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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

山は半泣き、うす笑い…

2009年05月04日 | 明日何が咲くか-①
「ちょっと疲れさせておかなくちゃね~」
おにぎりとお茶とを持ってJessieと一緒に公園まで。二時間余りを過ごして帰宅。夜、早くに、スムーズに寝てもらえますように……。

夕刻からの高校時代の同窓会に出席のため身づくろいを始める娘に、「どうしてお化粧しているの?」と何やら“異変”を感じだした様子だ。「しんちゃん」とくつろいでいたはずが、立ったり座ったり、冷蔵庫を何度も何度も開け閉めし落ち着かない。
「何で京都駅の近くの歯医者さんなん?(ここにもあるの知ってるよ)」
長~い歯医者さん、まだ帰りません。
Jessieはすでにぐっすり夢の中。ちょっと食欲は落ちたが、本を読んでくっつきながら寝てしまった。

無言のまま膝に乗ったり、抱きついてくる彼女の心の内を思う。人の体温を感じ安心感を得ているのだろう、すっぽりと包みこまれながら。三歳児なりの辛抱もあることだろうに。

あいにくのうす曇り。京都盆地の周辺に連なる山の景観は、暮らしに取り込まれた借景的光景でもある。どこからでも眺望でき、見渡す限りの緑、とは言えない。うす汚い感じさえあるのが実に残念。シイが繁茂しているために黄緑の帯が混じるのだ。

山林整備が問われている。乗り出したという。
Jessieと同様、山も半泣き、うす笑いの「みどりの日」であった。

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罪な聡明さで・・・

2009年05月03日 | 今日も生かされて


【私は現実の矛盾や汚濁、他人の愚かさや醜さといったものにやたらと気づいてしまうのです。心通わす友もなく孤独でした……。

ある年の5月5日、上賀茂神社の競べ馬を見に行った時のことです。とても馬場の柵近くまでは進めそうもない混みようでした。で、ふと見上げた木の上に、一人の僧が今にも落ちそうなのに落ちることなく居眠りをしているのです。愚かなことだと皆があまりにひどく軽蔑して言いますので、私はつい「私たちにもまさに今、死はやってくるかもしれませんよ。こんな見物をしながら時間をつぶしているのですから、愚かしさは私たちの方が上でしょう」と言ってみました。するとですね、なんと!「まことにその通り!」って共感してくれるのです。おまけに席を空けてくれたので、一緒に楽しんでしまいましたよ。

嬉しかったですねー、人とコミュニケーションできて。私の言うことで誰かの心が動くなんて、初体験ですよ。生きる世界が変わったような記念日になりました。この思い出があるから、かたくなな自分の殻に閉じこもらずにいられるようです。】

まぶしいばかりの新緑の季節。生命力あふれる新緑と共に、人・馬一体となって磨いた技と力を神に捧げる祭りです。書物の世界に安らいでいた兼好さんが、現実の世界で得た【初体験の感動】を、埋め尽くされた人ごみに分け入ってあなたも思い描いてみてください。

今日は大田神社まで天然記念物に指定されているかきつばたを見にぶ~らぶ~らお散歩。そして、愛染倉(あぜくら)の庭をのぞきますと、ありました!もみじに咲いていた花のあとに、プロペラのような二葉が。『「プロペラもみじ」って呼んでるんですよ』と。落ちる時もちゃんとクルクルクルッと回って落ち、根付いていくことを庭師の方が教えてくれました。

よい出会いを得るには運の良し悪しもあるのかもしれませんね。人の一生には、思いもよらない出会いがつづくことがあります。しかも唐突に…。人生何があるかわかりません。 
    (大田神社とかきつばた群落・プロペラもみじ)
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 weakness…心の弱さ

2009年05月01日 | 今日も生かされて
『唐の詩人・白居易は大のツツジ好きで、その親しみやすさを愛し庭にも植えて楽しんだ。人にたとえれば伝説の美女西施(せいし)、さながら「百花の王」と絶賛している』
興膳宏氏が「漢語歳時記」でそう教えてくれている。

そのツツジが花盛りだ。子供の頃には花を摘んで蜜を吸った。大きなきれいな形の花。それがひとかたまりになって山を燃え上がらせる、蹴上の浄水場の光景などには圧倒されてしまうほうだ。ところで、親しみやすさと西施がつながらない……、ツツジは「百花の王」?

またまた心の弱さで葛藤が生じてきそうだ。心の弱さ、英語で“weakness”とか。
どうして人がいいと言うコト・モノをいいと同意できないのだろう。10人が10人絶賛しているんだから、そこに敢えて「そうかなあ」なんて思いを感じなくたって良さそうなのに。あの白居易さんが絶賛する花を、「私は― 」なんて、おこがましい限りだろう。大勢に同調できない“my weakness”。11人目にポロッと異論を唱えてしまう“my weakness”。黙って同意していることができないことも多い“weakness”。

美人の西施が胸を病み顔をしかめながら歩くのを見ていた女がいた。その表情を美しいとして、自分も同じ様に顔をしかめ胸をおさえながら真似をしたところ、言うに言われぬものすごい顔になってしまったとか~。「ひそみに倣う」。

むやみやたら他人の真似などしないことだ。さりとて、人間関係を円滑にさせるには折り合う気持ちは必要だ。“I overcame my weakness” 私は弱さに打ち勝ったと言える日は来るだろうか。
          
       (写真:この可憐さが好み・・・ これって何?)
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美人列伝・・・

2009年05月01日 | 催しごと
上品さの中に寂しげな表情を見てとるが、目には強い意志を感じて美しい。待ちかねた柳原白蓮展が始まった。

ことさらに黒き花などかざしける
     わが十六の涙の日記
わが魂(たま)は吾に背きて面(おも)見せず
     昨日も今日も寂しき日かな
毒の香たきて静かに眠らばや
     小瓶の花のくずるる夕べ

十六歳で嫁いで離婚、そして再婚。「筑紫の女王」と呼ばれながら、満たされることのない鬱屈した日々のようだ。夫に当てて新聞に絶縁情を掲載するという何とも唐突な行為で決別を告げた、その全文も読むことができる。なんでまた……。
「私は全力を以って女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の決別を告げます…」

「・・・子の個性を理解し援助してやれたと思います。波乱にとんだ前半生をくぐり抜けて最後は私の所に心から安らかな場所をみつけたのだと思っています。」
年下の帝大生宮崎龍介と再々婚し、昭和42年、白蓮が81歳で逝去後、夫は「文芸春秋」に寄稿していた。幸せな夫婦だったんやな、と傍らで話す声を耳にして温かいものを感じていた。最晩年の二人寄り添った写真は2枚ともが笑っている。

交友関係を示す何通もの手紙の中に、九条武子と長谷川時雨の物を見つけ、一気に私の興味は、気になっていた『近代美人伝』上・下(岩波文庫)にとんでしまった。
樋口一葉に傾倒し、女性のためにと先頭を走り続けた美しい時雨が選んだ美人伝。一葉はもちろん、平塚らいてふ、貞奴、白蓮も九条武子も、大須磨須磨子も…名うての美女の人生をどう表現しているのか、のぞいてみたい。
時雨と表裏一体で重なるものが見えるのだろう…。
先ずはちょっと立ち読みで。
コメント (2)
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