舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

for better dance

2008-01-30 02:26:47 | ダンス話&スタジオM
今日は日光市主催のフラ講座でお借りする会場の下見に行ってきました。
前回は体育館だったのですが、今回は暖房完備の公民館を使わせていただくことになったのです。
広々とした部屋で床も踊りやすそうで、なかなかいい感じでしたよ。
なんと部屋にDVDプレーヤーが備え付けられているので、レッスンの前後には発表会の映像などをお見せできると思います♪

おかげさまで今回もこの講座にはたくさんの方にお集まりいただきまして、すでに定員を超過し、キャンセル待ちの状態だそうです。
しかも我々にとって嬉しいことに、少なからぬメンバーが前回のリピーターの方なのだとか!!!
いや~~、これは本当に光栄です。
前回の会場からは地理的にかなり離れているので、「近所だから」とかの利便性を超えて、さらに続けたいと思っていただけたのですね。
懐かしい顔ぶれにまたお会いできそうで、今から楽しみ!!!

もっとも内容的には初めて参加する方にも支障がないようにイチからやっていくつもりですので、ご安心してお越しいただければと思います。
あと「前回来たけどスッカリ忘れちゃった」って方もですね(笑)。

ちなみに今回は「日光市民限定」ではないそうです。
それを早く聞いてればもっとここで宣伝したのにな~!!
会場を見たところ定員以上入れそうなので、もしかするとキャンセル待ちの方もご参加いただけるかもしれません♪


夜は夜とて新しい衣装の検討会でした。
検討会って言っても審議メンバーは私と母マミちゃんだけのミクロ検討会ですが...(笑)
確かなセンスを持ってるのはマミちゃんなので、私は歌詞の意味の点で口出しする程度です。あとはマミちゃんの繰り出すアイディアを時に反芻し、時に紙に描いて、彼女の考えを具現化する手伝いをするのが私の役割だと思っています。

でも正直な話、フラ雑誌は衣装の参考にはならないな(笑)。
雑誌に載るようなものはマミちゃんがとっくに発案済みか、あるいはおよそ歯牙にもかけないような残念なデザインかのどちらかなので、インスピレーションを与えてくれないのです。

インスピレーションを与えてくれるような衣装は雑誌を見ずとも舞台で見た時点でマミちゃんの脳裏にしっかり刻まれています(カムエラのパレカさん亡き後は、そういう衣装はだいぶ減りましたが)。
柄であったりシルエットであったりレイの色彩にいたるまで、外部から見ると「よくそんなこと覚えてんな」と感心するしかないようなことを細部まで覚えているのです。

衣装は着る人を実物よりさらに美しく見せてこその衣装です。
身にまとうだけで本人の外見はもちろん、ダンスのレベルまで高く見せる役割を果たさなければなりません。

ドレスを作る時に「なるべく痩せて見えるようにしてね」とおっしゃる方が多いですが、無問題です!!うちの衣装に限ってその心配はいっさい要りません。
なんたって、デザインしてる張本人たちが自分自身の難ありまくりの体型をドレスでなんとか誤魔化すことに心血を注いでるんですもの(笑)。

舞台に立つ人間にとって、美しく装うことは決して自己満足のためだけではないんです。
お客さまの前で踊る限り、美しいものをお見せするのは演技者としての義務だと思います。
どんなにすばらしい踊りを踊ったところで、装いが美しくなければ見る価値なしと判断されてしまいます(もっとも、衣装が良くなければそれに比例して踊りの方もお粗末だというのが長年いろいろ見てきた我々の持論です)。

でも「わあ、すてきなドレス」と思ってもらえたら、少なくともその点ではお客さまに楽しんでいただけたということであり、それだけでお客さまをエンターテインしたといえるのではないでしょうか?
そしてきっと自分の装いに対する自信が、それに相応しいダンスを踊ろう!というモチベーションにつながっていくはず。
総合的に優れた舞台は、そういう良い方向の循環から生まれるのだと私は思います。

今シーズンも踊り手のモチベーションがあがるようなすてきな衣装を生み出すべく精進してます。
ちょっとコレクション前のデザイナーの気持がわかるぞ(笑)。

旅するヒンディー語

2008-01-29 02:29:09 | ぼくはこんな本を読んできた
実を申せば私は重度の言語フェチです。

言語フェチ...それは未知の言語に触れ、初めて出会う言葉の旋律や装飾のような文字を見て血圧が上がり脈拍が上昇し鼻息が荒くなる人種をさします。
ってこの種のフェチはまだ自分しか見た事ないですが(笑)。
なおかつ私の場合、その言語の成立の歴史とか話者人口などを聞いてもコーフンが襲いますので、そうとう重度の変態レベルといえましょう。

あきらかにかなり幼少の頃から私は言葉と名のつくものがみな好きで、あまり子供の教育に熱心でない家庭だったので、祖母から習った「あいうえお」の5つのひらがな以外の殆どの文字を本から覚えました。学校で習うのが待ちきれなかったのです。

ほぼすべての漢字を学校で習う前に本で覚えていたのですが、なにぶん独学なので書き順が出鱈目なうえ、送り仮名を勘違いしたまま覚えているものもけっこうありまして、書き順は未だに直りません。
あと読んだ本の影響で「支度」を「仕度」と書いたり「逐一」を「ちくいつ」と読んだりする弊害もあります。これらは辞書で調べれば旧式として載ってるけど、今漢字テストで書くとバツにされてしまうんですね。

あるていど大きくなってからは外国語にも興味が広がりました。
小さい頃から外国語の曲は耳慣れているし、そのせいかどうか知りませんが私は言語を全体的なリズムで捉え、「その言語らしさ」をつかむのが得意なのです。
だから大学でスペイン語を勉強したのは楽しくて仕方ありませんでした。膨大な量の予習に何時間かかったってへっちゃらでしたね。

ところでフェチ者の言語蒐集は切手集めと似ていて、切手コレクターが集めた切手を使う気がないのと同じように、その言語が実用に則しているか否かにはいっさい頓着しません。
ちなみに一番極端な例はエルフ語でした。
つまり私にとってハワイ語はすごく幸運な例外なのです。

そしてまた最近フェチの血が騒ぎ始め、未知の言語との出会いを渇望するようになって参りました。
というわけで手を出すことにしたのがヒンディー語です。

フラを踊っている時、私はほぼ完全に歌っていることがわかるので(これは「意味を暗記している」のとは同じようでいてまったく違う)、語りかける要領で踊っています。
それと同じようにボリウッドを踊っている時もたしょうは歌の内容が断片的に聞き取れるようになりたいと思っていたのです。

インド古典舞踊はフラと同じく意味を動きで表す踊りです。ボリウッドは(振付師や曲の内容にもよるようですが)そこまで忠実じゃないけれど、歌の中に突然意味の分かる言葉が入っているとゾクゾクする(←このへんがフェチ)ので、そのコーフンをぜひともボリウッドでも味わいたいわけですよ。

尤もインドにはヒンディー語以外にもタミル語だのマラヤーラム語だのパンジャービー語だのおそろしい数の言語および文字がありますので、すべてのインド映画の言語に手をつけるのは到底無理でしょうけどね。
そういうときは「千里の道も一歩から」という大好きな言葉を思い出して頑張ります。

...とか殊勝なことをいいつつも、できたらサンスクリット語も覚えたいとか尽きせぬ妄想を繰り広げてるから、あまりに膨大な理想を前に頓挫するんだよな。

ちなみに私はこないだ地元のお坊さんに梵字について欲望の赴くままに訊きまくり、さんざん困らせてしまいました。
迷惑な奴だなあ。フェチもほどほどに。

パニパニ第2シーズン

2008-01-28 23:26:20 | 徒然話
「コンバット」の悶絶コント「パニパニパーティー」の第2シーズンが始まりました。

ボーカルのチョコントさんの家庭を舞台に繰り広げられた第1シーズンに代わり、第2シーズンはダンス担当のミッチリンさんが主役です。
ミッチリンさんは秋葉においてはエアロビをベースにしているとおぼしきエネルギッシュなダンスで鳴らしていますが、会社では部下の人望厚い本部長なのです。
しかし社内のメガネっ娘の策略でなぜかコス仲間の皆さんが会社に乱入し、本部長もドン引きしている部下たちを尻目にあの格好に着替え、一緒に「パニパニパーティーのテーマ」を踊り狂うはめになってしまうというストーリーです。

なのはいいんですが問題はですね、前半のコントが昔ほど面白くない気がするんです。
展開が冗長だし、内容もさほど笑えないし、視聴者たる私はこの部分をじっとやり過ごしてパニパニパーティーのテーマをひたすら待っている感じです。

韮沢さんの活躍(?)も今回はないですし。そうそう、どうせ係長のヅラを飛ばすなら、韮沢さんと乱闘して飛ばせばいいのに。

第1シーズンが面白かったので、舞台や脇役が代わっても基本の流れはアレでいいんじゃないかと思います。
面白いものはワンパターンでも面白いものです。『男はつらいよ』だって『水戸黄門』だってそうとうワンパターンですもんね(笑)。

それをいったら最近『ヲバ芸』も以前ほどのキレがないですねえ。曲に合ってないのはお約束なんでオッケーなんですが(笑)、このごろリズムにも合ってないから一緒に踊れなくてフラストレーションがたまります...。

面白いものを作り続けるのってとっても難しいんですけどね。
でも、我々にとって週に一度の癒しタイムなので、面白いコントが見られることを期待して見守り続けたいと思います。

P905i

2008-01-27 23:00:45 | 徒然話
激しい品薄状態のドコモの携帯「P905i」がようやく手に入りました。

といってもこれは私の分じゃありません。
なんと私より新しい機種を持っていたマミちゃんが先に最新機種に取り替えよったのです。

昨日東武のモバイルショップからかねてから予約していたこの携帯が入荷したとの一報が届き、早速今日馳せ参じてゲットしてまいりました。

実はコレ、当初は私も同じのを予約したのです。
しかし数日後、今年中にiPhoneが発売されるらしいとの情報を耳にして、どうせ待つなら4年も5年もおんなじだと思い直してキャンセルしました。
(注:現在使っている3代目携帯は今年の6月で5年目に入ります)

ほんとはブラックベリーが欲しいんだけどな~。
しかしただでさえ「携帯電話」じゃなく「携帯インターネット端末」と化している私の携帯、これ以上快適な環境を整えてしまうのもどうかと思い、とりあえずiPhone一筋で行こうと思います。

ともあれマミちゃんが選んだ新しい携帯はVIERAを搭載しておりきわめて画面の美しい代物です。デザインもドコモの中では流麗なほうといえましょう。
ったく、メールの打ち方も分からんくせにモノだけは最新のを持ちたがるんだよな~。

そこがマミちゃんと、私やマミちゃんの父・良美(よしとみ)さんとの大きな違いです。
私もマミちゃんも最新機種が大好きで、それはあきらかに良美さんからうけついだ遺伝です。
しかし私や良美さんが機械の隅から隅までいじり倒して最新機能をフルに使いまくりたいと思うタイプなのに対し、マミちゃんは使いこなせなくても新しいものを持っていたいのです。

あ~あ、今回だって私がこれから使い方を研究して教えてやらにゃなんないよ。
そのためにさっきまで取説を読み倒し(←取説を読むのは趣味ですからまあ構わないんですが)、携帯をさんざ弄って初期設定を整備しました。
ついでに内臓アプリの「ぷよぷよ」にハマりました
ふだんゲーム好きの血を必死で抑え(おかげでDSもWiiも持ってない)、つねにフラストレーションの蓄積した状態で生きている私は、携帯にゲームなぞが入っているとうっかり箍が外れてしまうのが困ったものです。
てか、銀魂の携帯ゲームとか取り込めないかな(←あー、さっそく箍が~~~)。

この携帯の最も凄い機能といえばワンセグです。
いま言及した銀魂だって、これからはレッスンスケジュールに関係なく観られるようになるんだぞ~~~!!!
パニパニパーティを録画しといて再生しまくるのだってもちろんオッケーだ!!!!

というわけで、新しい携帯でいの一番にやったことはパニパニの着うたフルをダウンロードしたことでした。
今までのマミちゃんの機種では取れなかったフルバージョンが取れてギザウレシス!!!!
着信と同時にチョコントさん・ミッチリンさん・ヨッピーヤッピーさんの3ショット画像まで観られるノス!!!これでいつでもパニパニ集合なのラス!!!!!

.....ハァハァハァ(←※コーフンじゃなくて息切れです)

いえいえもちろん、ゲットした着メロはパニパニだけではありません。
ナタリー・アイさんの美麗ヴォイスもゲットしたし、マーク・ケアリイ・ホオマル様のハワイアンローラーコースターライドも入れてみました。
ま、着信音はおいおい増やしていくとしましょう。パニパニさえあればひとまずは安泰だ(←オイ)。

それにしても着メロといえばJポップか洋楽ばかりで、我々の好きな系統のジャンルがものすごく乏しいのが気になります。
ハキームもタルカンナターシャ・アトラスも見つからないし、ジプシーキングスでさえ「ボラーレ」しかないってのはアレですか。マイノリティー差別ですか。(←いきなり詰問口調)
「インド」「ボリウッド」でキーワード検索してもヒットせず、「ベリーダンス」と書いたらストロベリーダンス何とかという曲目だかアーティストが引っかかり、あやうく暴動を起こしかけました。

ビルボードのワールドミュージック部門の常連になるようなメジャーどころだけでいいんで、西南アジア方面の音楽をもう少しふやして下さい。いや、A.R.ラフマーンくらいは必須だろう。

SP最終回

2008-01-26 23:59:34 | 徒然話
今日、楽しみに見ていた連続ドラマ『SP』が最終回を迎えました。
ってウソでしょ!?何その終わり方!!!

そうなんです。つい先ほど終わったんですけど、幾多の謎が未解決のまま、あまりにも唐突に終わってしまいました~。
なんだよう。日本のドラマに珍しくスピード感があって面白いと思っていたのに~。
4月にスペシャルを放映するらしく、そこまで謎を持ち込む肚なんでしょうが、4月までなんてとても覚えてられませんって。視聴者の興味はそこまで引っ張れないんじゃないでしょうか。


SPは残念な終わり方でしたが、ともかく今やっているドラマはわりかし好きなのが多いです。
SPが終わったことにより、現在進行形で見ているのは5本です。
ときおり一本も見ないクールがあるくらいなので、これはそうとう多い計算ですね。

まず香取慎吾くん主演『薔薇のない花屋』です。
私は香取君がなかなか好きです。演技がけっこう上手いんだもの。
大河ドラマ『新選組!』は一般の評価こそ低かったようだけど、私は歴代の大河ドラマで一番好きでした。香取君演じた近藤勇がとても人間味溢れていて良かったことも魅力の一端であったと思います。

さっきから香取「君」とか言ってますが、この方ほんとはもう30代なんですよね。
だから私から見たら年上もいいとこなんだけど、私にとってこの世代はばりばり「若者」だな~(笑)。

このドラマ、演技が上手いのは香取君だけではなく、彼の娘を演じる子役の少女もいい芝居してます。
竹内結子さんも『クローズド・ノート』の面目躍如、名誉挽回といったところです(笑)。

しかも、ただの心温まるホームドラマにおさまらないところがとても面白いです。
穏やかに生活する香取君の周りを謎めいた人々が二重三重に取り巻いていて、まだまだ解明されてない謎がありそう。
SPのように宙ぶらりん状態で終わらないことを願います。ま、この脚本家さんなら、大丈夫だと思いますが。


「解明されてない謎がありそう」といえば、私の大好きな俳優・小日向文世さんが待望の主演を果たした『あしたの、喜多善男』も謎めいた部分が多くてかなり面白いです。

主人公の喜多善男さんは、これまで冴えない人生を送ってきましたが、11日後に迫った親友の命日に自らの一生を終えると決意し、それからの「最後の日々」を一日ずつ追っていくというストーリー。
一日ごとにとんでもない人物が現れて結構な騒動が起きますが、彼らの一人ひとりにもどうやら深い裏事情がありそうで...。
いえ、それどころではありません。喜多さんが冴えない冴えないと思ってきた彼の人生も、じつは本人の与り知らぬところでいろいろな謎が潜んでいそうな匂いがするのです。

これらの謎解きも楽しめますが、やはり白眉は小日向さんの素晴らしい演技です。
もともと脇役としてドラマや映画になくてはならない存在感を発揮していた小日向さん、彼の魅力は主役を張っても健在です。
驚くべきことに主演は初めてだそうですが、彼を主役に抜擢したことでこのドラマの成功は8割がた決まったといってもいいですね。

なお、BGMのセンスもなかなか秀逸です。
物語の進行の邪魔にはならないのに、不思議と素敵だなという印象を残させる選曲で、この辺りからも作り手の意気込みが伺えます。


そしてもちろん今期のドラマといえば『斉藤さん』を忘れてはなりません!!
もちろん未だに気に入って見てます。

斉藤さんは痛快だけど、あまりにもツッコミどころ満載で別の意味で楽しめるのが自称斉藤さんの友人「マノさん」です。

この人、ハッキリ言ってそうとうダメダメです。まず、引っ越してくるなりこの時代に断りもなく近所のポストというポストに挨拶代わりの手作りクッキーを入れて歩く(←手渡しではない)時点でどうかしています。
いや、普通、気味悪がって食べんだろうソレ。
私も帰宅したところポストに見知らぬ人物からのクッキー(しかもお手製)がぶち込まれていたらまず食べないと思います。食い意地の張った私でさえ。

そして子供の幼稚園では誰でもいいから何とかして母親仲間を作ろうとして、為人も知らない人々に取り入って、彼女らから「斉藤さんは要注意人物だ」と聞かされれば、斉藤さんをろくに知らないくせに鵜呑みにしてしまい、露骨に警戒する態度を取る始末。

いったいどこに行ってしまったのでしょう、この人の思考回路は。
「思考回路」と「自分の意志」を、この人はおそらくどこかに落としてしまったにちがいありません。大切なものはなくさないようにね。
斉藤さんに世話になりお礼をするときさえ、ほかの母親仲間に見つからないようビクビクしながら訪ねる有様です。オイ~~~、それが仮にも恩人に対する態度か~~~。

そういうキャラクターなので、斉藤さんに共感するようになるや否や途端に友達面をし始めるんですよ。
かててくわえて斉藤さんに追いすがり「ねえ、友達は要らないの?一人でいたほうがいい?」と執拗に迫ります。打ったメール(←たいした内容ではない)に返事が来ないとあからさまに責め立てます。
ぎゃああ......。つ、ツッコミどころが多すぎて、どこから取りかかったらよいのかわからない。
ブツブツブツブツ(←蕁麻疹発症中)

..................人間的に問題がありすぎるよなあ。
マノさんには幼稚園児の男の子がいるわけですが、こういう人が子供を育てて大丈夫なのかしら。きょくたんに日和見をする人間になるか、母親に対してものすごく反抗心が強くなるか、いずれにしても心配です。
母親を反面教師に、自己を確立した子に育ってほしいものです。


ほかに『鹿男あをによし』と『未来講師めぐる』も観てます。
でもこの二つは展開も遅いし、何かしながらとか半分寝た状態で気楽に見ることが多いですね。

啓蟄の頃

2008-01-25 23:30:39 | ダンス話&スタジオM
「啓蟄」とは、春がきてカエルが冬眠から目覚める時季をさす語(※若干手前勝手に解釈ぎみ)です。
いや、ほんと、カエルのことなんです。だって鹿沼のお稽古場にかかっているカレンダーにはちゃんと土からモコッと顔を出したカエルさんの悶絶イラストが描いてあるんだもん。

暦の上での啓蟄とともに、スタジオMにもまもなく春の目覚めどきがやってきます。
そう、イベントにおける新曲お蔵出しシーズンの到来です!!
カエルさんが眠っている間にじっくり熟成してきた新曲が今ちょうどほうぼうで完成し、いよいよ春のイベントでの初披露に向けた仕上げが始まりつつあるのです。

まずは3月の「雛祭り」パーティー!!
これはお客さまのためではなく、自分達が楽しむためのイベントですね。
手始めに気楽に内輪で踊って舞台慣れしたところで、翌月からお客さまの前で踊るイベントが続々とやってきます♪
中でも出演者数の点で最大のイベントが5月の「骨髄バンクチャリティコンサート」です。
出演時刻など詳細が決まりしだい、こちらでお知らせしていきますね~。


最近、新しく入った生徒さんの中に「うちを選んで来てくださる方」がとても多いです。
お友達やご家族がうちのイベントに出演したのを見て入ったという方もいれば、おもだった舞台に毎年欠かさず足を運んでくださっていて、このたび満を持して入ったという方も。

もちろん偶然の縁もうれしいものですが、ご覧になったうえで選んでいただけるなんて、またとない名誉です♪
皆さん目をキラキラさせて「舞台とっても素敵でした!!」とおっしゃってくださって、ホント踊り屋冥利に尽きます!!!

これだけブームの時代ですから、中にはすでに経験者の方もおられます。
ある方は「かつてなく充実してこのダンスをを踊っている!!」とおっしゃってくださいました。
また、ハワイに行って初めて「ハワイの本物のフラ」を知り、見る目を養った上でうちを選んでくださったという方も...。
そういう話を聞くと、私たちは何より励みになります!!!

フラが空前絶後のブームになった今、人口ばかりはおそろしく増えましたが、人数のわりに確りした審美眼を備えた人の割合がとても少ないというのが、私が母やハワイ語仲間とよく話している懸念です。
どうも人口爆発に一人ひとりの質の向上がついていききれない傾向があるのです。
我々が危惧する「質より量」の方向に傾こうとしているのですね。

そういう情勢の中でもあえて「量より質!!」の方針を貫いていると、ときとして空しい思いをすることもあるのですが、我々が「質」を高めようとしていることを認めて一緒に向上していこうとしてくれる生徒さんの存在は、何より我々の支えになるのです♪

紀文のおでん

2008-01-23 23:34:04 | 美食礼讃
毎度美食がどうとかのたまってますが、実は私、料理はまったく出来ません
ちなみに母マミちゃんも出来ません。あ、この人は出来ないというよりする気がないんだな。

学校の調理実習のさいは、個人プレーでなく班毎に作るのをいいことに食器準備や後片付けに回り、直接手を下すことはできるかぎり避けて通りました。
それでも一度「一人ずつだし巻き卵を作る」というおそろしい課題が出されてしまい、ついに逃れられなくなって作ったところ、なぜかクラスで私一人だけスクランブルエッグが出来上がりました。
いいんじゃい。材料は同じだ。スクランブルエッグ好きだし。卵焼きが食べたきゃ、浅草の松屋で草津亭の卵焼きをゲットするもんッ!!

そういうわけでまったく料理しない我々が唯一家で作って食べるのが、紀文のおでんです。
「紀文の季節」というおでんの種盛り合わせと濃縮つゆのセットで、これらを鍋にぶち込んで食べるのです。

あら簡単、と普通の方なら思われるでしょう。
しかし我が家にとってこれは料理です。大料理です。
それまで「てきとうに電子レンジでもかけときな、なんなら冷たいまんまでもいいや」的に投げやりなインスタントおでんセットしか買ったことがなかったものですから、最初これを買って濃縮つゆの袋の裏に書かれた「作り方」を読んだときは、あまりの煩雑さに倒れそうになりました。

「一部の具は最初に油抜きすること」「練り物や餅巾着などは煮すぎないこと」「煮詰めて濃くなったら適宜お湯を足すこと」「はんぺんは火から下ろす数分前に入れること」etc...
あああああ、わからん!覚えきれん!!めんどくさい!!!

いや普通の人はそのくらいやってます。つーか、まだ料理レベルですらありませんソレ。

でもさ、油抜きが必要な具ってどれよ。油抜きの仕方が不明なので、おそらくこれではないかと思われる具にてきとうに熱湯をかけてすすいでみます。
「練り物や餅巾着など」の「など」に該当するものもわかりません。どの程度煮ると「煮すぎ」になるのかも謎です。
煮詰めて濃くなると困った立場におかれる(=薄め方がわからん)ので、水分が飛ばないよう常に蓋を被せてそっとしておきます。
ほかにもいろいろ項目があった気がしますが、もう覚えてません。何度か作っても未だにつゆの裏の説明書きをよく読まないと作り方が分からなくなります。うっかり袋を捨てると大変です。

なおかつ、我が家のコンロはもう永いこと機能しなくなったまま放置されているため、ストーブ上で作らなければなりません。

我が家のストーブは冬場、暖房よりも食事時にこそ大活躍いたします。
まず、ベーコンやハムを焼く。野菜と混ぜながら焼けばいい感じに風味がうつり、立派な野菜炒めの出来上がりです。
エリンギも椎茸も焼く。並べた時に醤油をたらすのがポイントです。
ときおりすき焼きも作る。コンビニとかで売ってる、一人用アルミ鍋に入っているものです。ある程度火を通したらここにご飯を入れておじやにします。

そのストーブでつゆの袋に書かれた順序をたしょう気にしつつおでんの具を入れていきます。
そして、よせばいいのに具を足します。
最近はまっているのはうどんですね。結構初期に投入してグダグダに煮込みます。
さっき書いた椎茸も入れます。
一度、生卵をいただいた時に(うちにパックに入った状態の卵が来たのはひさかたぶりだった)、ゆで卵にして入れてみたのですがダメダメでした。
だってまともなゆで卵が作れないんですもの。例のストーブで作ったところ、黄身は偏ってるしまともに剥けないし何か化学変化が起きたかのような食感の謎のゆで卵が出来上がりました。
今度ぜひ、コンビニの既製ゆで卵を投入してみます。

しかし紀文の種とつゆがあまりにも美味しいおかげで、こういう怪しげな団体(って我々です)が作っても美味しくなるから大したもんです。


こういうものが出回って、いい世の中になったねえ。今は料理ができない女も堂々と生きていけるもんね(それにしてもひどすぎでは)。
何から何まで自分で料理しなければならない時代に生まれていたら、我々のような人間はご飯に生卵ぶっかけたものしか食べられずに生きていかなければならないところでした。

あ、だめだ。マミちゃんは米も炊けないのだった。
この人はかつて炊き方を教えようかと申し出られたときも「どうせ炊かないもん」と言下に断ったそうです。
私はご飯が大好きだから炊けますよ。ただその昔、大学時代にほんの僅か自炊していた時期、食べたいだけ炊いてたら体重が世にもおぞましいことになったので、それ以来まったく炊いてません。

まっ、音楽好きの人がすべてカラオケや演奏も好きとは限らないのと同じで、食べるのが好きだからといって料理もできるとは限らないと、そういうわけですね。
↑それと一緒にすな!!!

クローズド・ノート

2008-01-22 02:23:40 | 徒然話
昨日は『ルイスと未来泥棒』のカエルの活躍に心を奪われ、3本目の映画の話をする余力がなくなってしまいました(笑)。

というわけで昨日の続き、『クローズド・ノート』の話です。
これは3本中唯一実写の邦画で、作品そのものよりも主演女優のエリカ嬢が変な金髪のヅラにヒョウ柄のドレスという超絶に凄まじい格好をさせられ(スタイリストさんはこの人に何か怨みでもあったのか)、骨の髄までふて腐れて会見に出たことが話題をさらいました。
ま、確かにあの格好をさせられればふて腐れずにはいられないよな(笑)。

しかしエリカ嬢がふて腐れた理由はこれだけではなかったのではないかと、私は映画を見て思いました。


※なお、以降の記述はこの映画を良いと思っておいでの方は読まれないことをお勧めします。
そう思われない方、これから見ようかどうしようか迷っているという方は、このまま先へどうぞ










はい。結論から申しますと、この映画は今まで見た中で史上最低の代物でした。
まだ見てない方、悪いこと言わないから見ない方がいいですよ~。
地上波で放映されてから見たんでも遅くありません。それならいつでもチャンネルを変える、あるいはテレビを消す権利があるわけだし。
それでやっぱり面白ければ見てもいい。しかし、1,800円をこの映画に賭けるのはかなりリスクが大きいです。

ふてくされ会見の件でさんざ叩かれたエリカ嬢の演技はさほど悪いとは思いません。この程度の演技力の若手芸能人はいくらでもいるし、脳にキンキンひびく高音で喋らないだけでも好感が持てると、私あたりは思います。

しかし作品として、これはいくらなんでもどうなんでしょう。
なにせつまらない。超絶につまらない。致命的につまらない。徹頭徹尾つまらないのです。
ああ、「つまらない」しか感想が浮かばないや。

まず展開が遅い。亀の歩みよりなおのろい。これでもウサギじゃなくても寝てしまいます。
なのに我々は会場内が寒かったので寝られず、必死で展開を見守り続けたんですが、ここまで展開の遅い作品がかつてあったでしょうか。
『北の国から』がジェットコースタードラマに思えてくるくらい、展開が遅々として進まないのです。

しかも『北の国から』はストーリー以外にも楽しめる要素がいろいろありますからいいですが、この映画ときたらのろのろ展開している上にけっきょくたいした事も起らないのです。

あまりに歩みがのろいもんで、「傍目八目」の要領で先の展開がだいたい予想できてしまうんですが、またこの予想を哀しいほど裏切らないのですわ。それほどうれしい展開もないしね。

ストーリーはこうです。
「主人公の越してきたアパートに前の住人の日記があった。読んでみるとそれを書いた女性はかつて、主人公の好きな男と恋仲で、もう亡くなった人だった」。はい、おしまい。

まあ、エリカ嬢が誰かの残した日記を読み進めるのと平行して、エリカ嬢本人の恋も展開していくわけです。
他人の日記を読むのはどうよという問題はさておき、文章読むの遅すぎないか、エリカ嬢。
遅~~~いドラマ展開にあわせて読み進めるという設定だからしょうがないんだけど、バイト先に持ち込んで勤務中まで読んでるのになかなか読み終わらなくて、大学生なのによほど漢字が読めないのか、それとも日記の書き手の字がよほど下手くそなのかと果てしなく妄想せずにはいられません。
だってなかなか話が進まないから暇なんだもん。妄想でもしてなきゃやってられませんって。

何も展開しない中に味がある映画もありますが、この作品にはそれすらもありません。
ただただ「おっ何だ、だから何なんだよ、早く聞かせてくれよ」と観客をじらし、腕の悪い政治家や偽装会社の経営者のような手法でずるずると結論を先延ばしにした上、けっきょくわかる真実はそのわりに大したことがないという、最悪のパターンです。

そして二人の女から愛される男・タカシがこれまた酷い。この役を振り分けられた俳優さんが気の毒です。
日記女(ややこしいからこう呼ぶよ)が亡き後もうじうじと忘れられず、だったらその女だけ思ってりゃいいものを同じ部屋に越してきたエリカ嬢にも日記女の姿を重ね合わせて煮え切らない態度を取り続け、さんざんその気にさせるという、もっともタチの悪いタイプです。

最後に日記女の回想シーンで彼女が日記の最後のページに何か書いてから破り、紙飛行機にして飛ばすシーンがあり、そこに何が書かれていたのかをこれまた勿体ぶってなかなか公開しないのですが、これも蓋を開ければ何ひとつ大したことが書かれていません(笑)。紙飛行機にする意味も不明です。
ここに衝撃の真実(日記に書かれていた「好きな男」はタカシではなく、本当の相手は不倫の仲でエリカ嬢の父親だったとか、タカシに対する殺意を書いておいたらそれを本人に見られて逆に殺されて証拠隠滅のために破り取られたとか)でも隠されていたらもう少し後味が違っていたのにねえ。

美しい映像で魅せ続けておいて最後にひどい悲劇で幕を落とす映画(中国なんかに多い)もあんまりな後味ですが、こうして徹頭徹尾つまらないだけの映画を見てみると、少なくともラストシーンまでは良かっただけましという気がします。

このあまりにもあまりな映画を見たら、多忙の最中にこんな映画に主演させられたうえトンデモ衣装を着せられて会見に出たエリカ嬢がどれだけふて腐れてもしょうがないと思います(プロじゃないなとは思いますが)。
下手にほめて「え~、エリカ様ってこんな映画がいいって思ってるんだ~、けっこう悪趣味~」等と誤解されるのも彼女のプライドが許さなかったから、ああいうコメントになってないコメントに終始したのやも...。
釈明インタビューでもなんだか煮え切らなかったけど、「あれは映画の出来があんまりだったせいだ」なんてさすがに言えないし。

と、実は話題になってるわりによく知らないエリカ嬢に過剰に同情するようになった次第です(笑)。

カエルとルイスと未来泥棒

2008-01-21 03:00:35 | カエル偏愛
今日は映画を見てきましたー。しかも3本立てです。
実は地元の文化会館ではときおり日曜日に映画の特別興行が行われるのです。
たいてい数本立てで上映され、公開日からはちょっと経ったもののいちおうまだ劇場公開されている程度に新しい作品が手頃な価格で見られます。

どのくらい手頃って、今日なんて3本観て900円ですよ。1本300円の計算ですね。おそろしいほど安いです。
ただし、実際の価値は3本とも300円均一とはいえませんでした。
その内訳は後でお話しするとして...。

文化会館での上映は「長ったらしい予告編がゼロ」という、ありがたい特典があります。
ただし安価ゆえか暖房はまったくかかっていません。ハッキリ言って、カウントダウンのディズニーリゾートよりよほど寒かったです。いっさい外套を脱げない上、ディズニーではあまりお世話になれなかったカエルミトンも嵌めっぱなしでした。

今日上映されたのは、
(1) 『アーサーとミニモイの不思議な国』
(2) 『ルイスと未来泥棒』
(3) 『クローズド・ノート』
の3本です。

いうまでもなく本命は『ルイス』で、それはもちろんカエルが出演するからに他なりません。
『アーサー』も好きな監督の作品なので願ったり叶ったりです。
そして『クローズド・ノート』...といえばアレです、あのなんとかエリカという若手女優が会見で笑っちゃうほどふて腐れてたあの映画です。
普通けっして我々が見ないタイプの映画ですが、本命2作品のついでに見られるとあらば見ようかということになりました。
さて、彼女があんなにむすッくれてたのは果たして会見であの悪趣味な服装(未だにときおりお笑い芸人さんが真似してますよね)をさせられたせいなのか、それともほかに理由があるのか、この映画を見れば分かるかしら(笑)。


まあそれはともかく一本目『アーサー』の始まりです。
この作品のリュック・ベッソン監督は、音楽と色彩のセンスがとても優れている方で、普段大人の鑑賞に十分堪えうるエンターテインメント作品を作っている監督がこういうファンタジーに取り組んだらどうなるのかとても楽しみでありました。

はたして、作品は期待を上回る面白さでした!!
探検家のおじいちゃん(今は行方不明)をもつ少年アーサーが、おじいちゃんの手記や家の至る所に残した手がかりに助けられ、庭の地下深くに広がる小さな小さな部族「ミニモイ」の世界へ飛び込んで大活躍する、ワクワクするような冒険ファンタジーです。

何せ私はファンタジーが大好き。それも乙女ちっく路線ではなく、敵を倒したり宝を探したりの血湧き肉躍る冒険活劇系ファンタジーに目がありませんから、『アーサー』はまるっきしツボでした。
ミニモイ族の姿形が愛らしいのはもちろん、彼らの操るハイテクだかローテクだかわからぬような道具や機械も素敵でした。
ヒロインの女の子はとても強いけど色っぽいしね。たとえ少女でもヒロインが色っぽいこと、これが欧米作品の魅力の一つです。

あ、欧米で思い出したけど「欧米か!」でおなじみタカアンドトシのお二人が声優として参加してます。ドサクサに紛れてお馴染みの決めゼリフを言うからすぐに分かるよ(笑)。
一番驚くキャスティングはミニモイの敵「悪魔M」を演じる人ですね。エンドロールで「こ、こ、この人だったのかあああ」と絶叫することうけあい。でもあのすばらしく気取った敵役を演じられたのはやっぱり彼だったからこそだと思います。

物語はかーなーりーご都合主義(ミニモイの世界に行ける年に一度のチャンスがたまたま今夜だったり)なとこがありますが、まあそれもアリか、と寛容になってしまうくらい痛快です。人間界とミニモイ世界両方のすべての問題が解決し、めでたしめでたしの大団円で終わりますから後味も最高です。
私は、エンターテインメント映画はハッピーエンドで爽快な気分になって終わるべきだと思います。映画を見てるときくらい、この世知辛い現実社会を忘れてヒーローになった(※ヒロインではないのがミソ)気分を味わいたいという、私の切なる願望の現れです。


スッキリ爽快になったところで2本目の始まり!!
...とおもったらなんと、『ルイス』の前にミッキーの短編映画が上映されました!!!
よ、よかった。格安上映だから見られないかと思った(笑)。

しかしミッキー可愛いですね。時代によってミッキーの顔はだいぶ違いますが、私はこの『造船技師』の頃のミッキーがかなり好きです。とか偉そうにいえるほど知ってるわけじゃないですが。
そのわりにドナルドとグーフィーは今とあまり変わらないルックスです(笑)。
こうして改めて見ると、巨匠・手塚治虫氏が長編の邦画のおまけに上映されるディズニー短編目当てにせっせと映画館に通い、暗がりでスケッチし、ミッキーの耳はあのアトムの髪型に影響を与えたというのもうなずけます。

...と、ひとしきり感心したところで本編がスタートします。
『ルイスと未来泥棒』はただただカエルが出るのを楽しみに見ることにした映画でしたが、いやあ、映画としての作り込み方のなんと巧いこと。
最近のディズニー映画の中で一番のヒットですね、個人的に(←カエルのせいだろう。どう考えてもカエルのせいだろう)。
さり気ないけど後から思い返せば分かりやすい伏線の張り方といい、細部にわたるキャラクター設定(※特にカエル)といい、感情移入しやすいストーリー展開といい、画面の端々に見られる遊びといい、しっかり泣かせるところといい(←それはカエルが出ているからじゃないのか)。

そうなんです。私はカエルが出てきただけで泣いてしまうのです。
特にこの作品、カエルの出番が半端じゃない。なんたってカエルが伏線の役割を果たすのです。

どんな伏線かはネタバレになるので言えませんが、とにかくしょっぱなからわりかしリアルなカエルが出てきて、画面いっぱいゲコゲコと飛び回ります。
もうこのシーンで私のコーフンはMAXに!!!
おもわず「フンモーー!!!」と鼻息を荒くして足をバタバタしてしまったので(注:前席には人はいなかったわよ)、周りの人が何事かと私の方を振り向くのが見えましたが、そんなことを気にしている場合ではありません。
このカエルたちは何たって伏線ですから、観客により強く印象づけるべく、このシーンではこれでもかこれでもかとカエルが跳ね回り鳴きまくります。
そして私は失神寸前です。
もう登場人物の台詞なんて聞いてられません。画面ところ狭しと跳ねるカエルたちを目で追いすがるのに忙しく、ストーリーの進行はどっかに追いやられてます。
ま、ここでカエルにうつつを抜かしても(だからアンタぐらいだってそういう変態は)、この後のシーンを見ればまた展開についていけます。

そしてカエルは未来の世界で再び登場します。
しかしさすがは未来、カエルたちもめざましい進化を遂げ、なんとスウィング・バンドを結成しています
もちろん歌えるわけですから喋ることもできるし、バーで飲みながらジョークを飛ばす、なんて素敵な芸当もできます。みんな、青いジャケットをパリッと着込んだお洒落さんです。

フンモ~~~~~(過熱)

私はもはや気絶しそうです。こんなカエルたちとバーで語らい、カエルを侍らし侍らされてめくるめく真夏の夜の夢を見られるものなら、どれだけカエルたちに弄ばれたっていいわッ。いえむしろこの私を弄んでッッ!!!さあッッ!!!

...このままでは変態街道まっしぐらなので、このへんにしときましょう。

カエル偏愛者の悶絶そっちのけで物語は核心へと突き進み、ルイスの将来および悪者の未来泥棒の過去について衝撃の事実が判明します。
そして、未来世界がまるで一昔前の人々が夢見たようなポジティブな姿になっている理由もわかります。ルイスこそそのポジティブな未来への鍵を握る人物だったのですね。

未来ですてきな親友と家族を得て、冒険のすえに未来は自分の力で切り開けると知ったルイスは、現代に戻ってその未来への第一歩を踏み出すのでした。
という貴重なシーンでまたまたとどめにカエルが出てきます。あああ、どれだけ私をコーフンさせれば気が済むのでしょう。しかもこの物語のオチを握るのはほかならぬカエルたちなのです。

未来の鍵を握るルイスもすごいけど、物語のオチを握るのがカエルってのはもっとすごいぞ。
ディズニーにおけるカエルの地位躍進の記念碑的作品としても楽しめる『ルイスと未来泥棒』、私のお気に入り作品として燦然と輝き続けることでしょう。


...あ、最後の映画のこと書くの忘れた(笑)。
カエルがらみのコーフンを思い出してまたもや悶絶し、すっかりエネルギーを使い果たしてしまったので、この続きは明日にいたしましょう。

Born to Dance

2008-01-20 03:11:04 | ダンス話&スタジオM
Born to Dance=「踊るために生まれてきた」とはよくいったもので、うちの母はまさにそういう人間です。

彼女には幼稚園にも上がらないうちからダンスの好き嫌いがあったそうな。そして、その本能の赴くままに音楽にあわせて踊っていたら椅子から転落して骨折したというのはまた別のお話です。

母の踊るダンスはその長い長いキャリアの中で自然淘汰され、今では自分の好きな踊りしか踊らなくなりました。
というより、昔から好きだった踊りが今になってようやく遍く市民権を得られた、と言った方が正確です。
つまり、フラにしろベリーダンスにしろ、我々にとっては一般に流布する遥か昔から踊ってきたものなのですね。

天邪鬼な私は自己紹介などの際に「へっへっへ、私ゃこんなマニアックなダンスを踊ってるんですよ、ご存じないでしょう」と変態的な悦びを感じながら語っていたものですから、この時代の変化には正直びっくりです。

それでもベリーダンスはある程度物心がついてから始めたからまだ分かるけど、フラにいたっては生まれる前からの付き合いなので、今日びの一般社会における浸透度にはひたすら驚きを禁じ得ません。

今だから正直に言いますがね、私ゃもともとフラが好きだったわけではないです。
それをいったらダンス全般が私にとって好きとか嫌いとかいうものではなかった。それ以前の次元なのですね。
これはおそらく初めて歩いたり喋ったりするようになった時の子供が、歩いたり喋ったりすることを好きか嫌いかじっくり考えてみることなしにやっているのと似ています。
じっさい、私のフラの基礎的な動作はこれらとほぼ同じ頃に身につけたものです。

特にフラの場合、1歳2歳の子供にとって捉えどころがとても難しいダンスです(著名なクムの中にも自分の子供が5歳くらいになるまで教えない人がいるのはそのせいじゃないかと思う)。
上達しようと思ってもどこをどうすれば上手くなるのか研究するのが本当に難しいのですね。

後年になって私はこの「捉えどころの難しさ」こそフラの面白さだとつくづく感じています。
フラは何かの技術さえ優れれば上手く踊れるものではないんですね。だから、捉えどころが難しいというよりは、捉えどころが無数にあるといえます。
だからフラの向上には限りがなくて、どれだけやっても次の楽しみがまた見つかり、終わることがないんですね。

それよりも幼少時の私にとって問題だったのは、今みたく猫も杓子もフラダンサー時代ではなかったですから、私が日本で日常的に見られるダンサーは母かメリーモナークのダンサー(しかも当時は上位入賞者の映像しか見られませんでしたからトップクラスの)しかいなかったのです。
だから自分の踊りがどの程度のレベルなのかサッパリ判らないまま15年くらい踊っていました。
というより、自分には才能がないと思い続けていましたっけ。

「井の中の蛙大海を知らず、されど空の高さを知る」の言葉どおり、かつての私に見えていたのは自分より遥かに高い目標ばかりでした。
でも今になって考えればそれは良いことだったと思います。上ばかり見ていたから、私はいつになったら届くやらわからないなりに向上心を失わずにいられたのでしょう。


だから私が思うに、すべてのダンスにおいて上達するために最も必要なことは「一流の演技ばかりをたくさん見る」ことだと思います。
それを真似してどうこうしようというのではありません。一流のものを見れば美意識が磨かれるし、「自分はまだまだだ、これからももっと研鑽できる!」というモチベーションが得られるのです。

自分よりレベルの低いものを見下ろすのはそりゃあ気持ちがいいだろうけど、それだけでは向上しないどころか自分のレベルもずるずると下がっていく一方です。
高い目標ばかり見ていると劣等感に苛まれる人もいますが、それで潰されるようなら所詮はそこまでだったということ。
本当に上達できる人はむしろ、高い目標からエネルギーを得てさらに向上しよう!と感じられる人です。
そのことに楽しみを覚えられる人はきっといくらでも上達していけるはずです。

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