らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

八戸

2007年11月14日 13時41分59秒 | 歴史探訪
今日は、八戸市公会堂にて山形響の演奏会。
八戸市庁と八戸市公会堂が並ぶ近くに八戸城跡がある。

 八戸城は、馬渕・新井田両川の形成した沖積平野に突き出た洪積台地の先端を利用して築城されている。
 建武元年(1334)陸奥国司北畠顕家の国代南部師行が糠部郡(ぬかのぶのこおり)八戸に根城を築いたが、その後間もないころに、その孫信助が築いた中館がこれであろうという。この一族は根城・中館および新田館に居住し、八戸地方を鎮めてきた。
 
 戦国時代の末に、三戸の南部信直が豊臣秀吉から朱印を受け、南部内七郡を支配するようになった。その子利直は、寛永四年(1627)に根城南部氏を遠野に移して、八戸を直支配とし、みずから縄張りをして当城および城下町の作事・普請をしたと伝える。城下の西側には根城町の商家を移して三日町・十三日町・二十三日町を、また東側には新田町の商家を移して八日町・十八日町・二十八日町をつくり、現在の市街のもとを作ったという。

 しかし、当城および城下町の本格的な整備は、盛岡城に移った重直が、寛文四年(1664)世継ぎを定めないまま没したため、幕府が新たに弟重信に盛岡八万石を、同じく弟南部直房に八戸二万石をあたえたことにより、八戸藩が誕生した後のことである。
     

 その他、東北各地には源義経と弁慶の伝説が残されていて、この八戸周辺にも数々の伝説があるらしい。その一つにこの弁慶石。身体の大きい弁慶の力強い足跡が残ったと言われる石である。
     

 八戸はお酒も魚も美味しいし行くたびに良い街だなぁと思う。しかし今回は用事(山形Qの練習&犬の世話)のため、往復約800Km日帰り!!八戸のネオンと別れ惜しむ。今回は一滴もお酒はなし!


 残念~~~~~。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする