らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

昔話

2008年11月16日 23時59分08秒 | ヴィオラ
 今日は全然ネタらしきものが、頭に浮かばないので昔話でもしましょうか?一応ヴィオラのカテゴリーに入れておきますが、ヴァイオリン時代の話です。はじまりはじまり。チョンチョンチョンチョン~・・・。

 だいたい2歳半位の頃からヴァイオリンを始めました。声楽家であった(その当時はピアノの先生とかしていた)母親の影響で5つ上の兄は既にヴァイオリンを習っていました。兄の先生は、池田敏美先生と言って武蔵野音楽大学を出て新星日本交響楽団の創立メンバーの方でした。その敏美先生の旦那様にも習っていて(旦那様のTさんは交通事故で若くして亡くなられました)、その頃に私はもの凄くヴァイオリンをやりたい(ただ楽器をさわりたがっただけですけど)と言っていたらしいです。聞いた話ですけど、生まれたばかりの息子さんの弦さん(現在テノール歌手)を家の母親に預けて、新星日本交響楽団の活動に従事されていたそうです。家の母親は、弦さんと私を一緒のベビーベットにいれてたまに世話していたそうです。

 ちなみに池田敏美先生はその後、新星日本交響楽団と東京フィルの合併後もヴァイオリンを演奏し続けて、数年前(なんたる偶然か??)山形県最上町に移住して、現在でも山形県内でヴァイオリニストとして大活躍の様子が、時々山形新聞等で見る事が出来ます。弦さんとも40年ぶりに?昨年だったか?再会しました。笑。


 その後、私は敏美先生の後輩の桑原先生に習い始めました。結婚を機に辞めて、失礼ながら名前を忘れてしまった2人の先生を経て、そして北住先生。北住先生の娘さんが今、チェリストになって東京の方で活躍しています。

 そして小学校高学年か中学校の頃(写真の頃)に美人の山形淳子先生が、家に来てレッスンして下さっていました。その頃は、所謂反抗期でして、始めていたリトルリーグの活動やバレーボールのクラブの活動に興味が行っていてヴァイオリンはやめたくてしょうがなかったんです。親が意図した事がどうかはわかりませんけど、その美人の山形先生を私にあてがう事で私がヴァイオリンを止めないようにしていたのでしょう!まんまと作戦負けしました。

 練習は熱心ではなかったですが、毎週山形先生に会うのが嬉しくって。遠い目。

 その後、結婚されて辞める時は本当に悲しかったのをおぼえています。また後輩の澤田先生というこれまた美人の先生が家に来るようになりました。先生に会うためにまたヴァイオリンをやめられなかったんです。・・・・・。男子高校生だった私には、年上の美人先生と会う貴重な時間でした。笑。

 大学に入学後、オーケストラサークルに入ってヴィオラに転向するまで澤田先生に習いました。

 この練習嫌いな問題児の子供に対して熱心に教え続けてくれたすべての先生に感謝しています。そして「やめたい!」と言っても決してやめさせてくれなかった両親にも今は感謝でございます。

 機会がありましたらヴィオラの先生編でも書きましょうかね?


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2 コメント

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なるほど~ (まーちゃん♪)
2008-11-17 18:32:23
\( ~∇~)/ エーーーッ!!
らびおさん、何とイケメンな・・・中学生時代??
面影というか、あまり変わってませんね?

美人の先生というのが辞めないポイントなんですか・・・めもめも。
うちの息子は女性に興味がないようなので(いや、それも困りますが・・・)かっこいい男の先生だといいのかしら。

「ピアノ弾きはかっこいいんだぞ!!!」

自分で楽器をやるんだ、やらされてるんではない、という意識がないうちは、何かそういうヨコシマな考えてもきっかけがないと続けてはいけないと思います。

ご両親、そして環境に感謝ですね♪
でないと今ここにらびおさんはいなかった!

続いてヴィオラ編に♪
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>まーちゃん♪さん (らびお)
2008-11-17 21:32:11
こんばんは。
正確にはいくつの時かわからないのですが、坊主頭なのでたぶん中学1年生の頃だと思います。身長もこの頃から2~3cm位しか伸びていないので、肌の質感以外はそんなに変わっていません。

いやいや早い人で小学生の時、遅い人でも中学2年生位には異性に興味が出てくると思いますよ。まわりに興味が無くても芸能人とかね。

不純な?動機だろうが続けられたことに感謝しています。
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