案内板には以下のようにあります。
「定義如来西方寺五重塔解説
今から八百年前、平重盛公の重臣 肥後の守貞能公は平家が壇の浦の戦いに敗れた後、重盛公の遺命を奉じて、この地にかくれ、重盛公が平和祈願のため、中国の怪山寺に黄金若干寄進に際して送献された阿弥陀如来の画像宝軸を護持しました。 源氏の追討を逃れるため、貞能公は、なおも世をはばかり、名を「定義」「さだよし」と改め、その後、朝夕尊像を礼拝し世の平和を祈ったのです。今この地を定義(じょうぎ)と称し如来様を定義如来と申し上げるのもここに起縁するものであります。 この西方寺五重塔は、貞能公の菩提を弔い、御報謝の意を捧げ、全国各地からのご先祖の供養に御参拝の皆様に心のやすらぎと幸益々多く、そして未来永劫の人類の平和を祈念するシンボル塔となることを信じ建立いたしました。」
この五重塔は昭和時代に建てられたもので、古い建物ではないですが、寺院の中にあると風格を感じます。4/7はご開帳の日で運良く中を見ることが出来ました。
お線香を供えて、おみくじをひいてお祈りしてきました。
五十肩が1日でも1時間でも1秒でもはやく治りますように・・・・・・。
「定義如来西方寺五重塔解説
今から八百年前、平重盛公の重臣 肥後の守貞能公は平家が壇の浦の戦いに敗れた後、重盛公の遺命を奉じて、この地にかくれ、重盛公が平和祈願のため、中国の怪山寺に黄金若干寄進に際して送献された阿弥陀如来の画像宝軸を護持しました。 源氏の追討を逃れるため、貞能公は、なおも世をはばかり、名を「定義」「さだよし」と改め、その後、朝夕尊像を礼拝し世の平和を祈ったのです。今この地を定義(じょうぎ)と称し如来様を定義如来と申し上げるのもここに起縁するものであります。 この西方寺五重塔は、貞能公の菩提を弔い、御報謝の意を捧げ、全国各地からのご先祖の供養に御参拝の皆様に心のやすらぎと幸益々多く、そして未来永劫の人類の平和を祈念するシンボル塔となることを信じ建立いたしました。」
この五重塔は昭和時代に建てられたもので、古い建物ではないですが、寺院の中にあると風格を感じます。4/7はご開帳の日で運良く中を見ることが出来ました。
お線香を供えて、おみくじをひいてお祈りしてきました。
五十肩が1日でも1時間でも1秒でもはやく治りますように・・・・・・。