京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

思考回路が違うとは

2023年05月30日 | 日々の暮らしの中で
孫娘が二度に分けてレポートの文章をEメールに添付して送ってきた。見てほしいというので昨日今日と、午前中はその添削をして過ごした。いずれも送り返した。

資料を読み取り、考えを日本語で展開するわけだが、語彙の乏しさを感じながら、重なる表現や語を別な言い方に置き換えてみせたり、文脈をスムーズにしてみせたり…。あくまでも彼女版を壊さず、それでいて改善して、と英和辞典や広辞苑で確かめつつ頭を悩ませた。

これまでにも何度か頼まれている。
独特なものがある。幼いと言えば幼い。語彙力、繰り返される主語、英文の直訳っぽい日本語…。日本語で書くという機会がとても少ないことを思えば仕方ないのだろうか。
彼女にしてみれば、他言語で思考を組み立てることに通じるのだろうか。


『R.S.ヴィラセニョール』(乙川勇三郎)を読んでいたとき、孫たちのことを重ね合わせるように読んだ描写があった。その感覚はわからないままに、気になるのだった。
【物語の主人公レイは(父はフィリピン人・母が日本人)日本で生まれ日本で育ち、日本語で物を考えるが、父は英語を使い、タガログ語で考える。
日本人とは違う父の思考回路に、レイは戸惑うことがある。父のために英語で話しながら、沈黙が訪れると日本語で考えた】

孫娘は英語で父と話し、英語で考える。
しかし、日本にいれば私と、友人たちとも日本語で話し、日本語で考えている(ということになるのか)。
「英語から日本語の思考に切り替える」。英語⇔日本語、思考回路が違うということが、私にはわからないのだ。
まだまだ稚拙な日本文。文学は重要な栄養素っていうからね、吸収して成長の糧にしてよね、と思っている。


 

こんな穏やかな美しい海を前にしているが、激しい雷雨、大洪水、自然発火の山火事もあれば、寒さも訪れる。寒さぎらいの娘のために、少しは役立ちそうなものを詰めた航空便はすでに届いた。こちらははや梅雨入りだと伝えた。

末の子が英語で話しかけてくるとき、「日本語でしゃべりやぁ」と母親の声が入る。
彼の脳内を見てみたいわ。
コメント (2)
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