昨夜は萌え祭でした。
なんせ『カウボーイビバップ』と『スーパーマン』の豪華二本立だったのです!!!!
いえべつに二本立ではないんですけどね。同じNHK衛星第二で続けて放映されたってだけですから。
でも私にとっては何かの運命かと思うほど至福の組合せで、食べるのも忘れて(←これって私にとっちゃ凄いことですぞ)見入ってしまいました。
えー、以前お話ししました通り私の初恋の君はクラーク・ケントです。
スーパーマンの世を忍ぶ仮の姿、デイリー・プラネットの新聞記者ですね。
この初恋の君が私の理想像に及ぼす影響は凄まじく、とりわけ黒ブチ眼鏡はいまだに私の萌えを喚起する必須アイテムであります。
あと『リターンズ』で気付いたけど、スーパーマンの世界観ってちょっと昔のアメリカなのですよね。
クラークの装いもそうでした。同じスーツでもクラシカルなスタイル。もちろん黒い帽子は欠かせません。
だからいまだに私はそういう、男性のひと昔前のかっちりした装いが好きです。この好みまでクラークケントが発祥だったとは...。
いや、久しぶりにクリストファー・リーブ様のクラークを見たけど、やはりこのお方に限りますな。
最新作『リターンズ』のブランドン君もイケメンですしそれなりに素敵でしたが、彼のクラークはスーパーマンに変身する前から既に美男子で、クラークにあるべき「サエない感じ」があまり感じられませんでした。
クラークは礼儀正しいんだけどあの大きな身体をちょっと丸めてていまいち頼りないししょっちゅうどっかぶつかったりしているとこが可愛いのです。
って何だこの私の趣味。改めて書くと我ながら萌えのポイントがどうなんでしょうという気がして参ります。だめんず・うぉーかー入ってない?
しかし私がこのダメっぽいクラークに弱いのは道理、だって劇中のラナも明らかにダメクラークに萌えているんですもの。
未だに信じがたいことに、『スーパーマン』にはラナというクラークの初恋の少女が出てくるのです。
見た目が雲泥の差なのはこの際どうでもよろしい。外国映画なのに名前が同じという奇跡にひたすら感謝します。
あと外国っぽい名前にしてくれた母にも感謝。まちがって男に生まれて「らなお」にされなくて本当に良かった。
劇中のラナもクラークのダメな姿につい構ってあげたくなっている様子がありありですが、悲しいかな彼女はこっちの良奈と違って友達グループの言いなりになっちゃうタイプで、友達に腕を引っ張られるままクラーク一人を置き去りにしてドライブだかに行ってしまいます。
ああーんもう、同名だから遠慮なく罵らせてもらうけど、莫迦だね良奈。あ違った、ラナ。
それは見下げ果てるべき行為だよラナ。キミはキミの意志にしたがって動きなさい。
キミがそんなだったから、あのダメで可愛いクラークはロイスとかいうあのつまらぬ女のものになってしまうのだよ。
ま、出しゃばりロイスの担当(何の担当だ)はスーパーマンであり、クラークとは何の関係もないと私は身勝手に解釈しておりますです。
まあ可愛いクラークとお莫迦なラナの話(←どこまで身勝手な解釈だ)はおいといて、昨日のカウボーイビバップは私の大好きな『ジュピター・ジャズ』でした。
昨日のは後編です。前編はうっかり見逃しちゃったのよう
『ジュピター・ジャズ』の何がいいって、全編通じてムードが色っぽいとこが好きです。
物語の鍵を握る人物・グレンの雰囲気も、彼の奏でるサックスの音色も、そして画面の色合いまでとってもセクシーなのです。
冷静に見るとマズいシーンは一つもないんだけど、これを初めて見た10年前はさすがの私も純真な中学生だったもんで、これ以上見たらマズいんじゃないかという気持にさせられたほどです。
このエピソードを見ていつも思うのは、「色気」は「what」ではなく「how」の生むものだってことです。
つまりですね。ダンスにたとえるなら、露出度が高かったりたくさん脱いだりすれば色っぽいのかといえば、決してそうじゃないんだな。
本当に色っぽいダンサーなら髪のかきあげ方ひとつ、肩紐の直し方ひとつで色気を醸し出すことができます。どんなに露出の少ない上品なドレスを着ていてもね。
私はそういうエジプト人ベリーダンサーを一人見たことがあります。彼女は踊りと呼べるほどのステップも振りつけもないようなさり気ない動作で、普通のドレスを着て辺りを歩き回っているだけなんですが、十分に色っぽく十分に素敵な「ダンス」になってました。
いまもって私の究極の理想は彼女のようなダンサーです。
腰を大きく振るだの、パッと見が派手な技を見せつけるだのいうダンスは実は誰にでもできることです。誰にでもできるダンスは自分がわざわざ目指すべきものではないですね。
色気についてもそう。若かったりスタイルが良かったりする女性が露出度の高い服装をしているのを見て色っぽいと思い喜ぶ人もいるでしょうが、私が思うに本当の色っぽさはそんな上辺にはありません。
これらの私の理想から鑑みると、『ジュピター・ジャズ』のフェイ姐さん(を演じる林原めぐみさん)の演技は秀逸です。
一生懸命色っぽい女を演じようとしているのではなく、程よくチカラの抜けた声が逆にセクシー。
堀内賢雄さんのグレンの声もいいですね。グレンの中性的な(これは決してたんなる譬えではない)色気をよく演じてらっしゃる。物憂げなブルーの瞳と雰囲気がピッタリでした。
エピソードの軸はスパイクの過去=ヴィシャスとの因縁シリーズで、そこに今回初めてグレンが絡んできます。
グレンはその昔、戦地でヴィシャスと行動をともにした男性で、スパイクの昔の女・ジュリアのことも知っているキーパーソンです。
スパイクが頑なにジュリアを探し求める中でついにこの三人は巡り会い、ふたたびの対決となるわけです。
このグレンが複雑な人物で、ヴィシャスのひどい裏切りに遭ってそのために命を縮めたにもかかわらず、ヴィシャスに再会することを切望しているのです。
おそらくグレンはヴィシャスに思いを寄せているのでしょうね。これは私の想像ですが。
それをいったらヴィシャスはそうとうスパイクが好き(だったの)ではないかとも考えてるんだけど、これはさすがにいくらなんでも妄想に過ぎるかな(笑)。
ま、ヴィシャスなる孤独でめったに人を信用しない人物が、スパイクに対してだけは信頼を持っていたことは確かでしょう。
それをスパイクは裏切った、しかも組織から足抜けすると同時に自分の恋人(=ジュリア)と一緒に逃げようとしたわけですから、ヴィシャスの思いたるや如何ばかりであったでしょう。
ヴィシャスはジュリアを問いつめて彼女に銃を突きつけますが、殺せませんでした。
そのあたりの彼の苦悶を思うと、私はどんなに残虐な男でもヴィシャスを嫌いになれないのです。
...ぎゃ~。私ってもしかして、じゃなくてやっぱり「だめんず・うぉーかー」!?!?!?
なんせ『カウボーイビバップ』と『スーパーマン』の豪華二本立だったのです!!!!
いえべつに二本立ではないんですけどね。同じNHK衛星第二で続けて放映されたってだけですから。
でも私にとっては何かの運命かと思うほど至福の組合せで、食べるのも忘れて(←これって私にとっちゃ凄いことですぞ)見入ってしまいました。
えー、以前お話ししました通り私の初恋の君はクラーク・ケントです。
スーパーマンの世を忍ぶ仮の姿、デイリー・プラネットの新聞記者ですね。
この初恋の君が私の理想像に及ぼす影響は凄まじく、とりわけ黒ブチ眼鏡はいまだに私の萌えを喚起する必須アイテムであります。
あと『リターンズ』で気付いたけど、スーパーマンの世界観ってちょっと昔のアメリカなのですよね。
クラークの装いもそうでした。同じスーツでもクラシカルなスタイル。もちろん黒い帽子は欠かせません。
だからいまだに私はそういう、男性のひと昔前のかっちりした装いが好きです。この好みまでクラークケントが発祥だったとは...。
いや、久しぶりにクリストファー・リーブ様のクラークを見たけど、やはりこのお方に限りますな。
最新作『リターンズ』のブランドン君もイケメンですしそれなりに素敵でしたが、彼のクラークはスーパーマンに変身する前から既に美男子で、クラークにあるべき「サエない感じ」があまり感じられませんでした。
クラークは礼儀正しいんだけどあの大きな身体をちょっと丸めてていまいち頼りないししょっちゅうどっかぶつかったりしているとこが可愛いのです。
って何だこの私の趣味。改めて書くと我ながら萌えのポイントがどうなんでしょうという気がして参ります。だめんず・うぉーかー入ってない?
しかし私がこのダメっぽいクラークに弱いのは道理、だって劇中のラナも明らかにダメクラークに萌えているんですもの。
未だに信じがたいことに、『スーパーマン』にはラナというクラークの初恋の少女が出てくるのです。
見た目が雲泥の差なのはこの際どうでもよろしい。外国映画なのに名前が同じという奇跡にひたすら感謝します。
あと外国っぽい名前にしてくれた母にも感謝。まちがって男に生まれて「らなお」にされなくて本当に良かった。
劇中のラナもクラークのダメな姿につい構ってあげたくなっている様子がありありですが、悲しいかな彼女はこっちの良奈と違って友達グループの言いなりになっちゃうタイプで、友達に腕を引っ張られるままクラーク一人を置き去りにしてドライブだかに行ってしまいます。
ああーんもう、同名だから遠慮なく罵らせてもらうけど、莫迦だね良奈。あ違った、ラナ。
それは見下げ果てるべき行為だよラナ。キミはキミの意志にしたがって動きなさい。
キミがそんなだったから、あのダメで可愛いクラークはロイスとかいうあのつまらぬ女のものになってしまうのだよ。
ま、出しゃばりロイスの担当(何の担当だ)はスーパーマンであり、クラークとは何の関係もないと私は身勝手に解釈しておりますです。
まあ可愛いクラークとお莫迦なラナの話(←どこまで身勝手な解釈だ)はおいといて、昨日のカウボーイビバップは私の大好きな『ジュピター・ジャズ』でした。
昨日のは後編です。前編はうっかり見逃しちゃったのよう
『ジュピター・ジャズ』の何がいいって、全編通じてムードが色っぽいとこが好きです。
物語の鍵を握る人物・グレンの雰囲気も、彼の奏でるサックスの音色も、そして画面の色合いまでとってもセクシーなのです。
冷静に見るとマズいシーンは一つもないんだけど、これを初めて見た10年前はさすがの私も純真な中学生だったもんで、これ以上見たらマズいんじゃないかという気持にさせられたほどです。
このエピソードを見ていつも思うのは、「色気」は「what」ではなく「how」の生むものだってことです。
つまりですね。ダンスにたとえるなら、露出度が高かったりたくさん脱いだりすれば色っぽいのかといえば、決してそうじゃないんだな。
本当に色っぽいダンサーなら髪のかきあげ方ひとつ、肩紐の直し方ひとつで色気を醸し出すことができます。どんなに露出の少ない上品なドレスを着ていてもね。
私はそういうエジプト人ベリーダンサーを一人見たことがあります。彼女は踊りと呼べるほどのステップも振りつけもないようなさり気ない動作で、普通のドレスを着て辺りを歩き回っているだけなんですが、十分に色っぽく十分に素敵な「ダンス」になってました。
いまもって私の究極の理想は彼女のようなダンサーです。
腰を大きく振るだの、パッと見が派手な技を見せつけるだのいうダンスは実は誰にでもできることです。誰にでもできるダンスは自分がわざわざ目指すべきものではないですね。
色気についてもそう。若かったりスタイルが良かったりする女性が露出度の高い服装をしているのを見て色っぽいと思い喜ぶ人もいるでしょうが、私が思うに本当の色っぽさはそんな上辺にはありません。
これらの私の理想から鑑みると、『ジュピター・ジャズ』のフェイ姐さん(を演じる林原めぐみさん)の演技は秀逸です。
一生懸命色っぽい女を演じようとしているのではなく、程よくチカラの抜けた声が逆にセクシー。
堀内賢雄さんのグレンの声もいいですね。グレンの中性的な(これは決してたんなる譬えではない)色気をよく演じてらっしゃる。物憂げなブルーの瞳と雰囲気がピッタリでした。
エピソードの軸はスパイクの過去=ヴィシャスとの因縁シリーズで、そこに今回初めてグレンが絡んできます。
グレンはその昔、戦地でヴィシャスと行動をともにした男性で、スパイクの昔の女・ジュリアのことも知っているキーパーソンです。
スパイクが頑なにジュリアを探し求める中でついにこの三人は巡り会い、ふたたびの対決となるわけです。
このグレンが複雑な人物で、ヴィシャスのひどい裏切りに遭ってそのために命を縮めたにもかかわらず、ヴィシャスに再会することを切望しているのです。
おそらくグレンはヴィシャスに思いを寄せているのでしょうね。これは私の想像ですが。
それをいったらヴィシャスはそうとうスパイクが好き(だったの)ではないかとも考えてるんだけど、これはさすがにいくらなんでも妄想に過ぎるかな(笑)。
ま、ヴィシャスなる孤独でめったに人を信用しない人物が、スパイクに対してだけは信頼を持っていたことは確かでしょう。
それをスパイクは裏切った、しかも組織から足抜けすると同時に自分の恋人(=ジュリア)と一緒に逃げようとしたわけですから、ヴィシャスの思いたるや如何ばかりであったでしょう。
ヴィシャスはジュリアを問いつめて彼女に銃を突きつけますが、殺せませんでした。
そのあたりの彼の苦悶を思うと、私はどんなに残虐な男でもヴィシャスを嫌いになれないのです。
...ぎゃ~。私ってもしかして、じゃなくてやっぱり「だめんず・うぉーかー」!?!?!?