1ヶ月以上前にルーブル丸の内にパフュームという映画を見にいった ような気がする。入り口にサロンパス製品が勢ぞろいしていた。それを見て近鉄バファローズを思い出すからアホの思考回路は難しい。ネーミングライツという言葉が一般的になったのはヤフーBBスタジアム(現スカイマークスタジアム)か味の素スタジアムの頃だったと思う。そして2004年の開幕前かなり唐突に近鉄はチーム名のネーミングライツを画策した。ここまでは別にどうって事はない。それが承認されなかったことも、時期も悪かったし、仕方なかったかもしれない。しかしその理由は許せないものだった。確か「前例が無い」ということだったと思う。私は、じゃ、太平洋クラブライオンズや、クラウンライターライオンズはなんだったのかと思ったものだ。江川が福岡は遠くて親孝行できないと言い出した書状は福岡野球株式会社に郵送したように思う。この会社は岸信介の秘書であった中村長芳という人の個人会社だったはずだ。このチームはスポンサー料としてのネーミングライツにより球団経営をしていたのに、前例が無いと言い出すオーナー会議ってボケ老人の集まり以外の何者でもない。(と言うよりコミッショナーの上司であるボケ老人の一言がすべてを決めていたんだと思う)このあとどのスポーツ新聞もスポーツ番組もトンボユニオンズや福岡野球の例を持ち出せなかった。よほどボケ老人が怖かったのだろう。一方近鉄本社は早く野球事業と縁を切りたかっただけで、あっさりブルーウェイブと合併を決め込んだ。もしもネーミングライツに手を上げる企業があったら本当は近鉄が拒否していたかもしれない、ライブドアの時のように、なんとなく今はそう確信しています。それより4年前からブルーウェイブのファームは穴吹工務店でサーパスだったのに。その後と言うか翌年からライオンズのファームはインボイスとなりイースタンに登場したような気がする。拒否された例は近鉄の時の一回だけというのが気になって仕方がない。
今や旧渋谷公会堂だってC.C.Lemonホールだもんなぁ。あの会場に最後に入ったのは野坂昭如のコンサートであった。なんてこったい。
う~ん、近鉄や高橋ユニオンズの話題はもうやめよう。
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