京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

心が動くとき

2023年05月07日 | 日々の暮らしの中で
NHK番組「日曜美術館」で歌川広重の雪・月・雨の名作が取り上げられていた。見ながら地元紙朝刊1面コラム、冷泉貴美子さんによる「四季の言の葉」に思い出すものがあった。


〈春雨はしとしとと、細い雨が「今日いく日(か)」と降り続きます。「春雨の糸」といいます。日本では雨を絵に描く時、歌川広重のように実線で糸のように表現しました。西欧では雨粒を用いるのが普通です〉(4/9)
〈次々と糸を引き出すような細い春雨を「春雨の糸繰り出だす」と表現し、「雨に春を知るのです」〉(4/10.11)。

静かな降りだが、ときおり窓を打つ音に雨脚の強さを感じる。立夏を迎えて降るこの雨は、糸は糸でも木綿糸ってところだろうか。
豊潤な気候風土に合わせて生まれた、美しく細やかな言葉や美意識に触れる。今年の小さなコラムは、お得感がいっぱい。

この一日、三井寺に桜を見た日の混雑が嘘のような疎水べりを歩いて等正寺さんを訪ねた。浄土真宗中興の祖とも言われる蓮如上人が、比叡山の山法師たちに追われ近江へ難を避けたとき3年ほど過ごされたという。道々、長等神社のところにあったこの案内。「首」があるらしい。


琵琶湖の幅が一番細くなっているところにある堅田の地は、鎌倉時代以降、堅田湖族が湖上の権利を独占し、その財力を背景に住民自治をしいていた。
蓮如も彼らを頼った。

【1465年に本願寺が襲撃されたとき、親鸞の御影を三井寺に預けた。その後、本願寺が再建され、御影を返してもらいに行くと「人間の生首2つと交換だ」と言う。
これを聞いた源右衛門と源兵衛の父子が、自分たちの首をと申し出た。三井寺の衆徒は父子の心に恥じ入って御影を返したと言われる。】と『湖の回廊』(西本梛枝)に記されているが、この父子の像が堅田の光徳寺にあったのだった。



2018年10月、前を通りかかって外から手を合わせたものの、この歴史を知らずにいた。
数珠を手に合掌して座る源兵衛に、父は刀を振り上げる。その足元が写真の左隅に映りこんでいた。
源兵衛さんの首が等正寺にある所以は…。

知らずに眠っていたことが、年月を経て芽を出した。
歴史を知ることも人を豊かにしてくれる。改めて堅田の町を散策してみたくなってきた。

コメント (4)
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