らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

舞鶴城公園〜県指定 甲府城跡

2017年07月08日 23時59分59秒 | 歴史探訪
 3日に宿泊した甲府市のホテル近くに史跡がありましたので、行ってきました。

 案内板には以下のようにあります。
「甲府城は、天正10年(1582)武田家滅亡後、豊臣秀吉政権下で建築が始められ、豊臣秀勝、加藤光泰を経て、慶長5年(1600)頃に浅野長政(五奉行)により完成したと考えられています。発掘調査では金箔瓦や浅野家の家紋瓦などが発見されています。 関ヶ原の戦い後は徳川義直(家康の九男)、忠長(2代将軍秀忠の三男)、綱重(3代将軍家光の三男)、綱豊(後の6代将軍家宣)ら徳川一門が城主となり城番・城代制がしかれました。宝永元年(1704)以降には、柳沢吉保・吉里親子が城主となり、この時期に甲府城下も大きく発展しました。柳沢氏が大和郡山(奈良県)へ移封された後は甲府勤番制となり、ふたたび幕府の直轄地となりました。 このように豊臣政権下では重臣浅野長政・幸長親子らが甲斐国の支配を任され、また江戸時代の大半が徳川家直轄領であったことからも、ここ山梨が長野、静岡、関東をつなぐ要所であったことがわかります。明治維新後は廃城となり、建物が取り壊される一方、勧業試験場および葡萄酒醸造所などが設置され、また城城北部では中央線敷設による解体など甲府城は本来の姿を変えてきました。一方で保護・保存の動きもあらわれ、大正6年(1917)には甲府市在住の村松甚蔵氏の尽力によって国からの払い下げを受け、県有地となりました。戦後は市街地復興に併せて整備が進められ、昭和39年に都市公園「舞鶴城公園」、昭和43年には県の指定史跡「甲府城跡」となりました。」

 石垣が見える階段を上がると、さすが山梨県!!富士山が見えます。
   

 反対側からは甲府の街がよく見えます。
   

 歴史残る良い街並みです。

 しかし暑かったですよ!!

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