( 8½ )(5)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2020-07-30 | バーチャルリアリティ解説
第五回 映画とは何か = VRの映像表現について
                          【( 8½ )総目次 
 第三、四回では、IVRCの作品を解説しました。IVRC作品からの事例紹介は、今後も続けるつもりです。

 ところで、第五回は、映画とは何か について考えてみます。
 「体感劇場 = ハリウッド・クオリティの「映画」+「搖動装置」 と考えたときの「映画」について です。
 さて、皆さんは「映画を観ている時、何をしていますか?」

 「白い壁に向かって、座って、じっとしている」が 私の答えです。達磨大師の公案では ありませんが。

 そして、観客が その映画について記憶している事柄は、作品に描かれたバーチャルな世界の内容です。残念ながら、VR作品を体験している最中に「HMDのメーカーはどこだろう」と考えたり、映画館で「この劇場のプロジェクターは、どこ製だろう」といった 投影機材(表示装置)のことを意識している人は、ほとんどいないと思います。そのことを覚えておいて下さい。ちなみに、私は「その業界」の人ですから、投影機材は いつも気にしています。『アバター』(2009年)公開直後の3D方式シネコン急増時には、画面の輝度を異なった方式で比較するために、同じ3D映画を 「海浜幕張」「川崎」「横浜みなとみらい」の映画館まで観に行きました。

 さて、観客が その映画について記憶しているのは、作品に描かれたバーチャルな世界の内容だ というのは、こういうことです。俳優ラミ・マレック演じる フレディ・マーキュリーら「クイーン」が、英国 ウェンブリー・スタジアムのチャリティーコンサート「LIVE AID」で、1985年に どんな演奏を繰り広げたかを、観客は映画のコンテンツ(「バーチャルな世界」に描かれた中身)を観て、その光景を記憶しています。映画 『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年)を観て、映画館から出てきた観客が、「今日の映画の照明は最高だった」と言ったり 「ここのスクリーンの反射率は、エンボス加工が上等なので とても良かった」などの会話をすることは、まず ありません。私たちは投影機材(表示装置)の性能を測るためではなく、「黒澤明作品のような面白い映画コンテンツが観たいから」と期待して、映画館に何度も足を運びます。
 例えば、
   ハンフリー・ボガートが 『カサブランカ』(1942年)で見せた「過去ある男」の姿を観るために、・・・
私たちは午前十時に、映画館に出かけるのです。

 画像借用元:https://warnerbros.co.jp/home_entertainment/detail.php?title_id=3349
 【ワーナー公式】映画(DVD)カサブランカ


 酒場の歌手のドーリー・ウィルソン ”サム” が ヒロインの イングリッド・バーグマン ”イルザ” のリクエストで 昔のように 「アズ・タイム・ゴーズ・バイを弾き始めると、ボガート ”リック” が血相を変えて 「その曲は弾くな と言ったはずだ」と注意しに近づいて来ました。そのときに、うるんだ瞳 のバーグマンと眼があいます。これが映画です。画面のカット割りの効果で、映画『カサブランカ』を観ている観客は、「過去に愛し合っていた二人の再会シーンだ」と、そのとき直ぐに気が付きます。
 しかし、同じ脚本が もし舞台で公演されたという場合には、(映画のように) カメラのアップでイルザの表情を強調する演出方法が使えません。
 「ピアノを弾き、歌い始めるサム。過去を思い出すように、サムに背中を向けるイルザ。舞台下手から 近づき、イルザに気付いて固まるリック。元カレに思いがけず会って、感動するイルザ。あわてて上手に引っ込むサム。強い照明二人を浮かび上がらせます。」 ・・・ 翌日に、映画のバーグマンの演技と舞台の女優を比較して「演技が大げさだ」と酷評した劇評が新聞に載り、舞台女優は 「分かっていないわね。この人」 と この劇評家が新聞のコラム欄から外される近い将来を想像しているかも知れません。
 そして、もしも リヒャルト・ワーグナーが この場面をオペラにしたら、サムが二人の過去の いきさつを 全て歌い上げるのです。「このことだけは、決して忘れない方がいい。どんなに時が移り、時代がどれほど変わろうとも、接吻は接吻である。ため息は ため息なのだ。根本的な二人の感情には、思い違いなどありえない。この先に 二人が再び出会う未来は もう無いことが予想されても、恋人たちは 『あなたを愛しています』と語り続けることだろう。」 そして、伴奏のオーケストラが高まり、二人がパリで どれだけ幸せだったか、急に イルザに去られたリックが、どれだけパリの街で傷ついていたかを饒舌に観客に訴えます。サムとイルザの立つ舞台に、ゆっくり リックが登場して、この二人の元恋人の行く末を観客が気をもむ中で 第2幕の幕が静かに閉じられます。映画 『カサブランカ』の同じ場面では、イルザと リックの過去が、サムの歌、そして、カメラの「切り替えし」、イルザのアップと うるんだ瞳で描かれていました。

 そういう訳で、私たちは(表示装置や表現技法などではなくて)、映画などの作品世界コンテンツの内容だけを、普段は記憶しています。

 しかし、ヌーベルバーグの フランソワ トリュフォー監督が 『映画術 ヒッチコック / トリュフォー』(邦訳 晶文社 1981年、原著1966年)を出版して以降、映画監督の仕事への評価は大きく変わりました。第2次世界大戦が終わって 新しい映画表現を模索していたフランスの若い監督たちは、昔のハリウッドの 「単なる娯楽」「プログラム・ピクチャー」だと蔑まれた作品の中に、自分たちの規範になる新しい映画技法が 既に完成していたことに気が付いて驚きました。特に、アルフレッド・ヒッチコック監督や ハワード・ホークス監督らの遺した絶妙な名作は、例えば、新進の才能ある監督が「全く同じ脚本」と現在の名優を使って お金を掛けてリメイクした場合であっても、オリジナルのあの面白さは全く消し飛んでしまい 「ああ、観なきゃ良かった」「監督が気の毒なので、忙しくて観ていないと言ってあげよう」という作品にしか仕上がりません。

 『映画術』を読んだことがきっかけで、映画監督を志す人や VR作家になる人が、今後も数多く出て来るでしょう。そこには、映画製作の内幕が全て 書かれています。例えば、映画監督と原作小説との出会いについて。映画製作の経費管理を(後の)ヒッチコック夫人が担当したところ、出演女優が勝手に高級ホテルに移ってしまって所持金が ぎりぎりになり、スタッフの電車賃を心配しながらロケから戻ったという撮影現場の話。そして、『サイコ』(1960年)では、テレビ製作のスタッフに映画本編を撮って貰って 人件費が安く済んだのだ、という話。(映画関係者のユニオンと人件費が違ったためでしょう。しかし、技術のあるスタッフはテレビ業界にも大勢いました。) 『北北西に進路を取れ』(1959年)の最後の場面は列車がトンネルに入る事が性的な隠喩になっていて、ヒッチコックの全作品中で一番わいせつな場面である、というヒッチ監督お得意の冗談など。・・・ なーるほど。

 この『映画術』を読むことで、どうすれば映画が撮れるのかが、私には とても良く分かりました。

 このように、『映画術』では、先輩のヒッチコック監督(63歳)が若いトリュフォー監督(30歳)に、映画製作の現場の そこにいた人にしか分からない出来事を伝えました。そして、ヒッチ監督の全作品について、監督本人の言葉でコメントが述べられているのです。『映画術』は、私には 大変に面白くて一気に読みました。『映画術』を読めば、何をどう撮れば映画になるか、が分かるからです。
 2015年には 『映画術』に基づいた『ヒッチコック/トリュフォー』という映画が公開されています。書籍では 写真と「あの場面は ・・・」という言葉による説明だけでしたが、話題に取り上げられた映画の場面が丁寧にインサートされているので、DVDを探す手間が省けて便利です。ただし、有名な場面ばかりなのが 少々 残念でした。

 なお、この本を読まれる方は、次の映画を必ず観て下さい。『バルカン超特急』(1938年) 『レベッカ』(1940年) 『海外特派員』(1940年) 『汚名』(1946年) 『裏窓』(1954年) 『めまい』(1958年) 『北北西に進路を取れ』(1959年)、それから、大変良くできた ヒッチコック・パロディの 『メル・ブルックス / 新サイコ』(1978年)も 私には 参考になりました。
 メル・ブルックス作品は とても「下らない」のですけれど、ヒッチ監督作品の分析が秀逸です。


 画像借用元:https://www.brightwalldarkroom.com/2018/07/20/how-to-read-a-fire-on-hitchcocks-rebecca/
 How to Read a Fire: On Hitchcock’s Rebecca
 ジョーン・フォンテイン(わたし)に、自殺を強く勧める家政婦長のジュディス・アンダーソン。『レベッカ』の名場面です。『映画術』によれば、イギリスの大邸宅「マンダレイ館」に嫁いだアメリカ娘の 頼れる人のいない孤独感・絶望感は、この名画がアメリカで撮影されたので、より強調されたとヒッチコック監督は言いました。「マンダレイ館」の周辺の街からの孤絶感が増したからです。必ず 大画面で 観て下さい。

 それから、ハワード・ホークス監督の映画は、どの作品も 傑出しています。中でも、『赤ちゃん教育』(1938年) 『ヒズ・ガール・フライデー』(1940年) 『モンキー・ビジネス』(1952年)の 3本は、それを観ないうちに間違って事故などで死んでは いけません。絶対に損だからです。ほかに、『紳士は金髪がお好き』(1953年) 『リオ・ブラボー』(1959年) 『ハタリ!』(1961年)・・・などなど。
 上のホークス監督のリストを読んで、あんなに面白い作品が抜けていると言う人が、必ずいるでしょう。その通りです。その人の薦める作品も見て下さい。絶対に面白い筈です。私は、上の他のホークス作品も 何度も観ていますが、観るたびに本当に面白いのです。なお、(後で触れますが) Webの無料動画を観るときも、視聴する表示装置は できるだけ「大きくて鮮明な画面」を選んで観て下さい。視野の3分の2以上 の大きさがあれば、大丈夫です。

 【予告】めまい:https://www.youtube.com/watch?v=8eZrOVQENi4
 Bringing Up Baby (1938) Official Trailer - Katharine Hepburn, Cary Grant Movie HD 『赤ちゃん教育』:
 Diamonds are a girl's best friend ~ Marilyn Monroe (Gentlemen prefere blondes, 1953) 『紳士は…』: 

 そして、何より重要なことは、私が「映画とはこうです」と この場所に書いていても、皆さんがそれを鵜呑みにする必要は ないということです。例えば、『映画術』を読んで、映画とは こういうものだと 皆さんが得心すること、自分で映画製作の感触を掴むことが大切だ、と私は思っています。

 『映画術 ヒッチコック』 は、調布市立図書館、千代田区立図書館などの大きな図書館には、必ず開架されています。図書検索してから、出かけて下さい。 特に、IVRC(国際学生対抗VRコンテスト)の作者(学生)たちは、国際学会の技術展示を目指していますから、映画の人物や筋だけを「面白かった」と記憶するのでなく、どんな撮影技術・表示方法が 映画のリアリティを高めるために使われているのか を意識して欲しいと思います。

 観客が映画館の座席からスクリーンを見上げると、そこには俳優の姿が映り、ストーリーが展開しています。

 その映像が CGでなければ、撮影用カメラで写した映像です。ですから、スクリーンの映画を見れば、
 ・ 背景( 舞台設定 ) / 音楽 / 音声、
 ・ 登場人物( キャラクター )の動き、
 ・ 物語( シナリオ ) / 演出 / 編集、
そして、
 ・ カメラアングル / 照明、 などが、(それを意識して観ている) 観客には把握できるはずなのです。

 ※ 上の「映画の構成要素」も 私のオリジナルです。 『映画術』を読む ずっと以前から、私の社外講演で紹介してきました。

 照明は(ほとんど意識されませんが)、大変に 重要なので、後で触れます。

 ちなみに、ハリウッドクオリティの映画モーションデザインで、「体感劇場」が出来上がります。発明者のダグラス・トランブル氏は、Simulation Ride、あるいは Movie Rideと呼んでおられました。過去最高のテーマパーク・ライドは、ユニバーサルスタジオの 『Back to the Future the Ride』(BFTR、1991年)です。

 さて、私たちは、映画の作品世界(コンテンツ)の内容だけを 普段 記憶していますから、モーションデザインの変更や 触覚ディスプレイの素材の改良などは、どうせ「観客の意識に残らない」ので、IVRC作品の開発でも「手抜き」ができるだろう と勘違いしている人が いるかも知れません。
 しかし、代々木競技場の敷地内広場で開催された「LIVE UFO '94」というフジテレビのお祭りで、約2万4千人の搭乗者を集めた 『米米MUSIC RIDE』(1994年)では、担当の土居秀顕さんが大変 苦心したモーションデザインの変更が感性のするどい観客に評価されました。土居さんは、会期中に毎日の細かな修正と一回の大きな揺動の改変をしていたのですが、その改変の日の 朝と夜に 2度乗ったファンの方から「ずっと良くなった」という お褒めの言葉を頂いたそうです。注意している観客には、分かるのです。
 ちなみに、『米米MUSIC RIDE』のコンテンツは、こういうものでした。ライドに乗り込むと、200インチ・ハイビジョンプロジェクターで投影された目の前のスクリーンに、米米CLUB ファンには良く知られているジェームス小野田さんの脳内世界のCG映像や、カールスモーキー石井さんが横浜アリーナで歌いながら石井さんの視点で観客席を眺めた実写映像などの、とても興味深い映像が眼前に流れます。そして 映像に重なるように、『ア・ブラ・カダ・ブラ』の音楽が観客を包みました。このライドは、最長6時間待ちの記録を作り、「マルチメディアグランプリ ’94 」で 部門奨励賞を受賞しました。
 (「バーチャルリアリティ奥儀皆伝(4)」 に、製作当時の話を書いておきました。)

 米米CLUB ア・ブラ・カダ・ブラ 歌詞&動画視聴 - 歌ネット ) https://www.uta-net.com/movie/5073/

 映画の照明というのも、観客の記憶に残りにくい表示技術です。しかし、YOUTUBEなどに投稿したことのある方は、照明が変わると被写体の見え方が変わることに気が付かれたと思います。テレビ局の生放送ニュース番組などでは、顔の下方からの間接照明を当てて出演者の表情を際立たせています。
 ところで、VRの諸流派の一つに、Mixed Relity (MR、複合現実 )という 「現実の風景を借景にしてCG画像や情報を現実世界にスーパーインポーズするリアリティ技術」があります。映画『ターミネーター』第一作 1984年 には、シュワちゃん目線で環境を分析して危険回避の情報を表示するシーンがありました。 例えば、この映画のような MRのシーンで、「現実の風景」の部分を、照明やカメラアングルで違った視点から強調することを 試してみても良いかも知れません。雰囲気が いろいろに変えられます。


 画像借用元:http://regimentals.jugem.jp/?eid=3765
 映画と銃「The Terminator」 _ Chicago Blog


 これは、ビデオデッキやプロジェクターを開発してこられた大手映像機器会社の技術者の方から伺った話ですが、映像機器は通常、家庭用 → プロ仕様の順に開発されているそうで、家庭用の機器から機能を削って機器全体の信頼性を上げ、故障を少なくしたものがプロ用だそうです。ですから、テレビ局のスタジオ用機材とIVRCのVR作品製作に使われる機材の大きな違いは、高額なカメラレンズが使われているかどうか、や、細密にコントロールされた照明設備があるかどうかといったことだけ かも知れません。
 ですから、私たちが 映画を観て、記憶しているのは「バーチャルな世界」の内容ばかり(登場人物の動きと運命)ですが、ただ しかし、その映画を一緒に観に行った相手が IVRCのチームの仲間でしたら、照明とか カメラアングルについて、気が付いたことを話し合うのも面白いかも知れません。

 タイムマシンが ついに開発された暁には、レイ・ハリーハウゼンさんに HD仕様の特撮機材を届けてあげたいと、私は つねづね考えています。1963年の『アルゴ探検隊の大冒険』では、模型とスローモーションだけの場面なのに「あぜん」とするような重量感に溢れる特撮場面が見られました。照明設計の勝利だ、と思います。HDの機材を提供してあげた見返りに、ハリーハウゼンさんのスタジオに入れて貰い 照明機材の配置を記憶して帰りたいところです。 (『アルゴ探検隊の大冒険』 Jason and the Argonauts 1963 : https://www.youtube.com/watch?v=44qgS6MoPJM )

 ここで、VR技術の諸流派で使われてきた映像について、表現技術を ひとわたり整理しておきましょう。

 1990年代の最初の「VR元年」では、ARは、まだ Artificial Reality(人工現実感)でした。この言葉の命名者、マイロン・クルーガー氏が1983年に書いた 『人工現実』(邦訳 トッパン、1991年)の中で説明していますが、ARというのは、大きな壁にプロジェクターで映像を映し、その上に来場した観客の輪郭線映像を(アナログのビデオ映像処理で)スーパーインポーズして、観客の主体的な動作を誘発してアートが完成する、というインタラクティブ・アート作品でした。観客は、プロジェクターで壁面(スクリーン)に投影されたバーチャルな世界と、自分の動作の通りに動く輪郭線を重ねて、これまでに感じた事のない没入感に興じました。
 1987年の SCIENTIFIC AMERICAN (October号)には James D. Foley 氏が、HMDやDataGlobeなどについて「現在、NASAのエイムズ研究所で研究されている Artificial Reality 人工現実です」と呼んで、当時 最新のコンピュータ・インタフェース技術を「ARである」と紹介しました。1987年のVRは、ARのことでした。
 1989年に 起業家のジャロン・ラニアー氏が、HMDやDataGlobeを装着してバーチャルなCG世界を「操作する」技術を(新しく考案した)VRという名称で呼びました。おそらく当時のNASAで 写真電送した火星の風景などのデータを Virtual Environment に可視化、展開していたことで、そこから連想された名前として、Virtual Realityと名付けたものでしょう。しかし、私のVRの構成要素図を見て頂ければ、VRとARは同じものであることが分かります。ですから、VRの日本語訳も 「人工現実(感)」で良いのではないでしょうか。


 ここには、1995年の「電気・情報関連学会連合大会」(京都大学)での講演「アミューズメントの画像処理」で使用した挿図を転載しました。字の汚いところと、そして、その後に表現を変えた個所(「入力装置」と「表示装置」)を活字で訂正しています。ここで、「コンテンツ = 作品内容」については、Virtual World、Cyberspaceと書くこともできます。全部、同じものの別の表現です。

 この図の上半分は、「観客」 「表示装置」 ← 「コンテンツ(世界観に矛盾がないバーチャルな世界)」ですので「映画」と同じです。

 「表示装置」に「搖動装置」が含まれる場合は、「映画+搖動装置」ですから「体感劇場」になります。しかし、「体感劇場」の観客は、主導権を持ってバーチャルな世界に干渉することができません。体感劇場には、バーチャルな世界の 「背景」「キャラクター」「ストーリー展開」「カメラアングル」などに関して 直接操作できる機能が 用意されていないからです。

 ところで、現在では AR(Artificial Reality 人工現実)という言葉は、ほとんど使われなくなってしまいました。「AR」という略語が、Augmented Relity(拡張現実)のことを指すようになってしまったからでした。Augmented Relity(拡張現実)が有名になったのは、家具販売の IKEAが、「スマホや特殊なメガネ越しに自分の部屋を見ると、今度 購入者が IKEAで買う予定の家具が設置場所にうまく収まるか、などの確認ができるアプリ」を開発して「AR = 拡張現実」という略語で呼び始めたからでした。IKEAの家具の購入者を通して、「AR = 拡張現実」は定着したと見るべきでしょう。

 しかし、私の「VRの構成要素図」では、ARもVRと同じになります。
   視野の 3分の2以上のスクリーンの映像 = ディズニーランドで裸眼で360°の周囲を観たときの光景
であることを、ダグラス・トランブル氏が 体感劇場で 証明しています(後述します)ので、この二つは同じものです。

 信号が赤であれば、車が来てなくても立ち止まろうね、と、さだまさしさんが仰っています。私も賛成です。ここで、私や さださんは、「都市」や「法律」というバーチャルリアリティを現実の空間にスーパーインポーズして、赤信号のときに立ち止まっているのです。一方で、(小澤征爾さんによれば) 指揮者のレナード・バーンスタインさんは赤信号でも走っている車の間を器用にすりぬけて ニューヨークの広い道路を渡って見せたそうです。しかし、すべてのニューヨーカーが そうしている訳ではないので、バーンスタインさんの場合は(作曲家でもあるので)「都市」の空間も自分なりの独自の規則が与えられる場所だ、と考えていたのかも知れません。ただし、これは私個人の考えです。赤信号で立ち止まることは、イコール、ディズニーランドで出会ったミッキーは「ぬいぐるみ」ではなく本物のミッキーマウスだったと納得できること、ではないかと私は思っています。
 つまり、ARで見えている自分の部屋も、現実の部屋 そのものではないのです。その部屋は、ARのアプリを立ち上げたとき「家具が置けるバーチャルな舞台」だと観客が認識している空間です。カントも「現実世界の物自体は人には認識できない。感覚を通してバーチャルな印象が脳に与えられるだけだ」(意訳)と言っています。赤信号のときに立ち止まっている私は、日生劇場まで出かけて行って ギリシャ悲劇の『オイディプス王』の舞台を観ているとき、舞台上が紀元前のテーバイの地だと思って観ている私と「正確に同じ」人物です。という事で、繰り返しになりますが、
   視野の3分の2以上のスクリーンの映像 = ディズニーランドで裸眼で360°の周囲を観たときの光景
なのですから、VR(人工現実) = AR(拡張現実)なのです。


 画像借用元:https://www.oupjapan.co.jp/ja/products/search?combine=Antigone%2C+Oedipus+the+King%2C+Electra&combine_1=All
 ※ 説明が長くなりましたので、大画面のスクリーンと HMDの視野が等価だ、という詳しい説明は、また今度にさせて下さい。

 また、2016年4月から7月までの「サザエさんのオープニング映像」には、サザエさんが VRゴーグル(サナリス社の「VRボックス」)を掛けて 佐賀県の「三重津海軍所跡」を眺めている様子が描かれました。サザエさんは VRゴーグルを通して、現在の景色の位置に置き換わった 昔の佐賀藩の船の管理・教育施設の様子を観ていたのです。このように現実の周囲の360°の光景を別の映像で置き換えるのが、SR( Substitutional Reality、代替現実)だそうです。このとき サザエさんは、現実の光景を記憶に留め、「もしも、過去の景色が ここから見られたとしたら、こんな風に見えた筈だ」と思われる景色を眺めていました。 2016年の VR業界には、こうした出来事がいくつかあったので、(2度目の)「VR元年」と呼ばれました。


画像借用元:https://twitter.com/sumarebi/status/719111076382507008?lang=pl

 この SRというリアリティ技術は、なかなか優れた方法で、東京の日本橋などでも観光に活用されたと聞いています。首都高の無い日本橋の空だったら、観てみたいですね。ですから、
 良く考えれば、SR(代替現実)も、VR(人工現実)の応用技術だったのです。

 ところで、
   視野の3分の2以上のスクリーンの映像 = ディズニーランドで裸眼で360°の周囲を観たときの光景
であることを ダグラス・トランブル氏が証明した、というのは、こういうことでした。


 「体感劇場」(ハリウッドクオリティの映像揺動)という上演装置を、ダグラス・トランブル氏(「映像の魔術師」)が初公開したのは、1976年のことでした。IAAPAという国際パークアトラクションの展示会で、ベスト・ニューアイデア賞を受賞しています。トランブル氏は、『未知との遭遇』(1977年)『ブレードランナー』(1982年)などの視覚効果で世界的に有名な特撮監督です。彼は、この「体感劇場」を開発する過程で、スクリーンサイズが観客の視野の3分の2以上あれば、観客は「スクリーン上の映像に没入して、それを実際に見える世界と同じように感じている」という映像のマジックを見つけました。観客の身体に微弱な電流を通して、うそ発見器と同じ原理で見つけたのだそうです。大画面は、彼の「体感劇場」の特許の一部になりました。この「大画面でリアリティ = 臨場感が増す」という視覚の特性については、映画館の業界で、1950年代のテレビの台頭による入場者の減少を映画の大画面化によって乗り切った出来事も思い出されます。シネマスコープ映画(1953年の『聖衣』など)の登場によってです。ですから、トランブル氏は、そのときの映画館業界の対応が観客のリアリティを高める方法として非常に正しかった ということを、後から証明したことになります。

 ということで、成功したVR作品では視覚的に、
   視野の3分の2以上の大画面、か、あるいは、
   HMDの使用か、あるいは、
   ディズニーランドのように視野に見える全てを 映画のシーンと同じような景観で埋め尽くす、
そのいずれか、が用意されていたことになります。

 VR作品の観客は、仮想と現実を取り違えることは ありません。大きなスクリーンに映像が見えている間だけ、映画館にいるときと同じ没入感を 作品に対して感じています。(繰り返しますが、ネット動画も なるべく大きな画面で観るほうが良いと思います。) また、観客が ディズニーランドの塀の内側にいる間だけ、「自分は夢の国にいる」と感じているのです。「演出された空間」の実例が、ディズニーランドです。HMDについての説明は、ここでは略させて下さい。
 そして、Augmented Relity(拡張現実)などでは、自室の家具を置く予定の「実物の空間」を(ディズニーランドと同じような)演出された空間だと「見立てて」、VR作品の借景に利用しています。ということで、
   「大画面の映画」+「多感覚」+「インタラクティブにバーチャルな世界が操作できること」
が揃って バーチャルリアリティが完成する、というときの、
   VRにおける構成要素としての「大画面の映画」
について、ここまで長々と解説をしました。少しだけ分かって頂けたでしょうか。

 これで ようやく
   VR作品を解説することが、どうして テーマパークVRの理解に役立つのか、
の片りんが見えてきました。

 ※ しかし、ヒッチコック監督やホークス監督と比較しても、AS-1『スクランブル・トレーニング』や『VR-1』のシナリオは、VR作品として傑出していました。このお話は、改めて書いて行きたいと思います。

 VR奥儀皆伝( 8½ )『謎解き・テーマパークVR』(4)「IVRCに見る VRと 体感劇場(後半)」はこちら。→ こちら
 ( 8½ )「暫定総目次
 『バーチャルリアリティ奥儀皆伝( 8½ )』 (6)に続きます。 → こちら

( 8½ )(4)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2020-07-17 | バーチャルリアリティ解説
第四回 IVRC作品に見るVR と体感劇場 (後半)
                          【( 8½ )総目次 
 前回(第三回)に述べた IVRC2008作品の 『人間椅子』は、「体感劇場」でした。VR作品ではありません。( 『人間椅子』 IVRCアーカイブ: http://ivrc.net/archive/%E4%BA%BA%E9%96%93%E6%A4%85%E5%AD%90-2008/ ) そして、今回ご紹介する 『虫HOW?』は 明らかにVR作品です。



 最初に、「体感劇場」と「VR」の違いを理解しておきましょう。VR奥儀皆伝(8)を一部、再掲します。

 「VRが道具である、ということを、東大名誉教授の舘暲(たち すすむ)先生は強調されています。『バーチャルリアリティ学』( コロナ社、2010年 ) p.10に、舘先生は、道具としてのバーチャルリアリティ として、
   創造のための道具、制御のための道具、通信のための道具、
   解明のための道具、教育のための道具、娯楽のための道具、

という VRの特徴を列挙されました。道具である限りは、操作者の自発性によって始動され、改善の提案も操作者だけから聞くことができます。」

 あなたがセガの70インチ大画面の通信プレイ型レースゲーム 『バーチャフォーミュラ』(1993年)の座席に腰を下ろしたところだ、と考えてみて下さい。これは、VR(「娯楽のための道具」)です。ここで、プレイヤーである あなたがバーチャルな世界に何かの働きかけをしなくては、ゲームは始動しません。
   フォーミュラカーの アクセルを踏む。ハンドルを回す。などなど。
   プレイヤーが 「入力装置」を操作し、「道具」を働かせて (初めて)
   このVRゲームは前に進みます。( 家庭用ゲームも、同様です。)

 逆に言えば、
   観客が入力装置を操作するまで、バーチャルな世界に変化は生じない、
のです。(業務用ゲーム機も、100円を入れるまでは映像の繰り返しです。)

 ですから、その作品が「VR」なのか「体感劇場」かを判別するポイントは明確です。『虫HOW?』は、観客 = 体験者が手袋をはめた手をスクリーンに触れるとアリたちが寄ってきました。しかし、ここでは、『人間椅子』を短く復習して、「体感劇場」とは何かを 改めて整理しておきましょう。


 『人間椅子』の場合は、最初に観客の膝の上に座布団が固定されました。もし仮に、私が、「どうしてもこの体感劇場型作品をVRに変えたい」と強く願っていた場合には、プレイヤーが主導権を持って入力装置を操作することがシステムの始動につながるような改変を行なっただろうと思います。そうすれば VRです。

 例えば、隣の椅子にあった「人の太ももの動きを感知するマット」(入力装置としての座布団)を、観客(プレイヤー)のお尻の下に移動します。そして、太ももの動きが (仮に) 20秒遅れで観客の膝の上の座布団(表示装置としての座布団)に伝わるようになっていれば、この装置は「VR」です。しかし、

 それは、小説『人間椅子』の世界観に無関係な VRシステムです。

 ですから、私は VRじゃないからだめだと言っているのでは無いのです。

 もし、『人間椅子』が 「椅子のぬいぐるみ」に観客(体験者)が包まれる、という仕様で作られていたら、「外の映像が見えない」不安感と緊張感から、この作品は体験者の膝に圧倒的な現実感を与えていたのでは ないでしょうか。
   観客は、目隠しをされているのと同じ状態で、
   膝の上の座布団には、隣の椅子に座った他人の太ももの思いもかけない動きが伝わります。
   「女を神聖で怖いものとして、顔を見ることも遠慮していた私が、薄いなめし皮一枚を隔てて
   (女性と)密着している。」

   それは「驚天動地の大事件」なのではないでしょうか。

 ※ そうでした。椅子のぬいぐるみでなく、「目隠し」でも良かったのですね。今、これを書いていて気が付きました。

 ともあれ、それが、小説『人間椅子』という触覚提示装置の文学的表現を「リアリティを持って」実装するための工学的演出でした。しかし、IVRC2008の『人間椅子』には目隠しも無く、大変残念なことに世界観の演出が不徹底だったのです。そして、この作品の場合は 「体感劇場」であることが必須でした。

 演出の不徹底は、もう一つありました。閨秀作家の 佳子についてです。

 実は、IVRC2008で これを体験してから、ずっと 「何かが足りない」と考えていました。佳子の存在でした。彼女は手紙を読んで、 「オオ、気味の悪い」と感じたのではなかったでしょうか。しかし、展示中の隣の椅子の人物は、まったく気持ち悪そうでは ありません。
 彼女は、気付かない状態で太もものデータを提供しているのだから、あれで構わない。と、そういう考え方もあると思います。しかし、それで十分でしょうか。これは私の思い付きですが、マネキン人形の廃棄されたものを貰ってきて、隣の椅子の人はその壊れた人形の膝に腰かける演出でも良かったのかも知れません。

 これは、展示作品『人間椅子』のブースの世界観を どう造るか、という演出プランの話です。

 要は、その作品展示で観客に何を感じて貰えれば成功かを、深く深く考えることが必要なのですが、

   ここまでで言いたかった事は、
   VRと体感劇場の違いを理解した上で、
   「これは 体感劇場です」と開き直る演出も場合によっては必要だ、ということでした。

 ところで、『人間椅子』の演出に、「マネキン人形」が必要だったかどうかについて、少し本筋から脱線します。IVRC2008で優勝したチームは、「YOTARO」でした。( 『YOTARO』 IVRCアーカイブ: http://ivrc.net/archive/yotaro-2008/ )筑波大学、チームおたまじゃくしの作品です。
 予選のYOTAROは、シリコンの薄い膜に背面投射で赤ちゃんの顔を映して、顔を撫でたり、突っついたりしてコミュニケーションを取るという(だけの)作品でした。しかし彼らは、予選 → 決勝戦の間に、「その作品展示で観客に何を感じて貰えれば成功かを、深く深く考え」たようでした。
 記録ビデオの映像を見て頂ければ分かるのですが、メンバーはエプロンを着けました。展示コーナーにはカーテンが用意され、ベビーベッドが持ち込まれました。YOTAROには身体が用意され、四肢も1/fゆらぎアクチュエーターで動かして、より現実の赤ちゃんに近づけました。顔のシリコン膜も3㎜から2㎜に減らして、ぷにぷに感を増やしました。表情も、「寝ぼけ→ごきげん→うとうと→ねむり」という4ステップの循環型感情モデルを導入したそうです。顔を撫でるだけでなく、ガラガラで与太郎をあやすこともできるようになりました。審査員は背面投影の機構を覗きたがるので、バックステージツアーの見学順路も決めました。私が驚いたのは子供部屋の演出で、細かく内装が施され、詳細に手書きされた「育児日記」がベッドサイドに置かれていました。「YOTARO」は文句なしの総合優勝と、Laval Virtual賞を受賞しています。



 全チームにそれだけの完成度を要請するつもりは ありませんし、例えば、目隠しして演出が向上する作品であれば、内装には あまり凝る必要も無くなります。しかし、「YOTARO」が、その作品展示で観客に何を感じて貰えれば成功かを深く深く考えたことについては、参考にして欲しいと思いました。

 それで、佳子の椅子には マネキン人形を置いて、その膝の上にデータ取得のマットを置くのは どうだろう、と考えたのです。観客で、佳子の席に座って頂いた女性にとっては、機械越しに太ももに触られる(だけ)というハプティクス感も何もない「物足りない」(?)展示でした。せっかく展示に協力して下さったというのに、「居心地の悪さ」には欠けました。せめて、壊れたマネキンの上に座るという「異様な体験」で、この作品は長く記憶に残ったのではないでしょうか。そもそも、乱歩作品のコーナーに「マネキン人形」が置いてあれば、礼儀としてだけでも観客は中に死体が入っていないかどうかを確認するのではないでしょうか。

 すいません。江戸川乱歩が長くなりました。「体感劇場」の説明は、ここまでです。

 さて、今回 ご紹介するVR作品は 『虫HOW?』というタイトルで、IVRC2007の総合優勝に輝きました。Laval Virtualの招待作品にも選ばれ、SIGGRAPHにも出展しました。大変に良くできたバーチャルな触覚のリアリティを感じさせる作品です。
 最終的な作品の仕様は、観客が手袋をつけてモニター画面に触れると 「大量のアリ」やゴキブリが腕を這い上がってくる、という「触覚系ホラーVR」の体裁にまとめられました。しかし、電気通信大学、チームたまごちゃんリーダーの松尾さん(着想者)は、草原で寝っ転がっている時に洋服の袖からアリが這いあがってくるところを妄想して、なぜか「気持ちがいい」と感じたそうです。それで、ゴールとしては 『気持ち悪いけど、気持ちいい』を目指したのだそうです。
 作品仕様 : https://kaji-lab.jp/ja/index.php?plugin=attach&pcmd=open&file=mushi-oukan2011.pdf&refer=publications


 ( 『虫HOW?』 IVRCアーカイブ: http://ivrc.net/archive/%E8%99%AB-how-2007/
 画像借用元: https://news.livedoor.com/article/detail/3989991/   Livedoor Newsによる取材記事
 写真は、チームたまごちゃん提供


 この作品は、VR作品として、とても理解しやすいと思います。
 観客は手袋をつけます。モニター画面には、アリが動いています。
 観客が、手をモニタ画面に当てます。
 すると、
 ざわざわざわ。
 手袋の内側の多数の小型モーターに取り付けられたテグスが、皮膚をカリカリ、一斉に弾きます。Laval Virtualや SIGGRAPHで、ごきぶりを腕に感じた屈強な外人男性が「ギャーッ!」と悲鳴を上げて、バーチャルなゴキブリを腕から振り落とそうと飛び跳ね始めたそうです。(梶本裕之先生から伺いました。)

 このVR作品は、重要なことを いろいろ教えてくれています。

 先ず、テグスという素材を見つけたことは、大変優れた着眼点でした。「VR作品の製作」というのは、作業の過半が「調整」です。もし、金属系の素材で、観客に触覚を与えようと計画していたら、完成までに多量の血液が失われていたことでしょう。(金属による触覚を試みた別のチームの作品開発では、みみず腫れが絶えなかった、と伺いました。)昔は、IVRCは「学生対抗手作りVRコンテスト」でした。「国際」が入ったことで字面が長くなり、「手作り」を やむなく外しましたが、なぜ「手作り」だったのかというと秋葉原の部品屋さんには必要な部品が無く、自作していたからでした。

 最先端のテクノロジーは、試作機を「手作り」する必要があるのです。

 セガ・エンタープライゼスの AM5研というのは、AM4研から分離独立したテーマパーク・アトラクション開発の専門部署としてスタートしましたが、メカトロニクスを自作できるのが強みでした。AM4研からは、UFOキャッチャーや プリント倶楽部が誕生しています。AS-1は、AM5研が中山社長に稟議書を持って行って開発許可を頂いた作品で、AM5研の倉庫(工作室)で開発しましたが、筐体デザインをしてくれたのは AM4研から移籍したデザイナーの Yさんでした。AM5研の倉庫では、リュック・ベッソン監督を AS-1に乗せてあげたことがあります。(後で後悔しました。映画 『フィフスエレメント』に、ある場面を まるごとコピーされたからです。)その少し前(1990年)には、AM4研の倉庫で R360が開発中でした。あるとき私は「感想を聞きたいので是非乗って欲しい」と言われて R360の試作機をプレイしたのですが、私が感想を言う前に、開発者が「ポケットの物は何も無くなっていませんね。良く筐体の底に落ちるんです。あっ」と言って、底から取り出したのは開発者自身の時計で、失くしたと思って探していたそうです。あの頃のセガのメカトロニクスの倉庫は、夢の国でした。誰かの言葉をもじって言うと、世界は R360の素晴らしさを体験した人と、していない人の 2種類に分けられるのかも知れません。R360を出展した米国の国際パークアトラクション展示会 IAAPAでは、ディズニー・イマジニアリング社の副社長ら大勢が駆けつけて来られて、「この作品の全世界の興行権をディズニーに譲って欲しい」と真剣に頼まれたほどでした。ちなみに、AM4研は ポップコーンの自販機も作っていたので、深夜作業でおなかがすくと、全員がポップコーンを食べていた時期があったそうです。

 何が言いたいのかというと、最先端のテクノロジーを創造したいと思ったら、「手を動かしなさい」ということです。IVRCの伝説の触覚インタフェース、田植えの長靴の泥の感触を感じさせる 『おこめっち』(1997年)では、安藤英由樹先生たちのチーム Biomechは自分たちの必要なモーターを「手作り」で自作しました。適当なサイズの部品が見つからなかった、というより、未来創造作品の部品が、たまたま秋葉原の部品屋さんにあるのは余程の幸運です。J-Stageに仕様が公開されています。https://ci.nii.ac.jp/naid/110008746626  IVRCーカイブ

 ですから必要なメカトロニクスを開発できる能力が、最先端という言葉の意味なのです。

 『虫HOW?』に、話を戻しましょう。

 感覚に結びついた人間の記憶(過去の体験)は、無意識に肉体的反応を引き起こします。

 ユニバーサル・スタジオの 『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド』(BTFR、1991年)では、おそらく観客は過去の地震や よろけた体験を思い出したのではないでしょうか。揺動の刺激に、観客は思わず足をふんばって、そして「ふんばったこと」で画面の向こうの世界に臨場感をもって没入してしまったのではないでしょうか。観客は、試作機のデロリアンに乗って、ビフを追跡していました。前を行く盗まれたデロリアンは、空中で揺れていました。ちなみに、開発者のダグラス・トランブル氏は、没入感を immersion feeling と言っておられました。realistic feeling という意味です。

 そして、アリやゴキブリの感触(触覚)も、同じように過去の肉体的記憶と結びついています。

 しかし、「ギャーッ!」という反応は、アリさんやゴキブリさんに対して失礼では ないでしょうか。
 現在、USAでは、過去のアフリカ系アメリカ人や先住民、そして女性に対するハラスメントの歴史を誤りだったとして、企業の役員から排斥しています。同じロジックで言えば、アリは1億年前から、ゴキブリは3億年前からの地球の先住民でした。人間の化石なんて、せいぜい20万年です。
 必要になるのは、生態的な棲み分けと 出会った際の礼節ある交流ではないでしょうか。

 そもそも、ゴキブリが出たのは、台所のゴミを寝る前に片づけなかった自分のせいです。

 「ギャーッ!」という悲鳴ではなく、呼び出すべきは自らの「理性」で、ゴキブリのいる理由の分析と対策を考えるべきでしょう。もしかすると、懐いているのかも知れません。自分(ゴキブリ)をペットにするために台所のゴミをエサとして人間が用意してくれた、と考えたのかも知れません。それなのに丸めた新聞紙で叩かれたら、卑怯な仕打ちだと思いませんか。相手に敵意のないことを、思念や言葉で伝えましょう。こうした状況に冷静に対処するための訓練装置として 『虫HOW?』を捉えてみれば、優れた「教育のための道具」ではないかと思います。ともあれ、小型モーターの製作と実装は、本当に根気のいる手作業だったことでしょう。

 それで、ここからは、参加学生にとっての企画案の範疇になりますが、

 『人間椅子』は、膝の上の他人の体重と その太ももの形状(触覚による推測)を数理モデルに変換して、モーターとベルトで再現する「体感劇場」型のリアリティ装置でした。『虫HOW?』では、皮膚を虫の這う触感の数理モデルが、モーターとテグスで再現されました。
 どちらも、
   触覚 → 触覚を推測させる数理モデル → バーチャルな触覚
 「バーチャルな世界」におけるコンテンツとして構築されています。

 でも、例えば、原子力発電所のお掃除ロボットなどは、自分の周囲の高い温度を「そのまま」遠隔地に送って再現するのでは ありません。温度 → 指数関数的な数理モデル → 温度、と低い温度表示に変えて表示する場合がありますし、同時に、点滅するライト「視覚」や警告音「聴覚」に測定温度を変換して伝送することもできます。つまり、VRでは、いったん数理モデルを経由することで、1対1ではなく多感覚の混在が作品世界にできるのです。例えば、SF小説の古典、アルフレッド・べスターの『虎よ、虎よ!』(1956年)では、時間ジョウントした主人公の視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触角は複雑に入れ替わりました。

 音が「見え」たり、手触りが「味覚」に変わったり。工学的な言い方をすると、「感覚刺激の時間の経過」は、文法的な構造に変換されることで「数理モデル」としての多感覚の統合が可能になったことになります。上等のプリンに醤油をかけると「ウニ」の味がしますし、キュウリに蜂蜜で「メロン」、ゆで卵の黄身に蜂蜜で「栗」になります。これと同じことで、モーターとベルトは「異性のふともも」の感触に変わりました。モーターとテグスは、「アリ」や「ゴキブリ」に変えられたのです。

 ※ 『虎よ、虎よ!』の雑誌掲載時の題名は The Stars My Destinationです。活字によって「多感覚の遷移」を試みたことは見事でした。

 デカルトの生きていた17世紀には、ガリレオのように天体の運行を地動説などという珍奇な「数理モデル」に変換して民心を惑わすことは「魔術」だ、とされていました。違法ドラッグだ とか(そんなものはありませんが)違法RPGゲームだ、使用を禁止する、ということです。ガリレオが検邪聖省から言われたのは、「お前は地動説を唱えてジョルダーノ・ブルーノのように火あぶりにされるか、それとも、地球は動きませんという誓約書に署名して一生自宅で謹慎しているか、どっちが良いか?」という二択の質問です。ガリレオは迷わず、後者を選ぶことにしました。それを聞いて、デカルトは計画していた自著の出版を取りやめてしまったのです。本を書いて火あぶりにされては、割に合いません。しかし、21世紀のテクノロジーは、(魔法みたいに)多感覚を相互に入れ替えてSF小説を現実化できるまでになりました。「数理モデル」で Society 5.0を構築するという計画は、F・ベーコン、ガリレオの時代だったら禁止されていたことでしょう。そして、学生の IVRC作品が工学的に具象化することについての固定した概念を境界侵犯してくれることで、人類にとって有益な魔法が、まだ数多く残っていた、ことが明らかになりつつあるのです。だから、『人間椅子』は猥雑性を招き寄せるパンドラの箱であったのと同時に、人類社会に残された「希望」でもありました。私がマネキンの足にこだわった理由が、分かっていただけるでしょうか。

 ちなみに、IVRCというイベントは、舘暲先生が(日本VR学会の設立される3年前の)1993年に世界で初めて発足させた 学生の「手作りVR」作品コンテストです。当初は 日経BP社の後援で、第1回は天王洲アイルのスフィアメックスで展示されました。 http://ivrc.net/archive/year/1993/ 2020年からIVRCの新実行委員長をされている稲見昌彦先生は第1回の総合優勝チームです。作品応募受付、会場設営、審査などは 前田太郎先生が担当されましたが、あまりに膨大な作業量なので、運営を学生たちに任せるという方針を決めて「学生の 学生による 学生のための」IVRCという基本スタイルが この時できたようです。OBが後輩の面倒を見ることは、IVRCの誇らしい伝統です。実行委員は、ほぼ全員がOBか優勝チームの研究室代表者ですので、参加学生は、例えば 今後の国際学会応募のためのシステムの改善なども遠慮せずに相談して下さい。

 昔のIVRCの展示では、会場で いきなりバックアップも取らずにソフトの上書きを始める学生が多く、公開初日には3分の1くらいが「調整中」になっているというのが普通でした。しかし、NTTドコモの 福本雅朗 実行委員が、「一般的に言って、国際学会の展示会にメカトロニクス系展示の企業が持っていくデモシステムは、出国直前に一度研究室で動いたものを全部ばらばらにして、再度組み上げ、動けば問題ないと判断して持って行く」 という企業出展者の慣行を公開して下さったことなどから、最近は故障による「調整中」が減りました。また、明和電機の土佐信道さん(審査員)が、作品の創り上げた「世界観」への観客のバーチャルな没入を削ぐことになるので 展示時の「ガムテープ禁止」を謳ったことなどから、見栄えが良い作品も増えています。というか、観客にバーチャルな世界に没入して貰おうと普通に考えたら、そうなりますね。

 1997年から2008年までの決勝戦の舞台は、岐阜県VRテクノセンターでした。岐阜県の梶原拓知事(当時)には長きに亙って、IVRCは本当にお世話になりました。この時代に、IVRCに何が必要なのかが見えてきました。国際会議への採択も常連になり、Laval Virtualとの交流が始まったことも、また機会を見てお話ししましょう。
 小泉直也先生がIVRCアーカイブ 
http://ivrc.net/archive/ を本当に努力して完成させて下さいましたので、この頁を参照して下さい。10周年の時に白井暁彦さんたち映像記録メンバーが苦心して まとめて下さった記録もありますから、IVRCは入賞作品の歴史が大変調べやすくなっています。当時主流だったデバイスの確認も一目で できますから、VR技術の歴史資料として非常に便利 かつ貴重です。

VR奥儀皆伝( 8½ )『謎解き・テーマパークVR』(3)「IVRCに見る VRと 体感劇場(前半)」はこちら。→ こちら

『バーチャルリアリティ奥儀皆伝( 8½ )』 (5)に続きます。 → こちら

( 8½ )(3)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2020-07-10 | バーチャルリアリティ解説
第三回 IVRC作品に見る VRと 体感劇場(前半)
                          【( 8½ )総目次 
 このWeb頁を開設した目的は、VRのイメージを皆さんに手っ取り早く お伝えすることです。

 現在、稲元章博さんの画期的な テーマパークの「運営」についてのノウハウ集を出版する準備を進めています。私は補論として、「テーマパークとは何か」とか 「テーマパークVRアトラクションとは何か」「あとがき」に追記しているのですが、VRの「概論」を詳しく書いても あまり読者の興味を引かないように思いました。でも「VRとは何か」を書かずに、VRアトラクションだけを解説するような器用な真似も できません。
 それで、面白いところを かいつまんで このWeb頁で先に 「VR概論」を ご紹介しようと思いました。【 なお稲元さんの書物と 出版の詳細については、追って この個所に記載します。】

 ついでに言うと、「工学概論」 つまり「工学とは何か」を議論しないで、ただ単に「売れているから」だけで VRを開発すること(消費者に理由を押し付けて商品を開発すること)が少し頭がおかしいという事や、そもそも「21世紀の人類にとって マンマシン・システムについて教育したり実際に構築して商品を製造し、販売することの意義は どこにあるのか」を議論しないままでは、例えば 「福島の多くの地域で人が住めなくなったのは誰の責任か」を問うこともできない、ことに、2011年以降の世界の人たちが気が付き始めています。
 持続可能な開発目標(SDGs)が国際社会の目標になった事も、そのことの露われでしょう。
 ちなみに、横幹連合という学会の連合組織では、吉川弘之先生の提唱で エルンスト・カッシーラーやレヴィ=ストロースなどの用いた評価軸、そして統計学の歴史の検証や 衛星からの地球環境のリアルタイムの監視などを参照して、デカルト以降の近代を読み返すということも始めています。20世紀という「戦争が儲かる」時代 「儲かるから戦争をする」時代が 冷戦の終焉と朝鮮戦争の終結で消え去ったあとに、21世紀が始まっているようです。


 ところで、「テーマパークVRアトラクション」を解説する材料には、幸い事欠きません。国際学生対抗VRコンテスト(IVRC)で参加学生の皆さんにお話ししていた内容や、群馬大学社会情報学部の学際領域授業で 1998年と99年に 夫々720分を使って行なった「インタラクティブ・パークアトラクション」の授業のレジュメから取り混ぜてお話しします。VRの開発技法についての話が中心になりますから、『むかしセガ・エンタープライゼスという会社があった』を読まれて もし 90年代のアミューズメント市場の話がもっと詳しく聞きたいという方がおられた場合は、ご容赦下さい。
 その場合は、有料になりますが こちらの書籍をご参照下さい。横幹〈知の統合〉シリーズ 『カワイイ文化とテクノロジーの隠れた関係』(東京電機大学出版局、2016年)の「第5 章 かわいいとインタラクティブ・メディア」(拙稿)が参考になるかも知れません。
 書籍の拙稿では、
   「UFOキャッチャー」「テトリス」 → 郊外型施設(250坪以上) → 再び都市型大型施設
という80 - 90年代のゲーム施設の流れを解説しました。論拠があり、この目で見た事を書いています。

 ちなみに、そこでは 『オシャレ魔女♥ラブandベリー』(2004年)を 少し紹介しました。


         https://dengekionline.com/data/news/2006/11/14/b166aa1d7372159380ab7da012ca3d26.html
 「おとうさんのつれづれ子育てBLOG」と「電撃オンラインNews」より

 この業務用ゲーム機は、植村比呂志さん(『甲虫王者ムシキング』でも有名です)の代表作の一つですが、もしもセガの大川功会長がガンで逝去されずに「中山隼雄社長+研究開発本部(R&D)の 鈴木専務と佐藤取締役(当時会長)」という 業務用機の 金の卵チームの再集結が 2001年に決められて、もしも 2004年以降もその体制がセガにあったとしたら、と仮定した場合に限ってですが、その後の 20年間くらいは新しいマーケット・ジャンルの「百貨店のアパレル販売戦略+カードゲームという新市場を開拓する商材になっていたかも知れません。(某社のポケモンのように子会社して、全社の協力が得られる体制にすれば 長持ちしたかも知れません。)もしかすると、現在の百貨店におけるアパレル販売の劣勢も「ラブ and ベリー」の展開が大成功していれば、それと一緒に盛り返せていたかも知れないとも思います。
 そういえば、セガの郊外型市場を確立した施設運営部門の N課長は、昔 新規のアパレルブランドを百貨店に立ち上げる仕事をしていた方でしたから、そうした分野の専門家と相談して戦略を立てれば、例えば、東京ジョイポリスに女性のグループが増えることなどで ジョイポリスの物販の売り上げ比率も ずいぶん好転していたかも知れません。
 この業務用ゲーム機は、本来の遊び方は 1回100円で一枚出てくる「おしゃれ魔女カード」を たくさん集めると楽しいゲームです。洋服や髪形、靴をコーディネイトしてアバターである「ラブ」ちゃん「ベリー」ちゃん に着せ替え、TPOに合わせた舞台のオシャレパワーと彼女たちのダンスの総合ポイントが評価されました。女児向けのカードゲームとして累計2億7300万枚(2008年6月末の公式発表)という膨大な市場を開拓しています。このゲームでは、「母親が娘のファッションセンスを鍛えて娘を世の中に自信をもって送り出せる」ことから、実際の全国の多数の百貨店の「LB Style Square」という店舗で、このカードに連動した現物のアパレル商品が飛ぶように、一部の店舗では「奪い合いの大騒ぎ」をもって販売されました。
 ちょっと厳密な話をすると、ゲーム機自体は「モニタ画面が小さい」ので この作品自体は VRの定義に、あてはまりません。しかし、バーチャルにおしゃれした娘のイメージを「現実の世界にスーパーインポーズできる」手段として「LB Style Square」という現実のショップがありましたので、この店舗を含めたシステムは大変貴重なVRのマン・マシンシステムでした。例えば、養老孟司先生でしたら、この作品を「都市がVRで構築されている」ことの証拠であると認めて下さるのではないかと思います。
 評論家の 浦達也氏が カッパサイエンス 『仮想(バーチャル)文明の誕生』(1992年)で預見したのは、ゲーム機の画面の中の価値観、「現物としては存在しないけれど、現実にあるものと同じ効果を持つ Virtualな存在」が、例えば、母親の意識の中で「実際の社会の中の娘の姿」にスーパーインポーズされて 実際に商品が売れるだろうという将来像でしたから、実際に、その通りの新しいマーケティング方法、つまり、世界認識の確立が成立していました。
 それは、現実と仮想(虚構の妄想)を ストレス過多の現代人が混同する、といった粗っぽい(しかも あり得ない)議論とは、まったく別の話です。今思うと、第二回 登場の A編集長は「VRの将来の高性能化で 現実と仮想の区別ができなくなることが問題なのだ」と発言して、視聴者が中世の魔女裁判と同じロジックで 「空飛ぶ魔女が現実に出てきた、ゴジラが実際に上陸したと錯覚する人が出てくるから、VRは怖いんだな」と受け取りかねない表現を自覚しないままに 影響力の大きいテレビで 口にしました。VRの訳語として「仮想現実」を使っている方は、留意して頂きたいと思います。

 ※ 1938年のオーソン・ウェルズのラジオ『宇宙戦争』で大パニックが起きた、とする都市伝説は、有名な社会学者の書いた著書が当時の誇張された新聞記事を、もっと誇張して書いたことで、起きなかった大パニックが書籍から無批判に信じられてしまった伝説でした。何かに似ています。

 ともあれ、先を急ぎましょう。IVRCに話を戻します。

 今年もIVRCは 開催されています。ご注目下さい。→ IVRC.net : http://ivrc.net/2020/

 ああ、なんと、読者の皆さんにとって幸せなことだったでしょう。江戸川乱歩氏の名作、『人間椅子』は、青空文庫という文学資料庫の一作品として、誰でも無料で いつでも読める時代が訪れたのです。かように申しますのは、もし青空文庫というバーチャルな世界が準備されていなかったとしたら、皆さんの何人かは、この大正文学の傑作のひとつを読まないままに一生を過ごすという味気ない世界を生きなくてはいけなかったかも知れないからです。
 【青空文庫 江戸川乱歩 『人間椅子』】 https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/56648_58207.html

 あなたが、今、腰をかけている大型のアームチェアには誰か知らない異性が息をころして潜んでいて、その人物が あなたのしなやかな身体を椅子の中から「体感」しているのでした。そのことを伝える見知らぬ人物からの手紙に、美しい閨秀作家の主人公 佳子は 「オオ、何と気味の悪い」と悪寒を覚えました。
 それは まあ何という、不思議千万な情景だったことでしょう。


 画像借用元:http://ivrc.net/archive/%E4%BA%BA%E9%96%93%E6%A4%85%E5%AD%90-2008/
 IVRCアーカイブ、『人間椅子』(2008年)

 IVRC2008に参加した ある学生たちは、「大型の椅子に潜んで、自分の身体の上に他人の人体を感じるという不思議な感触に惑溺する情景」をVRの作品にしようと考えました。江戸川乱歩氏は、日本文学の中でも触覚の描写や 「パノラマ劇場」の視覚効果を筆にしたことで特記される文学者です。小説家の島田雅彦氏は、そういう意味で乱歩のことを 「バーチャルリアリティの作家」だと評しました。ただ、開発者たちは 乱歩のこの作品を触覚提示装置の文学的表現として捉えきれておらず、そのことは残念ながら作品の世界観を再現する際の限界となりました。
 ここで この作品を取り上げる理由は、狙いは良かったのに「惜しい」と思えた個所が いくつも目についたからでした。審査員特別賞 を受賞した見どころのある作品でしたから、実装で間違えた個所を指摘することは 後輩たちのためにも参考になる、と 彼らも認めてくれると思うからです。
 さて、彼らが入力装置に用いたのは 2台の「バランスWiiボード」でした。腰かけた人の右足と左足の尻側・膝側の4つの加重値が、リアルタイムに測定されました。Windows PCへのデータ送信は、先輩の南澤孝太さんが公開してくれたプログラム( http://minamizawa.jp/wii/ )を使って、Bluetooth接続で飛ばしました。
 さてここからが、大変です。このデータは、隣の椅子に腰かけた人( 小説『人間椅子』の「私」 )の太もも上に置いた黒い座布団に送られます。内蔵された4つのモータの出力電流が決定されて モータを用いてベルトを巻き取ることで、太もも上の座布団は、太ももに押しつけられて行きます。
 シンプルなのに 効果的。確かに、自分の太ももに誰かが座ったような印象が 感じられました。
 ただ、審査員の評価は低かったのです。一言で述べれば、彼らの間違いは、「観客」がマン・マシンシステムに組み込まれて初めてVRという装置が完成することの見落としでした。彼らは、小説『人間椅子』のVR化を、4点の加圧重のリアルタイムの遠隔送信、と(だけ)捉えて、腰かける人と腰かけられた人の椅子を向かい合わせに配置することにしました。しかし、これは、小説『人間椅子』では「私」の感じたリアリティを削ぐ方向に働きました。
 このことは、VR作品の開発者が うっかり見逃す事実なのですが、インタラクティブな作品では 観客のほとんどは「開発者と違った感覚」で その作品を眺めているのです。100人の観客がいたら、そこには100個の違ったVR作品が置いてあると考えてみるようにして下さい。繰り返しますが、
   毎回違った「観客」がシステムに組み込まれ、個別のVR作品が完成する
のです。それが人工現実感 AR、Augmented Realityの仕様でした。(1987年段階のVRは、ARと呼ばれていました。)
 実は、このことが、セガ・エンタープライゼスの 業務用ゲーム機開発の現場では常に問題になっていました。営業的には、幅広いプレイヤーに気に入って貰うことが必要なのですけれど、初心者でも それなりに楽しめるゲーム機を開発してしまうと どうしても熟練したセガファンに物足りません。『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』をプレイしたことのある人は大勢いると思いますけれど、個々人が自分史の中で出会った「ソニック」のゲームは一つです。

 私は、私の「ソニック」をプレイして、それを記憶しているのです。

 これは、家庭用ゲームソフトでの事例になりますが、1999年にドリームキャスト(DC)で発売された『シーマン〜禁断のペット〜』「音声認識を利用した3D(ペット)育成ゲーム」で、TVコマーシャルを含めて大変な話題になりました。販売本数は多かったのですが、セガファン御用達のゲーム雑誌の評価では「ゲームとして」少し低い評価でした。価格の満足度、ゲームに対する満足感は観客ごとに違いますから、売れたから良かった、という話には なりません。
 ですから、国際学会の技術展示に出展するVR作品の準備では、20人に体験して貰って完成した VR作品より、200人が体験して その改善点についてプレイヤーの意見を聞けた作品のほうが、まちがいなく完成度が高くなります。IVRCの作品が、毎年独自応募で国際学会に採択されている理由は、各展示に少なくとも 200 – 300人の観客の体験があるからです。

 そもそも、テーマパーク・アトラクションをVRにすることが どうして望ましいのかといえば、観客が主体的にその世界を体験しますから、「次回には、もっと違った体験が期待できる」と考えて、(テーマパークで一番大切な) リピーターの数を増やすからです。私は、横浜ジョイポリスで、数人の若者の集団が楽しそうに VR-1というアトラクションで繰り返し繰り返し、出口から出て来ては 入口まで数人で何度も走っていくのを見たことがあります。確かに、私も 東京ディズニーシーでは、友人の夫婦とお嬢さんがヴェネツィアン・ゴンドラが大好きなので 3回続けて乗船したのにつきあったことはありますけれど、他のテーマパークでは見たことのない「繰り返し体験」という光景でした。これが、インタラクティブ性が与える VRアトラクションのマジックです。
 そういえば、70インチ大画面の通信プレイ型レースゲーム 『バーチャフォーミュラ』(1993年)で熱くなって何度も挑戦したという方も、読者の中に おられるかも知れません。
 そんなゲーム機を、最近は見ないのです。

 しかも問題は、リピーターの多い少ないだけでは、ありません。

 IVRCの作者たちは、半年とか長期間、その作品とつきあっていますから、「プレイヤーは こう扱ってくれるはずだ」とか、この順番で体験してくれると一番楽しいはずだ、などの思い込みが、必ず、開発の過程で生まれています。これは、ゲームの開発者でも、インタラクティブアートの製作者でも同じです。しかし、観客は、開発者が期待したようには作品を扱ってくれません。
 例えば、メディアアートの傑作 『およぐことば』を SIGGRAPH 2002に出展した師井聡子先生は、日本人の観客が「ていねいに体験してくれた」から(世界中で どこの観客も ていねいに扱ってくれるだろうと思って)作品の機構をそのまま渡米させたところ、アメリカのキッズたちが余りに乱暴で手荒く作品を操作することで「壊されるのが一番心配だった」そうです。
 それで国内の常設展示が決まった時にも一番心配して設置関係者に相談したのが、その強度の改善という問題でした。

 画像借用元: http://www.moroisatoko.com/works/fw/howtoplay.html
        https://www.youtube.com/watch?v=TgQqXR_HBbM (動画)  
 師井聡子 オフィシャルサイトより 

 強度の見落としもそうですが それに限らず、VRの開発者たちが 「観客には こう体験してほしい」と考える理由は確かにあって、そう考えて作らなくては納期に間に合わないからでした。
 しかし、完成したVR作品を 比較的 作者に近い感覚で眺めているという体験者は、会場では一般に 2割以下ではないでしょうか。日本では観客のほうから (心配そうな作者の挙動不審の行動から察して) 作者の意図を理解しようと歩み寄ってくれる観客が多いので、この点に気づかないままにインタラクティブアートの開発を進めてしまう IVRCの作者たちも多いようです。
 しかし、SIGGRAPH での展示のように、「俺はこの作品は自分の好きなように扱うぜ」とか 「嫌いだ」と はっきり言ってくれる観客のほうが、実は親切です。話してみると 大抵 作者と同じことを考えていて、予算不足のために はしょったり、技術不足で間に合わなかった部分が、その作品の意図を観客に正確に伝えるためには不可欠だったということが 作者にもその指摘を受けたことで気付く場合が多いはずです。
 ですから、良いVR作品を作ろうと思ったら、多くの人から意見が聞けるように着脱を容易にして観客の回転をあげることです。準備段階では 品質を向上させますし、
 公開後は (テーマパークであれば)アトラクションの売り上げに貢献します。

 IVRC作品の『人間椅子』に話を戻しましょう。
 『人間椅子』の装着は、椅子に座り、膝に「座布団」状のデバイスを乗せれば完了でした。
 うーん。「観客」の目からは、ちょっと違いましたよね。

 「大型の椅子に潜んで、自分の身体の上に他人の人体を感じる」事が小説の趣旨でした。例えば寝袋のような素材を貼り合わせて、「椅子のぬいぐるみ」のようなものを作り、観客がその中に座ると 膝に座布団があたっている、といった演出はできなかったでしょうか。おそらく、そこまで手が廻らなかった理由はこうでした。座布団の圧迫感の調整が思っていた以上に大変だったのです。
 彼らには、座布団ができただけでも、やっとの思いの完成だっただろうと思います。実は、業務用ゲーム機の世界で SPIDAR(東工大 佐藤誠研究室で研究されていた、力触覚を正確に再現するハプティックインタフェース)のような機構が(性能が良いのに)活用されなかったことには理由があって、セガ・エンタープライゼスの業務用釣りゲーム『ゲットバス』(1988年)でもそうでしたが 電動モーターと釣糸は「必ずからまる」性質を持つのです。セガでは、メンテナンス対応の要員が最初に音をあげました。修理に出かける回数が格段に多くなり、しかも、マシンの故障中は インカムも ありません。
 私には 電動モーター+ベルト系の作品開発に 直接 係わった経験はありませんが、推測はできました。

 また、IVRC2008の 『人間椅子』の展示では、隣の椅子に開発者の学生が座ってくれて、彼が おしりを動かす様子も見えました。「その通りに体重移動を感じられるのですから、良くできたVRでしょう」という気持ちで開発したようでした。うーん。それも、ちょっと違いましたね。チーム名も「変隊」である、と工夫したネーミングで、「これ以上、何を望むのですか。痴漢行為であっても、遠隔による合法的なもので法に触れる個所はなく、十分楽しいじゃないですか」という開発者の声が聞こえてくる気がしました。しかし、だめなのです。
 小説では、人間椅子となった「私」は、座っている人間と「目を合わせること」は あり得ません。そもそも この作品はVRではなくて体感劇場型作品なのですが、体感劇場としても不完全でした。例えば、(見せるのであれば)座っている人の背中から写したビデオ映像を椅子の中の人に見せるなどして、視線が交わることを避けたほうが良かったと思います。典拠にできる文献はありませんが、唯脳論的に言えばファンタジーは脳内で完結していますので、相手の目が見えて余計な情報が入ってくるよりは見えなくしたほうが印象は強くなったと思います。
 小説で「私」の脳内の冒険を伝える乱歩の筆は、「女を神聖で怖いものとして、顔を見ることも遠慮していた私が、薄いなめし皮一枚を隔てて(女性と)密着している。これは驚天動地の大事件でございました」と記しています。せっかく 『人間椅子』と題したのですから 原作者の意向をくんで、例えば、IVRC展示の「私」には外界の情報を一切遮断して、観客が座布団を通して脳内の自分のサディズムやマゾヒズムと向き合える装置として開発したほうが良かったように、審査員の私には思えました。そういえば乱歩には、凹面鏡の球体に閉じ込められて男が発狂するという作品(『鏡地獄』)も あります。

 画像提供元: http://minamizawa.jp/wii/

 ただ しかし、IVRC作品の『人間椅子』には、パンドラの箱と一緒で別の「希望」も見えました。

 モーターとベルトの組み合わせには別の可能性もあったことを思い出して下さい。東工大のSPIDARは、振動モーターとワイヤーを使った優れた振動ハプティクスの提示装置です。私は、白井暁彦さんのSPIDAR振動系作品の再現度の高さにびっくりした事があるのですけれど ・・・。ですから、
 『人間椅子』の座布団を「振動提示装置としての抱き枕」に変えることはできなかったでしょうか。作曲家の神津善行さんが昔、ラジオの番組でしゃべっておられたのですが、赤ん坊はお母さんの(くつろいでいる時の)心臓の音を聞かせると「すやすや」眠るそうです。もしかすると、幼児の時の母親の心臓の音を録音して抱き枕に振動を記憶させておけば、一生モノの安眠グッズになるかも知れません。
 ですから、ここに書いているのは、「バランスWiiボード」で計測した荷重値をデータとして使うインタラクティブシステムから離れた、また別のシステム展開の IVRC作品についての話です。この振動提示装置としての抱き枕にデータ表示の標準化を組み合わせることができれば、例えば、国際的な「振動療法」のための標準ユニットが作られる可能性もあるかもしれません。
 神戸牛は、牛舎でモーツアルトを聴いて肉のストレスを軽減します。映画『めまい』をご覧になった方は、スコティ刑事がマデリンを失った悲しさを 音楽療法のモーツアルトで癒そうとしていた場面を覚えておいででしょう。
 この研究の将来の方向としては、『人間椅子』の座布団の実装例などを カップルの親密度を高める装置としてばかり考えるのではなく(カップルは VR装置なしでも高まることができるのですから)、より汎用的な、より生理的に活用できる広い分野に研究を進めるメディアデバイスとして考えてみるのは どうでしょう。実は VRの構成要素の一つである 「マルチセンソリー」(多感覚)というのは、そうした方向性を考えるには非常に好適な入口でもあるのです。それで、IVRCの作品というのは、レヴィ=ストロースが賞賛した野生の思考「ブリコラージュ」そのものだと言うこともできます。

 今回も長くなりましたので、IVRCの作品 『虫HOW?』(2007年)http://ivrc.net/archive/%E8%99%AB-how-2007/ については、次回とさせて下さい。次回は、あなたの腕を多数のアリやゴキブリが這いまわる 「世にも恐ろしい触覚地獄」の狂乱に、あなたをお連れします。あ、乱歩さんの登場は、ここまでです。

 VR奥儀皆伝( 8½ ) 『謎解き・テーマパークVR』(2)「VRの定義」はこちら。→ こちら
 ( 8½ )「暫定総目次
 『バーチャルリアリティ奥儀皆伝( 8½ )』 (4)に続きます。 → こちら

VR奥儀皆伝( 8½ ) 『謎解き・テーマパークVR Web版』(2)

2020-07-06 | バーチャルリアリティ解説
 第二回 VR(バーチャルリアリティ)の定義
                          【( 8½ )総目次
 私の定義は、『バーチャルリアリティ学』( コロナ社、2011年 )の p.274に書いておきました。 
   (1) 大画面の与える没入感、
   (2) マルチセンソリー(多感覚)による臨場感、そして、
   (3) インタラクティブ性によって人工の現実感を観客(= プレイヤー)に与えるための装置。
・・・ それがVRの基本的な装備です。


 1993年に公開されたセガ AS-1 『スクランブル・トレーニング』を例に挙げると、
 (1)は、目の前の1635㎜ × 805㎜サイズのスクリーン(と プロジェクター、スピーカー)に投影される迫力のCG映像、そして、
 (2)は、世界初の体感劇場用 4軸モーションベース(油圧アクチュエータ製造に実績があるN社、F社の技術とセガのアイデアで共同設計・開発された優れた揺動装置)による揺動と映像の組み合わせ、
 (3)は、手元のミサイル発射スイッチなど(他に ゲーム基盤など)によって実装されました。

 ちなみに、(1)と(2)は プレイヤーにとっての「受け身のリアリティ」、そして、(3)が「能動的な操作によって感じられるリアリティ」です。


 「VR技術の構成要素図( ダイアグラム )を 上に 掲載しておきます。この図については これまでに 「スケッチパッド型メディアの統合モデル」という名称でも紹介しました。「VR / MULTIMEDIAの構成図」です。
 (1)(2)(3)が それぞれ どの部分に相当するのかは、見れば分かると思いますが、
第十一回の冒頭に、VR装置の開発者のための 別のアプローチによる解説を工夫してみました。 ① 観客 - 表示装置 - バーチャル世界 という「有機体論」の科学、② 入力装置と表示装置という「機械論」の科学、③ 観客が入力装置を操作すると、その影響が直ちにバーチャル世界に反映されて 表示装置を通して観客に認知される、という仕組みの「化生論」の科学 について、そこで説明していますので参照して下さい。(2020.12.25 追記)

 AS-1はセガの製品ですが、公式第一作のコンテンツ『マゴー!』(MUGGO! The Ride)の映像と揺動の製作を 映画『ブレードランナー』(1982年)の特撮などで魔術師と称えられた 米国のダグラス・トランブル氏に委嘱しました。テーマパークの Movie Ride(Simulation Ride)の第一人者です。『マゴー!』は 1992年の幕張のAOUショーで公開されましたが、開場時には(開場準備のため会場内にいた)出展者だけの 2時間待ちの行列ができていました。『マゴー!』は、ハードウェアとしての AS-1が「体感劇場」としての十分な性能を持つことを実証してくれた作品です。



 この『マゴー!』開発時の米国人スタッフとの協労の経験から、「体験劇場」を開発する技術はセガの習得した独自技術になりました。AOUショーの直前に、マイケル・アリアスさんを含む米国ライドフィルム社のスタッフが約2週間来日して 『マゴー!』の揺動(モーションデザイン)の最終調整を行なったときに信頼関係が築かれて、セガAM5研の開発者たちは 上記の(1)(2)の実質的なノウハウを習得したのでした。トランブル氏のスタッフ(ライドフィルム社)というのは、(セガにとっては とてつもない幸運でしたが)テーマパーク・ライドの最高峰『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド』(BTFRユニバーサルスタジオの依頼で開発)のシステムとコンテンツを製作した正にその人たちだったからです。ですから、私たちAM5研のメンバーは苦心してAS-1を開発したのですけれど、その役得もあって、AS-1の試作機をコンテンツ製作のツールとしてライドフィルム社に届けて現場の調整をしていた時などに、私たちは何度となく ライドフィルム社に設置されていた BTFRの試作機に乗せて頂き、開発レベルの工夫を詳しく伺うことができました。BTFRの本物の大ドーム型スクリーンは直径が80フィートありましたが、その試作機は30フィートでモーションベースは実機と同じものでした。この試作機で映像に同期した揺動の細密な数値データが蓄積され、ライドフィルム社で18ヵ月をかけて、酔いのない、没入感の大きなシミュレーションライドの傑作 BTFRが開発されたのです。世界最高の「体感劇場」を開発するという同社の精神は、このときAM5研に引き継がれました。

 さて、VRの定義について、少し細かく見て行きましょう。

 (1) 視野の3分の2以上のスクリーンサイズで、観客が「ほんものの光景」を観ている時と同じ体感的な反応を(生理的に)示すことが実験で証明されています。トランブル氏は、この技術で「体感劇場」の特許を取得しました。
 つまり、
   「視野 3分の2以上の大画面で画面を観ること」= 「裸眼でテーマパークの360°の光景を観ること」
ということです。VRの Mixed Relity (MR、複合現実 )と呼ばれる技術では、HMDやスクリーンを準備する代わりに「現実の光景」を借景として、その光景に CG映像や商品の説明など(のシンボル)をスーパーインポーズで重ねることがあります。このとき、「現実」だと観客が思っている光景は、ありのままの光景ではない、ということに注意が必要です。これを、VRの構成要素図で確認しておきましょう。
 
 演劇を観に行って、それがギリシャ悲劇などの舞台劇であれば、観客が見ているのは、舞台上にいる「現実」の生身の人間(俳優)です。しかし、観客にはバーチャルな世界の住人である「テーバイの王 オイディプス」が、その舞台に立っているように「見えて」います。
 これと同じことで、「複合現実 MR、Mixed Reality」の画面で「現実の光景」に商品説明の文字などが組み合わされて見えているとき、その「現実の光景」のほうも、ありのままの現実そのものでは ありません。「観客が現実の光景だと認識している」光景です。
 心理学者の岸田秀氏は、私たちが抱えている幻想から「共同幻想」として その一部を「すくい上げる」ことで社会が成立していると論じました。銀座の街を「銀座アスター」の本店に向かって食事をとるために歩いている私たちは、ここは日本国の首都、東京の一部にある銀座だと思って歩いています。スマホのMRアプリを「銀座三越」に向ければ、現実に、その時点の銀座三越のセールの目玉商品が表示されるからでもあります。しかし、200年前に同じ場所を歩いていた人たちは、ここを「江戸の一部」だと考えて歩いていました。当時は「日本(国)の銀座」という光景は、ありのままの現実として存在していなかったのです。そもそもヘーゲルが1821年に『法の哲学』という書物を書いた頃には、そこで新しい試みとして解説されている市民社会ですとか(国民)国家という概念そのものが まだ本当に新しいもので、領主を戴く多くのドイツの地域住民にとって「耳新しい」考え方でした。(隣国の「フランス革命」が王制を否定して共和制を主張したのは、1789年でした。)岸田秀氏は、国家というのは私たちが抱えている「共同幻想」の一部であることを論じて、唯幻論を唱えました。養老孟司氏が、それって結局 脳の自問自答だよねと言って「唯脳論」(1989年)を唱えました。つまり、今 私たちが話題にしているVRの「現実の光景」というのは、私たちの脳が目の前のありのままの光景に、例えば、国家といった概念をスーパーインポーズして解釈している脳内の光景に他なりません。
 そうした理解から、元NHKディレクターの評論家 浦達也氏が カッパサイエンスの『仮想(バーチャル)文明の誕生』(1992年)に 正確に養老孟司氏の『唯脳論』を引用し、武邑光裕氏(メディア美学者)の説も紹介してバーチャル文明と呼ぶべき新時代の誕生を「預言」したのです。ところが、それを読んだ高名な雑誌編集者のA氏が早とちりして、テレビの深夜番組のコメントで「VRの将来の高性能化で現実と仮想の区別ができなくなるから問題なのだ」と実際には誰も口にしなかった臆説を述べ、それを行きつけの銀座のクラブをはじめ あちらこちらでしゃべったことなどから1995年以降の日本の辞書には「バーチャルリアリティ = 仮想現実」の訳語が定着しました。一方、コンピュータ業界に関しては(私を含めて)1960年代からのVirtual Memory = 仮想メモリーという慣用訳語からの類推で「VR=仮想現実」であると90年代には言ったり書いたりしていたのですけれど、1999年にNHK人間講座で放映された「ロボットから人間を読み解く」という番組で東大の舘暲(たち すすむ)先生が「Virtual は仮想・虚構にあらず」と英英辞典の意味から明快に論証されましたので、私たちは「バーチャル」をそのまま使うようになりました。また、ネット上にある英語の辞書からは、Virtual=仮想 という訳語が徐々に消えつつあります。(出版された英語の辞書には、Virtual=仮想 と Virtually=実質的・本質的に、という互いに矛盾する訳語が これまで同時に載っていました!)
 話が長くなりましたが、VRが工学的なシステムの一部として観客に展示している「現実の光景」は、やはりVirtualな世界です。その証明としては、高性能化で現実と仮想の区別ができなくなったようなVRの世界は、映画の中でしか描かれていないからです。映画の上映が終われば、観客は「面白かったね」と言って 再び現実に戻りますから、A編集長の危惧したような世界の混乱は生じません。映画館を出たら「綾瀬はるかさんの演じるモノクロ映画のヒロイン美雪が後からついてきた」ということもなければ、また「Virtuallyに(実際上も)現実と仮想の区別ができなくなった人が いない」わけですから 「仮想(された)現実」という訳語は そもそもが「虚構」の幻影でした。
 ところで、私は(VRの)観客に没入感を与える映像の「表示装置」としては、
   「視野3分の2以上の大画面」
   「HMD」
   「裸眼で観るテーマパークの360°の光景」の3つを、
「観客に、バーチャルな世界への没入感を与えるための装置」として等価である、
と考えています。ということを延長して考えると、
 近い将来に、家庭内では8Kテレビの大画面が標準のメディアインタフェースになると予想されていますから、そうなれば、テーマパーク級のVRアトラクションが一般家庭でも楽しめるということにも なる訳です。
 これについては、追々、詳述して行きたいと思います。

 「視野3分の2以上の大画面」による没入感というのは、AR 人工現実感や メディアラボの『Put-That-There(1982年)が現実感 Realityを観客に感じさせる時の主軸に置かれた大事な要素でした。テレビドラマでの使用としては、1987年に Star Trek: The Next Generation(『新スタートレック』、ピカード艦長の新シリーズ)に登場した「ホロデッキ」という装置が特筆されるでしょう。これは、(今現在の用語としては)裸眼による CAVE型VRの Interface技術とでも呼べるものです。「体育館のような CAVE型施設」の四周の壁と床面と天井に3D映像が投影できるようになっているもので、よく似た 実際にある 有名な施設としては、筑波大学の「エンパワースタジオ」があります。ここは、2015年に 実験室とギャラリーを合体させた施設として設計されました。例えば、この「エンパワースタジオ」を裸眼CAVEにより認識できるよう構成して、そこに「触覚、音、匂い」などを組み合わせたものが『新スタートレック』の「ホロデッキ」なのだと思います。24世紀のテクノロジーだそうです。


 画像借用元: https://fednewsservice.com/2015/12/17/end-program-life-outside-the-grid/
 (2392年12月17日発行の Federation News では、高校生のホロ中毒を親たちが心配しています。)


 「視野3分の2以上の大画面」による没入感については、『ザ・クリプト』という名作の CAVE型VR作品が 非常に秀逸な実例を示しました。この作品は、1996年の東京ジョイポリス開館時に大変注目され、終日、夜中まで2時間待ちの行列が絶えなかったVR作品です。四方の壁+床面の(観客の周囲の)5面全部が3m×3mの大スクリーンで構成され、そこに継ぎ目のない 大画面での「地下迷宮の彷徨」というコンテンツが表示されて、大変に深い没入感を観客に与えました。観客は岩石の巨人に頭を殴打されて、深く冷たい石造りの地下へ堕ちて行きます。

 (2) マルチセンソリー(多感覚)の臨場感については、BTFRのような「視覚による没入感 + 揺動による臨場感」の組み合わせに限らなくても、別の感覚の組み合わせの どんな没入感であっても構いません。日本VR学会の会員の研究者には、視覚+触覚の分野で世界レベルの研究を行なっている方が多く見られます。
 後でご紹介するつもりですが、『虫How?』という学生によるVR作品の傑作は、
   「視覚+触覚+インタラクティブ性」
によって没入感が構成されています。IVRC(国際学生対抗バーチャルリアリティ コンテスト)という学生の手作りVR作品によるコンテストが1993年からずっと続いているのですが、その長い歴史の中でも『虫How?』の触覚VRは傑出していました。「視聴覚」+ 例えば 触覚、例えば 揺動などを組み合わせた感覚でリアリティを稼ぐ方法で、その豊富な実例を IVRCの作品に見ることができます。IVRCについての説明は、第三回第四回をお読み下さい。
 今回、IVRCの作品を例に挙げた解説も書いてしまおうと思っていたのですが、A編集長の早とちりの話を詳しく書いているうちに紙幅がなくなってしまいました。養老先生の『唯脳論』はVRの基本文献の一つなのですが、これを読み返しているうちに(あまりの面白さに)時間が無くなったことも次回に送る理由です。

 (3) インタラクティブ性によって人工的な現実感を観客(=プレイヤー)に与える装置、としてはアーケードセンターのSEGAの「体感ゲーム機」の臨場感が抜きん出ていました。しかし、80年代には まだモニターのサイズが小さかったので「大画面の没入感」という視覚的没入効果が その時代には使えなかったのは本当に残念なことでした。
 アーケードセンターには設置されなかったことから、セガの公式「体感ゲーム機」としてはカウントされていませんが、東京ジョイポリスの 1996年の 開館時に公開された 『バイクアスロン』と『POWER SLED』は大画面に向かって参加者が全員参加で競争するというVR作品です。テーマパークVRアトラクションの成功例として、もっと注目されても良かったと思います。どちらの作品も目の前に大画面があって、『バイクアスロン』は参加者が自転車競走を、そして 『POWER SLED』は参加者が 雪上のボブスレーの競争をして没入感を感じるという内容で、「現実の世界」では自転車競走やボブスレーが絶対に不得意そうな一般事務職の会社員の方や雑誌編集者の女性たちが競争で良く一位になっているので、私は「VRアトラクションの特徴というのは、つまり そういうことなのか」と感じ入ったことがあります。


 画像借用元: https://web-japan.org/kidsweb/travel/cool/cool02.html
 (web-japanの kidsweb japan掲載記事 「Exploring "Cool Japan" in Tokyo」より 


 「インタラクティブ性」というのは、プレイヤーが入力装置を操作した結果が 直ちにバーチャルな空間の変化として表示されることですから、そのメカニズムは「サイバースペース」と共通しています。ということで、前回「第一回」の「サイバースペース」の解説も復習しておいて下さい。なお、セガ・エンタープライゼスとして初めてのインタラクティブ性を備えたVRアトラクションとなったのは(つまり、テーマパークVRアトラクションとしての最初のSEGAの作品は)、AS-1 『スクランブル・トレーニング』(1993年)でした。

 次回には、IVRCの作品から 『虫HOW?』(2007年)と 『人間椅子』(2008年)を取り上げて、VRの具体的な事例や 体感劇場との明確な違いなどを説明しますので、
 『虫HOW?』 http://ivrc.net/archive/%E8%99%AB-how-2007/
 『人間椅子』 http://ivrc.net/archive/%E4%BA%BA%E9%96%93%E6%A4%85%E5%AD%90-2008/
を、予習しておいて頂ければと思います。

 ( 8½ )謎解き・テーマパークVR(1)「ウイリアム・ギブスンが創造した CYBERSPACE」は、こちら。→ こちら
   ( 8½ )「暫定総目次
 『バーチャルリアリティ奥儀皆伝( 8½ )』 (3)に続きます。 → こちら