( 8½ )(47)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2022-02-24 | バーチャルリアリティ解説
Number47 / パーク VRアトラクションの 品格
                          【( 8½ )総目次 】
 日本の品格「四書五経」が作った ⑦ VR之極意:③

《 本Blogの 今回の頁は引用できます。本頁は近く鋳型化されます。2022.02.xx 鋳型化ここから 》
 Ⅶ. 日本の品格 は「四書五経」が作りました

 (47)「帝国女優養成所」「薔薇十字団物語 ⑦」「家紋つき自動車 ②」

 今回から、米国の国際学会で発表する VR作品を、米国で製品化して、米国内で販売すると決まったとき「米国の労働者」から文句の出ない開発の「解決編」です。例えば、京大の iPS細胞なども同じですが、日本オリジナルの VR製品は、

   装置や 容器に「桜」「紅葉」などの意匠を ちりばめます。
   添付の操作説明書を「和紙」にします。
   製品の販路を「東南アジア」経由にします。(後述)

 「日本人は勤勉で、安い賃金で、高品質・安全・高信頼 の製品を作る」から 米国の労働者から文句が出て困ってるんですよ、って「非難してない。褒めてる」じゃないですか。米国の反日感情や 日本製品への高関税要求には、澁澤栄一氏も晩年に心を痛められましたが、解決可能です。
 詳しくは「家紋つき自動車」シリーズに。今回は ②です。
 その話の前に、前回に書ききれなかった話題を載せておきます。

 〇「帝国女優養成所」

 貞奴さんと 音二郎氏たちは 1900年のパリ万国博で、大勢の権門貴顕の心を「アイドル」の優れた演技力で掴みました。さて、IVRCでは、海外のVR国際学会の技術展示として選ばれるスキルを育成しています。これまでに 多くの作品が海外で表彰されたり、海外のマスコミからの取材を受けました。今後も IVRC作品には、そうあって欲しいと期待しています。

 ところで、貞奴さんのパリ公演について、今度 新しい資料が参照できたのですが、思いがけず「黒澤明監督や 大映の永田雅一社長が パリの貞奴さんたちを参考に 海外映画コンテストに入選する方法を工夫していた」ことが分かりました。

 少し詳しい補足になりますが、前回までの話に続けます。

 「貞奴さんの大冒険」(44)(45)(46)(47)

 「元アイドル芸能人」の貞奴さんは、1900年のニューヨークの舞台『サッフォー』では芸者の色恋を、パリ万国博の舞台では 芸者の悶死する東洋趣味をと、国ごと 観客ごとに受ける出し物を選んで喝采を博しました。仏国大統領から勲章も貰っています。
 ところで、貞奴さんのパリ公演の詳しい資料では (1)その出し物は『袈裟御前』(袈裟 けさと盛藤 もりとう の悲劇そして『芸者と武士』(売れっ子の花魁 葛城 かつらぎ 太夫 と 金のない美男子 名古屋山三 なごや さんぞう クンの恋愛と修羅場)でした。
 1900年のパリで観客を魅了したのは『平家物語』(正確には『源平盛衰記』)
そして『鞘当 さやあて』『道成寺』だったのです。
 『袈裟御前』では、貴族に嫁いだ 美人の貞女の鑑 かがみ 袈裟御前が 夫の身代わりで寝具に横たわり、武士の盛藤が夫と間違えて自分の「首」を切り落とす ように仕組みました。そして『芸者と武士 The Geisha and the Knight』の筋書は、こうでした。ゲイシャ 葛城と名古屋クンは相思相愛でした(ここまで原作通り)が、名古屋クンの許嫁 織姫が彼を横取りしたことで、葛城は道成寺まで二人を追い(えっ! 安珍と清姫じゃなくて?)名古屋クンの腕に抱かれたゲイシャは「悶死」します。歌舞伎名場面ですが、日本ではブーイングされる筋でしょう。ともあれ 元カレを追った ゲイシャ貞奴の「力強い腕の動きや 情感に満ちた目の輝き」が強い印象与え、パリではピカソやロダンたち観客が彼女の錯乱して死ぬ場面に とても深く感動しました。

 従って、話はこうなります。『羅生門』『雨月物語』が海外のコンテストで受賞したことで、それに継ぐ 外国受け狙いの映画として、大映の永田社長が 袈裟と盛藤を選びました。永田氏が 京マチ子さんに期待したのは「貞奴さんの袈裟御前」だったことに、私は ようやく気づきました。その狙いは見事に当たり、『地獄門』(1953年)は カンヌで最高賞を受賞しました。ジャン・コクトーが絶賛しました。(43)

 ※ 「天国の生活とは、イギリスの家に住み、中国人のコックを雇い、日本人の妻を持つこと」(外国のジョーク)


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 (2)音二郎氏は 欧米での 切腹の上演を嫌がりましたが、舞踏家・興行主のロイ・フラーさんと 駐仏日本公使 栗野慎一郎氏から とても強く「ハラキリ」シーンを、と説得され、パリ公演では、プシューと腹から血のりが 派手に吹き上がる音二郎氏独自の演出が観客の大喝采を博しました。(幕末の無残絵からの引用です。立腹で横一文字、そのあと のどを突き、頸動脈を切るリアルな所作に、観客は大歓声で帽子を振り回し、大喜びしたそうです。)そして、これは私の推測なのですが、海外で評判になることを期待した黒澤明監督は、

 (3)『椿三十郎』(1962年)では幕切れの プシュー音二郎氏の演出を真似たのだと思います。

 『羅生門』(1950年)の ヴェネチア金獅子賞(43)受賞後に『七人の侍』『生きる』『隠し砦の三悪人』などが海外で受賞しています。『用心棒』(1961年)では、三船敏郎氏の「桑畑三十郎」が ヴェネツィアの 主演男優賞を受賞しました。続編の『椿三十郎』でも、海外をあっと言わせたい。(これは私の推測ですが) 黒澤監督は 音二郎氏の演出を真似た、血の雨を降らせました。つまり、外国での 映画コンテストを狙い、黒澤監督と大映の永田社長は、パリ万国博で大歓迎された演出と演目を参考にしたのです。

 音二郎氏自身は「血の雨」みたいに残酷な演出は、日本の舞台では まず考えられないので、欧州人の 性格が よほど残虐なのだろうと自伝の中で「あきれて」います(笑)。今の「ゾンビ」好きの日本を、どうご覧になっているでしょう。ですから、これは 最初は、いたずら心から西欧の「権門貴顕」を少々驚かせてやろうと からかった演出だったのかも知れません。ちなみに、音二郎氏のパリ公演で切腹させられたのは、原作で出家するはずの 盛藤、後の文覚 もんがく 上人 でした。(爆笑)

 袈裟御前は、横恋慕の盛藤が 夫と間違えて自分を殺すよう仕組みました。袈裟の首で自分を悔いた盛藤が「出家して高僧になったこと」が『平家物語』の伏線です。音二郎氏は、盛藤が切腹する演出を 嫌がりました。当然です!
 「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。『平家物語』「祇園精舎」。吉川英治氏も『新・平家物語』の連載開始(1950年~、週刊朝日)にあたり、袈裟と盛藤の話を最初の山場にしました。

 □ (おご)りて亡びざる者は、未だ之あらざるなし
 ■ 驕りたかぶって亡びなかった者は、いまだかつていない
 『春秋左氏伝』(孔子の編纂と伝えられる歴史書『春秋』の代表的な注釈書)

 ※ 平家に仕える「粗暴な武者」だった盛藤が「袈裟の首」を大切にして19歳で出家した話は『平家物語』全体の伏線です。このあと彼は「文覚上人」として 源頼朝と伊豆で知り合い、このとき「頼朝の父、義朝のどくろ」を届けて「父のうらみを忘れるな」と、兵の少ない頼朝に挙兵を強く促しました。「義朝の どくろ」と「後白河法皇の平家討伐の院宣」という文覚上人の あと押しが勢いをつけたので、頼朝が挙兵して平家が倒された、のが『平家物語』のあらすじです。

 ※ 落語で、文覚上人は「これこそ父君 義朝公の頭。平治の乱の後、苔の下に埋もれていたのを、獄舎の番人から貰い受けた」と言いました。そのとき、頼朝が「すこし小さくは ないか」と言ったので、文覚上人 少しも騒がず。「それは、ご幼少のみぎりの されこうべ。」


 『古今名婦伝 袈裟御前』(国会図書館デジタルコレクション所蔵)盛藤が 取る首の めじるしに髪を濡らします。

 ともあれ、映画『地獄門』には 首もハラキリも出てきませんが、京マチ子さんが、舞台レビュー出身で大柄の「メアリー・ピックフォード」のような恵まれた肢体に歌物語の衣装を あでやかに着こなし、映画女優として平家物語の 諸行無常を見事に演じました。

 さて、帰国後の1903年に行なった貞奴さんたちの『オセロ』『ハムレット』日本初公演も とても評判が良く、自分たちの知見を日本に伝える義務と責任を感じた二人は 1908年(明治41年)に東京に「帝国女優養成所」を開所しました。本格的な西洋演劇の女優養成所です。その開所式に、澁澤栄一氏、福沢桃介氏ら、当時の経済界の代表メンバーも集まりました。ここは翌年、帝国劇場 付属技芸学校に引き継がれ、大勢の女優を育てていきました。

 ところで「帝国女優養成所」開所式では、澁澤栄一氏が 激励の演説を行ないました。

 「(略)徳川三百年時代の如きは、殊に著しく私共の間違つてゐた と感ずる事が多い、先づ 第一に 尊ばなければならぬものを、非常に賤しめて居たものが 三つある、第一は 実業家で、第二は 女、第三は 俳優である。
 (略)上流の御殿女中なども 随分 芝居を見たものだ、芝居は文学・美術を事実に活動さするもので、御覧なさい(略)袈裟御前の如き貞女も、之れを上手な女俳優が演つて見せたら大に他を感動さするだらうと思ふ。
 今度 川上夫人の趣旨に基き、女優たらんとの企望を以て養成所へ御志願になつた諸嬢を見るに、いづれも御身分の有る方らしいのは 私の大に喜ぶ所だ、併し これ迄 社会から賤しめられて居た女に生れ、社会から賤しめられてゐた俳優に成らうとされるのは、社会から賤しめられた実業家たる私共の、非常に御同情申す所である、どうか妙齢の婦人にして最も戒むべき品行を慎み、他から侮を受けないやうに 立派な女優になつて下さい。(略)」
(デジタル版『渋沢栄一伝記資料』 第27巻

 ※ 明治初年の、維新を成し遂げた武士たちは「実業家」を見下していました。しかし、政府に入った澁澤栄一氏ら一部の「商業」の重要さを理解していた人たちは、政治の推進力は「実業家の市場創出力」が税収を拡大させることだと見抜きました。市場創出に融資した当時の銀行は、この(シュンペーターと同じ)文脈で 産業の権威になったのです。

☆「薔薇十字団物語」 ⑦

 【VRを成立させている 3つの構成要素】

 VR作品の製作とは、他国の 例えば GAFAMなどの企業を真似る事でもなければ、「フィードバック」型の開発でもありません。ましてや、他国の市場を横取りすること、でも断じてありません。(46)

 さて、VR作品は、次の 3つの要素から構成されています。

 ① 大画面映画 興行と同じ、深い(視聴覚の)没入感。
 ② 多感覚(マルチセンソリー)で「映画の没入感」が上書き強化される。
 ③ プレイヤーが自主的に操作する
(操作したくなる)ので 絵コンテの筋が展開される

 しかし、VR関連技術の「特許」から見た分類では、3つの要素は、

   要素の① rev. を「大画面の深い没入感」(プレイヤーが感じる没入感。以下 同じ。)
      ② rev. を「多感覚」
      ③       を「インタラクティブ性」、と書くのが、より適切なので、

聴覚も「多感覚」の一つに分類するほうが、技術的には 正確になると思います。

 今回は、この話を詳しく掘り下げて「解説を書いた」のですけれど、上の「袈裟と盛藤」の話、そして、下の「黒紋付のキャンギャル」の話が長くなってしまい、紙幅に入らなくなりました。やむを得ず、次回以降に送ります。ついで ですから、

 大画面スクリーン = HMD = テーマパークの360度の光景、の図を載せておきます。


 1995年 電気・情報関連学会連合大会「統一テーマ:エレクトリックワンダーランド」(@京都大学)「特別企画Ⅰ.マルチメディア時代のコンピュータグラフィックス - ビジュアライゼイション技術の可能性 -」「特Ⅰ-4 アミューズメントの画像処理」武田博直(セガ・エンタープライゼス)での発表。この図では、VRには「映画」が必ず含まれている、と考えると 分かりやすいです。

 ところで、VR作品は「映像」「多感覚」「インタラクティブ」をフィードフォワードに組み合わせています。「後追い研究」のフィードバックでは、ありません。音二郎氏のパリ公演の演出についての説明で、そのことが分かって頂けたと思います。

 具体的に言えば、「脚本」「システム」「操作方法」が同じ世界観を創出して、VR環境で観客が楽しく操作する充実した時間を作っています。「VR源氏」や『平家物語』によって そうした時間が共有しやすくなることを、これまでに述べてきました。
 VR作品は、そもそもが メディアです。開発者が作品に込めたメッセージを観客に届ける道具(装置)なのです。ですから、インタラクティブ性とは、プレイヤーが「開発者が作品に込めたメッセージ」を理解して自発的に操作すること、になります。

 ※ こうした考察からも、GAFAMの後追いというのは 支離滅裂な研究だと分かります。

 「VR 源氏」の桐壺(36)では、プレイヤーが「あなたは、おくるみに包まれた光ちゃん」です、と動機づけられた事で、天皇の豪華なCGの居室で、あたりを きょろきょろと見まわすことになります。
 また後に論じますが、最近流行の「サービス創造」の研究で、ペルソナモデルを立てた「カスタマー・ジャーニーマップ」を作ることは、VR作品の「絵コンテ」を作ることと同じです。VR技術の 経営工学への応用も期待されます。(17)

 家紋つきの自動車 ② (GAFAMの あと追いをやめよう)   家紋自動車 ①

 日米に貿易摩擦が起きてしまった後で、あの時に こうすれば良かったと思うのも「手遅れ」な感じですけれど、iPS細胞や VR製品などに関しては、米国進出が まだ始まっていないので 今から準備をしておけば良いのだと私は思います。さて、ここでは、

   私が、GAFAMの 後追い研究誤りと指摘している 第1弾が、次の内容です。

 ・ Google社が 2016年に 米国運輸省道路交通安全局に申請した「AIのドライバー」に運転させる自動運転車。
 ・ Amazon社が 2014年から取り組んだ「ドローンによる配送」実験サービス。(2021年、開発チームが一時解雇。)
 ・ Amazon社が 2018年から進めている「ホームロボット開発」の一環の全自動介護ロボット(仮称)。

 その誤りについては、私は「旧目次」に、こう書きました。
 制御工学に「フィードバック」を用いるのは、ベルタランフィ著『一般システム理論』の 誤用と分かりました。「持続可能」でない フィードバックを、ウイーナー博士は「奴隷労働だ」(31) (32)と書いて禁止しました。(『科学と神』も参照。)
 その意味を理解されている方でしたら、

 上に挙げた3つの GAFAMの研究例は「フィードバック」だから(理論上)間違っていて、実現不可能である。正しい『一般システム』の開発をするには、フィードフォワードに戻す必要がある、ことが 良くお分かりのはずです。
 例えば ですが、熱力学の第2法則が 1872年に論証された後に「永久機関」の特許がたくさん提出されるブーム、がありました。上の GAFAMのフィードバック研究も、同じ意味から 実現不可能です。次回以降に それを論証します。

 とりあえず、ここで 次回以降の道筋を述べておきます。

 日本車も、1970年代の米国でのモーターショーでは、仕様を「牛車」や「花車」を思わせる重厚なデザインにして、現地販売部長に京都のお公家の出身者を選抜し(光源氏の装束を着用して)「ロールスロイス」のポジションを狙えば良かったと思います。車は、高級感にあふれ、扉には家紋を入れられるスタイルを主軸に、低燃費、小回りなどの「日本車独自の工夫」を黒紋付(黒留袖)のキャンギャルが宣伝します。


 吉備津神社 2015年春季大祭 衣紋道高倉流の十二単衣お服上げの披露。男性は神社宮司。【右】黒留袖

 日本車の 特に小型車における低燃費や、小回り、室内の低騒音は、そもそも、日本車の開発が欧米車と全く異なったアプローチと環境下で発想されたことを良く示しています。しかし、そのことに顧客が気づくためには先ず、黒紋付のキャンギャルが「顧客を車内に誘導」しなくては始まりません。

   ですから、豪華な仕様の「花車」仕様車は、それほど売れなくっても構いません。
   四書五経と歌物語の宣伝用です。
   必要なことは、日本車(小型車)のブランドイメージが 米国で確立されることでした。

 貞奴さんの1900年の『サッフォー』公演を見習います。

 そして、「日本車フェア」の日に多くの台数の高級車を景気よく、無料で貸し出せば良かったのです。高級車で日本車の性能を知って、中小型車でも室内の騒音は低いですと説明されれば、あなたは日本車を買うでしょう。フェアで案内に立った和装のキャンギャルは全員が美人で、匂い袋も忍ばせていました。そして、米国車に全く似ていない日本車であれば、日本車が隣の店で盛んに売れていたとしても、米国車の労働者は自分がストを打ちづらくなった(46)とは思いません。
 1973年に日本に届いた米国人労働者の「日本車に対する非難」は、そもそも非難ではなく敗北宣言でした。しかし、日本政府の一貫した誤った対応姿勢と 日本車のデザイン・コンセプトの大きな間違いが、この問題を修復不能にしたのです。
 そして、今も 日本車の対米摩擦は、根本的には解決していません。違いますか?

 それから、もう一つ。日本製品の製造は 自動車でも「VR製品」でも「東南アジア」で行なうのが良いのです。東南アジアの優れた科学者たちが、プライドを持って主導します。例えば、日本車も「トヨタ ES アジア社」が企画して、欧米で歓迎されるデザインを彼らが考え「ESアジア」ブランドで世界に販売します。日本本社は、工場の生産ラインなど製造技術を設計し、本社から東南アジアに工業デザイナーを派遣して彼らのアイデアを製品化します
 その本社による指導も、株式を51%持っているからと、上から目線で行なうのではなく、「ESアジア社」が独自マーケティングで選別した「欧米で受ける」デザインを尊重するのです。
 つまり、16世紀の
   信長の時代に、欧州で大歓迎されていた 日本製品の販売ルートの再現です。


 梅棹忠夫「文明の生態史観

 繰り返しますが、日本企業は(梅棹忠夫氏の)「東南アジア」と仲良くします。ついでですから、「日本で売れそうな VRの新製品」も 東南アジアの人たちに提案して貰って「企画」「製造」して頂きましょう。
 「試作品」は、必ず 日本の Inter BEEなどで発表されます。そして、
 「製品を欧米に持参して販売して下さる」のも、東南アジアの皆さんです。

 信長の時代に、世界経済は好景気に循環していました。その貿易を真似るのです。

   《 鋳型化ここまで 》
   フェロー武田 「帝国女優養成所」「物語 ⑦」「家紋自動車 ②」(VR奥儀皆伝(8½)(47)
   Blog TP-VR Attract.のトリビア 2022.2.xx

 【宇多田ヒカルさんの『First Love』】は、東南アジアで誰でも知っている 名曲です。

 「家紋自動車」②で、私が日本と東南アジア間の技術的連携を強く勧めた理由は、どちらも「旦那さんが奥さんに給料を全額渡して、奥さんから小遣いを貰う国」つまり、母系制社会の遺制を現代に強く残した国どうしだからです。
 16世紀の「世界」に 海のシルクロードを経由して歓迎された 日本の製品には、古代ローマでビーナス神を喜ばせた豪華な調度の おもむきがありました。信長の時代に、ジパングはバロック的な「黄金の国」というブランド・イメージを確立したのです。

 聖書の三博士が、その証人です。(後述します。)

 一方、日本が米国に「直接輸出して」届けた日本製品は、高品質・安全・高信頼の故に反発を招きました。私は、日本製品がフィードフォワードによって作られている(脚本家と製造者と使用者が共労してその製品価値を高める性質を持つ)ので、米国(や中国)のように効率よく「フィードバック」で儲かる「奴隷」型経済を志向する国と、そりが合わないと考えます。このことについては、梅棹忠夫さんたち京都学派も、文化人類学や 比較文明論の視点から 1960年代から指摘しておられました。

 米国を優先する政治家が、無意識に隠ぺいしたようです。

 1973年に生じた日本車対米輸出の「ボタンの掛け違い」以降、日米通商の相互不信は半世紀に及びます。オバマ大統領は 野田首相に「1ドル 50 - 60円の円高ドル安になる可能性」を連絡してこられたそうです。(赤字財政 が理由です。)日本は米国とは経済的に一度手を切り、関係をリセットする時期なのではないでしょうか。四書五経の教養に裏打ちされた歌物語が 16世紀の海のシルクロードを経由して 世界に歓迎されたことを、私が「日本製品の特長」だったと強調しているのは、このためです。

 VR奥儀皆伝( 8½ )(46) → こちら
 ( 8½ )
「暫定総目次」
 VR奥儀皆伝( 8½ )(48)に続きます。 → 
こちら

( 8½ )(46)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2022-02-11 | バーチャルリアリティ解説
Number46 / パーク VRアトラクションの 品格
                          【( 8½ )総目次 】
 日本の品格「四書五経」が作った ⑥ VR之極意:③

 Ⅶ. 日本の品格 は「四書五経」が作りました (41)(42)(43)(44) (45)(46)

《 本Blogの 今回の頁は引用できます。本頁は近く鋳型化されます。2022.02.xx 鋳型化ここから 》 

 家紋つきの自動車  (GAFAMの あと追いをやめよう)

 そもそもの話ですが、フロリダ EPCOT センターの日本館に「厳島神社」が建てられた理由は、同神社の美しさが際立った映画『地獄門』アカデミー最優秀外国語映画賞 などを受賞したからでした。
 欧米が注目したものは 歌物語の古式な意匠(特に「お能」を感じさせる 女性の衣装・美術)です。この映画では、京マチ子さんの 和装の 袈裟 けさ 御前(43)が 注目され、彼女に導かれて、米国の観客は『平家物語』の 文芸価値を知りました。

 (35)に掲せた《ロングマン現代英英辞典「Japan」の項目》を再掲します。: 日本は 古代からの文明社会(Japan is an ancient civilization)であるが、70‐80年代に自動車生産と家電で金持ち国になった。(往古の文明をうかがわせる)伝統文化では、綺麗なキモノの芸者と相撲の力士が特に有名。



 『地獄門』の京マチ子さんと全く同様に、1900年のパリ万国博では貞奴さんの Geishaの演技が 欧州の観客に、日本の 工芸品や意匠の優秀さを教えました。しかし、記述式の試験で、
   「海外に歓迎される VR」「VR源氏」と機械的に答えを書いても 0点です。

 どうして「VR 源氏」の機械的な開発が、正解とは言えないか。それは、

 VRが フィードバックではないためです。「VR源氏」「VR TANIZAKI」は 目標ではありません
 そして、この「『VR源氏』を ただ 真似してはいけない」のと、全く同じ意味からですが、
 日本人による「GAFAMの 後追い研究」は、米国の研究者には 全く評価されません。

 例えば、2025年の大阪万博の日本企業館に並べても、馬鹿にされるでしょう。

 ※ (35)に示した 信長の「安土桃山趣味」が 欧州で歓迎されて「Made in Japan」(ジパング製品)の起点に位置したのは偶然でなく、それは日本の「歌物語」が、ほぼ同時代の ルイ14世の感性や 後の19世紀のベル・エポックと その精神において照応(コレスポンド)していたからでした。この方法が(40)で予言した「国際放送機器展 Inter BEE が『コミケの展示会』のような フィードフォワードになる」未来や、「『VR起雲閣』や『VR 源氏』ファンの 東南アジアのバイヤーが 一緒に 日本製 VRを世界に普及させる」未来を招くと、私は信じています。

   ここで「GAFAMの あと追い研究」が間違っている理由を、3つ挙げます。

   (当たり前ですが)(1「企業の後追い研究」は、部品の安定供給のため、海外の「子会社」などが 米国の親会社を支えるために研究するものだからです。当然、
   (2)フィードバック型の開発」が進められます。(次回に詳述します。)
   そして 何より、
   (3)米国人向けデザインで試作品を作っているからです。明白な間違いです。

 日本企業は GAFAMの下請けではなく、VRは フィードバックの開発でなく、そして、日本人は米国の市場を横からかすめとろうともしないので、日本人による GAFAMの 後追い VR研究は「あり得ない」ことになります。これは日本の工学者の「品格」の問題です。

 日本人の行なったフィードフォワード開発と、比較しておきましょう。

 【比較】ここでは、1970年大阪万博の『太陽の塔』を見てみます。



 1970年の大阪万博では、岡本太郎氏の『太陽の塔(シンボルゾーンの一部)の内部で、見学に来た「人類」たちはエスカレーターに乗り、原生動物から「安土桃山カラー」の進化の過程を経て「大屋根」の上の高みにまで至るという、壮大な人類進化の歴史を目にしました。
 出口の直前で 人類たちは、ある家族(の人形)が ちゃぶ台を囲んで集っている居間を目にします。その窓の外からは、異星人の人形 が心配そうに家族を覗いていました。よく見ると、家族の居間の壁には、きのこ雲が。つまり、
   「核の恐怖の現代」に「核拡散防止条約」を経た核廃絶という「進歩と調和」
人類が進めるかどうかを、異星人が心配そうに見守っていたのです。

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 「これまで 米国で売れている商品デザインを そのまま真似してきた」日本の誤りには、理由があります。外貨が稼げたからです。この誤りは、戦後の貧しい日本が「経済を復興」させるため「安価で高品質なツナ缶」を米国に怒涛の勢いで 輸出したときからの問題でした。終戦直後の日本の すさまじいまでの貧困は、黒澤明監督の『醉いどれ天使』(1948年、昭和23年)を観れば良く分かります。
 ツナ缶に続いて、繊維製品と 日本車も、外貨のために、まるで米国人が米国人のためにデザインしたような日本人離れした仕様で造られ 米国に送られました。そして、米国の工場労働者が、これに不満を言いました。当然です。

   「日本人は とても安価に、高品質・安全・高信頼 の製品を米国に輸出している。」

   「これは、米国人労働者から労働を不当に奪うものだ。」

 やがて、1965年には日本の対米輸出が「黒字」になりました。しかし、日本は この対米攻勢を 全くやめません。通商産業省は、何もしません。予想外の外貨が 国庫に入ってきたからです。『論語』に こんな言葉があります。

   □ 「More than enough is too much.」「Moderation in all things.」
   過ぎたるは及ばざるが如し『論語』先進)
   ■ 予想したより儲かりすぎたら、誰かが困っていないかに 注意しよう。

 実は、米国の労働者が、日本車は「米国人労働者から労働を不当に奪う」と言ったことは、次のような理由からで 当然の抗議でした。
   米国製の車を売っている店の すぐ隣で、
   安価に 品質の優れた日本車が
   「米国製に とても良く似たデザイン」で売られている、
ところを想像して下さい。この国で、

 米国人の労働者が 唯一、資本家に対抗できる手段は「ストライキ」です。しかし、その店で ストを打つと、お客は日本車に流れます。だから労働者の唯一の抵抗であるストが 米国の資本家に対して打てなくなって、俺たちは困っていると労働者は言ったのです。問題点は、一つです。それは、日本企業が 米国の子会社では無いのに、米国製と良く似たデザインで日本製品を輸出したこと(品位に欠けること)の間違いから生じました。新興国ならまだしも、京マチ子さんや貞奴さんで知られる 格式ある歌物語の国がです。しかし、

 通産省は何もしませんでした。外貨は引き続き、国庫に入ってくるからです。

 80年代の繊維・自動車の日米構造協議でも 問題は先送りされたままでした。日本車がデザインを変えれば良かったと、私は考えています。これは、次回に詳述します。
 VR製品も、また その同じ道をたどろうとしているように、私には思えます。

 江戸時代を通して、日本人は 世界最高峰の 絵画や 工芸の技術を確立していました。印象派、ラファエル前派、クリムトらが 日本画から とても強い影響を受けた のは、そのためです。金融制度にも、世界初となる商品先物取引がありました。18-19世紀の科学啓蒙書も オランダから日本に輸入され、進化論や 超新星の爆発がダーウィンのおじいさんのベストセラーの科学詩で知られていました。北斎の娘(もう一人の天才)も、バロック調の浮世絵を試みました。そうした文化の蓄積が、大正時代の 拝金主義のあとの時期に、

 軍事体制と戦争経済によって破壊され、高度な日本文化の継承が失われました。
 ですから、平和な時代になれば、
 日本の工芸力が、安価 高品質の民生品を生みだすことは ある意味 当然でした。


 『オフィーリア』(Ophelia、1851-52)ジョン・エヴァレット・ミレー
 漱石は、このラファエル前派の傑作に『草枕』で言及しています。1973年に 英国労働党が人気取りで公共美術館の
 常設展入場料を無料にしたとき、昼食後のロンドンのテート美術館で私は無料で見られて、とても嬉しかったです。

 さて、通産省の間違いに対しては、こんな言葉もあります。

   □ 瓜田 かでん に 履 くつ を 納れず、李下 りか に 冠 かんむり を 正さず
   瓜田不納履、李下不整冠)『文選』古楽府 君子行
   ■ GAFAM そっくり製品の公開で、日本人が 米国人の工場を潰すと噂される。

 では、どうするのか。解決編は、次回に。

 ※ なお、「IBM産業スパイ事件」は、日本人の「徳」とは何か、日本人の
 アイデンティティ が何かを考えさせる契機になる、はずでした。
 この際、深く考えてみましょう。これも 次回以降に。

 ◇ 薔薇十字団物語 ⑥ 科学の豊穣の復権

 Ⅴ. 『薔薇十字団物語』を続けています:(38)(39)(40)(43)(44) (46)
 研究アプローチが VR開発者に良く似た 科学者・芸術家を、挙げておきます。(生年順)
 VR奥儀皆伝で これまでに取りあげた名前ばかりですが、シラーは初出です。

   プラトン ( それ以前に ヘルメス・トリスメギストス / オルフェウス / ピュタゴラスなど)、
   紫式部、
   ダンテ、コペルニクス、ジョン・ディージョルダーノ・ブルーノ
   ギルバート、パラケルスス、ファン・ヘルモント、ケプラー、ニュートン、
   ディドロ、ゲーテ、シラー、ワーグナー、ルートヴィヒ2世、
   谷崎 潤一郎、ウォルト・ディズニー、アラン・ロブ=グリエなど。

 ところで、上のように リストに「シラー」を加えたので、
   ベートーヴェン(『第九』)を足す必要
が出て来ました。『第九』に採用されているシラーの歌詞は、ヘルメス主義讃歌です。

 【参考】『第九』対訳 カラヤン指揮 (指揮者・演奏者・観客の心臓が同じリズムを刻みます。)


 恒星天双子宮のダンテとベアトリーチェ(ブレイク『神曲』挿絵)

 〇 貞奴の「帝国女優養成所」

  引退した「元アイドル芸妓」の 川上貞さんは、音二郎氏の専業主婦として1899年に渡米しました。しかし、米国の興行師の勧めで舞台に乗り Geishaを演じたところ 大人気に。その後の パリ万国博での快進撃は(45)に記しました。

 ところで、音二郎氏と貞さんは、日本には 例えば、シェイクスピアを西洋風に演じる「女優」がいないことに気が付きます。また、合計四度の海外旅行で、俳優養成所の重要さも理解しました。それで、貞さんは万国博からの帰国後には舞台を辞め、ただの奥さんになるつもりで帰ってきましたが、あるひとに「日本演劇のために」と説得され「日本の女優第一号」になりました。音二郎氏と貞奴さんは『オセロ』の公演を立派に行ない、
   まるで西洋人の演劇を観ているようだ
と評されました。(1903年、明治座)

 ちなみに、シェイクスピアの歌舞伎翻案上演の最初は、1885年
(明治18年)の『何桜彼桜銭世中』(さくらどき ぜにの よのなか)(『ヴェニスの商人』)大阪戎座、中村宗十郎一座公演、勝諺蔵(かつ げんぞう)脚本だったと伝えられます。
 当時は(芝居小屋が ロウソクなので)女役は、女性より 女形 おやま の方が上手でした。
 一方、音二郎氏と貞さんは、1900年2月のニューヨークでドーデ原作の
『サッフォー』を ある いきさつから急遽 日本語で上演して、大絶賛を博します。(誰でもあらすじを知っている小説が原作です。)貞奴さんの「女優」としてのスタートは、ここからでした。


 (ある米国の劇団が『Sapho』を上演したとき「堕落した女が 素朴な男を誘惑する場面」が、わいせつ裁判になりました。この騒ぎでお客が呼べると考えた音二郎氏は、芸者が男を誘惑する歌舞伎の世話物に書き直し、すぐ近くの小屋で上演しました。すると、大人気に。貞奴さんが男を誘う場面は「とても上品だ」と評されました。)
   男女関係が 長い伝統に裏付けられた日本舞踊で 練され、様式化されていたため です。
   余談ですが「お能」にも 様式化された せっくすの所作が あります。若い侍は、目のやり場に困ったでしょう。

 さて、『オセロ』日本初公演の評判も良かったことで、二人は 1908年
(明治41年)に東京に「帝国女優養成所」を開所させます。開所式には、澁澤栄一氏、福沢桃介氏ら、当時の経済界の代表メンバーも集まりました。
 ここは翌年、帝国劇場 付属技芸学校に引き継がれ、大勢の女優を育てています。
 1908年の開所式では、澁澤栄一氏が 次のような激励の演説を行ないました。
 ・・・ この続きは、次回に。

   《 鋳型化ここまで 》
   フェロー武田 「家紋つき自動車 ①」
物語⑥「帝国女優養成所」(VR奥儀皆伝(8½)(46))
   Blog TP-VR Attract.のトリビア 2022.02.xx

 貞奴の「帝国女優養成所」では開所の翌日から、さっそく 新劇、旧劇、長唄、義太夫、鳴り物、日本舞踊、洋舞、声楽、ヴァイオリンなどの 本格的な授業が始まりました。宝塚音楽学校の現在の カリキュラムを 参考までに。こんな感じだったのでしょう。宝塚も、各界一流の講師が指導しています。

   【おまけ】『源氏物語 あさきゆめみしII』2007年 花組公演「嫉妬の歌」春野寿美礼 桜一花
   (この動画は、舞台の演出も 歌唱も、宝塚作品でも かなり高いクラスの名演です。舞台の
   全員が、あの多彩なカリキュラムに全科目合格して、舞台に立っている事をお忘れなく。)

   光源氏の正妻「女三宮」が 彼女に思いを寄せる柏木との一方的で強引な逢瀬で、不義の子
   「薫」を身ごもりました。それが柏木の手紙でバレました。光源氏にも義理の母を不倫で
   妊娠させたことがありましたが、それを忘れて、ここで 光が怒り狂っています。(36)
   途中まで書いた内容に続く『源氏物語』「本歌取り」の(原作でも)白眉の名場面です。
   万葉集の「月待ちて」(夕闇は、路 みち たづたづし、月待ちて)が原作で引用されました。

 VR奥儀皆伝( 8½ )(45) → こちら
 ( 8½ )「暫定総目次 2

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