(正確には『源平盛衰記』)そして『鞘当 さやあて』『道成寺』だったのです。
1900年のパリで観客を魅了したのは『平家物語』(正確には『源平盛衰記』)そして『鞘当 さやあて』『道成寺』だったのです。
『袈裟御前』では、貴族に嫁いだ 美人の貞女の鑑 かがみ 袈裟御前が 夫の身代わりで寝具に横たわり、武士の盛藤が夫と間違えて自分の「首」を切り落とす ように仕組みました。そして『芸者と武士 The Geisha and the Knight』の筋書は、こうでした。ゲイシャ 葛城と名古屋クンは相思相愛でした(ここまで原作通り)が、名古屋クンの許嫁 織姫が彼を横取りしたことで、葛城は道成寺まで二人を追い(えっ! 安珍と清姫じゃなくて?)名古屋クンの腕に抱かれたゲイシャは「悶死」します。歌舞伎名場面ですが、日本ではブーイングされる筋でしょう。ともあれ 元カレを追った ゲイシャ貞奴の「力強い腕の動きや 情感に満ちた目の輝き」が強い印象与え、パリではピカソやロダンたち観客が彼女の錯乱して死ぬ場面に とても深く感動しました。
従って、話はこうなります。『羅生門』『雨月物語』が海外のコンテストで受賞したことで、それに継ぐ 外国受け狙いの映画として、大映の永田社長が 袈裟と盛藤を選びました。永田氏が 京マチ子さんに期待したのは「貞奴さんの袈裟御前」だったことに、私は ようやく気づきました。その狙いは見事に当たり、『地獄門』(1953年)は カンヌで最高賞を受賞しました。ジャン・コクトーが絶賛しました。(43)
※ 「天国の生活とは、イギリスの家に住み、中国人のコックを雇い、日本人の妻を持つこと」(外国のジョーク)
https://ekizo.mandarake.co.jp/auction/item/itemInfoJa.html?index=259987
(2)音二郎氏は 欧米での 切腹の上演を嫌がりましたが、舞踏家・興行主のロイ・フラーさんと 駐仏日本公使 栗野慎一郎氏から とても強く「ハラキリ」シーンを、と説得され、パリ公演では、プシューと腹から血のりが 派手に吹き上がる音二郎氏独自の演出が観客の大喝采を博しました。(幕末の無残絵からの引用です。立腹で横一文字、そのあと のどを突き、頸動脈を切るリアルな所作に、観客は大歓声で帽子を振り回し、大喜びしたそうです。)そして、これは私の推測なのですが、海外で評判になることを期待した黒澤明監督は、
『羅生門』(1950年)の ヴェネチア金獅子賞(43)受賞後に『七人の侍』『生きる』『隠し砦の三悪人』などが海外で受賞しています。『用心棒』(1961年)では、三船敏郎氏の「桑畑三十郎」が ヴェネツィアの 主演男優賞を受賞しました。続編の『椿三十郎』でも、海外をあっと言わせたい。(これは私の推測ですが) 黒澤監督は 音二郎氏の演出を真似た、血の雨を降らせました。つまり、外国での 映画コンテストを狙い、黒澤監督と大映の永田社長は、パリ万国博で大歓迎された演出と演目を参考にしたのです。
音二郎氏自身は「血の雨」みたいに残酷な演出は、日本の舞台では まず考えられないので、欧州人の 性格が よほど残虐なのだろうと自伝の中で「あきれて」います(笑)。今の「ゾンビ」好きの日本を、どうご覧になっているでしょう。ですから、これは 最初は、いたずら心から西欧の「権門貴顕」を少々驚かせてやろうと からかった演出だったのかも知れません。ちなみに、音二郎氏のパリ公演で切腹させられたのは、原作で出家するはずの 盛藤、後の文覚 もんがく 上人 でした。(爆笑)
袈裟御前は、横恋慕の盛藤が 夫と間違えて自分を殺すよう仕組みました。袈裟の首で自分を悔いた盛藤が「出家して高僧になったこと」が『平家物語』の伏線です。音二郎氏は、盛藤が切腹する演出を 嫌がりました。当然です!
「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」『平家物語』「祇園精舎」。吉川英治氏も『新・平家物語』の連載開始(1950年~、週刊朝日)にあたり、袈裟と盛藤の話を最初の山場にしました。
□ 驕(おご)りて亡びざる者は、未だ之あらざるなし
■ 驕りたかぶって亡びなかった者は、いまだかつていない
『春秋左氏伝』(孔子の編纂と伝えられる歴史書『春秋』の代表的な注釈書)
※ 平家に仕える「粗暴な武者」だった盛藤が「袈裟の首」を大切にして19歳で出家した話は『平家物語』全体の伏線です。このあと彼は「文覚上人」として 源頼朝と伊豆で知り合い、このとき「頼朝の父、義朝のどくろ」を届けて「父のうらみを忘れるな」と、兵の少ない頼朝に挙兵を強く促しました。「義朝の どくろ」と「後白河法皇の平家討伐の院宣」という文覚上人の あと押しが勢いをつけたので、頼朝が挙兵して平家が倒された、のが『平家物語』のあらすじです。
※ 落語で、文覚上人は「これこそ父君 義朝公の頭。平治の乱の後、苔の下に埋もれていたのを、獄舎の番人から貰い受けた」と言いました。そのとき、頼朝が「すこし小さくは ないか」と言ったので、文覚上人 少しも騒がず。「それは、ご幼少のみぎりの されこうべ。」
ともあれ、映画『地獄門』には 首もハラキリも出てきませんが、京マチ子さんが、舞台レビュー出身で大柄の「メアリー・ピックフォード」のような恵まれた肢体に歌物語の衣装を あでやかに着こなし、映画女優として『平家物語』の 諸行無常を見事に演じました。
さて、帰国後の1903年に行なった貞奴さんたちの『オセロ』『ハムレット』日本初公演も とても評判が良く、自分たちの知見を日本に伝える義務と責任を感じた二人は 1908年(明治41年)に東京に「帝国女優養成所」を開所しました。本格的な西洋演劇の女優養成所です。その開所式に、澁澤栄一氏、福沢桃介氏ら、当時の経済界の代表メンバーも集まりました。ここは翌年、帝国劇場 付属技芸学校に引き継がれ、大勢の女優を育てていきました。
ところで「帝国女優養成所」開所式では、澁澤栄一氏が 激励の演説を行ないました。
「(略)徳川三百年時代の如きは、殊に著しく私共の間違つてゐた と感ずる事が多い、先づ 第一に 尊ばなければならぬものを、非常に賤しめて居たものが 三つある、第一は 実業家で、第二は 女、第三は 俳優である。
(略)上流の御殿女中なども 随分 芝居を見たものだ、芝居は文学・美術を事実に活動さするもので、御覧なさい(略)袈裟御前の如き貞女も、之れを上手な女俳優が演つて見せたら大に他を感動さするだらうと思ふ。
今度 川上夫人の趣旨に基き、女優たらんとの企望を以て養成所へ御志願になつた諸嬢を見るに、いづれも御身分の有る方らしいのは 私の大に喜ぶ所だ、併し これ迄 社会から賤しめられて居た女に生れ、社会から賤しめられてゐた俳優に成らうとされるのは、社会から賤しめられた実業家たる私共の、非常に御同情申す所である、どうか妙齢の婦人にして最も戒むべき品行を慎み、他から侮を受けないやうに 立派な女優になつて下さい。(略)」(デジタル版『渋沢栄一伝記資料』 第27巻)
今度 川上夫人の趣旨に基き、女優たらんとの企望を以て養成所へ御志願になつた諸嬢を見るに、いづれも御身分の有る方らしいのは 私の大に喜ぶ所だ、併し これ迄 社会から賤しめられて居た女に生れ、社会から賤しめられてゐた俳優に成らうとされるのは、社会から賤しめられた実業家たる私共の、非常に御同情申す所である、どうか妙齢の婦人にして最も戒むべき品行を慎み、他から侮を受けないやうに 立派な女優になつて下さい。(略)」(デジタル版『渋沢栄一伝記資料』 第27巻)
※ 明治初年の、維新を成し遂げた武士たちは「実業家」を見下していました。しかし、政府に入った澁澤栄一氏ら一部の「商業」の重要さを理解していた人たちは、政治の推進力は「実業家の市場創出力」が税収を拡大させることだと見抜きました。市場創出に融資した当時の銀行は、この(シュンペーターと同じ)文脈で 産業の権威になったのです。
☆「薔薇十字団物語」 ⑦
【VRを成立させている 3つの構成要素】
VR作品の製作とは、他国の 例えば GAFAMなどの企業を真似る事でもなければ、「フィードバック」型の開発でもありません。ましてや、他国の市場を横取りすること、でも断じてありません。(46)
さて、VR作品は、次の 3つの要素から構成されています。
① 大画面の 映画 興行と同じ、深い(視聴覚の)没入感。
② 多感覚(マルチセンソリー)で「映画の没入感」が上書き強化される。
③ プレイヤーが自主的に操作する(操作したくなる)ので 絵コンテの筋が展開される。
② 多感覚(マルチセンソリー)で「映画の没入感」が上書き強化される。
③ プレイヤーが自主的に操作する(操作したくなる)ので 絵コンテの筋が展開される。
しかし、VR関連技術の「特許」から見た分類では、3つの要素は、
要素の① rev. を「大画面の深い没入感」(プレイヤーが感じる没入感。以下 同じ。)
② rev. を「多感覚」
② rev. を「多感覚」
③ を「インタラクティブ性」、と書くのが、より適切なので、
聴覚も「多感覚」の一つに分類するほうが、技術的には 正確になると思います。
今回は、この話を詳しく掘り下げて「解説を書いた」のですけれど、上の「袈裟と盛藤」の話、そして、下の「黒紋付のキャンギャル」の話が長くなってしまい、紙幅に入らなくなりました。やむを得ず、次回以降に送ります。ついで ですから、
大画面スクリーン = HMD = テーマパークの360度の光景、の図を載せておきます。
1995年 電気・情報関連学会連合大会「統一テーマ:エレクトリックワンダーランド」(@京都大学)「特別企画Ⅰ.マルチメディア時代のコンピュータグラフィックス - ビジュアライゼイション技術の可能性 -」「特Ⅰ-4 アミューズメントの画像処理」武田博直(セガ・エンタープライゼス)での発表。この図では、VRには「映画」が必ず含まれている、と考えると 分かりやすいです。
ところで、VR作品は「映像」「多感覚」「インタラクティブ」をフィードフォワードに組み合わせています。「後追い研究」のフィードバックでは、ありません。音二郎氏のパリ公演の演出についての説明で、そのことが分かって頂けたと思います。
具体的に言えば、「脚本」「システム」「操作方法」が同じ世界観を創出して、VR環境で観客が楽しく操作する充実した時間を作っています。「VR源氏」や『平家物語』によって そうした時間が共有しやすくなることを、これまでに述べてきました。
VR作品は、そもそもが メディアです。開発者が作品に込めたメッセージを観客に届ける道具(装置)なのです。ですから、インタラクティブ性とは、プレイヤーが「開発者が作品に込めたメッセージ」を理解して自発的に操作すること、になります。
※ こうした考察からも、GAFAMの後追いというのは 支離滅裂な研究だと分かります。
「VR 源氏」の桐壺(36)では、プレイヤーが「あなたは、おくるみに包まれた光ちゃん」です、と動機づけられた事で、天皇の豪華なCGの居室で、あたりを きょろきょろと見まわすことになります。
また後に論じますが、最近流行の「サービス創造」の研究で、ペルソナモデルを立てた「カスタマー・ジャーニーマップ」を作ることは、VR作品の「絵コンテ」を作ることと同じです。VR技術の 経営工学への応用も期待されます。(17)
日米に貿易摩擦が起きてしまった後で、あの時に こうすれば良かったと思うのも「手遅れ」な感じですけれど、iPS細胞や VR製品などに関しては、米国進出が まだ始まっていないので 今から準備をしておけば良いのだと私は思います。さて、ここでは、
私が、GAFAMの 後追い研究を誤りと指摘している 第1弾が、次の内容です。
・ Google社が 2016年に 米国運輸省道路交通安全局に申請した「AIのドライバー」に運転させる自動運転車。
・ Amazon社が 2014年から取り組んだ「ドローンによる配送」実験サービス。(2021年、開発チームが一時解雇。)
・ Amazon社が 2018年から進めている「ホームロボット開発」の一環の全自動介護ロボット(仮称)。
その誤りについては、私は「旧目次」に、こう書きました。
制御工学に「フィードバック」を用いるのは、ベルタランフィ著『一般システム理論』の 誤用と分かりました。「持続可能」でない フィードバックを、ウイーナー博士は「奴隷労働だ」(31) (32)と書いて禁止しました。(『科学と神』も参照。)
その意味を理解されている方でしたら、
上に挙げた3つの GAFAMの研究例は「フィードバック」だから(理論上)間違っていて、実現不可能である。正しい『一般システム』の開発をするには、フィードフォワードに戻す必要がある、ことが 良くお分かりのはずです。
例えば ですが、熱力学の第2法則が 1872年に論証された後に「永久機関」の特許がたくさん提出されるブーム、がありました。上の GAFAMのフィードバック研究も、同じ意味から 実現不可能です。次回以降に それを論証します。
とりあえず、ここで 次回以降の道筋を述べておきます。
日本車も、1970年代の米国でのモーターショーでは、仕様を「牛車」や「花車」を思わせる重厚なデザインにして、現地販売部長に京都のお公家の出身者を選抜し(光源氏の装束を着用して)「ロールスロイス」のポジションを狙えば良かったと思います。車は、高級感にあふれ、扉には家紋を入れられるスタイルを主軸に、低燃費、小回りなどの「日本車独自の工夫」を黒紋付(黒留袖)のキャンギャルが宣伝します。
日本車の 特に小型車における低燃費や、小回り、室内の低騒音は、そもそも、日本車の開発が欧米車と全く異なったアプローチと環境下で発想されたことを良く示しています。しかし、そのことに顧客が気づくためには先ず、黒紋付のキャンギャルが「顧客を車内に誘導」しなくては始まりません。
ですから、豪華な仕様の「花車」仕様車は、それほど売れなくっても構いません。
四書五経と歌物語の宣伝用です。
必要なことは、日本車(小型車)のブランドイメージが 米国で確立されることでした。
貞奴さんの1900年の『サッフォー』公演を見習います。
そして、「日本車フェア」の日に多くの台数の高級車を景気よく、無料で貸し出せば良かったのです。高級車で日本車の性能を知って、中小型車でも室内の騒音は低いですと説明されれば、あなたは日本車を買うでしょう。フェアで案内に立った和装のキャンギャルは全員が美人で、匂い袋も忍ばせていました。そして、米国車に全く似ていない日本車であれば、日本車が隣の店で盛んに売れていたとしても、米国車の労働者は自分がストを打ちづらくなった(46)とは思いません。
1973年に日本に届いた米国人労働者の「日本車に対する非難」は、そもそも非難ではなく敗北宣言でした。しかし、日本政府の一貫した誤った対応姿勢と 日本車のデザイン・コンセプトの大きな間違いが、この問題を修復不能にしたのです。
そして、今も 日本車の対米摩擦は、根本的には解決していません。違いますか?
それから、もう一つ。日本製品の製造は 自動車でも「VR製品」でも「東南アジア」で行なうのが良いのです。東南アジアの優れた科学者たちが、プライドを持って主導します。例えば、日本車も「トヨタ ES アジア社」が企画して、欧米で歓迎されるデザインを彼らが考え「ESアジア」ブランドで世界に販売します。日本本社は、工場の生産ラインなど製造技術を設計し、本社から東南アジアに工業デザイナーを派遣して彼らのアイデアを製品化します。
その本社による指導も、株式を51%持っているからと、上から目線で行なうのではなく、「ESアジア社」が独自マーケティングで選別した「欧米で受ける」デザインを尊重するのです。
つまり、16世紀の
信長の時代に、欧州で大歓迎されていた 日本製品の販売ルートの再現です。
繰り返しますが、日本企業は(梅棹忠夫氏の)「東南アジア」と仲良くします。ついでですから、「日本で売れそうな VRの新製品」も 東南アジアの人たちに提案して貰って「企画」「製造」して頂きましょう。
「試作品」は、必ず 日本の Inter BEEなどで発表されます。そして、
「製品を欧米に持参して販売して下さる」のも、東南アジアの皆さんです。
信長の時代に、世界経済は好景気に循環していました。その貿易を真似るのです。
《 鋳型化ここまで 》
フェロー武田 「帝国女優養成所」「物語 ⑦」「家紋自動車 ②」(VR奥儀皆伝(8½)(47)
Blog TP-VR Attract.のトリビア 2022.2.xx
フェロー武田 「帝国女優養成所」「物語 ⑦」「家紋自動車 ②」(VR奥儀皆伝(8½)(47)
Blog TP-VR Attract.のトリビア 2022.2.xx
【宇多田ヒカルさんの『First Love』】は、東南アジアで誰でも知っている 名曲です。
「家紋自動車」②で、私が日本と東南アジア間の技術的連携を強く勧めた理由は、どちらも「旦那さんが奥さんに給料を全額渡して、奥さんから小遣いを貰う国」つまり、母系制社会の遺制を現代に強く残した国どうしだからです。
16世紀の「世界」に 海のシルクロードを経由して歓迎された 日本の製品には、古代ローマでビーナス神を喜ばせた豪華な調度の おもむきがありました。信長の時代に、ジパングはバロック的な「黄金の国」というブランド・イメージを確立したのです。
聖書の三博士が、その証人です。(後述します。)
一方、日本が米国に「直接輸出して」届けた日本製品は、高品質・安全・高信頼の故に反発を招きました。私は、日本製品がフィードフォワードによって作られている(脚本家と製造者と使用者が共労してその製品価値を高める性質を持つ)ので、米国(や中国)のように効率よく「フィードバック」で儲かる「奴隷」型経済を志向する国と、そりが合わないと考えます。このことについては、梅棹忠夫さんたち京都学派も、文化人類学や 比較文明論の視点から 1960年代から指摘しておられました。
米国を優先する政治家が、無意識に隠ぺいしたようです。
1973年に生じた日本車対米輸出の「ボタンの掛け違い」以降、日米通商の相互不信は半世紀に及びます。オバマ大統領は 野田首相に「1ドル 50 - 60円の円高ドル安になる可能性」を連絡してこられたそうです。(赤字財政 が理由です。)日本は米国とは経済的に一度手を切り、関係をリセットする時期なのではないでしょうか。四書五経の教養に裏打ちされた歌物語が 16世紀の海のシルクロードを経由して 世界に歓迎されたことを、私が「日本製品の特長」だったと強調しているのは、このためです。