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臨界事故にいたれば
むこう何百年も
東京を含む東日本一帯は
人の住めない土地になる、、、、
といわれた
福島原発の事故から11年。
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脱炭素の流れで
原発推進派が
勢いを取り戻すかにも見えたが、
ここにきて
「戦時における原発リスク」
というのが
新しいリスクファクターとして
急速に意識されるようになった。
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さて、今後どうなるのか ?
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下は、3・11発生後
関係各方面で検討されていた
「最悪のシナリオ」
を取材したもの。
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( kindle版あり )
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「 福島第一原発事故発生後、
「東日本壊滅」を想定した
複数の極秘シナリオが書かれていた !
官邸、米軍、自衛隊、東電――
関係者100余名への独自取材で迫る、
日本の危機管理の実像!
第64回JCJ賞受賞のNHK・ETV特集が書籍化 !
原発が暴走したとき、誰が命をかけるのか?
「 携帯に遺書のようなものを入力して、
家内宛に『子どもを頼む』っていうようなことを
記録したことは覚えてます」
――第一原発所員
「ある種、超法規的なことだったと思います。
しかし、私はそれはやらざるを得なかったと、
国の責任としてやらざるを得なかったと、
いまでも思っています」
――菅 直人(総理大臣)
「『もっと命かけてやれよ』
ってことをいえるほど、
仕組みもないし、
政治としての胆力も持ちえてない」
――寺田 学(首相補佐官)
「米軍側が、
『 日本は犠牲的な姿を見せないと、
世界が安心しない 』
というようなことをいろいろなルートから
いってきているんですよね」
――北澤俊美(防衛大臣)
「アメリカの目には、
日本が十分やっていないように映っていました」
――スティーブ・タウン(在日米軍連絡将校)
*肩書は当時のもの
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( kindle版あり )
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(プロローグより)
3月25日に政府に提出された
「最悪のシナリオ」以外にも、
東京電力や自衛隊、アメリカ政府などが
「最悪の事態」の想定について、
それぞれ独自に検討を行っており、
それらは有機的に結びつきながら
事故直後の混沌を生み出していた。
政府と東電の間の「撤退」をめぐる確執、
安全保障問題にも波及しかねない
日米両政府間での不信感の高まり、
そして、民主主義国家における「命の犠牲」を
どう考えるのかという究極の問い……。
「最悪のシナリオ」の成立過程の追跡は、
戦後日本の国としてのあり方を問うという、
巨大な地下水脈へ通じる道となっていたのだった。
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( kindle版あり )
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目次
プロローグ 「最悪のシナリオ」の謎
第1章 沈黙
Too Late――遅すぎたシナリオ /
3月12日、1号機水素爆発の衝撃 /
パニックへの恐怖 / 動き出したアメリカ
第2章 責任と判断
怖れていた連鎖――3月14日、3号機水素爆発 /
東電本店の危機感 /
巻き込まれた自衛隊 / アメリカの焦り /
「撤退か否か」――判断を迫られた、官邸の政治家たち /
15日早朝、やってきた〝そのとき〞
第3章 反転攻勢
関東圏に到達した放射能 / それは〝誤認〞だった /
「使用済み燃料プール」という名のモンスター /
ヘリ放水作戦開始 / 英雄的行為 /分水嶺
第4章 終 結
吉田所長の〝遺言〞 / 東電―自衛隊、非公式会談 /
アメリカの大規模退避計画 / 自衛隊の覚悟 /
日本政府版「最悪のシナリオ」とは何だったのか /
最後の謎
エピローグ 「最悪のシナリオ」が残したもの 」(内容)
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( kindle版あり )
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