京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

堅田という地に…

2018年10月10日 | こんなところ訪ねて

滋賀県大津市堅田にある、臨済宗大徳寺派、海門山満月寺 浮御堂。西暦995年頃、源信僧都(往生要集」の著者)が湖中に一宇を建立。自ら一千体の阿弥陀仏を刻み、千体仏堂と称し、湖上通船の安全と衆生済度を発願したことに始まるという。
7年前の7月にも訪れているが、普段はお堂は開いていても、お厨子は閉じられ御前立が安置されている。この時期だけの公開(9月~11月の各1日から10日)とあって、ご本尊の阿弥陀如来像を拝観した。

東に向かって湖上に突き出たお堂。向かいに近江富士と称される三上山が、北へと目を移して長命寺山、さらにはデンと居座る伊吹山、…かすんでいるが山容が遠望できる。


信仰と鑑賞の問題について、「信仰のない者が仏像を美術品のように扱うのは間違っている」と述べた亀井勝一郎の考えを正論だとしながらも、「昔の人のような心を持てと言われてもムリなので鑑賞する以外に仏に近づく道はない」と白洲正子さんは記している。見ることによって受ける感動が、仏を感得する喜びと、そんなに違うはずはない、と言って。

ただ、「仏を感得する」ことそのものがまた厄介な感覚ではないのだろうかと思わされるが、少し前、新聞記事で目にした『仏像と日本人』を著した碧海寿広氏の示唆は馴染みやすかった。「それぞれの興味関心や美意識で向き合い、より自由に独自の感情や宗教的な経験を創造してい」けばよいと言われる。「知識をはさまずに、自らの身体に依拠して仏像の真価をつかもうとした」白洲さんに学ぶところ大…。


堅田には琵琶湖の海上権を掌握していた強力な門徒集団があり、京都を追われた蓮如上人が一時身を寄せた光徳寺が近い。上人に忠誠を尽した漁師の堅田源右衛門、源兵衛夫子の像があり、源兵衛の御首級(みしるし)が安置されているらしい。真宗大谷派の寺の本堂、縁、境内、慣れ親しんだ空気に包まれる感じが嬉しい。
「されば朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり。」御文の中でも大きな衝撃を受けた一文だった。…雑業を捨てて弥陀の救いにあずかれ…、と。

三島由紀夫の『絹と明察』、城山三郎の『一歩の距離』の文学碑と、湖族の資料館とを見逃してしまった。来月、出直そう、か。落ちてくる雨を気にしすぎたかもしれない。

コメント (6)
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