kyon's日誌

つれづれに・・・

従兄

2022年07月27日 | 日記
梅雨明けした途端に暑いのは変わらない・・・今日も真夏日・・・しかし、何だか湿り気もあるような空気感・・かったるい。

母の姉様の長男から忌明けハガキを受けて香典が送られてきた。
あらぁぁ・・・そんなつもりじゃなかったのになぁ・・・と思いながら、ショートメールを送ってみた。直ぐに返事が来た。あらら・・・
この長男とは子供の頃、母の実家に預けられていた時からの幼馴染みたいな感覚の従兄である。年も同じ・・半年位あちらがお兄さんだ。
仙台に住んでいたのだが、伯母が亡くなってから久しいながら、やはりそこは長男・・・定年退職後に実家に戻って家を継いだ形になった。
少し体調を崩しているらしいが、畑などを作りながら楽しんでいる風なメールであった。うんうん・・・元気ではいるようで安心した。
穏やかでホントにいい人でねぇ・・・昔、ワタシが高校に入ったばかりの頃かな~、遊びに行ったら・・・あちらも八戸高専に入ったばかりであったが、八戸の街を案内してくれたんだけど、お昼をどこで・・・と探してる時に、あ、あれ、美味しそうだなぁ?などと言ったら、歩きながらだったけど、チラッと見ながらこう言ったのよねぇ・・「過ぎれば忘れるから」
ん???最初は分からなかった。
贅沢な感じだったかな・・ちょっと高そうだったものね、そか・・節約家なんだなぁ・・・と感心した記憶がある。
あの頃は彼の家も我が家も貧しかった・・大学に行きたかったんだろうけど、高専を選んだ。ワタシなんぞも大学に行きたいと母と大喧嘩したっけ‥(苦笑)
その高専を選んだ理由を伯母から後で聞いた。兄弟が彼の下には二人居る・・自分だけ贅沢をして大学とは言えなかったんだろうと・・家族思いで辛抱が身についている少年だったのよねぇ・・でも、ワタシの発想の中に「過ぎれば忘れる」という発想は無かったから、とても驚いたのだった。ワタシは我儘だったのね・・母一人が辛抱したり工夫したりしてたのに、そんなことを思いもしなかったなぁ・・と、今でも覚えている記憶である。
で、彼は立派に大手の建設会社に入り役職を得、定年まで勤めあげた。エライよなぁ・・・と、今でも思うのである。彼の弟と妹は好きなことを出来てるようだ・・ん~・・人が貧しいとかいうことと人となりは別物だと殊に思う。
どんな境遇で生まれ育とうとね・・・あの頃、伯母はメンドクサイ舅や姑にいじられっぱなしで苦労してた。それを彼はずっと見て育ったからなぁ・・忍耐強く忍ぶ母親を何とかして楽にしてやりたい思いで見ていたのだろう・・
今の世じゃ流行らない辛抱であり忍耐を身に付けていたのだろうなぁ・・だから、今でもどこかしら尊敬している。
その伯母の家に母ともう一人の母の姉を連れて電車に乗りバスに乗り・・連れて行ったことがあった。あの時に母達はこの世ではもうこれが会うのは最後だと悟っていたように思う。でも、楽しそうだった。互いによくもまぁ頑張って生きて来たよなぁといたわり合って、女学生のようにキャハハと笑い転げていたのを思い出す。元気な伯母と会えた最後だったなぁ・・今でも伯母の笑顔を覚えてるし、母の嬉しそうな顔を覚えてる。

姉妹と言えど互いの人生を持って生きて離れ離れ・・何十年も会わずに過ごしたのに、やっぱり会えば子供の頃の感覚で会えるし話せるのねぇ・・互いの皺くちゃな顔を嘆きながらも笑い転げてさ・・面白いもんだなぁと思うよ。
7人も居た兄弟姉妹・・・の最後の三人は順々に亡くなり、最後が母である。しかも三人の中では一番長生きした。
そんなことを思い起させた・・ちょっとセンチメンタルだけどね(苦笑)
人生は生きててこその面白味だよね・・・(^_^;)
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