舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

Born to Dance

2008-01-20 03:11:04 | ダンス話&スタジオM
Born to Dance=「踊るために生まれてきた」とはよくいったもので、うちの母はまさにそういう人間です。

彼女には幼稚園にも上がらないうちからダンスの好き嫌いがあったそうな。そして、その本能の赴くままに音楽にあわせて踊っていたら椅子から転落して骨折したというのはまた別のお話です。

母の踊るダンスはその長い長いキャリアの中で自然淘汰され、今では自分の好きな踊りしか踊らなくなりました。
というより、昔から好きだった踊りが今になってようやく遍く市民権を得られた、と言った方が正確です。
つまり、フラにしろベリーダンスにしろ、我々にとっては一般に流布する遥か昔から踊ってきたものなのですね。

天邪鬼な私は自己紹介などの際に「へっへっへ、私ゃこんなマニアックなダンスを踊ってるんですよ、ご存じないでしょう」と変態的な悦びを感じながら語っていたものですから、この時代の変化には正直びっくりです。

それでもベリーダンスはある程度物心がついてから始めたからまだ分かるけど、フラにいたっては生まれる前からの付き合いなので、今日びの一般社会における浸透度にはひたすら驚きを禁じ得ません。

今だから正直に言いますがね、私ゃもともとフラが好きだったわけではないです。
それをいったらダンス全般が私にとって好きとか嫌いとかいうものではなかった。それ以前の次元なのですね。
これはおそらく初めて歩いたり喋ったりするようになった時の子供が、歩いたり喋ったりすることを好きか嫌いかじっくり考えてみることなしにやっているのと似ています。
じっさい、私のフラの基礎的な動作はこれらとほぼ同じ頃に身につけたものです。

特にフラの場合、1歳2歳の子供にとって捉えどころがとても難しいダンスです(著名なクムの中にも自分の子供が5歳くらいになるまで教えない人がいるのはそのせいじゃないかと思う)。
上達しようと思ってもどこをどうすれば上手くなるのか研究するのが本当に難しいのですね。

後年になって私はこの「捉えどころの難しさ」こそフラの面白さだとつくづく感じています。
フラは何かの技術さえ優れれば上手く踊れるものではないんですね。だから、捉えどころが難しいというよりは、捉えどころが無数にあるといえます。
だからフラの向上には限りがなくて、どれだけやっても次の楽しみがまた見つかり、終わることがないんですね。

それよりも幼少時の私にとって問題だったのは、今みたく猫も杓子もフラダンサー時代ではなかったですから、私が日本で日常的に見られるダンサーは母かメリーモナークのダンサー(しかも当時は上位入賞者の映像しか見られませんでしたからトップクラスの)しかいなかったのです。
だから自分の踊りがどの程度のレベルなのかサッパリ判らないまま15年くらい踊っていました。
というより、自分には才能がないと思い続けていましたっけ。

「井の中の蛙大海を知らず、されど空の高さを知る」の言葉どおり、かつての私に見えていたのは自分より遥かに高い目標ばかりでした。
でも今になって考えればそれは良いことだったと思います。上ばかり見ていたから、私はいつになったら届くやらわからないなりに向上心を失わずにいられたのでしょう。


だから私が思うに、すべてのダンスにおいて上達するために最も必要なことは「一流の演技ばかりをたくさん見る」ことだと思います。
それを真似してどうこうしようというのではありません。一流のものを見れば美意識が磨かれるし、「自分はまだまだだ、これからももっと研鑽できる!」というモチベーションが得られるのです。

自分よりレベルの低いものを見下ろすのはそりゃあ気持ちがいいだろうけど、それだけでは向上しないどころか自分のレベルもずるずると下がっていく一方です。
高い目標ばかり見ていると劣等感に苛まれる人もいますが、それで潰されるようなら所詮はそこまでだったということ。
本当に上達できる人はむしろ、高い目標からエネルギーを得てさらに向上しよう!と感じられる人です。
そのことに楽しみを覚えられる人はきっといくらでも上達していけるはずです。

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