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らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

期待します

2009年03月31日 23時36分17秒 | 雑記
 今日は珍しくスポーツについて書きます。

 先日WBCの優勝で大いに盛り上がったプロ野球界ですが、WBCをテレビで観戦しているときに感じたことを少し。

 侍ジャパンと言われた今回のチームが、今まで格上だったアメリカやキューバのチームに勝ち、数年前までは格下だと思っていた韓国チームには同等以上の力を見せつけられながら結果的に優勝をしたことは暗い日本に大きいニュースでした。

 あの1球たりとも目を離せないドキドキした感じは、サッカー日本代表がワールドカップ初出場を決めたジョホールバルの中継以来です。

 国際試合だと不思議と盛り上がるのですが、普段のリーグ戦は結果だけ見て「ふぅ~ん」の時も多いのですが、昔はそうじゃなかったことを思い出しました。

 小学生の時、仲が良かった友人に誘われて、後楽園で野球を見に行くことが出来るからと「日本ハムファイタースファンクラブ?」(だったかな?)に入会していました。

 当時は巨人軍には王貞治選手や堀内恒夫選手など人気選手が現役で、とても巨人戦を後楽園で見ることは出来ませんでした。しかし東映~日拓~日本ハムに変わったばかりの新しいチームは人気が無く、いつも無料で(会員書を提示すれば)内野席や外野席などで1年間いつでも観戦できたのです。友人とはしょっちゅう後楽園に行っていました。

 当時の日本ハムは、大沢啓二監督で巨人軍とのトレードで高橋一三投手が元気に投げていましたし、外国人選手ミッチェル選手などのホームランバッターの活躍がワクワクさせてくれました。

 西武ライオンズの前身~クラウンライターライオンズ戦は特に人気が無いので、観客が少なくて後楽園球場内を走り回っていました。

 話がそれ始めたので戻します。

 当時は毎日のようにペナントレースのTV中継がありました。人気のない球団はたまにでしたが、巨人戦はそれこそ毎日のように行われていて、どこの家庭でもビール片手に家族で食卓を囲みながら「うわぁ~そんな球振るな!」「今のはボールだろぉ~!」と親父や子供の声が街のあちこちから聞こえたものです。

 今のように大型スクリーンを用意して大勢のファンがつめかけて応援するスタイルは、サッカーあたりから始まった習慣でしょうか?私にはなじめません。ごめんなさい。

 あっでも街の電気屋さんのテレビで相撲中継をみんなで見ていましたっけ。「大鵬~~!柏戸~~!」みたいな感じで。汗。

 私は巨人軍の熱心なファンでは無かったのですが、それでもTVを見ながら「柴田~~高田~~長島~~王~~末次~~土井~~」みたいな感じで1球1球盛り上がって見ていたような記憶があります。

 WBCだけではなく、リーグ戦が開幕する3日前になって期待することは、侍ジャパンの方々が中心となって個々のチームを牽引して大いにペナントレースを盛り上げてもらいたいと思います。

 天童市出身の広島カープの栗原健太選手の活躍を特に期待します。今年は40HR??

 広島カープの選手は昭和の選手のニオイがして、なんか良いです。一人一人が凄くあくが強い感じがします。大選手になると他のチームにFAでとられてしまうのが本当に惜しいのですが、昔から選手を育てる力は日本一です。

 セリーグは今年は広島で、パリーグは楽天に応援するチームを決めました。

 子供の頃から(日本ハム以外は)チームというより選手個々を応援したくなる質なので、今年も色々なプレーを楽しみにしています。

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野球ファン (balaine)
2009-04-01 03:53:42
束の間の「独身生活」を堪能されていますか?
野球、お好きだったんですね。ちょっと意外な感じ(笑)。
私は生まれが福岡なので、当然「西鉄ライオンズ」のファンで監督の中西太や稲生投手を応援してました。身売り、身売りで西武ライオンズになってからはあまり応援しておりません。
仙台を本拠地にしていたことがあったのでロッテ、実家が横浜なのでベイスターズなども応援するのですが、昔の「西鉄」のように気合いが入りません。

東京ドームになる前の後楽園球場では、東京の学会に合わせて仲間と行ったことがあります。巨人戦も1回だけみましたが、印象に残っているのは、日本ハム対オリックスでした。あまり気合い入れずのんびり出かけて行ったので、水道橋の駅からたらたら歩いて行ったら試合が始まってしまいました。球場の外に到着した時に「ワァ~!」という凄い歓声が聞こえました。中に入ったら、なんと1回表、1番のイチローが先頭打者ホームランを打った直後でした。「生イチロー」のホームランを見逃してしまったのでした。(;;)

実はこれでも草野球もプレーします(していました、が正しいかも)。強肩なのでショートを守っていました。打撃は全然だめですけどね。若い頃はピッチャーをやったこともあります。

なぜ、最近の野球は昔のようにテレビの前で燃えないのでしょうね。あまりにも情報が氾濫して、サッカーやフィギュアや観るべきスポーツが多いからでしょうか?スポーツ観戦以外に楽しい事が多すぎるからでしょうか?
そう考えると、不況とか暗いといわれる世の中ですが、昔に比べれば楽しみも多く、やはり幸せなのだと思います。
クラシック音楽のように、真に素晴らしいものはどんなに時代が変遷し人々の好みが移り変わっても残ります。これも幸せな事だと思います。
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>balaineさん (らびお)
2009-04-01 16:11:10
こんにちは。
スポーツと私が結びつかないのでしょうか?笑。
小さい頃から剣道をしていて、大会でもトロフィーをもらったらり、中学生の頃はバレー部で、猛練習に耐えたり陸上部を手伝ったり、リトルリーグに入ってキャッチャーをやっていたり、高校時はラクビー部で膝を壊すまで、フルバックを守っていたり・・・。
大学生になるまではスポーツばかりしていましたよ。実は。

音大に入学した時に筋肉がスポーツ用でヴィオラを弾く筋肉ではないと言うことで、一切スポーツをせずに一回筋肉をリセットしました。

イメージですが、繊細な柔軟に動く筋肉に変えていったわけです。

運動部は上下関係や所謂根性・集中力を鍛えるには効果があると思いますし、今もその頃培ったものが役に立っていると信じています。

物も情報も溢れていなかった昭和の方がある意味幸せだった時代と思う事も少なくありません。演奏も嗜好も多少オールドスタイルなのでしょう。笑。

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