琵琶湖の西を走る湖西線で堅田まで。30分に満たないほどの時間でも、一駅ごとに日常を離れるプチ旅の喜びを感じた。
堅田と言えば、まず一番に浮御堂がうかぶ。(ご本尊公開に’18.10.10)
「1464年(寛政5年)秋。快晴の午後。琵琶湖畔、堅田の法住の道場に隣接した見晴らしの良い広間。湖にのびた橋の先に浮御堂が眺められ、広々と美しい琵琶湖に白帆をかけた船がゆく。どこまでも明るく雄大な風景。」が広がる。
法住の道場が本福寺として発足する日で、妻や子も伴って蓮如はやってきた。
蓮如 「あれは恵心僧都源信上人が千体の阿弥陀仏をまつられたといわれる浮御堂。この近江は古くから仏縁浅からざる地であったが、いまこの湖のほとりに念仏の日増しに大きく響くのも、その縁であろう。ありがたいことじゃ」
と、『蓮如-われ深き淵より-』第3幕第1場が始まる。
湖族の郷資料館の脇から北正面に本福寺。ここから浮御堂は望めない。
堅田の町衆は3階級に別れ、主に下鴨神社の供御人の系譜を引く地侍階級を〈殿原衆〉、有力な農漁民を〈全人衆(まろうどしゅう)〉、この両者に属さない級を〈地下(じげ)層〉とし、殿原衆と全人衆の2派が「湖族」で、特権を与えられ湖上での権利を独占した。
経済力も強く、活気のある全人衆は蓮如が住む本福寺を中心に念仏信徒となって結束していたという。
幕府統制下で自治制度をしいた町で、堺より京に近く、また叡山を目前にひかえていたために何度も戦火を浴びた。
山門勢三千が全町を焼き払った堅田大責めでは本福寺も焼け落ち、町衆は沖ノ島に逃れたが、
まもなく「旧に倍する繁栄を遂げている」と水上勉も『一休』で記していた。
光徳寺で「首」(5/7 等正寺の案内板)が見たいわけではない。
本堂の入り口はすべて閉じられていたし、声もかけずに外から合掌。
南北2キロの湖畔地域に6社10カ寺が現存しているという。由緒、伝説もいろいろ、早くから神仏思想が流入していたのだ。
室井其角の寓居跡、伊豆神社、堅田に縁のある岡本一平(「琵琶湖めぐり」)、城山三郎(「一歩の距離)、三島由紀夫(「絹と明察」)の文学碑など訪ね歩いた。資料館で受けた説明は親切なものだった。
晴天に恵まれ気温も上がったが、湖からの風の心地よいこと。
曲がり角が多く入り組んでいるが家々の間には風の通り道が作られていて、夏場でもエアコンなしの日は多いと地元の方がお話だった。
大きな家を建てて遮る勝手をせずに共有物は分け合う自治ぶり。
やっぱり見残しはある。電車に乗って再訪の楽しみとしておこう。
堅田と言えば、まず一番に浮御堂がうかぶ。(ご本尊公開に’18.10.10)
「1464年(寛政5年)秋。快晴の午後。琵琶湖畔、堅田の法住の道場に隣接した見晴らしの良い広間。湖にのびた橋の先に浮御堂が眺められ、広々と美しい琵琶湖に白帆をかけた船がゆく。どこまでも明るく雄大な風景。」が広がる。
法住の道場が本福寺として発足する日で、妻や子も伴って蓮如はやってきた。
蓮如 「あれは恵心僧都源信上人が千体の阿弥陀仏をまつられたといわれる浮御堂。この近江は古くから仏縁浅からざる地であったが、いまこの湖のほとりに念仏の日増しに大きく響くのも、その縁であろう。ありがたいことじゃ」
と、『蓮如-われ深き淵より-』第3幕第1場が始まる。
湖族の郷資料館の脇から北正面に本福寺。ここから浮御堂は望めない。
堅田の町衆は3階級に別れ、主に下鴨神社の供御人の系譜を引く地侍階級を〈殿原衆〉、有力な農漁民を〈全人衆(まろうどしゅう)〉、この両者に属さない級を〈地下(じげ)層〉とし、殿原衆と全人衆の2派が「湖族」で、特権を与えられ湖上での権利を独占した。
経済力も強く、活気のある全人衆は蓮如が住む本福寺を中心に念仏信徒となって結束していたという。
幕府統制下で自治制度をしいた町で、堺より京に近く、また叡山を目前にひかえていたために何度も戦火を浴びた。
山門勢三千が全町を焼き払った堅田大責めでは本福寺も焼け落ち、町衆は沖ノ島に逃れたが、
まもなく「旧に倍する繁栄を遂げている」と水上勉も『一休』で記していた。
光徳寺で「首」(5/7 等正寺の案内板)が見たいわけではない。
本堂の入り口はすべて閉じられていたし、声もかけずに外から合掌。
南北2キロの湖畔地域に6社10カ寺が現存しているという。由緒、伝説もいろいろ、早くから神仏思想が流入していたのだ。
室井其角の寓居跡、伊豆神社、堅田に縁のある岡本一平(「琵琶湖めぐり」)、城山三郎(「一歩の距離)、三島由紀夫(「絹と明察」)の文学碑など訪ね歩いた。資料館で受けた説明は親切なものだった。
晴天に恵まれ気温も上がったが、湖からの風の心地よいこと。
曲がり角が多く入り組んでいるが家々の間には風の通り道が作られていて、夏場でもエアコンなしの日は多いと地元の方がお話だった。
大きな家を建てて遮る勝手をせずに共有物は分け合う自治ぶり。
やっぱり見残しはある。電車に乗って再訪の楽しみとしておこう。