らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

ハイドン 弦楽四重奏曲 ニ長調 Op.50-6「蛙」

2009年01月14日 23時40分03秒 | クァルテット
 音楽史でほとんどの人が、ハイドン~モーツァルト~ベートーヴェンのラインを信じさせられている。信じさせられていると言ったのは、どうも織田信長~豊臣秀吉~徳川家康と同様に時代が移っていったと思っている人が多いことだ。

 しかし調べてみると、ハイドン(1732~1809)・モーツァルト(1756~1791)・ベートーヴェン(1770~1827)である。特にハイドンは長生きをして、生まれた時にはJ.S.バッハも生きていたし、亡くなったときはモーツァルトの死後20年近く経過していた。

 この3人のウィーン古典派の作曲家は、先人に一方的に影響を受けたのではなくて、お互いに影響を受けたといえる。ただベートーヴェンだけは年齢的にも若いので、一方的に先人の影響を受けたと考えられる。

 ハイドンは生涯弦楽四重奏曲を68曲残しているが、作品1・2の10曲、作品9の6曲、作品17の6曲、作品20「太陽四重奏曲集」の6曲、そして作品33「ロシア四重奏曲集」の6曲とこのジャンルで作曲をしてきて、作品33で1stVnが主導の作品ではなく4声部が対等の作曲を試みた。(今日から見れば1stVn主導的なのは否めないが)そしてソナタ形式の確立などそれ以後の作曲作品に多大な影響を及ぼす形式をあみ出したのだ。

 その作品33の四重奏曲の存在を知り、弦楽四重奏というジャンルに興味を失っていたW.Aモーツァルトが、早書きの彼にしてはじっくり腰を据えて数年かかって作曲された作品が所謂ハイドンセット(第14番~第19番)の6曲である。

 ここまでだとハイドンに影響を受けてモーツァルトが作曲したで終わってしまう。ハイドンに捧げられたこのモーツァルトの最高傑作集は、その後実はハイドンに影響を与えてしまう。

 つづく・・・・・。
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