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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

蒔き忘れた花の種

2009年05月06日 | 今日も生かされて
庭でたばこを吸うために、お気に入りの場所に置かれたお気に入りの古びた木の椅子。そこに座り、真冬でも冴え返る月を眺めていたという弟の在りし日……。彼が好きだったその場所近くに見つけた朝顔のたね。もらい受けた。

在宅での仕事時間も多かったので、庭いじりを楽しみ漬物作りにも熱心で、出来栄えは上上、楽しみにされていたと聞く。日野菜を刻み、その年初めて桜づけで漬け込んだ、その夕刻に倒れてしまった…。

忌明け法要を勤めた昨年1月のことだから、花が咲いたのはその前年の夏。計算が合っていれば、今日に至るにはおよそ21カ月は経っているわけだ。

……蒔くを忘れた花のたね。
写真用フィルムが入っていた白い透明の容器に密閉されてからでも17か月余り。ひょんなことから姿を現した、黒々としたたね。忘れずに蒔いていたら、きれいな花を咲かせたものを。この長い月日、どんな夢を見ていたのやら、どーにかしてやらねばなるまい。

古いたねはだめなのだろうか。いつ蒔けばいいのか?どーも勝手がわからない。
― この連休明け、気温が安定した頃(地温20度が最適)に蒔くのがよい ―とあるではないか。間に合うな!古くても咲くのだろうか?……そんなことは蒔いてみなければわからないか。

とりあえず、蒔いてみるか。モーツァルトのCDでもたっぷり聴かせてやることにしよう。咲くだろうか。

コメント (8)
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かしわ餅に歯型

2009年05月06日 | 今日も生かされて
冷たい雨がそぼ降る午後、子どもの日。端午の節句。上賀茂神社での競馬(くらべうま)見物帰りの人達の冷めやらぬ興奮の中に混じって、ただ流れのあとに付いて歩いていた。全力疾走で速さを競う姿を目の当たりにして生じる疲れ……。

かしわ餅にくっきりと残る歯型。「たあちゃんがつけたのよ~」と教えてくれた時の亡き母のおかしげに笑う声、あの笑顔。たくましい成長をと願って、残された歯型が宝物。飾り付けるたびに最高の笑いをプレゼントしてくれる息子となった。

穀雨からちょうど半月余り、今日は立夏でもある。
芽吹き出した若葉ははや日に日に緑を濃くし、その生命力に力をもらう。その一方で、少々なぜそう生き急ぐのかと感じてみたり。この「歯型」とたぶん同年かと思われるJessie 。彼女にも多くの恵みが静かに、気づかないくらい静かなうちに注がれて、なんとも見事に会話の力をつけている。「あっ、ごめんね~」「ありがとう」に始まる日常の潤滑油も上手に使いこなすまでになって。

唐突ながら…、ホトトギスの拓卵の習性について書いたものを目にしたのだが……。
ホトトギスは、巣作り・抱卵・育雛を自分でしないということ。
うぐいす・拓卵相手の巣に一個の卵を産みこみ、その際に他の卵一個を飲むか捨てる。
他より少し早く孵化した雛は、他の卵を背中にのせて巣外に放り出し、仮親の世話を独占して成長する―ということらしい。

あはれと見るか……?
触れ合う親子の体のぬくもりから、一切を任せた思いで相互が潤っているのではないだろうか。抱え合う母子の姿には尊ささえを感じる。たとえ血のつながりがなくとも。子供の日、たくさんの親子連れを目にした。
コメント (2)
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