「食べる事」
「人生の楽しみは食べる事」という方もおられるかも知れません。(私もそうです)
が、何と、毎日青汁1杯と、薬3種類だけで元気に13年生きている、という方もおられるそうです。(『食べること、やめました』 森美智代著、マキノ出版より)
森美智代といわれる方です。が、私は「1日に青汁1杯だけ」にはついて行けないので、その事にはあまりこだわらないで、森美智代さんの経過を紹介させていただきたいと思います。
きっかけは、ご自身の病気でした。21歳で小脳が小さくなる難病「脊髄小脳変性症」を発病されました。
普通に歩けなくなって、よく転ぶようになった。地面がせり上がってきたり、逆に沈み込むように見えたりして、ずっと地震が続いているような感じだそうです。
歩こうとすると、右に重心が掛かったとたんにバーッと右に倒れ、左に重心を移すと、バーッと左に倒れる。酔っ払った時の千鳥足のような感じだそうです。
「余命5年」と告げられた。
当時、森さんは養護教員をしておられましたが、高校生の時、伯母さんと一緒に参加した甲田医院の断食道場を思い出し、そこに行ってみようと思われました。そう決心するまでに、
P.24
「自宅で一人で、色々考えていると、どんどん気持ちは暗く沈んでいきました」
「高校時代も短大でも、嫌いな勉強も一生懸命やったのに、無駄だったなあ。全部パーか」
「余命があと5年だとしたら、最後の2年くらいは寝たきりで、起きて動けるのは3年くらいかも知れない」
「社会人になっても役に立たなかったなあ。結婚も出産もしないで死ぬのか」
「あぁ もう生きていてもしようがないなあ~」
(引用終わり)
などと思われたそうです。
私はこんなにも正直に書かれている事に驚きました。そのままを、子供が話しているみたいに。私も似ていますが、その次が違います。
(引用始め)
そう思った時、「そんな事、言うもんじゃ、ない!」
頭の中で声がしました。
「だったら生まれつきの障害で、寝たきりの人や歩けない人は、生きてちゃいけないの?」とその声は続きました。
自分の頭にただ浮かんだことなのか、それとも内なる「良心の声」なのか、よく分かりませんが、それで私はハッとしました。
私は20年間元気で生きてきた。その事に感謝もしないで、生まれつき障害を持つ人の事も考えないで、自分がつまらないから、役に立たないから、「死んでもいい」なんて考えてはいけなかった。
そう思い直したのです。
「与えられた命だけは頑張って生きなくちゃ」と。
そう思い始めてからは、自分でも不思議なほど気持ちが前向きになり、いつもニコニコ笑っていられるようになりました。
(略) 歩く時、転んでも、「また転んじゃった。アハハハ」と。
(略) 酔っていると思われるのか、「何ふざけてるのよー」とバンと背中を叩かれて、そのとたんに転んで、「なんで~?」と言われたりしました。
(略) そんな状態の時に「笑っていた」というと、精一杯無理して、我慢していたように思われるかもしれませんが、そうではないのです。
そういうふうに笑い始めてから分かったのですが、恥ずかしくて、痛くて、しんどくても、笑っている方が楽なのです。 (略)
苦しいのは自分一人の問題なのに、表に出す事でみんなを辛くして迷惑を掛けてしまうと、私自身が余計苦しくなります。なので笑っている方が楽だと分かったのです。
そんなわけでいつも笑っていましたが、「強い」訳では全然なくて、夜一人で寝る時にはいつも不安と恐怖に襲われました。
「明日の朝、起きられるかなあ」
「寝ると、その間に悪くなるかも知れない」
「明日はもっとひどくなっているんじゃないか」
と考え始めると神経が張りつめて、寝られなくなります。…
「与えられた命だけは頑張って生きよう」と決心した時、私の頭にふと、「甲田医院」の事が思い浮かびました。
(引用終わり)
ここの所を読んでいきながら、私は、(こういうふうに自分の思いを言えたら、いいなあ)と思いました。
たとえ良くない思いでも、聞いてもらえただけでも楽になれる事、あるもんなあ… と。
社会の中で、強く/正しく 生きていられる時は、良いのです。問題は、そうできなくなった時。「正しく」出来なくて、悪い事をやってしまうと、後は、叩かれるのみ、だと思います。
「正しく」出来ない時も、誰か、守ってくれる人がいる、そういう社会ならば、動物を虐待する事も無い(必要が無い)だろうと思うのです。
世界のほとんどの人が貧しくて、ごく一部の人だけが富んでいる、そうする必要が無いでしょう。自分が守られているなら/悪い事をしても、受け止めてくれる人がいるなら、多額のお金を掴んで離してはならない必要が無いでしょう。
アメリカって、「正しく(強く)なければならない」社会なんじゃないかと、勘ぐりました。
正しく/強く ない人が、自分の思いを話せる場を何とかして作ることはできないものか? 日本も同じです。格差よ、広がるな!
(次回へ続く)
「人生の楽しみは食べる事」という方もおられるかも知れません。(私もそうです)
が、何と、毎日青汁1杯と、薬3種類だけで元気に13年生きている、という方もおられるそうです。(『食べること、やめました』 森美智代著、マキノ出版より)
森美智代といわれる方です。が、私は「1日に青汁1杯だけ」にはついて行けないので、その事にはあまりこだわらないで、森美智代さんの経過を紹介させていただきたいと思います。
きっかけは、ご自身の病気でした。21歳で小脳が小さくなる難病「脊髄小脳変性症」を発病されました。
普通に歩けなくなって、よく転ぶようになった。地面がせり上がってきたり、逆に沈み込むように見えたりして、ずっと地震が続いているような感じだそうです。
歩こうとすると、右に重心が掛かったとたんにバーッと右に倒れ、左に重心を移すと、バーッと左に倒れる。酔っ払った時の千鳥足のような感じだそうです。
「余命5年」と告げられた。
当時、森さんは養護教員をしておられましたが、高校生の時、伯母さんと一緒に参加した甲田医院の断食道場を思い出し、そこに行ってみようと思われました。そう決心するまでに、
P.24
「自宅で一人で、色々考えていると、どんどん気持ちは暗く沈んでいきました」
「高校時代も短大でも、嫌いな勉強も一生懸命やったのに、無駄だったなあ。全部パーか」
「余命があと5年だとしたら、最後の2年くらいは寝たきりで、起きて動けるのは3年くらいかも知れない」
「社会人になっても役に立たなかったなあ。結婚も出産もしないで死ぬのか」
「あぁ もう生きていてもしようがないなあ~」
(引用終わり)
などと思われたそうです。
私はこんなにも正直に書かれている事に驚きました。そのままを、子供が話しているみたいに。私も似ていますが、その次が違います。
(引用始め)
そう思った時、「そんな事、言うもんじゃ、ない!」
頭の中で声がしました。
「だったら生まれつきの障害で、寝たきりの人や歩けない人は、生きてちゃいけないの?」とその声は続きました。
自分の頭にただ浮かんだことなのか、それとも内なる「良心の声」なのか、よく分かりませんが、それで私はハッとしました。
私は20年間元気で生きてきた。その事に感謝もしないで、生まれつき障害を持つ人の事も考えないで、自分がつまらないから、役に立たないから、「死んでもいい」なんて考えてはいけなかった。
そう思い直したのです。
「与えられた命だけは頑張って生きなくちゃ」と。
そう思い始めてからは、自分でも不思議なほど気持ちが前向きになり、いつもニコニコ笑っていられるようになりました。
(略) 歩く時、転んでも、「また転んじゃった。アハハハ」と。
(略) 酔っていると思われるのか、「何ふざけてるのよー」とバンと背中を叩かれて、そのとたんに転んで、「なんで~?」と言われたりしました。
(略) そんな状態の時に「笑っていた」というと、精一杯無理して、我慢していたように思われるかもしれませんが、そうではないのです。
そういうふうに笑い始めてから分かったのですが、恥ずかしくて、痛くて、しんどくても、笑っている方が楽なのです。 (略)
苦しいのは自分一人の問題なのに、表に出す事でみんなを辛くして迷惑を掛けてしまうと、私自身が余計苦しくなります。なので笑っている方が楽だと分かったのです。
そんなわけでいつも笑っていましたが、「強い」訳では全然なくて、夜一人で寝る時にはいつも不安と恐怖に襲われました。
「明日の朝、起きられるかなあ」
「寝ると、その間に悪くなるかも知れない」
「明日はもっとひどくなっているんじゃないか」
と考え始めると神経が張りつめて、寝られなくなります。…
「与えられた命だけは頑張って生きよう」と決心した時、私の頭にふと、「甲田医院」の事が思い浮かびました。
(引用終わり)
ここの所を読んでいきながら、私は、(こういうふうに自分の思いを言えたら、いいなあ)と思いました。
たとえ良くない思いでも、聞いてもらえただけでも楽になれる事、あるもんなあ… と。
社会の中で、強く/正しく 生きていられる時は、良いのです。問題は、そうできなくなった時。「正しく」出来なくて、悪い事をやってしまうと、後は、叩かれるのみ、だと思います。
「正しく」出来ない時も、誰か、守ってくれる人がいる、そういう社会ならば、動物を虐待する事も無い(必要が無い)だろうと思うのです。
世界のほとんどの人が貧しくて、ごく一部の人だけが富んでいる、そうする必要が無いでしょう。自分が守られているなら/悪い事をしても、受け止めてくれる人がいるなら、多額のお金を掴んで離してはならない必要が無いでしょう。
アメリカって、「正しく(強く)なければならない」社会なんじゃないかと、勘ぐりました。
正しく/強く ない人が、自分の思いを話せる場を何とかして作ることはできないものか? 日本も同じです。格差よ、広がるな!
(次回へ続く)