老後は京都で !

京都の町中(堺町六角)と東京(青山)を気ままに行き来する二地域居住を実践中。 

京都宇治原子炉 ~ 計画廃棄の舞台裏

2021年10月21日 | 災害 &  サバイバル術

「 1950年代、

日本における原子力開発の黎明期、

東海村に続いて

京都の宇治に

研究用原子炉を設置する計画があった。

1952年、水爆実験実施の翌1953年、

アイゼンハワー米大統領は国連で

「平和のための原子力」と題して演説。

翌54年3月1日に

第五福竜丸のビキニ環礁で

被曝した翌日の2日、

日本の国会に保守政党により突如として

原子力予算が提出される。

先の計画はこうした流れの中にあって

急遽立てられたのである。

この計画が決まって日をおかず

宇治では茶業者を中心に

広範な反対運動が組織され、

やがて国会でも論議される事態となる。

そして宇治への原子炉設置計画は放棄され、

その後の関西各地の候補地でも

住民は計画をことごとく

押し戻していった。      」(内容)

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